森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

じょいふる

2010年03月06日 11時23分59秒 | 過去ログ
木曜日は会議のオンパレード。
今期の卒業確定を教授会で行った。
理学療法学科70数名もこれで卒業決定だし、
何よりも全員国家試験合格点に達しており、
4月からは無事に仕事に就ける。

ここからが自分の人生のスタート。
今までは安全基地内でのもがきであったが、
これからは、自分でその基地をつくり、
そして、その基地から外に志向を向け行動する。
少しずつ可塑的に相対的に拡大していく人生である。
それには他者の援助が必要なのかもしれない。
結婚という節目に出会うかもしれない。
そして、その両者が安全基地をつくり、
子供を育むのかもしれない。
自分たちが育まれたように。

人生は循環する。
社会は循環する。
巡り巡っていく、これが脳の伝達なのである。

教授会に続いて、大学院委員会。
無事に19名の修士が誕生する。
そのうち、うちの研究室7名全員が合格した。
博士課程に進学する者もいるが、
いずれにしても、自立した研究活動を行うとともに、
各分野でのリーダーとなり活躍してほしい。
継続は力なり。
修士なんていうものはただの紙切れにすぎない。
そこからどれだけ続けるかが、人生を大きく左右するのである。
動くこと、とにかく社会に発信し続けることが、
内と外のバランスをつくる。
外に発信しないと、志向は内に向きすぎ、
自分の不甲斐なさや他人の問題ばかり気にし始める。

内だけの人生になってほしくはない。
長期増強システムは継続あるから起こる。


その後、新年度から開催するニューロリハビリテーションセミナーの打ち合わせを行う。
7月、9月、12月、2月に本学でセミナーを開催する。
前半二つが基礎編で、後半二つが臨床編である。
それぞれ2日間のコースであり、
追って、大学のホームページを立ち上げ、募集する。

このブログでも公開します。
4月頭には公開できると思います。
また参加してください。


機能は1日、体調が戻らずなので、大学で仕事はせずに、
家で「リハビリテーションのための人間発達学(大城先生編集)」の担当章の校正を行い、
今月号から連載される「理学療法」の原稿の校正を行い、
そして認知運動療法フォーラムの原稿を校正し、
今日の講演と明日の講演資料をとりかかった。
体調戻らずであり、寝たり起きたりの繰り返しであり、
思うようにはかどらないのが事実であるが、こんな時は亀のように歩いていく限りである。
寝て起きた瞬間が記憶が整理されているためにいろんなひらめきが起こる。
しかし、そのまま放置すると記憶は忘却される。
すぐにとりかかるのが秘訣である。

しかし・・・「いきものがかり」のじょいふるの「遊びたい、」の替え歌が自分の脳内をこだまする。
講演先では「帰りたい、」になっているが、今は「休みたい、」である。
「誰にも会いたくない~」は少々重症であるが・・・

何も考えず、というバカンスは「よさこい」がなくなった今年、生み出されるのであろうか?少々心配である。

7月には大阪でライブ予定です・・・


2つの論文

2010年03月04日 16時48分14秒 | 過去ログ
遅ればせながら2つの総説論文がすでに掲載されていますので,お知らせします.

森岡 周:神経科学とEBPT―脳損傷後の神経可塑性と運動学習の脳内機構-理学療法学36: 440~443,2009

森岡 周:運動学習の理論と神経科学モデル.理学療法探究12:1~7,2010


ブレーキ踏みはシステムの作用

2010年03月03日 17時03分51秒 | 過去ログ
月曜日,火曜日と3年生の評価実習地の訪問で大学を空ける.
家に帰ってメールを拝見するが,風邪症状と毎日の懇親会で完全にグロッキー状態となっている.
月曜日は京都の日本バプテスト病院に向かい,学生と懇談.
特に問題ない様子で,もっぱら学生のことを別の席に置き,
浅野先生の子どもの発達科学のレビュー研究の話題で1時間ほど費やした.
学生も大事だが,もっとやらないといけないことがある.
これが実習地と教員との良好な関係であり,
お互いに意見交換をして,情報交換を得る.
そして,発達障害児のリハの向上につながればと思っている.

京都でコートの首周りのベルトを紛失してブルーになりながら,
大阪,村田病院へ.
学生は特に問題ない様子で,同じく,研究の進捗状況や,
雑談などを交わし,富永先生らと近くの奴寿司へ.
いい子まじめでなく,もっとアグレッシブにと.
若者に発破をかけて,21時には早々に退散した.
帰ったら高熱であった.
どおりで,ジョッキ1杯ぐらいで酔うはずだ.

翌日,認知運動療法フォーラムの原稿を修正したのち,
摂南総合病院へ.
熱は下がっているが,身体が重い.
しかし,ここにも仲間がいるので,心は軽い.
摂南,そして隣接する摂南の郷の学生も細かな指摘を受けるが,
おおむね良好.
社会人の洗礼を浴びているところである.
何事も勉強.
知恵は経験の娘である.
できない,わからない,という否定でなく,
これからおそらくできるだろう,わかるようになるかもしれない,と予想を立てること.

京橋の二刀流という洒落た和食を堪能する.
奥埜セレクションはいつも感心する.
川見先生とはいつ話しても心の余裕を感じ,フィーリングが合う.
僕は,ギスギスしているのがあんまし好きでないし,
情熱が空回りしているのも疲れる.
彼は先輩として余裕があり,否定形で生きていない.

ジョッキ1杯,焼酎などで酔ったが,
近くのonesでいつものようにワインを入れると,復活する.
チリ産のピノノワールとカベルネであったが,
チリの大地震を考えると,なんだか,酔う気にもなれなかったのも事実である.

奥埜先生とJR最終便1本手前で帰り,王寺経由で1時過ぎに家に着いた.
風邪症状は一向に良くならない.

今日は週末の講演を考えないといけないし,投稿論文の英語を書こうと思ったが,
目もかゆく花粉症も来たのではないかと,少々つらい.

焦りは禁物と思いつつ,3月という年度末中にルールとなっている科研費研究にはめどをつけないといけない.

追われている,いつまで追われるのだろうか.

それが人生なのだと思うし,歩みを自分からブレーキ踏むのはプロ意識が足りない.
だから,自分ではアクセルを踏み続ける.
時代がいつかブレーキを踏むのだろう.

PT学会から仕事の依頼が来た.
もう5月か・・・時がたつのは早い早い.

あっという間に定年なんてことになるのかな・・・