森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

脳と身体は父と娘or父と息子

2008年02月13日 17時22分24秒 | 過去ログ
やっと回復してきた。
風邪をひくと、身体と脳の関係がよくわかる。
思考だけ分離もできず、身体だけ分離もできない。

機械工学がいくら進んでも、その結合は解けない。
と思う。
そこにチャレンジする意味は人間を科学する意味で重要であるが。

人間とは何か?
それを知る手続きが、発達、学習、可塑、なんだろう。

スぺクタルな、なんとも魅力的な結合が、個人個人で起こる。
そしてそれは空間的にも時間的にも違うし、
同じことを求めても不可能だ。

生きている1分1秒は、実に魅惑的だ。
法則なき、法則。
そういう感じか。
その複雑性は、脳と身体がまさに人間関係のような絆だ。

それは干渉しあわない、いや時にしてしまい、
とりかえしがつかないような、「父と娘」「あるいは「父と息子」のようなものか・・・

身体が父かもしれない。

身体から脳は教えを被る。

脳は身体がなければ、ただの機械なんだ。

身体があるからこそ、機械から人間になりうるんだ。

だから、いくら刺激を外からしてもだめなんだ。

自らか感じ取ろうとしない限りは。


そんなことを昨日考えていたが、
時期は年度末、鹿児島県理学療法士会、
山口県理学療法士会の2つの県士会から同じ日に講演依頼を受けた。

どこも次年度の予算決めなんだろう。


そういう流れも、意識みたいなものだ。

水面の波紋が広がるように、脳の重要性がこの世界にもひろがっている。


僕の方は、脳というよりは、人間、関係性、そして身体(脳)への興味にうつっているが。
つまり目に見える身体でなく、見えない身体そのものが脳であるという視点。
こうなれば、父も娘もない。
目に見えない身体を指すとそうなる。


大学院生の原稿を直していたら、いらいらして、ブログを打ってしまった。
なんとも大人げない行為。そしてそれを書くなんて。

難しことを誰もがわかるように書く。
それが論文には求められる。
言い回し、日本語、すべてに注意を払い、気をつける。
そう自らに心がけてほしい。

言語は思考の訓練室。


言語化の作業を通じて、自らの脳を賢くしてください。
身体はその経験をまた脳に伝えています。

長く書いても、すらすら読める。
長く書くトレーニングをしてください。
抄録ばかり書くと、・・になっちゃうよ。


時はバレンタイン。

前倒しでくれる人々が巷には増加している。

自らの身体の情報から、自らの身体に、自らの脳が効率を求めたのだろう。


さてさて、
この仕事をしていると、身内の・・式にも出れない。

なぜなら、それが重なるからである。
このときばかりはいやな仕事であると思う。