森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

歯磨きとブログ

2008年02月14日 18時24分02秒 | 過去ログ
ここ数年、この月日は、書き物を一気に仕上げてた時期だ。
1日で原稿用紙80枚なんてこともあった。

しかし、今年は、雑務の多さで参っている。
大学院を花火のように打ち上げたが、
一教員が、院生の研究費や、科研費など、
すべてを統括し、書類を書いているので、
とてもじゃないが、研究どころではない。
国立大学のようには回らない。

しかし、会議などの合間に、
とりあえず、paper1本を調整した。

昨日のタイトルは、心身二元論的にとらえられるかもしれないが、
そんなに複雑には考えないでほしい。
両方とも一心同体であるという視点だ。
目に見える骨格体と、目に見えない身体(身体性)をわかってもらう意味でも
簡単に書いただけ。

それと感情かな。
私の身内(who?)の卒業式に、自らの大学(担任)の卒業式がブッキングしたという感情が、そのような言葉を生み出したのだ。

この数年、土日がほとんどふさがっており、
それはそれは楽しみにしていたが、
ここまで仕事に邪魔されるとは、
もう飽きれてものが言えぬ。
そういう感情が論理に打ち勝つ。

実に面白い。

ことばとは、難しいもので、
特にブログなんかは考えてかいておらず、
2~3分の出来事なので、あとでみかえすと、
ひどい思考だとよく思う。
これも、多いときは4000字ぐらいになっているので、
それを数分だから、ひどい場合もある。

考えて書くんだったらブログではもったいない。
とっくに出版ルートにのせている。

これは歯磨きみたいなものだ。


ときにめんどくさく、よっぱらってたら、そのまま寝る、
そんな感じだ。


さて、今日も院生をまとう。

それにしても、認知運動療法のメンツたちは、
どうして科学論文にも難しい表現を使うのだろう。

それをメタ認知で使い分けてほしい。

投稿する先を考え、単語を、表現を巧みに使い分ける。

原著は、その道でなくてもわかるように表現しないといけない。




地域の小学校の広報新聞に渡した読み物

2008年02月14日 18時11分35秒 | 過去ログ
人間らしい脳(こころ)を育むために


「相手の気持ちになってみなさい!」と叱られたことが懐かしいと感じられる親御さんも多いのではないでしょうか。

私たちの脳には、相手の表情やしぐさに共感する場所があります。例えば、映画を観ていると、ハラハラドキドキと主人公の気持ちが乗り移ったり、感動するテレビを観ると、所かまわず泣いてしまったりと、あたかも自分が経験しているように感じるこの脳の働きは、その名もミラーニューロン(鏡のようなニューロン)と呼ばれ、相手に共感する時に働く神経細胞と考えられています。重い荷物を持って歩いている人に「手伝いましょうか?」と言葉をかけることができるのも、あたかもその荷物を自分が持っているように実は感じているからです。

この脳の機能は高度な霊長類しか持っていないのですが、それを使わないと育まれません。それを育むために最も効果的な手段がコミュニケーションです。それも対話です。一方的に情報を相手に送りつけるといったメール等の伝達では育まれないと考えられています。コミュニケーションは情報伝達といった一方向なものを指さず、相手の気持ちを表情やしぐさから読み取り、その時々の状況に応じて、その後の言葉や抑揚等を使い分けるといった一連の過程を指します。昨今、メールの普及によって絵文字を使い、今の気持ちを相手に伝えるという手段がとられていますが、これは記号ですし、刻々と変化する表情を捉えた現在進行形なコミュニケーションではありません。メールは即効的な情報伝達には大変意味がありますが、完全にメールに依存してしまえば、本来、人間が持っているはずの共感する心の育成を妨げる可能性があります。

 他方、機械が普及したことによって失われつつあるもう一つの脳の機能が創造性です。最近、ゲーム等にバーチャルな世界が多く取り入れられ、子どももそれを好んでいる傾向がありますが、遊具のリアルさから、道具(おもちゃ)を何か他の物に見立てて遊ぶことが少なくなってきました。遊具が少なかったころは、一つの物を何通りにでも改良・工夫して遊んでいたこの過程が創造力(生き抜く力)を育んできました。例えば、ブロックがあれば、車に見立てたり、家に見立てたりして遊ぶ過程です。リアルを追及してしまえば、何かに見立てるという創造性は育まれません。子どもの時の創造力の育成は大人になったときの問題解決能力に関与します。

人間らしさとは何かと問われると、真っ先に出てくるのが、コミュニケーション(言葉)と創造力です。我々の祖先は種を保存するために、他人に共感し、そして、石を刃物に見立てるといった創意工夫をしてきました。それによって脳を発達させてきたのならば、それを育むための社会環境が今こそ見直される時期に来ているのではないでしょうか。