森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

長崎記念病院 特別講義

2010年01月28日 12時32分30秒 | 過去ログ
長崎記念病院リハビリテーション科 特別講義
日 時 平成22年1月30日(土)14:00~15:30
場 所 長崎記念病院
テーマ 認知神経リハビリテーション入門編
講 師 森岡 周(畿央大学)
対 象 病院スタッフのみ(※本学実習施設に対する講師派遣システム利用)



ニューロン活動を呼び起こす

2010年01月27日 21時10分37秒 | 過去ログ
また、こじゃんとブログがあいた.
書く内容が相当にあったが,タイプする時間がなく,
睡眠を削らしてまでブログはしたくないので,そのまま放置していた.

金曜日は岡山での講義.
昼間部は今日が最後(夜間部はまだ数回残っている).
教育学の授業なので,学びの手続きに関してフィニッシュされるが,
最後に,一理学療法士として,理学療法士になろうとする者にメッセージを送り,
未来を託した.
みんながセラピストになるころには今よりも数段明るい世界になっているよう.
なっていなければ,自分の手でその道を開拓すべき.
まだまだ道は開拓する余地がある.
余地だらけかもしれないが.

土曜日の朝の電車に乗り,一路奈良まで.
着替えに帰り,そのまま大学院の研究大会に参加のため,
M1のメンバーと桜井市の大正楼まで.
その名の通り大正の建物のようなノスタルジーを感じる.
床が傾いていることを感じ,とてもうれしく思う.
パリのアパートは石造りでありが,1700年代の建築物であり床は凸凹だった.
古い建物には生命が宿っている.
水平垂直な世の中,身体で感じることができなくなっている.
本来,自然は凸凹なのだ.

昨年は雪の中の信貴山でやった。



M2の修士論文の発表を聞き,
どれもよく考察していると,この2年間の完成度を感じるが,
パーフェクトではない,もちろん,そのような言葉は主観にはない.
限りなく,自分自身の考えに対して批判を加え続けることだ.
それが自分の道になる.







博士課程の3名のおかげで,いくつかシビアな指摘もあり,
彼らが研究室の主軸になってきたことに感心する.
どこでもそのように吟味しないといけない.
私がもっとも嫌うのは,何も言わない無関心な関係である.
何かを言う,発言するというのは,興味を持っているからである.
自分が指摘を受けるということにネガティブにならず,興味を持たれていると思えばよい.
どこのだれであっても仲間なんだから.
それは研究室に限ったことではない.すべてに当てはまる.



19時より夕食をいただき,深夜2時まで会話の花が咲く.

腹をわって話す,ということが,必要なのである.

職場だけ,っていうのは良くない.

日曜日の朝,7時に起き,みんなで大学にもどり,
16時まで討議の続きを行う.



M1の発表に進み,
荒削りであるが,進み始めたことに,
研究室が縦と横の関係で機能し始めたと思い始める.
まさにシステムである.
1年後にはさらにこのシステムが発展しているのだと思った.

結構に疲れ果て,家に戻り,
翌日の講演スライドを1枚も作っていないが,
とにかく,休みを優先し,
その日は龍馬伝を見て,眠りについた.
翌朝,起き,月曜日であるが,講演のスライドを一気に40枚作り,
その足で,吉野郡の下市町まで向かう.
初めて近鉄の吉野線を利用する.
途中,単線になり,THE田舎を感じる.



これまたノスタルジーな商店街を抜け,
会場まで.
会場では吉野郡保健主事会会長で阿知賀小学校長の羽山先生にお出迎えいただき,
4年前に奈良県の教諭のために開催した公開講座での私の講演が最初の出会いであるとアナウンスしていただいた.
当時は単なる若造の脳の講義であったが,
それに関心をいただき,感謝する次第である.
人とのつながりを大事にしたいと心より思った.

40名ほどの養護教諭,保健師の方々で,
全員女性であり,その圧倒的なパワーに負けそうであったが,
なんとか,自虐ギャグをいれながら,脳の話をした.
鍵は「共同注意」である.
教育の原点である.

羽山先生に下市口駅まで送っていただき,16時18分の電車に飛び乗った.
そのまま,長い道のりの東京まで.
深夜に入り,翌日,科研費研究の打ち合わせを行い,
打ち合わせ後,新幹線に乗った.
とてつもなく,移動ばかりのGを受け続けた腰が悲鳴をあげ,
私に,グリーン車を選択させた.

それでもきついことを感じ,
夜,奈良に帰り着いた.
吉野~東京のショート旅はまたもや私に過酷という免疫をつくった.
気力はあり続けたいと思う.

そういや,行きもグリーン車だったが,
吉本新喜劇の山田花子さんと一緒だった.
芸能人は毎週のように移動している.

それから見れば,このような移動は大したことない.
まだまだ,脳も身体も鍛えられる.
脳細胞は1000億個あるが,そのほとんど,ふつうの生活では使っていないのだから.
眠っているものを呼び起こすように,新たなチャレンジや,新たな人と出会い,
違う結合を作っていきたい.
脳を育むということはそういうことなんだから.


平成21年度 畿央大学 神経リハビリテーション研究会

2010年01月21日 00時40分49秒 | 過去ログ
日時:平成22 年1 月23・24 日
場所:大正楼・畿央大学
主催:畿央大学 神経リハビリテーション研究室

日時:平成22 年1 月23・24 日

プログラム
第1 日(1 月23 日):場所-大正楼
15:30-15:40 研究室教授挨拶(森岡教授)

15:40-16:50 (座長:信迫 悟志(D1))
1.ワーキングメモリ容量の違いが音声情報処理およびその聴覚ラテラリティに及ぼす影響―Dichotic Listening Test を用いた検討― 河村 民平(M2)
2.Differential activation between externally-triggered and self-initiated movements :Motor execution and motor imagery 河村 章史(M2)

17:00-18:20(座長:谷口 博(D1))
3.錯視課題における眼球運動の特徴 ~自閉症スペクトラムと定型発達児の比較~ 熊谷 奈緒子(M2)
4.ワーキングメモリ課題の難易度による脳活動の違いとストレス反応―数字順唱課題による検討― 十河 彩子(M2)

第2 日(1 月24 日):場所-畿央大学
10:00-11:20(座長:藤田 浩之(D1))
5.言語情報の提示が上肢の運動制御に及ぼす影響 平松 祐一(M2)
6.脳卒中片麻痺患者における振動誘発運動感覚錯覚中の脳活動 湯川 喜裕(M2)

11:30-12:15 研究紹介1(司会:M1 柴田 広昭)
① 佐藤 剛介(M1)
② 清水 重和(M1)
③ 若田 哲史(M1)

13:15-14:15 研究紹介2(司会:M1 柴田)
④ 高木 泰宏(M1)
⑤ 脇田 正則(M1)
⑥ 末吉 夏子(M1)
⑦ 上原 貴廣(M1)

14:25-15:25 研究紹介3(司会:M1 佐藤)

⑧ 大槻 哲也(M1)
⑨ 河石 優(M1)
⑩ 金谷 規弘(M1)

15:25-15:30 閉会挨拶(森岡教授)

リハビリテーションこそが脳の科学である

2010年01月20日 23時59分15秒 | 過去ログ
本日は明日のコミュニケーション心理学と人間発達の講義資料作成を行う。
コミュニケーションのほうでは、メタ認知とメタファー言語を取り上げ、
身体運動に伴うメタファー言語が脳の抽象的な表現となり、
それが言語と運動を結び付ける重要な発達であることをさししめす予定である。
とりわけ、容器のメタファーは、行為の大きさに大きく関係する。

人間発達のほうでは事例を作成した。
発達障害の行動から認知レベル、神経レベルの両者を考察するという手続きに入る。
難易度は相当に高い。
大学生活で最も頭を使うかもしれない。

3年生のゼミを行い、
臨床実習はあくまでも通過点にすぎない。
私の今からは臨床実習はよき経験であるが、
もうそのとき考えていた思考はほとんど存在しない。
自分が大きく変わった。
その後の臨床、研究、教育のプロセスで。

「なんちゃ~じゃないき」「たいしたことない」

18時半より東朋香芝病院で講義スタート。
今回で4回目。
これまでの3回は高次脳機能障害であった。
今回はオープン勉強会。

そこで、私はつくづくPTが原点にあると思った。
高次脳機能障害のときは、丁寧かつやさしい表現で講義したが、
今回は麻痺と機能回復。
やはり、私の原点には麻痺がある。
相当にきつい口調だったように思う。

脳卒中片麻痺。
私は臨床中、幾度もなく、この怪物に挑んだが、
おそらく数100名を超える担当のなかで、
自分自身の治療効果!と思えるのは数少ない。
ほとんどが敗れてしまった。
だからこそ、今なお、それに挑んでいる。

脳だけでも、筋だけでも、脊髄だけでも、ダメだ。
それらがどのように連結しあい、
どのように行為を生み出しているのか?
その知識の深さと広さに、
臨床におけるリーズニングが相関するだろう。
とにかく、現状の知識では、この麻痺に対してみなかったことと蓋をするのみ。

麻痺に固執してはならないと聞く。
それは患者目線であり、必要なことであるが、
私自身、つまりセラピスト目線で、それが許されるだろうか。

昨日のプロフェッショナルに出てきた移植外科の医師の志からは、
現状のセラピストの志は程遠いようにも思う。
とにかく夢と言われようが、現実を見ろといわれようが、
それに挑む志と、絶え間ない努力が必要である。
現実を見れば、利き手交換かもしれないが、
最終的なセラピストの、あくまでもそのケースに対するリーズニングであり、
全体論には当てはまらない。
「夢」を実現するのが、人間の知恵である。

まだまだ脳―脊髄―筋のネットワークについて十分に理解していないのならば、
理解すること。
とにかく勉強あるのみである。


そんな思いもあって、今日の講義は厳しく、難しかったと自省しつつ、
セラピストの目が死んでいる(メタファー)のも気になった。
「気概」を感じないということは、麻痺に困っていないのかもしれない。
高次脳機能障害のときは、それを感じなかったということは、
失認などは何とか治療しようと思っているが、
麻痺はある程度潜在的にしかたないと思っているのかもしれない。
非常にそれが気になった。
私の思い違いならよいが。


特にPTは運動の専門家。
だとしたら、この運動障害について勉強するということは当たり前の手続き。
脳が損傷している病気に対して、運動を生み出す脳のシステムについて知らなきゃ・・・



定年まで踏ん張り、次世代に引き継ごうじゃないか。
せめて。

現在のセラピストは、未来のセラピストにセラピーを託す責任がある。


リハビリテーション科学こそが、地についた脳の科学である。


2010年1月~3月の講演スケジュール修正版

2010年01月19日 21時09分23秒 | 過去ログ
日本認知運動療法研究会ベーシックコース
日程 2010年1月9日(土)~11日(月)
会場 兵庫県立総合リハビリテーションセンター
対象 理学療法士・作業療法士・言語聴覚士 他(すでに定員に達しています)
テーマ「運動イメージと認知運動療法」 森岡 周(畿央大学)
「運動学習と認知運動療法」   森岡 周(畿央大学)
終了


山梨県理学療法士会 平成21年度 第3回 学術研修会
日 時 平成22年1月17日(日) 10:00~15:00(受付9:30~)
会 場 石和スコレーセンター
テーマ「リハビリテーションのための脳・神経科学~最近のトピックス~」
講師 畿央大学 健康科学部 理学療法学科 森岡 周 
終了

東朋香芝病院 第4回脳卒中セミナー
日時 平成22年1月20日(水) 18:00~19:30
会場 東朋香芝病院
テーマ 麻痺と機能回復
講師 森岡 周(畿央大学)
対象 原則として病院スタッフ


吉野郡保健主事会・養護部会合同研修会
日時 平成22年1月25日 13:30~15:40
場所 下市観光文化センター 研修室
内容 コミュニケーションが脳をつくる
講師 森岡 周(畿央大学)
対象 吉野郡保健主事会・養護部会 教諭


長崎記念病院 講演
日時 平成22年1月30日(土)14:00~15:30
場所 長崎記念病院
テーマ 認知神経リハビリテーション入門編~知覚・認知と運動の不可分性~
講師 森岡 周(畿央大学)
対象 病院スタッフ(※本学実習施設に対する講師派遣システム利用)


運動連鎖アプローチ研究会 身体運動学セミナー
日時 平成22年2月7日(日)
会場:福岡和白リハビリテーション学院 講堂(アクセス:別紙参照)
13:50~15:50「身体運動学~運動学習の神経科学的視点から~」 
講師 森岡 周(畿央大学理学療法学科・教授)
対象 申込者


日本理学療法士協会 理学療法士講習会(応用編) 認知運動療法
日 時 平成22年2月11日(木・祝) 〜 13日(土)
場 所 富士リハビリテーション専門学校(静岡県富士市)
講 師 森岡 周(畿央大学)他
「脳科学と脳損傷-脳機能局在、随意運動のメカニズム、アノーキンの機能系、他-」
「世界に意味を与える身体 -知覚運動連鎖、キネステーゼ、身体イメージ、運動イメージ、運動発達ー」の2講座,他実技
対象 申込者

亀田総合病院リハビリテーション科特別研修会
日時:2010年2月20日(土) 15:00~17:00
場所:亀田クリニック5F 研修室
テーマ「脳科学の臨床応用~認知神経リハヒ゛リテーションとEBM,研究と臨床の両面から~」
対象:病院スタッフ


東京都リハビリテーション病院 院内研修会
日時 平成22年2月26日(金)16時30分~18時
テーマ 理学療法の為の脳機能
会場  東京都リハビリテーション病院運動療法室
講師 森岡 周(畿央大学)
対象 病院スタッフ


奈良県理学療法士会 平成21年度新人研修会
日時 平成22年2月28日(日)
場所 未定
テーマ 「世界の理学療法」「臨床実習教育」の2講座
講師 森岡 周(畿央大学)
対象 奈良県理学療法士会員


Himeji Physical Therapy Castle side Conference
日時:平成22 年3 月6 日(土) 15:00~17:00
テーマ:(仮)脳科学と理学療法
講師:畿央大学 森岡 周
会場:ハーベスト医療福祉専門学校1 階講堂姫路市南駅前町91-6
対象:本会会員


第15回 日本徒手的理学療法研究会 学術研究会
日時 平成22年3月6日(土)~3月7日(日)
場所 畿央大学(奈良県北葛城郡広陵町)
テーマ 痛みについて考える
シンポジウム:痛みについて考える
基礎研究の立場から 講師 松原 貴子 先生(日本福祉大学 准教授)
マニュアルセラピーの立場から 講師 中山 孝 先生(日本工学院専門学校 専任講師)
脳科学の立場から 講師 森岡 周 先生(畿央大学大学院 教授)


朝日リハビリテーション専門学校 平成21年度臨床実習指導者会議 講演
日時 平成22年3月19日(金)
場所 未定
テーマ 学習のプロセスとその援助方法
講師 森岡 周(畿央大学)
対象 本校臨床実習指導者


石川病院 特別講義
日時 平成22年3月20日(土)
場所 姫路・石川病院
テーマ 神経リハビリテーション入門編
講師 森岡 周(畿央大学)
対象 病院スタッフ


京都在宅リハビリテーション研究会 特別講演
日時 平成22年3月22日(月)13:30~15:00
場所 明治国際医療大学附属病院
テーマ 神経科学と在宅リハビリテーション~在宅における神経リハビリテーション~
講師 森岡 周(畿央大学)


神経現象学総合リハビリテーション研究センター第1回公開研究会
日時 平成22年3月27日(土)
場所 東洋大学
テーマ 認知発達と運動発達のリンケージ
講師 森岡 周(畿央大学)


すばらしさの世界は共有できるのか? Joint Attention !

2010年01月19日 14時03分58秒 | 過去ログ
山梨より帰り,
この生活が3月末まで続き,
1日たりとも休みがない生活に不安を覚えるが,
なぜか,身体きついが,精神は明るい.
そのせいか,心軽やか,そしてそれが身体に反映され,
さらに精神を明るくする.
そして,積もった仕事を横目に,
それでも自分は自分の足で地に根付き,
そして進んでいる幸せを感じる.
まだ見ぬ1年後の自分のためにも.

昨日は固定型思考のことを話したが,
みな先人達は,「昔はよかった」と若者に話す.
それはそれで昔話として聞き,歴史を感じることができ,
重要なことである.
しかしながら,この問題山積みの世界をどのように開拓していくかとなったら,
こと昔話では対応できない.
「理学療法士」はすばらしい仕事であると豪語されても・・・
それはあなた自身の目線であり,
私の目線ではないと,若者は思う.
一人称であり,二人称の関係から生まれた「すばらしい」という一言ではない.
教育的観点から最もやってはならない戦略である.
この仕事はすばらしいといってもそれを感じていないものに対しては,
無力感を植え付けるだけである.

「時間」を共同注意していない「すばらしさ」は言葉が一人歩きしてしまう.
上層部と今の20代のセラピストは時間を共有していない.
共同注意の中でお互いに生まれた「すばらしさ」,それが現代に求められるのではないか.
感情と言語はそのように経験の中で紡ぎあう.

一方向に「すばらしさ」「昔はよかった」「診療報酬は昔がよかった」などと
時間と空間,すなわちその世界を共有していないものに語ったとしても,
機能的にかい離が生じるだけである.
システムの崩壊はそうして起こる.
脳のシステムが崩壊するのも,社会が崩壊するのも,原則的には一緒である.

母子相互関係のように「共同注意」していく方向を生み出す組織であってもらいたい.
決して,若者が未来をもっていないわけではない.
未来を想像できないからである.
未来を一緒に創ろうという,中堅が今こそ必要なのではないだろうか.

草創期の人たちでなく,今の中堅は苦をわかちあった経験をもっているはずである.

人は時代に作られる.

自分自身で作っているのはない.


現在,修士論文の副査お願いに奔走しています.

ちょっと一休みのブログでした.

ブログは原則5分以内にうつと決めている,私自身の脳と身体のトレーニングである.


Stop the 「固定型思考」!

2010年01月18日 16時44分12秒 | 過去ログ
金曜日,いつものように岡山に向かう.
このルートも何年になろうか.
奈良~岡山を毎週のように移動すると
西日本の移動はもはや何も感じなくなる.

教育学の授業もラスト数回.
今回の授業は「学習された無力感」を取り上げ,
意図を発しながらも何度もその経験を失敗すると
それを学習してしまい,無力感を感じる脳内システムについて話した.
これは片麻痺における学習されたまひや否認も同じシステムと考えられる.
これの繰り返しでは無力感を生んでしまう.

自分には能力がないと.
向いていないと.
あるいは,この腕には何の意味もない肉の塊だと.

この思考は固定型思考と呼ばれ,私たちの職場の中にも存在する.
管理者が部下から建設的な批判をもらっても,そのフィードバックを歓迎しない.
「教師あり学習」の根幹が失われ,
自分の経験のみ,すなわち,「教師なし」システムだけの作動になる.
これは教師なし学習とは言わない.
自己批判しないからである.

固定型思考の上司はその批判を自らの根本的な能力に向けられたものと思い始め,
ついには「不快」という情動により無意識に「危険」と反応し,
それを「攻撃」あるいは「回避」「無視」するようになる.

これは上司のみでなく,学生自身にも現れる.
固定型思考を持ち続けると学ぶ楽しさよりも,
自分がきれい(格好良く)に見えるかのみを強調し始める.

固定型思考から努力型思考へ.
ドーパミンの生成は自らの変化値に現れる.
「才能」をほめるのではなく,「努力」をほめる.
すなわち,患者との関係では,「結果(事実)」をほめるのではなく,
その「経過」をほめる.
人に無理やり歩かされても,何によって歩けるようになったのかがわからない.
次のステップにつながらない.
自分自身が「歩けそうかな」と思って,歩けたのとは脳科学的に大いに違う.
「教師なし」「教師あり」「強化」そういった学習理論も,
自らの努力によって,セラピストは活かしていってもらいたい.
無論,教育者も.

天才は努力を惜しまないというのは,
天才は努力を楽しむからである.

「学習は失敗からでも成功からでもない」その間をいかに経験するかである.
いわゆる「挫折」というのは,本当の「挫折」ではない.
ペルーの原住民の生活をのぞくと,
いかに人間はたくましいかを知った.
豊かさを知った日本人が自殺者が増える意味もわかる.
私たちは,「生きる動物」なのである.

昼間部と夜間部の間の時間に同僚のIsekの抄録を添削した.
時間に追われるときつい.



土曜日,朝,岡山を発ち,
伊丹空港を経由して,羽田へ.
いつもANAを利用するが,
JAL問題か,ANAの乗客が多いような気がした.
新宿より,スーパーあずさに乗り,甲府まで.
甲府駅では学術研修部長の名取先生らのお出迎え.
石和温泉まで行き,ホテルにチェックイン.
たまにあるが,一人で和室10畳は少しさびしい.



19時より山梨県理学療法士会の学術の方々,
それに,日本ボバース研究会会長の伊藤先生,
そして,脳血管障害の治療者としての盟友の高村先生らと酒をかわしながら,
理学療法のこと,リハビリテーションのこと,神経科学のこと,
脳卒中片麻痺のこと,など語る.
理学療法士の「池田屋」をという伊藤先生からは熱いまなざしがあった.
新撰組や,見回り組に襲撃されないよう,
いろんな役割の人が必要だ.
自分は,広い展開を考えている.
一般の人を巻き込んだ「リハビリテーション」の本質の理解といったムーブメントを起こしたい.

0時まで飲み明かし,
翌朝,10時から講演がスタートした.
10時というのはありがたい.
9時スタートはいつも相当きつい感がある.

4時間にわたり,神経科学とリハビリテーションの接点について話したが,
いつもの内容よりは右半球と左半球の機能特性をかなり詳しくしゃべり,
重要な「身体保持感」や「運動主体感」の話も多くした.
大脳皮質は現状の環境からの感覚入力の重みづけをおこなう.
私自身が運動していると感じるのは,
感覚フィードバックからでなく,
0.数秒前の運動準備電位における遠心性コピー情報からである.
そのコピー情報がさまざまな領域に入ることで,
Relevantな感覚のみを焦点化し,
そうでない感覚を抑制する.
これが大脳,小脳と脊髄のシステムによって生まれる.
自分でくすぐるとくすぐったくないのも,
シングルタッチでは原始反射が出現するも,
ダブルタッチでは原始反射が出現しないのも,
シナプス前抑制によって伸張反射が抑制されるのも,
このシステムの機能によるものと想定される.

片麻痺で筋トレすれば伸張反射が亢進するとか,しないとか,
それは結果を見ているにすぎない.
亢進しないのは,運動単位動員の際に,
運動の準備,遠心性コピー,予測的操作が存在しているからであり,
亢進するのは,それが存在していないからである.
CRPS患者の運動実行時には脳活動がみられるが,
運動イメージ時にはそれがみられないという研究成果も,
その痛みの知覚は,この予測的操作により,
不必要な感覚が抑制されていないからと考えられる.
「痙縮」をあげてしまうとか,あげないとか,
そんな結果のみを焦点化していく時代は終わったと思う.
メカニズムから現象を読み解き,
そして,クリニカルリーズニングを行う.
そんな時代になっているにも関わらず,
「固定的思考」がその人の「成長」を邪魔する.
山梨県理学療法士会の講演を行いながら,質問を受けながら,
そんなことを思った.

筋トレをして駄目になる患者もいれば,駄目にならずに良くなる患者もいる.
統制された実験研究やRCT研究では,臨床の本質には迫れない.
肝心なのは方法論に固執するのではなく,病態・現象をとらえる眼力である.
その眼力は努力からしか生まれない.
誰かの受け売りでは生まれるはずがない.
いつまで三人称で生きるのか?

片麻痺には筋力検査をするなとか,筋トレをするなとか,これもお決まりのパタン.
筋力検査(刺激)-筋緊張亢進(反応)のS-R主義をいつまで続けるのか.
その間をなぜ科学から読み解こうとしないのか?

一方,筋トレ(刺激)-筋緊張変化なし(反応),
方法論がRCTになっても思考がS-Rだと,
何の科学性もない.

患者の私自身がよくなりたいというニーズにはこれでは答えられない.
もっとセラピスト自身が思考を鍛え,頭がよくなってもらいたい.
頭がよいということは能力ではない,努力の量と質で決まる.





私は自分の思考が毎年変わることを楽しみにしている.
「昨日のおれは,俺ならず」まではいかないが,
「昨年のおれは,俺ならず」と行きたい.
現役中は.

山梨県理学療法士会の会長の谷村先生に御挨拶し,
高村先生の奥さんに御挨拶し,
愛媛の横内(同級生)の話になり,
高村先生からは,同期生ならではの「40歳も目前、お互い身体には気をつけましょう!」とあたたかい言葉をいただいた.
「この世に生を得るは事を成すためにあり(山梨リハビリテーション病院の宮地先生のメールから)」
山梨はとても寒く,ノスタルジーを感じたが,
みんなの視線は前向きで熱かった.
来年,また全国学術研修大会でお世話になる.
その時には,自分の思考の変化を楽しんでもらいたい.

思考はつねに変化するもの.

その変化をポジティブととらえるか,ネガティブととらえるか.
それは自分次第なのである.

人間はいろんな場面でチャレンジの誘惑があるはずだ.
それに気づく人間と気づかない人間,
それに行動を起こすものと,起こさないもの.
その分岐によって,固定型思考と成長型思考に分かれる.

知らないうちに固定型思考になってしまう.
それこそが脳の老化現象である.

日常生活では,1000億個のニューロンの5%しか使っていない.
脳は筋と同じように鍛えられる.

そして,筋や関節といった末梢器官のように外から刺激に応答するだけでなく,
内の情報(経験や記憶)を使い,それを改変・更新できる柔軟性をもっている.
受容器レベルでは刺激だが,脳のレベルではその刺激が情報になりうるかが勝負である.
感覚を弱めたり強めたり,感覚がないのに知覚を生み出したり,
末梢と脳が大きく違う点は,外の刺激が必要ない場合でも,いかようにも作動する点である.
ものいう器官,それが脳である.
脳には刺激ということばは似合わない.

脳科学の魅力に浸っていただきたい.


finish!!!

2010年01月14日 19時39分17秒 | 過去ログ




Akihumi Koumura:Differential activation between externally-triggered and self-initiated movements : Motor execution and motor imagery 



湯川 喜裕:脳卒中片麻痺患者における振動誘発運動感覚錯覚中の脳活動



吉田 慎一:空間の差異が脳活動に及ぼす影響―近位空間と遠位空間の比較-



十河 彩子:ワーキングメモリ課題の難易度による脳活動の違いとストレス反応―数字順唱課題による検討―



熊谷 奈緒子:錯視課題における眼球運動の特徴 ~自閉症スペクトラムと定型発達児の比較~



河村 民平:ワーキングメモリ容量の違いが音声情報処理およびその聴覚ラテラリティに及ぼす影響―Dichotic Listening Test を用いた検討―



平松 祐一:言語情報の提示が上肢の運動制御に及ぼす影響



本日,18時が修士論文締め切り.
本研究室の修士課程2年生の7名が論文を提出した.

それぞれの2年間の集大成である.
その成長が垣間見ることができる論文である.
入学前・当初は,論理的な手続きを経験したことのない者が多くいたが,
院生同士,遠隔地ながら切磋琢磨した経験がこの論文にいかされていると思う.
引用論文は100を超えるものや,原稿用紙換算にすると50枚は優に超える論文がほとんどである.
こうむらは修士論文でありながら英語でフルペーパー以上を書いた.

あとは,2月の最終試験に向けて,プレゼンを磨いてもらいたい.
書くこととしゃべることは,説明すること,つまり,そのものについて理解しているかどうかである,

人にわかりやすく説明する.
それが最終的な責任である.

そして,論文をさらにシェープして,それぞれの学術雑誌に投稿してもらいたい.
最終的には外部機関が認める,あるいはほかのサイエンティストに認められることで一人前の教育研究者となる.

可及的すみやかに投稿の準備もしてもらいたい.

指導教員はしばらく活字をみたくないが(机にはブルーベーリーのサプリメントが),
そうもいかない.

私もみんなにみらない出版,そして原著を英文で書こうと思う.

まだまだ現役,指導者だけにおさまるつもりは毛頭ない.


昨年度のみんな が今となっては懐かしい.



今日,同僚のIsekの投稿論文の校閲を行い,学部の授業を行った.
教育学部のコミュニケーション心理学,理学療法学科の人間発達学と
それぞれ言語を取り上げたが,今となっては何を話したを記憶していない.
それだけ,大学院の論文指導は「重い」のである.