森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

(財)脳神経疾患研究所付属総合南東北病院 講演

2008年07月29日 20時04分42秒 | 過去ログ
(財)脳神経疾患研究所付属総合南東北グループ研修会 講演

テーマ:神経科学とリハビリテーション

講師:森岡 周(畿央大学)

日時:平成20年8月2日(土)13:00~18:00

場所:(財)脳神経疾患研究所付属総合南東北病院NABEホール






ところかわれば経験(脳)がかわる

2008年07月28日 23時04分31秒 | 過去ログ
土曜日は朝5時におき、
6時の電車で伊丹空港へ。
伊丹空港から2時間の空路を経て那覇空港まで。
沖縄は4年前の講演以来2度目だ。

沖縄リハビリテーション福祉学院の同窓会での講演での上陸。
前回の台風上陸前で結構ハラハラした記憶がよみがえった。
世間は夏休みであり、
家族連ればかりの機内、空港は少々気が重い。

今回の主催の屋富祖先生に感謝。
少し講演まで時間が空いたので、
観光をさせてもらった。
沖縄2度目といえども、
観光は始めてである。



首里城に入り、
その後、ソーキそばを食べた。



沖縄のとうがらしに驚き、
講演会場へ。
「汗まみれ」から脳が不快になる。

講演は脳の機能と構造をゆっくりしたペースで話し、
そのあと、可塑的変化の条件について話した。
ここまでは比較的理解して頂いたようだ。
土曜日最後のタームは運動学習機構について話し、
「リハビリテーションのための脳・神経科学入門」では書いていない、
新たな方向性、
現在考えている、これからのテーマも含め、話した。
近い将来、単著として示したい。
最終的には「身体」に戻る。
「運動学習」を自己組織化から考える。

講義を6時におえ、
ホテルに荷物を入れ、
そのまま懇親会場へ。
沖縄の道のりは、
なんか、違う。
なにかとは説明できないが、
自分の内的なものには存在していない差異がそこにある。
坂から眺める風景、
それらもどことなく情緒あふれるノスタルジックさを感じる。

沖縄の皆さんとしばしの懇談を行う。
皆さん若い。
そういうとなんだか年をとった感があるが、
一人べらべらしゃべっていたので、
まだ馬力は存在しているのだろう。

しかし、前日も2時ぐらいまでのみ、
早朝に起き、移動したため、
睡魔には負け、
22時には退散させてもらった。
珍しく夜に弱かった。
若干、飲むことに関しては後ろ髪ひかれたが、
何とか帰ろうと思った。

翌日は9時より13時までの講演。
2日間で8時間の講演は久しぶりに長い。

しかし、時間が相当短く感じるのは、
ライブ感があったの+自分の脳の思考能力が増え、
ボキャブラリーが格段に増えているのだと実感した。

前日の難しかった運動学習をさらに述べ、
認知的な介入の理論と実際、
そして日常生活における行為とは何か、
ということを切に話した。

多少、外国の理学療法についても脱線しながら話をして、
イギリス、北欧、フランス、イタリアでは、
ROM訓練や歩行訓練を見たことがないことについて話すと驚いていた。
今でもイギリスのPTになぜ歩行訓練をしないのかと聞いたら、
それは看護師の仕事だ、と耳に焼き付いている。
自分たちはそれまでの準備を作るのだと。

ところ変われば内容も変わる。
それをまねせずに、
イギリスでもフランスでも日本でも、
共通していることは何かを考えたい。
生物としての「動くことは感じること」は共通しているのだろう。
身体の意味について考えたい。

13時に講演を終え、
急ぎ那覇空港へ。

14時の伊丹発に無事に乗り、
2時間のフライト(プチ外国な感じ)を経て、
内地へ。

この内地という響きも独特だ。

沖縄の北と南の存在を学習した2日間であった。

運営の皆さんに感謝いたします。

帰り着いてお土産をあけると「琉球ガラス」であった。




これで泡盛、焼酎を飲もう。

いいものをいただいた。


今日は4回生の実習帰還後の症例セミナーを行った。
担当の5名の発表を聞き、
明日の試験を印刷し、

そして、急遽「よさこい」を踊ることになった4回生と昨年のよさこいのビデオを見て、自分のバンドのビデオを観た。

高知から野市まで練習のため「列車」と「タクシー」を乗り継いでいったらしい。

脱帽である。


本番は「happy」が帯やに垂れ流されるでしょう。





サプライズって良いことだ

2008年07月24日 08時50分48秒 | 過去ログ
月曜は祝日だが、授業日であるので、
出勤する。
教育学部の科目はレポートとしたが、
理学療法学科はもちろん試験を課さないといけないので、
「リハ概論」「発達系PT」「神経系PT」の試験を作成する。
今回はできるだけ広い知識を持つことを優先する。

翌日は、3科目の授業を行い、
翌週の試験に対する概説を行う。
前期の授業がフィニッシュとなり、
少し一息つく。
こうも暑いと、思考能力を奪う。
8月まで講演を入れたことに後悔し、
今後は7月中盤から9月中盤にはできるだけいれないよう、
心がけたい。
心が、いや身体から、思考を奪うのである。
講演は「ライブ」であり、
「身体」のグルーブが必要であり、
通常の業務とは違う。

昨日はAMに植草学園大学の村上先生、
そして兵庫医療大学の香川先生が、
実験装置の見学などで来学する。
村上氏とはもう学生時代からのつきあいなので、
20年足らずといったところか。
香川氏とももう10年以上となるか。

大学教育と専門教育の狭間で揺れ動いているようだ。
あまり気にせず、自分らしさを追求すればいい。
他人の意見も、それはバイアス。
何が本質がどうかは、誰もわからない。
世界中の教育者は、
自らの信念によって、教育している。
人が人を教育するということは、
生き方を教育することであり、
マニュアルを教育することではない。
論文だろうか、誰が言おうが、
関係ない。
秩序をおかさない程度、
つまり、ルールさえ守ればそれでよいと思う。
40人学生がいれば、
すべての心にうつ必要はない。
5人でもいい。
学科の教員がシステムで機能するということは、
違った意見を学生に投げかけ、
それを選択させればいい。
一緒にしようと思うから、
ストレスになるんだ。
みんな違った経験をして、
脳に記憶を蓄えている。
自省のない人たちは、
過去の自分が受けた教育で、
物事を考えてしまう。
自らを省みることを
繰り返すことによって、
脳の記憶は更新され続ける。

「私の経験」
それを常に更新し続ける。
そんな人間は、いつも輝いている。

「これはこうだ」と決めつけてしまえば、
その人間の顔は「ナチス」的表情になる。
人間の幸せって(Happy?)・・

これはこうである、という教育をするに人間もいれば、
そうでない、という人間もいていい。
人間を観察するということに、
通り一辺倒な方法でアプローチすると、
それこそが「宗教的」アプローチになる。


もし、1つの方法論しかなければ、
それは未来のない仕事になる。
選択できることこそ、
QOLである。
患者のQOLは自らが自らの行動を選択できるということである。
幸福は身体で感じることだ。
動くことを感じる、
これこそが生命の営みであり、
喜びであるはずである。

幸せを感じる。
肌で感じる。


ただし、ルールは守らないといけない。
「社会的認知」の視点からも。


大学教育とは「未来を創造する(社会をよくする)」教育でなければならない。
それこそが高度教育である。
教授と学生が、「一緒に考えよう」とする教育。
つまり、わかっている事実とわかっていない事実を正直に教育者が教え、
学生に未来をたくす教育だ。

知らないことを知ったかぶりしたり、
その本質を知らないのに否定したりすれば、
それは、自分のコピーを作る教育になる。
コピーはコピーでしかない。
つまり、20年後も30年後も、
まったく変わらない世界がそこにはある。
それでよければそれでよい。
しかし、PT学会に1600発表もあるように、
それではよくないから研究しているのであろう。
何のために研究するのか?
もう一度考え直したほうがよいのではないかと、今日思う。


とにかく、リハビリテーションを行い、
肌で「よかった」と思っていただくことこそ、道である。
「まだまだ」と思う対象者には、
もっと会社サービスでもよいから続けられる人にやさしい業界を作らないといけない。
「病院(診療報酬体系)」で行うだけでは無理がある。

自分を復権するために、
生涯幸せを感じ取るために、
サービス展開はもっとできると思う。


2人には教育者としてでなく、研究者として「とにかく論文を書く」
それが大学教員の仕事でもあるので、
それを圧倒的な勢いで続けることをサジェストした。
「あ~だこ~だ」はその領域で全国的に認知された上で、
示す。



午後は大学院研究にご協力いただいた高田カトリック幼稚園へ。
幼稚園なので、夏休み期間中、大変静かだ。
なんか、幸せな優雅な時間・空間が流れていた。
リフレッシュというバカンス期間はいいことだ。
日本人は働きすぎですね。
休みを取ることがなんか申し訳ない、という思想が、
創造性をダメにするかもしれない。
脳には隙間が必要だ。
隙間がない人は新たな事業・研究・教育・臨床を創造できない。
余裕があるということはすばらしい。
そういう空間に自分の身をおくと、
休みをとろうと思う。

脱力することも大事!
脱力することも指令が必要!
意識的に「何も考えないようにしよう」としない限り、
何か考えてしまう。
脳の指令が必要。

子どもの身体イメージの発達、
共感覚の発達プロセス調査の結果を提示し、
いろんな視点から幼稚園教諭の8名ほどの先生とディスカッションした。
若い先生が多くてびっくりした。

「驚く」ことは意識にのぼり、
実に脳を活性化させる。


リバイス原稿を今週中に仕上げると決意したが、
どうも8月にずれこみそうだ。

それもよしとしよう。




久方ぶりの「ゆるり」な週間

2008年07月18日 16時58分53秒 | 過去ログ
更新することができず、
またもや、書き駄目(回想録)となった。

火曜日の3つの授業のうち、
1つは院生の河野君に助けてもらい、
うち、1つは同僚の岡田先生に助けてもらい、
何とか異なる情報が入り、
少し理解度が進んだかな。

同じ人が熱く、同じように刺激せず、
時には、冷静脳を働かせるために
別の語り方で聞くと新鮮な場合がある。

夜は、同僚4名と近くの「和遊」へ。
「膿を出す」こうした懇親・飲み会はいいものだ。
できれば、もう少し頻度をあげて行いたいものだ。

同僚の一人からの
「理学療法」は狭い枠組み(理学療法)を意識するあまり、
つまり、それにしがみつくために、
職域拡大ができないのだ!という声が響いた。
それにより、結局は他の職種に侵攻されてしまっていると。
バリアをはり、まさに鎖国かな。

こうした人材が今後を引っ張ってくれるのだろうと思った。

時代は変化していき、
もっとFreedomになるのだろう。
秩序とのせめぎあいだが、
サービス業であるのならば、
その方向性もよい。

水曜日は教育学の最後の講義@発達脳科学を行い、
何も記憶していないが、おそらく、
なにもなかった平穏な日だったかと思っていたら、
エピソード記憶がよみがえり、
風邪を引き、19時ぐらいには家に帰ったのだと、
よみがえった。
もはや2日前の記憶は脳の深みに追いやっている。
風邪で身体がおもかった事実も、
たいしたことのない事実としておいやり、
予定記憶を優先しているのだろう。

昨日は、大阪女子短期大学より、来客をむかえ、
会議に3つほど出て、
その後、大学院の研究指導のために、
村田病院に出る。

そこで、院生の論文の修正を4つ行い、
高速にて、23時過ぎに帰ってきた。

柏原でとてつもない渋滞に巻き込まれた。
久しぶりに、クラッシックでなく、
ロックといった。

12月13日(土)は「高知 X-pt.」でライブである。


原稿は生き物

2008年07月15日 17時54分14秒 | 過去ログ
昨日は「身体運動学」の図表を完成させ、
メールで添付。
樋口先生、やっと終わりました。

「知覚心理学」の学者と「リハビリテーション」の学者のコラボレーションが、
読者の脳の何を創発させるかが楽しみです。
あとは、結語の文章のみです。
いったん、原稿を寝かして、8月になったら書き始めます。
見えないものを、見るために、寝かすという期間が必要です。
熱い脳を冷却させ、冷静な視点を再度浮上させるために。

原稿は生き物。
生モノなので新鮮さが必要だが、
時にワインのように寝かさないといけない。


午後は村田病院に実習地訪問。
あえて、名前を出すが、金光君、グレートだぜ。
1期目といい、2期目といい、申し分ない学生であると「押印」された。
自信をもち、4月から船を進めてください。

その後、スタッフ、学生と近くの「奴寿司」で懇親会。
学生の要望だそうだ。
それを受け入れてくれる「心やさしい」スタッフに感謝。
赤だしの味に感動して、
帰りは、同じくスタッフ、そして、院生の湯川君に送っていただき、
途中、酔いで携帯をなくすハプニングがあったが、
なんとか、その意識は持ちえたために、
大事にならずに、すんだ。

腹側被蓋野―側坐核は暴走したが、
前頭皮質の背外側部までの浸透までは防いだ。
いつもその浸透を防がないといけない。
そのせめぎあいである。


小津安二郎な空気

2008年07月13日 23時59分26秒 | 過去ログ
昨日は認知神経科学学会で東京に。
根津で降り、東大へ。
BMIに関する講演を聴き、
最終的にはサイボーグなエシックスの問題のクリア、
そして、人工心臓のようには脳はいかない、
つまり複雑すぎるという視点から、
私が仕事についている間には、
ある一部は応用されているけれども、
それ自体がQOLをつくるまではいかないか、
と講演を聴きながら思った。
つまり、局在論では動いていないので、
ネットワークをどのように解析するかが、
これからの大きな問題になろう。
講演者もその含みを話し、心臓との違いを力説された。

身体が脳をつくるわけで、
記憶がどのようにつくられ、
たくわえられているか、
その解析を個々人でしたうえで、
オーダーメードなBMIの開発まで、
長い道のりだ。
リハビリテーションはそのときの準備として、
いかに学際的な知識・知見を解読し、
どのように関わればよいかを、考えないといけない。
時代は刻々と進んでいる。
いつも準備がないから、
診療報酬などの問題が発生する。
フィードバックでしか生きられないのである。
人間とは来歴に支配された堕落した生物である。
自分が、障害を受けると、おそらく、がんばらなくても生活できれば、
それにこしたことのない道を選ぶであろう。
大人の脳は「無垢」ではない。
脳は記憶に大きく支配される。
時にそれは大きくゆがめられる。
自分自身もそうだ。
どの経路を生きてきたかで大きく違う。



夜は、首都大の樋口先生を囲んで、
院生らと懇親会。
御茶ノ水がこんなに楽器店が多いなんて・・・
学会でなく、つぎは楽器店めぐりをしたいと思った。



樋口先生からは、
院生たちに論文の書き方(ロジックな展開力)、
などを語って頂き、ありがたく拝聴した。
また、僕の仕事に対する批評をしていただき、
今、これをしないといけない時代であると再認識した。
本来は、きちんとデータをとり、
学者としての原著論文を書き続けたいのが、
本音なのだが、もう時代がそうはさせてくれない。
一度、リセットすべきと最近よく考えているが、
そのタイミングがいつなのかが、
あまりにもファジーになりすぎている。

その関係もあってか、
最近、批判の矢先にたち始めているが、
それも時代と受け止めるし、
また、知らないうちに年輪を重ねたのだと思っている。
若い者は、上を批判して、伸びてきた。
自分もそうだった。
それは強大な上層に対するレボリューションであり、
その批判をするために、
膨大な知識欲をもった。
口だけの人間にはならないよう・・・

大事なのは、その批判がロジックであるかだ。
ロジック(これは他人の意見や科学論文の知見ばかりの受け売りなロジックでなく、自らの意見に基づくロジックをさす)でなく、
相手の思想や方法論に対する「愚痴、ぼやき」は、
その批判する側のネガティブ思考に基づく「否定」である。
つまり、人間(生物)に持ちえている、
不快刺激に対する「逃げる」「ほえる」「沈黙(思考停止)する」という行動である。

自己に関係する他者が新しいものを提供すると、
その逆の立場の者が、
その環境刺激が、
自らの生きてきた来歴がおかされそうになると(つまり自分の主張がおかされそうになる)、
それは、「不快」だと反応し、
「逃げる」(やめる)
「ほえる」(おこる)
「思考停止」(無視する)
などの行動に出る。

これでは、
大脳新皮質はあんまり関与していない人間関係になってしまう。

そのような「環境刺激」を「不快」ととらえるのは、
自分の今の生活が充実していない証である。
充実している人は、否定する時間なんかはない。
自己の生活がネガティブになれば、
他人(の生き方や方法論)を攻撃してしまう。

肯定的でもあり否定的でもあるということは、
学者としてはありがたい話である。
世に、問題をなげかえるとそうなる運命である。
そういう意識は誰かが石をなげて「波紋」を生じさせないと生まれない。
波紋なき業界は、
成長がない。
その石を投げる人間も必要だ。
国際的にも投げる器をもちえるのは、
少々時間がたってしまった。

先の問題は、大きな社会だけでなく、
小さな社会のどこでも起こることであり、
つまり学生の関係性にも起こることであり、
それに耐えるだけのハートを持て!というのではなく、
はなから、あまり、それを意識しないようにすればいいと思う。

いずれにしても、「実績なくして発言なし」

そして、どうでもよいことは時に身を任せて生きればよい。
人生にとって、所詮、それは些細なことである。

自分の好きなことができるのならば、
それは、それは、幸せである、その気持ちを忘れるべからず。
ということを樋口先生と話しながら思った。

彼は相変わらず、頭の展開が速い。
同じ学者ながら、学者とはこうあるべきと感じた。

翌日、学会に参加し、
リハビリの専門家でない方が、
リハビリに関する新しい展開(知見)を報告していた。
その動機は身内の脳卒中だという。
何でもよいからすがりたい、
新しいものにすがりたい、
その気持ちはよくわかる。

リハビリはまだ期待にこたえていない。
世にある治療(ボバース、PNF,ボイタ、認知運動療法などなど)やADL訓練が、
大して期待されていないことの裏づけだ。
いや「裏切られた期待」であろう。

患者の家族の心情は、「藁にでもすがりたい」。
その気持ちはよくわかる。
先の話ではないが、リハビリテーション専門家の僕が、
母親の病気を境に、
「思考停止」しているのは、この空虚な世界に、
自分ひとりでは立ち向かえない何かを感じているからかもしれない。



院生の発表を見て、
シンポジウムを聞き、
シンポジストであった網本先生と院生を交えて食事をした。
グルメな先生の行く店は、はずれはないと思い、
ついていったが、はずれはなかった。
ごちそうさまでした。

WSOでの再会を約束させていただき、
学会場に戻り、
Hoffmanの講演を聴き、
共同発表の山田氏の発表を見て、
東大をあとにした。

来週はオープンキャンパス、その次は沖縄、その次は福島である。
中間地点はあと少し。



畿央大学 オープンキャンパス2008

2008年07月11日 17時43分40秒 | 過去ログ
オープンキャンパス2008

学科別体験授業 テーマ紹介

7/19( 土 )
理学療法学科「脳と記憶~記憶力を高めるには!~」(森岡 周教授)

脳にたくわえられる記憶にはいろんな種類があります。脳はコンピュータのハードディスクのように記憶がどんどん蓄積されてはいきません。自分にとって必要な情報(生きていくために必要な情報)のみをピックアップして脳にたくわえています。そのピックアップには「感情(こころ)」が大きく関係します。感じることの重要性を、記憶の視点から話します。