森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

自転車の速度を感じて

2007年05月30日 23時15分10秒 | 過去ログ
新潟より帰り、昨日は3コマでヨロヨロ、少し大学院の授業をセーブし、あとは院生の研究遂行を待ちたい。

リハ概論を授業していて、1回生も徐々に大学という場に慣れてきたようだ。
手綱を引いたり、ゆるめたり、しながら、走ってもらう。

3回生はゼミ決めですね。好きなことをしてください。ただし、メタ認知はきかせて。

さてさて、今日は猛スピードで雑誌「理学療法」の総説原稿を書いた。松尾先生にも協力してもらい、ほぼ1日で仕上がった。これが本当の共著。名ばかりの共著が多い。

明日、提出し、WCPTでカナダに行ってまいる。
明日はJPAの英語論文の査読の締め切りもある。英語の論文の査読は難しい。

カナダ前には小倉~岡山のいつものロードです。

岡山から帰ってきて、少し息を整え、WCPTへ。

新幹線とまでは行かないと思うが、自動車競走のようだ。
PC2台で2つの仕事を同時進行している自分がいやだ。

ときには、自転車で風を感じ、五感を総動員させたい。

このままじゃ、創造性にかける。
バンクーバでは、研究を創造し、書くのと同時に、新著の校正に入る。

あまり急ぐとよくない。

効率を求めるのはよくない。

狩猟のために田畑を燃やすと、効率が生まれるが、それを続けたことから、オーストラリアの湖は干上がった。そして砂漠となり、結果として食料はなくなった。現代はどうだろう。機械を使い続けることで地球温暖化となり、今度は干上がりでなく、水浸しになる。

人間とは効率を求めるがゆえに、歴史を繰り返すものだ。

悪い歴史は円環しないよう、どこかで監視し修正する。
そんな小脳のようなシステムを自己に作らないといけない。
リハビリの世界もそうだ。

歴史が繰り返されないよう、科学の眼で監視し、修正しようぜ。


経済効率化のツケ

2007年05月28日 13時16分21秒 | 過去ログ

水曜から新潟で、やっと奈良に帰る。

新潟へ 学会行けども 酒浸り

甘口の日本酒は、全く、私の脳には届かず。超辛口が恋しいが食材はいうことなし。

三日三晩、仕事は口頭発表、セミナーの司会、座長だったが、夜はいろんな会合が続く続く。以前のようなエネルギーはなく、違うグループへの梯子はさすがにできなかった。

いろんな意識が湧いたが、この巨大化したスタイル(京都学会からだと思う)は、これはこれで受け止めないといけないのかなと思った。

以前の僕なら、もっと議論を!とか、教育セミナーばかりで、学会は教育する所じゃなく、議論する所で、それに基づきあらたな研究が共同で起こるところだと、攻撃的だったが、これだけPTが突然に生産されるようになり、また、そうしたセミナーがないと、おそらく参加しないであろう顔がちらほら・・・ そう考えるとしかたないのか。

学会が全国研修会化した今日、学会そのものを、小規模へシフトさせる、それを早急に進めないといけないのか(このお祭りは残して)。

専門領域の体力がそこまで耐えれるかだが、なんとかしたいものだ。専門領域の分け方の問題もあるが、年に1回のこのお祭り的PT学会で、基礎~臨床まで臨床のPTが意識できればと考えている。

巨大化すれば経済効率を考えねばならず、それはそれは難しい。

準備委員長の大西先生にお疲れ様でしたと心からいいたい。

経済効率のツケは週末のANAの問題もその一つだ。機械に支配されると、人間は無力だ。アイロボットの時代もそう遠くはないのか・・・人間はもろくなった。そして、その機械の不具合に真剣な感情を生起しはじめた。機械に起こることができないので、介入している人間におこりちらすしかない。

そもそも、機械は壊れるもの。

機械は完璧だといつからそういう意識が生まれたのか。それも経済効率化のツケだ。

 

一方、人間のシステムも破たんしている。社会保険庁の問題は、歴史が根深い。

機械と人間・・・

 

 

その逆の世界がある。

河瀬さんの映画だ。奈良出身であり、以前から気になっていたが、彼女の言葉は重い。

以前、実の母親(認知症)の介護のドキュメンタリーがあったのだが、「死」は終わりでないという言葉が響いた。

その魂は誰かに根付いている。脳に記憶があるように、その記憶は残り続ける。人間関係の円環だ。記憶の結晶がある以上、「死」は終わりでない。誰かの心に宿り続ける。たとえ意識にのぼらなくとも(顕在化しなくとも)

 

スピーチで目に見えないものに真実があるようなことを言っていた。「博士が愛した数式」で博士もそのようなことをいった。脳とはそういうものだ。僕も「星の王子さま」からいただき、「リハビリテーションのための認知神経科学入門」のあとがきでそうかいた。私もまだまだ青二才。どこまで哲学的思考を持ち続けるか、次の目標に向けて頑張ろうと思う。

概して語らず、日本人として、どのような生き様の美学を養うか、人生の折り返しを過ぎ、考えている。

 

殯(もがり)の森

 

アメリカナイズされていない、この自然がフランス人には受ける。

日本の文化は自然との共存だ。

それが欧米とは違う。

それを大事にしたいものだが・・・ 効率ばかりの教育じゃそれもできない。

 

 

 


創立記念日

2007年05月21日 23時40分42秒 | 過去ログ
今日はうちの大学の創立記念日だったらしい。
朝、仕事に行くと、事務室に人が二人。
会議かな? と思い、研究室へ。

授業資料の整理、そして、そろそろWCPTのポスター作らなければ・・・と思い、気がつけば、12時過ぎ、しかし、やけに静かだな、けど、テニスはしてるし・・・ などなどと思い、どうも創立記念日かなと来ている先生方に質問すると、そうらしい。

よかった、授業が無くて。
そのまま教室に行ったことだろう。

去年もそんなことがあったな。

去年の今頃はベルギーで強盗3人組に遭い、災難にめぐり合い、いい経験をできたものだ。

それから1年間外国に行っておらず、やっとフライトできる。
そう思う今日この頃だが、やはりヨーロッパがいいと、日曜は久し振りに休み、思いっきり、イタリアとフランスのビデオを見たものだ。


今日は静かな1日だった。
おかげで、進んだ進んだ、仕事が。
おまえの本職はといわれそうだが、「何なんでしょう?」と答え、クリエイティブなことをしている、そう付け加えるかもしれない。
大脳皮質の極みなのだ。

PT学会、バンクーバ学会、両方のスライド・ポスターは完成。
あとは、明日、授業の合間に、新潟(座長・司会)の準備をするかな・・・しないかな・・・

本の色入れ、総説論文、あと、いろんな論文の査読が今月末までかな。

新潟から帰り、バンクーバまでに何とかなるだろう。

講演のご依頼がこの1週間で3本連続できました。

ありがたいことです。

すでに引き受けていない日であれば、すべてお受けします。


目の色というメタファー

2007年05月17日 23時38分28秒 | 過去ログ
今日は朝一で学部の授業。
本日より、プレゼンを行ってもらい、能動的学習に切り替えた。

目の色が変わったというところまではいかないが、軌道が少しあがり始めた。

「自覚」が「社会人」への第一歩
「反省」が「大人」への第一歩

前頭前野を育み、身体を鍛えてください。
こころとからだはおなじ。

それが「身体性」なのだ。

午後は会議の連続で、その前にPT学会のスライドを猛スピードで終了させる。

会議は18時に終わり、1時間雑務を行い、そのまま電車に。

今日から木曜は大学院の授業がオムニバスでなくなったので、今までより1時間早く出発できる。

帰宅する人々を横目に見ながら、福岡に向けて、まさに出勤だ。

ただいま、到着。

明日、朝2コマし、岡山で途中下車し、1コマし、そのまま本学の教職員の新歓に都ホテルに立ち寄る。

西日本を右へ左へ~~~~~

体が浮いていきそうだが、支えられながらしか、人間は生きていけませんから。

間主観な関係を持てる、そういう関係性の花をたくさん咲かせたいものだ。

久しぶりに他人の講演を聴いて見たい。

悩みを相談されるばかりだからね。



豊かな時代の産物

2007年05月16日 00時16分26秒 | 過去ログ
今日は学部の授業、1回生に喝を入れる。
はじめての喝だが、いろんな視線があった。
3年後には荒波に出て、いろんな喝を入れられるが、それまでに「意識改革」すればいい。

いろんな感情がわいたと思うが、真のやさしさを感じてもらえればいい。
僕は「脳(こころ)」を研究している一人だ。ある程度、どのようなことを考えているかは、目と表情を見れば認知できる。
他者のこころを読むための研究をしているんだから・・・あえて、その逆をとって腹を立たせることもできる。



仲良しクラブは、もっとも嫌いなクラブだ。
僕自身、メリハリをつけてきた人生だ。


高校を出て、そのままリハの専門学校に入学(当時は短大はあったが、大学はなかった)した。経済的に援助できる親はいなく、祖母にみてもらったため、卒業できなかったり、留年したりすれば、即刻、クビでなんかの仕事につかねばならず、いろんな問題は起こしつつも、単位だけはきちんととった。専門学校なので、単位制でなく、ひとつでも落とせば、全部の科目をやり直す学年制だった。また、再試の数が進級にも関係し、再試で単位をとっても、それが多ければ留年なんていうのもザラだった。このシステムがよいか悪いかは別として、これにより秩序は生まれたと思う。

その後、卒業し、仕事をしながら、大学に通い、4年間で卒業した。今は編入や、そのまま大学院にいける時代だが、当時はそんなシステムはない。

日曜はわざわざ京都まで来て授業を受け、翌日は高知で仕事をしていた。

その後、たまたま自分は留学という機会に恵まれ、大学院で教育と医学を学んだ。
すべて大学~留学~大学院とすべて自分の働いたお金で卒業・修了した。

当たり前のことなのだが、それが当たり前でなくなりつつある。
親が子離れできず、ってところかな。

それにより、心が自立できない大学生が増えた。
豊かな時代の産物だ。

ま、成長してくれると信じている。
今までもそうだった、いろんな喝を入れた人間が、今は立派に仕事をしている。
やはり、環境との相互作用で脳が改変される。
自分ひとりでは、どうにもならないし、なんとかしてやろうと思っていれば、それは自尊心にすぎない。

少し、自分自身が謙虚さを失いつつあるので、自分自身をブレーキかけようと思う。
相当に反省したいが、俺も人間なので、いろんな感情も発生する。

講演慣れするとよくないね。
聴いてもらえることが普通になるからね。

午後は同僚の研究計画書を見て、3回生に対する講義。

USNの講義をしながら、我ながら、「そうか」という仮説が浮かんだ。
Posnerの注意システムと絡めれば面白いかもしれない。

みな、大人になりつつある。これが「教育」なのだろう。
ゼミの紹介をした。
興味ある人はどうぞ!待ってます。

大学院の授業の前に、PT学会のスライドを作るが、気持ちが乗らず、途中でやめる。明日にしましょう。
どうもofficeが2007になって、仕事の効率が悪い。

19時40分から大学院の授業。

今日は、shape, hardness, textureのdiscrimination時の脳活動の違いのLedermanらの論文、そして、SingerらのNeuroeconomy, emotionの脳活動(男女の違い)が取り上げられた。

自分たちの研究に活かしてください。
いろんなアイデアが浮かびました。
湯水のようにアイデアは浮かぶが、あとはソフト(人)がほしいものだ。

知らないうちに、日を越してしまった。


そろそろ全開(全快?)モードで

2007年05月14日 22時42分22秒 | 過去ログ

土日は多武峰観光ホテルでゼミ合宿プラスα(院生のみならず、その関係諸氏も含め)、総勢40名の合宿懇親会、つぶれるまで飲むという方針だ。高知のときはいつもそうだったが、指導教員自ら2時過ぎに寝てしまった。

しかし、小学校以来の多武峰観光ホテルだった。

中臣鎌足を調べに個人で旅行に小5のときに来た。

 

さてさて、集まってきた皆さん、横のつながり、大いに結構。情報を交換し、次なる目標を喚起してください。うちの卒業生8名ぐらいきていた。57名の卒業だったから、それなりの比率。

私のお祝いにワインをたらふくいただいた。1971年ものも、もちろんシャンパンも。

義経鍋に合いました。

 

日曜に帰宅したが、やはりロードが響いて、疲労がピーク。久し振りに眠り続けた。15時間ぐらい・・・からだが起きずの状態だった。しかし、心は休まらず、「あれも」「これも」という状態で、心底休まったわけではない。

けれど、今日は割合、仕事が順調に進み、残っていた新著「脳を学ぶ~ひとがわかる生物学」のコラム原稿を送信し、会議や授業資料や、などもあったが、同僚の研究を見ることもできた。あとは、自分の研究をということになるが、からだがもうひとつほしいところだ。

しかし、どの教員も、「教育」で悩んでいる、実は・・・ そっちに大きく仕事の割合をとられ、「研究」にむかえてないのも事実。

なんとか、学生諸君を「意識」しないようにできないものか。

相当な「問題解決」にうちの教員の仕事がとられている。

もったいない、若い教員が多いので相当の研究ができるのだが・・・

なんとか、「脳幹」的に戻したいものだ。

「環境との相互作用」という「教育の基本」にほんまに悩んでいる。

 

さてさて、日本認知運動療法学会の演題審査をしている。いろいろ言いたいが、また、いつか総評を述べましょう。学術とはなにかを。

去年のとき(今頃)は、いろいろ大変だったが楽しい時期でもあったね。K準備委員長!?

 

さて、PT学会のスライド、「理学療法」の原稿、そしてWCPTの準備と、これから合間を縫いながらやらないといけず、少し会議・授業をセーブしたいものだ。

もちろん、その数を物理的に操作することはできないので、心理的にセーブしたいものだが、学生諸君がそうさせてくれるかだ。

「感情的」になるというのは、疲れる疲れる、心が。

そして、それが身体化されてしまう。

 

その前にInternational Journalの論文の査読をやっつけで今から行う。

 


後悔でなく反省

2007年05月12日 16時50分07秒 | 過去ログ
岡山より早朝に帰り,仕事をと思ったが,身体が動かず,3時間ほど休み,仕事場に.

この前のライブビデオを見ながら,あ~はずかしい,という感覚になりつつ,今日明日中に片づけたい原稿に向き合い始めたが,速度が上がらず.

さてさて,岡山ではコンピュータと人間の違い,クオリアなどを話すが,感情,意識などみんなでディスカスできたが,

我が畿央大4回生へ

人間はコンピュータを創りました.
それは自らの欠点を補うためです.

その欠点は失敗です.

失敗は人間にあるもの.

欠点は人間の長所である.

失敗したら後悔でなく反省を! それがその経験を長期記憶化させる.

そして,いつの日か,その記憶が取り出される瞬間に出会う.

そう,ワーキングメモリとして.

無駄なことはないということは,そういうこと.

記憶は蓄えるためにあるものでなく,使うためにあるもの.

感情が喚起された記憶はいつか,さらに痛烈な問題に出会ったときに,きっと使われる,へそくりのようなもの.

おそれるものはない..

ただし,挫折感はなるべく味あわないようにしてもらいたいものだ.


1回生は初頭努力,4回生は終末努力,2回生は中だるみ,3回生は個人差あり,ってところかな.

記憶と一緒だね.

はじめの記憶は残っており,最後の記憶も残る.

20の野菜の名前を覚えるときも,最初は覚え,最後も近いので覚えている,そういう効果を初頭,終末効果というが,大学4年間もそういう感じかな.

しかし,リハビリの学校の大事な科目は2~3回生に散りばめられている.
あのときもっと頑張っておけば,と・・・4回生も思っているはず.
中間のときにどれだけ効果(努力)を残しておくか,それが4回生のときに必ず影響する.

人生とはそういうものです.



さてさて,大学院生たちと,今から研究合宿という名ばかりの朝まで飲み会に突入する.


問題の封印化

2007年05月11日 10時57分41秒 | 過去ログ
昨日は授業を2コマ、会議3コマ、といささか、自分の身体が浮遊している状態であった。
授業1コマは教員ストライキだったが、相互作用とは何かを考えさせるものであった。

怒る、叱る、は共同注意の一環であり、それが、中途半端な三人称の怒り方なら、意識は薄らぎ、情動としての身体反応は起こらず、やがて、その記憶は消去される。自分にとっての一人称的にはたいしたことの無い事実、いや、自分は違うといった意識や、自分は関係ないの意識になる。いまの若者の典型だ。

それでは、障害を持った人々に接することはできない。

学科会議でもあがったが、実習指導者や教員が友達感覚となり、そもそも、叱られるという現実を知らない学生が多い。

その経験がないと、結局はどのように行動を計画していけばよいのかわからない。ワーキングメモリだが、ワーキングメモリにも経験がないと作動はもちろんしない。今まで、本気で叱られたことがない学生が多い。本気とは一人称でだ。一般的には・・・云々などの三人称ではない。義務教育の教員たちはその三人称が多い。むかしの小学校の先生は一人称で本気で口でしばかれた。


メタ認知だ。

友達になってよい空間と時間と、そうでない空間と時間。
それを判断する前頭葉の希薄さが目立つ。
大学生の中学生化であるようだ。

それが、現在の4回生の実習の問題の根本にあることが、会議でも指摘された。

どうも、その根本の問題が親にあるように思う。
物質が豊かになった分、こころの未熟さが親にあるのだ。

もちろん、私にもそれがあるだろう。

今回の、キレルモードの怒り方は一人称的であり、教員としての三人称ではない。
それも戦略的であり、いろんな意識が発生してよい。
いやだ、とか、こわいとか、そういうネガティブ思考や、自分自身の反省へと結ぶポジティブ思考へと進む人間、受けて側は千差万別であるし、逆に刺激を与える側の意識も千差万別であると思えばいい。
人間だから違うのである。

たいしたことないのが、ある環境ではたいしたことがある。

今まで本気で注意されなかったのが、俺から言えば、非常識であり、それは教育でない。

いずれにしても、僕自身にも反省することは多々ある。
日々、反省である。

教員がみんな同じであれば、学生は成長しない。
全員の意識や思考は違う。なぜなら、履歴が違うからだ(それを記憶という)。
しかし、共通項はなにかを探るのが社会人になるための学生の学ぶ視点である。


自由とは自分で考え、判断し、行動することを意味し、自分勝手に振る舞い、秩序を乱すことでない。

授業をメタ認知する。
それに欠落した人間は、医療者としてでもなく、社会人として、どの世界でも通用しない。

一流とは、自分に厳しい人間である。
もちろん、他人にも厳しい。
人に優しくというが、それは、人権を意味する。

これで、機能解離がしばらく起こりそうだが、アポトーシスしないように配慮していきたい。

それでもシステムはオートポイエーシスする。

いずれにしても、小学校~今まで、問題が封印化させていたのだろう。

その問題が浮き彫りになるためには、強烈な意識経験が必要だ。

中途半端が一番よくない。
嫌われても、それが、個人、社会のためになるのであれば、それを突っ走るのが先輩の役割であり、教員の使命である。

表面だけ、好かれても仕方ない。

肝心なのは目に見えない。
これは私自身の自省も含めてだ。


しかし、大学で「しつけ」か・・・ 私のこころは重い。



さてさて、岡山に出るとするか。





第12回理学療法の医学的基礎研究会学術集会

2007年05月10日 23時01分18秒 | 過去ログ

第12回理学療法の医学的基礎研究会学術集会  

                                                 

日時:2007年5月26日(土)13:30~16:30

場所:朱鷺メッセ 新潟コンベンショセンター     

〒950-0078 新潟市万代島6番1号     

TEL. 025-246-8400 FAX. 025-246-8411     

テーマ:実例による理学療法体系化 -基礎と臨床の架け橋-

          「糖尿病に対する運動療法効果とその機序」