森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

Friends say it's good !

2007年06月30日 10時17分45秒 | 過去ログ


昨日は小倉で脳性まひの講義を〆、筋ジスの講義は次週にこかし、自閉症について話す。80名定員の問題が少しあるかな、昨年は40名だったので、その対比が勝手に脳で行われる。

人と人を比べるという行為は時として、その個人を見ないということから、教育手法の批判に合う場合があるが、それは脳のシステムだから、ある種しかたない。肝心なのは、何と何を比較照合するかである。個人と個人か、個人内の時系列か、などなど、それは脳の記憶システムににているし、痛みの発生メカニズムにも対応しているし、統計学的なアルゴリズムにも共通する。

新幹線で岡山に。
昼間部、夜間部ともにプレゼン発表。
まずまずのでき。

夜間部はそれなりの人生経験があることから、プレゼン力はうまい。
そのうまさが、どのように活かされるかだ。
ひとつは仮説検証的プレゼンだったので、EXCELLENT! それ以外もgood!

6時間講義(福岡3時間、岡山3時間)後、懇親をして、いつものように浅い眠りに。

朝起き、今日の講演スライドを今作成し終わり、これから再度福岡に舞い戻る。

コダマ先生やナカバヤシ先生らが主催する研究会で講演する予定。

さて、出発します。

新しいvoxyの宣伝が耳に、T-REXの20th century boyだ。この曲もこの前はDOCOMOだったように、永遠に使われているな。

マークボランがイメージに出て。



Friends say it's fine Friends say it's good Everybody says it's just like Robin Hood!


と僕の脳のなかでシャウトしている。


3月のステージがすっかり懐かしくなった。



布袋、反町、浅野のメンバー編成がT-REXサウンドにいいね。


新著の模型付録です。



ニューロンは共鳴することで育つ

2007年06月28日 12時13分35秒 | 過去ログ

月曜は和歌山の病院に実習地訪問、学生も順調に進んでいるようだ。表情を見れば、ある程度認知できる。

こんなとき、体育会系同士だとうまくいく。意識の閾値が共鳴しあう。

やはり、脳は他者の意識、思考、感情へ相当の神経細胞がとられ、その注意の共鳴がよりより実習を創発する。

 お互いが、自分のこと(思考、意識、志向性)ばかり考えたら共鳴しない。

学生も自分が実習をうまくいくことばかり考えている傾向がある。まだ恵まれている。

今日の授業じゃないが、自分の運動ばかり意識してもしょうがない。「到達運動」と「指差し」は、肩の筋電図分析や運動学的分析をすれば同じかもしれないが、前者は自分が環境にどう相互作用するかの視点(自己中心的視点)であり、後者は自分が他者とどう相互作用するかの視点であり、自分の意識を他者に向ける(知らせる、そして求める)という意味である。その媒介となるのが、道具(心理的道具)なのである。

これによって、心(心的関係性)が生まれる。

さて、実習教育では、その道具が、リハビリテーション、実習、レポート、患者さん・・・・ そういう三角形の共同注意機構が生まれないと、臨床実習や、あるいは他者との人間関係性はうまくいかない。

 そんなことを、本当は「人間関係論」なので教えないといけないのである。

 

 自分中心の世界では、発達障害児には向きあえない。

理学療法士(セラピスト)は人形・機械を相手にしているのではない。一度、サックスの「左足をとりもどすまで」を整形のMD, PTも読んでいただきたい。

整形外科疾患のリハビリテーションであっても人間を対象にしているのに間違いはない。脳のリハビリテーションへ。今度の本は実に臨床的で示唆に富んでいる。理学療法士なら目からウロコである(OT,STは運動が少し難しかもしれないが)。

 

 

筋肉だけあっても、それは肉の塊しかすぎない。

 

そんなこと・・??を角谷の先生方と話したかな???

火曜日はリハ概論、神経PT実習を行い、いよいよ具体化しながら話す。

 

昨日は久しぶりに研究室のMYチェアーに座ることができた。

論文が進む進む、授業準備をAMに終え、2本仕上げた。

age and agingか、Gait and Postureに・・・ 久し振り(1~2年ぶり)に国際ジャーナルへ。

もう1本、来週までには書いてイタリアに送らないといけない。

 

本日はAMに発達系のプレゼンを聞く。だんだん、聴講している態度が良くなってきている。知らないうちだが、自覚のあらわれ、きざしが見える。

本人たちは意識はしていないと思い、まだまだこころが「ダラダラ」しているものもいるが、それはそれで、少しは自覚のあらわれが出てきて、良い感じだ。

 

さてさて、今日はこのあと、学科会議、大学院委員会、学術振興委員会、3連発!!?・・・ そのあと、最終の新幹線で小倉に向かう。

 

明日は小倉で2コマ、岡山で2コマ、明後日は、講演4時間、そして、福岡の病院実習巡回に2施設行く。

夜は夜で、連夜懇親になるだろう。

内蔵脂肪に悩む・・・ まさか自分が・・るなんて、学生時代からは想像もつかなかった。

 

鏡に映る自分は3割落ちの自分。それがイメージである。

 

回想録みたいになった。時間を見つけよう。

 


別腹

2007年06月24日 23時45分12秒 | 過去ログ


今日はぶらぶらと大学の冬木記念ホールへ。
ぶらぶらとは失礼かもしれないが、ぶらぶらだからしょうがない。

11時過ぎにホールに入り、自分が呼ばれるのを待つ。
呼ばれ、壇上へ。

尾崎会長より総評。

総評を聞いていると、自分の学術業績が紹介された。
まあ、業績は過去のものなので、どうのこうのはないが、自分の歴史みたいなもので、愛おしいことは愛おしい。

原著、総説含め、奈良に来て3年で50数本はまずまずかな。
PTになって16年だが、それで学術論文は140本程度なので、割合からすると、奈良での仕事がはかどっているのも事実のようだ。著書もいくつかあるし。

いずれにしても、奈良県理学療法士会の役員の皆様にお礼申し上げます。
全国などで賞もいただいたが、そこでは純粋に研究内容で勝負で、顔が見えない。
奈良だと顔が見える。その分、感情も沸き立ち、主観も少なからずとも入ると思う。
そうすれば、全国規模の賞に意味あるというが、逆に「主観」が付きまとうなかで、賞をいただけるということは、人(わたくし)をも見てくれているので、それは人間としてヒュマニティックにうれしいものである。


これからも「子供」のように、知りたい欲求まっしぐらに進んでいこうと思う。
まだまだ「伝授」する年でもない。
この業界の階層性は見事に崩れているので、若年寄が多い。
若者向けの学会志向性がどうも気になる。
中堅クラスが、自らの欲求のもと、学会を企画すればよいと心底思うのに。
それが時代の進化だと思う。

新人のために!といい続けていませんか?

背中を見せて育てましょう。

確かに管理職や家庭を持ったりすると、時間的制約は致し方ない。
ただ、僕自身が感じていることは、それは別腹なのだ。

100%のなかに、勉強や研究を無理やり位置づけてしまうと、やはりそれは意識の外に追いやられてしまうかのしれない。

思考のなかでは、研究も臨床も教育も同じであるには違いないが、実践では、それは別腹にしておくほうがよい。

そうすれば、それぞれの幹が出来るだけ100%へ向かって伸びていく。

その幹(趣味や家庭も含めて)が数本あって、最終的には感覚のように統合され、「森」となればよい。
それが定年あるいは天寿を全うするときであれば、人生薔薇色(La vie en Rose)じゃないでしょうか。

100%のなかに無理につめてしまうと、風船のように割れてしまうかもしれない。

人生とはそういうものかもしれない。


写真は今日いただいた記念品。

照明の関係で中の天使がまったく見えないのが残念・・・明日、チャレンジしてみよう。


明日は和歌山です。

今、何人かの近畿学会の抄録を修正改変し終わった。






感覚に国境はない

2007年06月24日 11時03分15秒 | 過去ログ
よく、音楽に国境はない、とか、芸術に国境はないとか、言うが、それは「五感」に国境がないということになる。

つまり、「身体」に国境はない、ともいえる。

論理的な言語には国境は少なからずともあるが、感覚的な表現(言語も含む)にはないのかもしれない。

昨日、「美の巨人たち」のシャガールの絵をみて、Les Frèresの演奏を聴いて、そして、マグリットの美術本を読みながら、そう考えた。

さて、今、大学に来ました。

今から奈良県理学療法士学会に出席します。

奈良県理学療法士会学術奨励賞(会長賞)の授与のために!
奈良県理学療法士会初の賞らしいです。

ありがたいことです。

つながりを大事にしたいものですね。

人間と人形

2007年06月22日 18時12分58秒 | 過去ログ

今日は岡山に行くのを取りやめて、大学でいくつかの書類を整理する。

来週頭には近畿理学療法学術大会の締切だが、院生や共同研究者の抄録を見て、作成しないといけないが、どうも乗らないというか、おそらく予測ができているのだろう。

休肝日を設けないといけないが、どうやら今週は水曜のみになりそうだ。

昨日は「宴会」→おじさん、「飲み会」→若い成人、という話題になった。

「宴会」にしろ、「飲み会」にしろ、「人間」が織り成すもの。

「ひと」とコミュニケーションする、という習慣は古代人までさかのぼる。 「祭りごと」とは、人間のなす、脳の機能であり、ワザである。

先日、出版された「脳のリハビリテーション:整形外科編」のあとがきの最後にSacksの言葉が引用されている。

 

 「人形を診る医学」の冷たさは無知をうみ、「人間を診る医学」のあたたかさこそ洞察を可能にする、と。

 

 「形(フォーム)」ばかりにこだわり、本質が見えていない「理学療法士Physical Therapist」におくりたい。せめて、Physiotherapistであってほしい。

患者を患者さん、そして患者様と呼ぶように、形だけ変えて、心はもとのままの医療者にもこの言葉をおくりたい。

outputだけ変えても、本質は変わっていない・・・  「理学」や「作業」という言葉がどうもひっかかる。

 

子どもの発達をみていたら、理学療法士の古典的な介入手法に問題があるのではないかと気づく場合が多々あるはずなのに。

 

 


記憶と時間性

2007年06月19日 16時04分02秒 | 過去ログ

日曜は奈良県言語聴覚士会の特別講演で話す。

運動と言語というテーマで、主に、脳の進化と言語の獲得、言語に関わる脳の局在と神経ネットワーク、運動制御に影響する内言語、ミラーニューロンシステムと他者コミュニケーション、他者コミュニケーションにおけるワーキングメモリ機能の中身で話す。

 とりたてて、神経ネットワークと運動制御に関わる言語を最近の知見を交えて話した。39野、40野、22野、44野、45野、それぞれが別々に機能しても何の意味はない、そして、その前の情報処理過程、例えば、7野や5野がないとはじまらない。

 一方で、身体とのかかわりにおける言語とは名詞のみを指して折らず、動詞、形容詞など、あるいは比喩など、が相互作用する。

その発生は、失語と失行の関連性の根拠の仮説となる。その実証作業が必要だ。

いずれにしても、神経科学は、新たな展開へと進みつつある。言語の領域も旧来の統語論だけの縛りに生きててもしょうがない。

それは、運動に関わる理学療法士にも言える。からだ、ことば、こころ、を別離に考えてもしょうがない。

その切り離しが科学性をときにうしなわさせる。

あらたな、チームとは、その考え方を受け入れる余裕があるかだ。頭がかたいとそれはできないかもしれない。

 

夜遅くまで懇親し、仮眠をとり、新著の校正を朝4時より行う。

さて、昨日から高校訪問で高知に来ている。 今日は19年前の恩師に遭遇した。

そして、相変わらず、母校の「追手前」の存在感は変わらず。

変わらない、それにも意味がある。 変わるだけだと、ニューロンのネットワークが混乱する。 変化しないという存在感も重要だと思う。

よきもあしきも変わらず。

 

しかし、めまぐるしさが記憶をうしなわさせる。

 

バンクーバーの記憶はもうない。

 


揺れる想い

2007年06月15日 07時25分20秒 | 過去ログ
からだじゅう感じて~ と、そのあと続きそうだ。

昨日は発達系の2年生のプレゼンを聞き、教授会など。
山場の6ヶ月がなんだか無難に終了した。

発達は「6」がkey.

会議後、今度の学生と話をする。
なぜ、姿勢バランスにおいても不安定さを好むのか、これには認知過程の活性化による連合野の神経回路網の形成と楽しい神経回路である側坐核や腹側被蓋野の強化なのかもしれない。

つまり、身体も心も、ある程度の揺れを感じ取りたいのである。

それが、自らの基底面(あるいは、キャパシティ)内の揺れ、なのか、それを超えるゆれなのか、はたまた、少しだけ超えるゆれなのか、そのヒントとなるのが、最近接領域なのかもしれない。

大人になると、余裕ができるが、それが連合野の神経回路網の形成と、辺縁系と前頭連合野の同じく形成が起こり、反射的に運動や行動、言動も含め、起こらない。
キレる行動も少なくなるのは、そのおかげだが、その基底面(キャパ)が大きくなりすぎると、揺れる身体や想いを感じること(意識できない)がなく、逆に意欲が減退していく。仕事にマンネリ化して、疲れるというのも、そのひとつかもしれない。

どれだけ、揺らすかだ。そして、それをどの程度にするかだ。

実習で止まってしまうのも、この揺れを今までに体感したことがないからかもしれない。


さて、昨日の夜、いつものように23時に福岡へ。

今から、3時間、小倉リハで「小児疾患の理学療法」を講義し、新幹線で移動し、3時間、朝日リハで「教育学」の講義を行う。


次年度からは、教育学部で「発達脳科学」「コミュニケーション心理学」そして、時間を少しいただき、看護医療学科で「感情体験の脳科学」がスタートする予定である。


今日の講義準備は、思考の研究室である、電車の中で行う。

キャパとは、時に便利だが、時にやっかいなものだ。


初心と決意

2007年06月13日 07時23分28秒 | 過去ログ
昨日は授業、会議と8時間過ごす。
リハ概では障害の構造を話し、神経系では、失語と記憶を話した。
最近の海馬事情は面白い。

会議は研究所と、学術振興会議。

そこでは初心にかえる出来事があった。

もう一度、研究、そして言語を鍛えなおす。
積み重ねでなく、位相となるように。

現在の立場がそれをさせない、というのは言い訳になる。
時間を有効に使えばいいし、調整しながら、削減すればいいのだ。

両学部長のレベルの高さに感服する。

やるしかない。