森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

第56回よさこい祭り

2009年04月29日 23時39分33秒 | 過去ログ

第56回よさこい祭り


今年は本祭が月曜日、火曜日です。
地元民は仕事です。
ぜひとも県外のみなさん、高知までお越しいただき、
熱い夏を過ごしてください。

坂本龍馬とよさこい祭りしかありませんが
この祭りのすごさを肌で感じてください。

全国に広がりましたが、
なぜ本家が違うのかについて考えることもできると思います。

自分勝手に踊りまくるのがよさこいではありません。
格好つけて、ど派手にふるまうだけがよさこいではありません。

「よさこい」というのは「祭り」なのです。


久しぶりの「無知の知」

2009年04月29日 23時34分06秒 | 過去ログ
月曜日、福岡から帰り着き
授業の準備をした後で
19時半より特別会議室にて
大学院生座談会

近々、その記事は
本学の通信である
カトレアに掲載される。

D1から生野君、信迫君
M2から今井さん、熊谷さん

女性2人の新鮮な意見が
大学院を開設して本当によかったと思うと共に
襟を正して、自らの研究の成果公表ももっとしていかなければならないと感じた。

金子研究科長は
違う方向から眺める「コペルニクス的転回」について彼らに説かれ、

研究者たるとも2009年の最新の動向を知らぬのは
最も恥ずべきことだとの意見をいただいた。

また未知なる、まだ確立されていない
「健康科学」という学問を畿央大学から世界に発信するという
前向きなお言葉をいただいた。

21時までみなさん御苦労さまでした。



火曜日は神経系理学療法学では「半側空間無視」の話をして、
みんな、いくつかの病態に驚いたようだ。
驚きが肝心である。

発達系理学療法学では反射・反応の話をするが
ここまで中枢レベルとの関係性について解説する授業はないだろう?!と自負した。

学術振興会議で研究費の検討をしたのち
19時半より21時過ぎまで大学院の授業をした。
大学院では細かな神経生理学のことを話しているので
今日は「神経細胞新生」「シナプス形成」「ミエリン化」
そして、伸張反射の亢進の神経メカニズム
中枢神経まひの機能回復序説について話した。
これだけで1時間半話したが
それでも足りない。
日ごろ、講演ではあまり触れることのない
基礎的なことも話す。

そしてシステム理論の視点を持つことの重要性をある比喩から説明した。

直面する問題を実に複雑である。
それがとってもシンプルだと思ったのであれば
まだ、その問題を理解していない。
人間とは実に複雑であり
脳・こころを取り扱う科学と医療に携わる者は
物事を複雑にかつ多面的に分析することが大切である。
ただし、介入・臨床はいたってシンプルがとても美しい。

まだまだ研究が臨床には追い付いていないが
10年前に比べると接近し垣根がなくなりつつある。
しかし、依然として「生活、臨床とはかけ離れている。」
と言っているちょうど我々の世代の部のトップPTは
時代に波に乗り遅れている感がある。
10年後にはそういうPT/OTはどこかに追いやられているのかもしれない。
そろそろ研究成果(時代の流れ)を「なめたらいかんぜよ」
基礎科学を知らずに適当に治療介入する時代は終焉をむかえるし、
そういう基礎に蓋をして、
生活・生活と逃げていることもできなくなるはずである。
生活を知るためにも基礎をしらねばらなない。



本日は「昭和の日」であるが
授業日のため
1時間目より看護学科を対象にした「感情体験の脳科学」の授業を行う。
今日はいったん感情を棚上げし
その前に知っておくべき
脳の構造と機能
そして知覚の神経メカニズムについて話した。

2時間目は教育学科を対象にした「発達脳科学」の授業を行う。
幼児期の脳の発達
そして今日はトピックスとして
男女の脳の違い
そして若年性健忘症の脳を取り上げた。


しかし・・・授業のあとは階段を登るのもつらい。
ライブをやるような感じであり
相当に疲れる。
真剣にやりすぎているのか・・・・


午後は2年生たちから0か月~3か月の運動発達に関する
質問をいただき、
みんなまじめに取り組んでいることに感心した。

一長一短はあるが
「ほめる」という行為から
彼ら、彼女らを伸ばしていきたいと最近は思う。
もちろん、道理が伴わない場合は
僕も感情をむき出しに叱るが
そろそろ自分の立場(これは無理にではなく自然体で)
から彼ら、彼女らには優しく接しようと思う。
高知の教員時代が「恐すぎた」・・・

EBRSR日本語版

2009年04月29日 18時18分36秒 | 過去ログ
本学 松尾准教授を研究代表者とする「Evidence-Based Review of Stroke Rehabilitation 日本語版」のweb公開が始まりました.

広く情報活用していただき,今後,更新される情報を翻訳協力していただく,協力者を幅広く求めます.

Evidence based という考え方は大いに賛成できる.
ただし,臨床家においては,数値をもって示すことのできない「根拠」は科学的でないという視点には反対する.

EBMの視点を持ち,それを世界的な動向として情報を入れるということは,現在進行形の科学と技術の限界を知る意味でも大変重要なのである.

一方,これだけの視点となれば,新たな科学と技術の進歩を止めてしまう.
すなわち,コペルニクス的転回を狭めてしまう.

いわば,その両方を知っていて,
自分の臨床を創り(科学的根拠の視点から),
患者個人にとって最も良い戦略を提供できるよう
セラピストはいつでも準備しておかなければならないのである.
そのためにもこうした情報は意味を持つ.


過去も振り返り,今現在の動向も知り,そして未来を創造する.
このすべての視点を個人が持ち得ればよいのだが,
それが難しければ,セラピストが一人一人がニューロンとなり,
システムを構築していく大プロジェクトが必要であろう.

その司令塔となる人材が求められる.


陽性と陰性の間に存在する私(自己)

2009年04月25日 16時25分42秒 | 過去ログ
眼は外に向かった私、体は内に向かった私

神経系の発達が未熟な時期には、
一つの運動神経細胞が多くの筋細胞を興奮させ収縮させ、
運動としては粗大なものしか出現しない。

言動も同じである。

しかしシナプス間の競合によって形態的にも除去されることが明らかになっている。
このシナプス除去の過程は末梢神経、脊髄、脳幹、視床、大脳皮質において普遍的に行われるものであり、余剰回路が除去され、一つ一つの運動神経細胞が制御する筋細胞が少なくなることで、自発的かつ細かな運動が可能になるといわれている。


今、行っている実習生の前頭葉も同じである。


外野(SVや教員)はあくまでも外野である。




ポジティブとネガティブの間に存在する自分。

間に意味がある。

一長一短ということばの間に本質がある。

しょせん、大人は、無理に「自分の形」にあてはめようとしているのに違いない。

これは教員、指導者にも同じことがいえるが、

学生も大人であり、

学生も他人を批判したり、否定したり、
教員も他のものを批判したり、否定したり、
指導者も他の指導者や学校を批判したり、否定したり、

それは、自己を肯定する手続きにすぎない。


1ランク上から見ないと、見えないものがある。


人間は自然(自然現象)なんだから。

無理に統制してしまえば、それは人工的な人間になる。


人間としての振る舞いをしているのなら、
それを評価することが教育には大切である。


ドーパミン神経細胞は「行動を起こすときに得られる期待される報酬の量」と「行動をとった結果,実際に得られた報酬の量」の誤差(予測誤差)に応じて興奮し,興奮の度合いに比例して,行動を起こすのに関与した神経結合のシナプス伝達効率を向上させる(Schultz, 2007).


いきなりエベレストに登らせないように。


PTらしさとか、OTらしさとかいうが、
「そんなもん、よくわからん」

もし、そのらしさがあるのであれば、
注意散漫で多動な私には、
そのらしさから逸脱するであろう。

そんなことを、考えていた。

今から大学院生の新入歓迎会である。

明日は研究打合せで福岡である。

それなりに動いていることが、
いらないことを考えなくて済む。





マスコミ

2009年04月25日 11時34分46秒 | 過去ログ
竹内薫さん に同じ感覚を抱いた。
そんな記事より、大阪で起こった小学4年生の事件の現代背景について考え、
そして「豚インフルエンザ」について情報提供すべきである。

このブログでは珍しい時事ネタであった。
竹内薫さんの紹介をかねて。
竹内さんは、茂木健一郎さん と同じ釜の飯を東大で食った仲である。


植物学の日

2009年04月24日 12時13分47秒 | 過去ログ
Googleのオープニングページ(今日限定だと思う)が草花であるため、
クリックすると今日は植物学の日とされていた。
牧野富太郎博士の誕生日である。

高知にお越しの際には「牧野植物園」へ。
彼の「いごっそう」な人生を感じることができます。
もちろん庭園はきれいです。

高知らしさ「酒」をテーマにイベントもあるようです。



自称:高知県観光大使より。


izumiちゃん

2009年04月23日 23時44分33秒 | 過去ログ
昨日は看護の授業&教育の授業。
みんな、見た目に似合わず、やさしい。
そのギャップにいかれる。

脳の構造に興味を持ってもらい
うれしい。

今回から授業中の何に「驚いたか」ということを
最後に記述するようにしている。
そして、それが星何個かと。
記憶に残る、エピソードを形成してもらいたい。
教養科目だからこそ、できる授業技である。

午後は神戸に向かい、
神戸国際大、そして7月に少し講演でお世話になる
兵庫医療大に行く。

六甲では中川先生に送ってもらい、
そして、ポーアイでは日高先生や高橋先生に挨拶し、
久しぶりに森沢先生に会い、高知県人会をつくろうと投合し、
そして、香川先生に三宮までおくってもらった。

みなさんの優しさに感謝します。
香川先生、疲れているよ。
ユンケルに頼らず、ロックだぜ~~

阪神・近鉄線ができ、上本町まで直通とはありがたい。

疲労となり、大学にはもどらす、
20時には家についた。

おかげでyoutube三昧であった。
ロックは疲労を吹き飛ばす。
「病」は気から。
おれの特効薬はロックと、格好つけたいものだ・・・

久しぶりにSHOW-YAの恵子姐さん(もう45歳)を拝んで、
お歳を感じない色気とアクションにメロメロとなる。
Whole Lotta Rosieの姐さんver.は色気なボーカルだった。




限界LOVERSを久しぶりにひいた。

こころと肉体の疲労にはハードがいちばん。
と思いながらも、小松亮太のバンドネオンを聞きながら
パリを想像した。

今日は他の大学との提携プログラムの書類を作成し、
5月に締め切られる研究費申請の書類を作成しないと・・・と思い、
思うだけだが、
また、大学GP申請の検討などを行いつつ、
大学生の教養をいかにつけるか、
そしてやさしさをチカラにかえるという本学のキャッチフレーズの具現化のための教育システムをどのように構築するかを検討した。

その前に、つくだクリニックから井口さんをむかえ、
発達障害について話しあい、
現場の話を聞いて、思考し、

そして

会議を行い、パンフレットの写真撮影をして、
そして、18時より大学院の講義を19時半まで行う。


しかし・・・講義が疲れる。
一生懸命やっているのだろうか・・・と誤解ある言葉だが、
15コマという長丁場に1コマを120%ペースのテンションでやると
もたない。
野球のペナントであり、
調整することも必要だろう。


体の調整が完治しないときは、
いっそのこと、なんも考えない脳をつくることだ。

音楽がそれを後押ししてくれる、僕の場合は。

音楽はまさしく私の泉。

唯一無二の心の表現方法。


久しぶりに斎藤和義の歩いて帰ろうをベースを弾きながら歌った。
つるののおかげであり、ポンキッキーの映像が脳から取り出された。

脳は連想ゲーム。




協調という名のもとの弊害

2009年04月21日 18時25分34秒 | 過去ログ
月曜日は授業の準備に追われる.
珍しく資料を本気で作ると,
結局,今日の授業では脱線ばかりで
進まず.
いらない話をしないと,
注意の持続がもたないが,
淡々と講義を続ける勇気も時には必要だと思う.

夕方より,フォーラムを開始する.
土曜日の一般の方々に対するフォーラム内容と違って,
大脳皮質の連合線維から治療を考えるという
いきなり医学・生理学の視点であるために
私自身,脳を使い分けないといけないが,
本質的には変わらない.

私はもはや「脳」の虜である.
このわからない物質に魅力をつねに感じている.
この得体のしれない,
そしてなんとも言い難い
ものに対して

これほどまで魅了されるとは
5年前には考えもつかなかった.

しかし,脳だけを考えているのではない.
行為するという視点から,
身体が脳をつくるという視点から魅了されている.

認識という視点は行為である.
知るために私たちは動くという手段を用いた.
この生物学的視点はゆるぎない事実である.
いくら,脳のことを勉強しているセラピストがあらわれたとしても,
この視点を解読するという視点にたたないと
乗り越えることが厳しい.
エクササイズが創造できないのも
その影響が大きい.
私は,歩きながらも,風呂に入りながらも,
そして,仕事をしながらも,試験監督しながらも
このことについて考えている.

それは何をみても,何を感じても「エクササイズ」を創造せよ.
という教えを実践しているからである.

臨床家だけが臨床のスペシャリストではない.
僕は,つねに,その臨床の空想に思いをふけている.
空想科学(デカルト的)といわれても,
それをする自分が好きである.

フォーラムでは
高次脳機能障害を3名で考えた.
この一部はMOOKで書いているのでご参照ください.

今日は神経と発達の授業.
情熱をくみ取ってもらい,
次の治療を創造する力の源を形成してもらいたい.
大学という場所は,自由に学問する場所である.
マニュアル人間を作るところでない.
いろんな教授陣がいていいのである.
協調という名のもと,
無理に統制しているきらいが現代の大学にある.
それでは新たな視点は生み出されない.

ルールを守る,ルールを破る.
そのせめぎあいを人生は演出する.

2コマ授業し,
今から大学院の授業である.
院の授業は自由だ.

脳は私自身であり,私を演出するための物質である.

この深さと広さに耐えられる精神をもつものが次なる臨床を演出するであろう.
その時々の異端の脳.

それは誰か?

この読者かもしれない.