科学、芸術、祭事、などなど、文化的といわれるものは、生物学的な生存のためにはまったく必要ない。しかしながら、それは社会学的な人間を豊かにするかけがえのないものである。「知る欲求」「表現する欲求」「感じる欲求」これらを満たしてくれる媒体である。この3つの中で、科学や芸術はそれ自体が仕事になるが、「祭り」は仕事でもない。その仕事でもない、生存のためにも直接的に関係しない、この生きて行くために非効率的なものを人間は代々伝承してきた。ここに人間の素晴らしさがあり、人間の強さがあるように思う。
これまでの生態学を中心とした様々な研究によって、社会行動と霊長類の大脳新皮質の大きさと相関するものとして、以下の7つがあげられている。
①社会集団の大きさ
②密接な関係を同時に維持できる個体の数
③社会的技能の程度
④戦術的ごまかしの頻度
⑤社会的遊びの頻度
⑥社会的な「絆」
⑦生活の複雑さやプレッシャー
祭りをすること、その意味が上記の7つを読み解けば、わかるような気がする。人間はなぜ祭りを継承してきたのか、そしてそれを継承しようとするのか、それが脳を育むために重要だと言う事を暗黙的に知っていたからではないだろうか。昨今の効率よくいき、安く人生を済ます、この志向性は、自己の一生でなく、末代の生涯に影響するかもしれない。それを進化と呼ぶか、退化と呼ぶか、どの視点に立つかで変わるだろう。
いずれにしても、祭りは生存のための仕事ではない。一見、生きるために非効率なこのもの、それに人間の豊かなる脳のヒケツが隠されているのかもしれない。そういう一見、無駄だと思われることに、一生懸命になっている人間は、とても豊かで、人間らしい人間だと思うのである。自己肯定というバイアスも入るが、おそらく三人称的にとらえれもそれはある程度の根拠は存在していると思うのである。
これまでの生態学を中心とした様々な研究によって、社会行動と霊長類の大脳新皮質の大きさと相関するものとして、以下の7つがあげられている。
①社会集団の大きさ
②密接な関係を同時に維持できる個体の数
③社会的技能の程度
④戦術的ごまかしの頻度
⑤社会的遊びの頻度
⑥社会的な「絆」
⑦生活の複雑さやプレッシャー
祭りをすること、その意味が上記の7つを読み解けば、わかるような気がする。人間はなぜ祭りを継承してきたのか、そしてそれを継承しようとするのか、それが脳を育むために重要だと言う事を暗黙的に知っていたからではないだろうか。昨今の効率よくいき、安く人生を済ます、この志向性は、自己の一生でなく、末代の生涯に影響するかもしれない。それを進化と呼ぶか、退化と呼ぶか、どの視点に立つかで変わるだろう。
いずれにしても、祭りは生存のための仕事ではない。一見、生きるために非効率なこのもの、それに人間の豊かなる脳のヒケツが隠されているのかもしれない。そういう一見、無駄だと思われることに、一生懸命になっている人間は、とても豊かで、人間らしい人間だと思うのである。自己肯定というバイアスも入るが、おそらく三人称的にとらえれもそれはある程度の根拠は存在していると思うのである。