森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

日記:ことばによる教育の前に

2011年02月25日 23時16分12秒 | 日記
ここ最近は3年生の評価実習の訪問が続いています.
今年はいつも行く場所でなく,違った施設に足を運んでいます.
高知の教員時代は,1期間に15施設ほど訪問に行く時もありました.
6週連続実習訪問なんかは当たり前でした.
授業も週7コマあったり,よく研究をしていたなと昔の自分に感心します.
今はすっかり弱くなりました.

高知の時は,20代半ばから訪問に出て,
全国各地の施設へ.
毎年,行く施設を変え,ほとんどの施設に訪問した記憶があります.
その時の人脈が今なお私を育ててくれます.
よく先輩PTに怒られたものでした.
叱られたでしょうか・・・
教えているノートを持ってこいとか,
実習訪問するタイミングが3週目だと早い,
6週目だと遅いと怒鳴られ,
少し訪問の時間が遅れると,学生の前でこっぴどく叱られました.
それも今になっては良い経験です.
当時の自分には何の実績もなく,
信頼されていませんでした.

学生のためにも,信頼されなければならないと思い,
がむしゃらに勉強し,そして実績をつくり,
今に至ります.
今なお,勉強です.
だから,新しい施設に行くと,久しぶりに新鮮な自分に戻ることができました.

キャリアを持っている先生たちは実に優しい.
学生と一緒に現象を調べるという姿勢で,
変化を一緒に楽しんでいる.
実習は現象を自分のからだで体感することです.
だから,見て,聴いて,感じての学習です.
痙性麻痺一つも肌で感じたことがない.
だからこそ,さわって,その感じを自分の体にしみこませる.
そして,リハによって,変化が起こったことを体感させ,
バイザーとともにそれを喜ぶ.
喜ぶという視点が一番大事だし,
その前の驚くということが実習では一番大事なのです.

ピアジェが知能の発達の最初にあげたのが,
感覚運動段階です.
そのあとに言葉による学習,そして,イメージ・予期による学習が生まれるのです.
だから,学生の言葉はたまに,突拍子もないことに.
けど,その突拍子もない言葉が,実は臨床のブレークスルーになることもあります.
現場にいると,盲目になり,現象に対して先入観で見てしまうことが多々あります.
片麻痺にしろ,高次脳機能障害にしろ,知識が邪魔する場合もあります.
だからこそ,学生のたまに,とんでもないと思われることが,
実は検証可能性となることもあるのです.
それをバイザーと学生が共同注意しながら,一緒に楽しむ.
それが教育の原点です.

何かを知るためには,言葉だけでなく,自らのからだに基づく感覚が大切です.
言葉はそれになったとき,すでに過去です.
一方,体の感覚はつねに現在進行形です.

「これは何?」とかと質問攻めしたり,「わからなかったら調べてきて!」とか,さらにはレポートでのフィードバックは,言葉の学習ですし,
すでに過去です,レポートなんかは過去の過去.
言葉の学習の前にからだの学習が発達には必要なのです.
子どもが母親から言葉を学ぶのも,まずは身体経験からです.
突然,ことばが生まれるものではありません.

若い指導者だと,こたえられない問題をわざわざ質問し,それを質問ぜめしたりする.
それもその者の脳.
自分の自身がないと,ついつい無意識にそのようにして威圧・恐怖を与え,従属させるようにしてしまう.
けれども,学生には答えられなかったという経験がどんどん蓄積され,
負のスパイラルとなり,学習性無力感が形成されてしまいます.
これが形成されると,セラピストになりたくないと思い始めます.
なぜなら,なりたいと思って実習にきたのに,自分は何もできない,
だから,そこにかい離が出現し,脳はその矛盾をぬぐいさるために,
無意識に,できない・こたえられない,だから向いていない,なりたくないとつじつまを合わせようとします.

片麻痺のまひの学習も同じ神経システムです.

だからこそ,最近接領域で,問いかけたりしなければなりません.
あえて,わかりそうな問題を選び,
そこから枝をつけてあげるのです.
強化学習のシステムを勉強していれば,
そのようなことは容易に理解できるでしょう.

脳科学って大事なんですよ~


さて,

私はレポートのフィードバックは必要ないと思っています.
現場の現象を一緒に調べて,一緒に見つけて,一緒に喜ぶ,
そうした教育が一番大切だと思っています.
現場で勝負できないと,ついつい,レポートや質問攻めにしてしまいます.

学習の原点は「楽しむ」ことであり,
明日が「楽しみ」と思わせることが,真の教育者です.
そうでなければ,偽善者です.
基本的には普通であれば,全員合格です.
楽しむ実習ができていれば,みんな合格のはずです.
人間の本質であるので.
そこには優劣はありません.


あとは,知らないことはわからないという勇気が必要でしょう.
症状はわからないことだらけです.
ここまでは解明できるけど,こっからはわからないな~と学生にいい,
検証できたことと,できないことを教え,検証するためには,と考えさせ,
検証可能性を未来に託す必要があるでしょう.

今の学生には,未来のリハを背負ってもらわないといけません.
平成生まれですよ!
我々が引退したのちも,リハが人々の幸せを与えるということを保証するために,
臨床実習教育があるのだと思います.


絶え間ない現象を検証している姿を見せるだけで,
臨床実習教育は成功するのだと思います.
まだ経験が未熟であるのに,指導者として成立するのも問題ですが,
そうは嘆いてはいけません.


一方,セラピストが多くなるから実習を厳しく!という本末転倒なことをいう協会の役員もいますが,
実習に出た以上,それを教育効果として引き揚げることが先輩としては使命なのです.
患者が入院してきて,効果を出すように,
この施設に来れば,学生の教育効果を上げるという志をもってもらいたいと思うのです.

それを病院の業務外だからと放棄すれば,
結果として,中途半端な教育しかできず,
最終的にはその学生が就職して,
質をどんどん落とせば,
それがセラピストの全体の質となり,
最終的には診療報酬までにひびき,
結果として,今いるセラピストの首をしめることになって,
負のスパイラルにおちいるのです.

関係ないではすまされず,
セラピストとして免許を取った以上は,
臨床だけでなく,教育というものから逃れられないのです.




学生は睡眠時間を相当に減らしていますが,
それも厳禁です.
睡眠不足は思考を停止します.
寝ている間に記憶を整理します.
起きている時は脳は実行するために,相当に組織がとられますが,
寝ていると実行する必要がないので,
その間,ゆっくりと情報処理部隊が関係し合うのです.

忙しい時は部屋が散らかっても,
暇な時は部屋の整理ができる.
脳にはからだの休息が必要なのです.
睡眠2時間とか,3時間とか論外です.
そんなこと,競い合って傷のなめ合いはしないように!

睡眠は多いけど,実習はそつなく.
そんな方が実にスマートだし,格好いい.
自分なんか,すぐ寝てた記憶しかない.
それは先生だからとよく言われますが,
勉強ができるとか,できないとかじゃなく.
メタ認知能力なんだと思います.

そんなに力をいれなくても,時がたてば経験が生まれる.

無理してもダメなものは,ダメ.
けど,それが個性なんだろうな~と思います.
それが自分スタイルっていうやつで,苦労症は死ぬまで苦労症なんだろうなあ.
それを分かってくれる上司に巡り合えれば,その苦労も楽しむことができるけど...
うだつがあがらないものは世の中にたくさんいますが....
だから,社会はシステムとして構成するのでしょう.


いずれにしても,自由度のある,そしてリラックスして,
ほどよく切迫感のある実習がいい.
そして,何よりも「楽しむ」という本能を惹起させるような.

県立奈良病院の門脇先生に久しぶりにお会いし,
理想の臨床教育者であると称賛する次第でした.
今度は奈良の夜に再会しましょうと後にしました.
「大阪にばかりお金を落とさず,奈良にも落としよ!」と高知のイントネーションで言われ,
こっちも思わず,高知のイントネーションで「夜,つれてってくさだい」と切り返しました.

酒は高知県人から切り離せぬものかもしれません.
すっかり弱くはなりましたが・・・


学校では楽しそうでない表情だった学生が,楽しいです!と病院で迎えてくれたとき,
臨床実習教育の成功を確信します.
実習は指導者と学生の関係性です.
だから,学生の評価は指導者の評価でもあるのです.

コミュニケーションもスキルです.
できなければ,先輩として教えるだけです.
それは学校の仕事でも病院の仕事でないボーダレスな人間,社会教育なんだから.



院生の論文が掲載されました!

2011年02月24日 19時47分50秒 | インフォメーション
谷口 博,富永孝紀,大植賢治,河野正志,森岡 周:姿勢変化によるプリズム順応課題の効果について.日本作業療法研究学会雑誌13: 51-54, 2010

河野正志,富永孝紀,大植賢治,谷口 博,森岡 周:道具観察時の上肢の位置が脳血流量に及ぼす影響~機能的近赤外分光装置(fNIRS)研究~.日本作業療法研究学会雑誌13: 15-19, 2010

谷口君はD2,河野君は修士1期生です.
1期生はこれでほとんどが学術雑誌に掲載されました.

谷口君,信迫君,中野君は複数の研究が論文に掲載されています.

なお,下記の研究室HPにも記載しました.

http://www.kio-neuroreha.com/


第4回痛みの理学療法学研究会 特別講演

2011年02月23日 14時30分51秒 | インフォメーション
第4回 痛みの理学療法学研究会 大会

開催日時:平成23年2月26日(土)、27日(日)
開催場所:名古屋大学医学部保健学科・東館大講義室
プログラム
 大会1日目
 16:10  特別講演1 痛みと脳神経科学
       森岡 周(畿央大学 健康科学部 理学療法学科)
  

日記:方向性

2011年02月23日 10時28分59秒 | 日記
月曜日に「脳を学ぶ(3)~音楽家との対談~」のあとがきも含め,すべての原稿を終了させました.
残るは図のゲラ校正になります.
5月,6月の学会には間に合わせることができると思います.
2005年リハビリテーションのための脳・神経科学入門
2006年リハビリテーションのための認知神経科学入門
2007年脳を学ぶ~ひとがわかる生物学~
2008年身体運動学~知覚・認知からのメッセージ
2009年理学療法MOOK脳科学と理学療法
2010年脳を学ぶ(2)~写真家古谷千佳子さんとの対談~
と毎年,代表的な作品を作ってきましたが,2011年も世におくることができそうです.

はじめて,あとがきで「~に捧げます」と記しました.
今まではそのような気持にはまったくならず,そしてなんだか照れくさいし,本当か?と思ってたのですが,
今回は,素直に,率直に記すことができました.

脳を学ぶ(3)は,一人で私を育ててくれ,60歳で天国にいった母親に捧げます.
音楽との出会いは,母一人子一人の生活から生まれたのかもしれません.
私の脳を履歴の大半を音楽が占めました.

音楽のない世界に生物学的なヒトは存在しても,社会学的な人間は存在しないのかもしれません.
豊かさをプレゼントしてくれた音楽,そしてそれを発明し,開発し,伝承してきた音楽家に敬意を表します.
「こころ豊かな人間」として生き続ける,それこそが,リハビリテーションが目指す究極の目標です.

脳を学ぶ(3)では,それを実感してもらいたいと思います.

音楽家はリスナーがいるから存在しています.
誰かに求められる,それこそが,人間を豊かにするものです.

生きる意味とは,「求め求められる」ということです.

現代社会が間違った方向に行っているかもしれません.

人との関係性から感情が生まれ,心が生まれる.

そんなことをもっと教え育まないといけません.
新しい試みとして,プロジェクトを立ち上げ,地域に貢献していきたいと考えています.


さてさて,同時に「Pain Rehabilitation」という本もいよいよ佳境です.
これは沖田実氏,松原貴子氏と3名での共著です.
編集ではなく,我々3名で書き下ろしたものです.
学術的にも評価される作品になりつつあります.

あとは3名で細部を検討し,
これも5月の学会に間に合わすことができればと思います.

痛みのリハビリテーションこそ,人間を知る手続きかもしれません.
色んな古臭い考えたかたを一掃します.


今年は2~3作品にとりかかる予定です.

さらに,ミドリ本,アオ本と続いた「~入門」の続刊にそろそろとりかかろうと思います.
これをフィニッシュされれば,ある程度,脳の全貌がわかるような気がします.
そろそろ,私も勉強した成果を示さないといけません.
最近,おろそかになっていますので・・・

再来年あたりに出版できればと・・・
急がねばなりません・・・
年齢とともに,スピードが落ちて無理しようとするので・・・



ここ数日,身体が疲弊しており,ヘルペスやめまいの継続がありますが,
仕事量を調整しながら,少しずつ復活です.
自分の身体が落ちているとき,誰ともコンタクトをとりたくない,とか,会いたくないとか,心も落ちます.
ここしばらくはメールを送るのもしんどい状態でしたが,なんとか,自己再生により,
元気さを取り戻してきました.
1月3日より1日たりとも休んでいませんでしたが,
昨日AM日光を浴びながら,寝ることができました.
人間にとって太陽のありがたさを知るきっかけになったのです.
心地よさを感じるということは,なんて贅沢なことなんだと.


身体のサインを見誤ると,動けなくなります.
それは自分のメタ認知能力でもあるので,自己管理,自己調整がいかに大切か,
自身の体験で気づけています.

人間とは本当に面白いものです.


さて,実習訪問に向かいます.
よく驚かれます.
「先生もいかれるのですね~」と.

畿央大学は助手だろうが教授だろうが均等です.
教授は仕事が多くて当然です.
助手はその分,自分の研究の時間にさき,そして国際的な論文を仕上げるのです.
そういう別のプレッシャーを感じ,学生のトラブルなんかで,自分の心を折る必要はないのです.
自分を高め,最終的には社会貢献する.
それが大学教員の仕事なんですから.
小さくまとまらず,大きく進む.
若いとはよいものだと,最近思う自分は老けていると思い,
もう一度,前に進む意欲をわきたてようと思います.
27歳のときに,フランスに留学したときのように!





日記:ニューロリハビリテーションセミナーを終えて

2011年02月21日 22時56分29秒 | 日記
先週末の2日間を利用して,ニューロリハビリテーションセミナー(実践編)を開催しました.
今回は30名の少数精鋭の受講生が参加し,本学にてfNIRS4台を同時に使って,実際のNIRS研究を体験しました.
島津製作所からも協力を仰ぎ,10名足らずのグループにわかれて,課題の検証作業を行いました.
検証作業に先立って,私から脳研究の歴史,そして脳機能イメージング装置の概要,NIRSの原理について話し,
その後,松尾先生よりTMS,tDCS,そして前岡先生よりMEG,EEG,最後には冷水先生からNIRSの測定手続きについて簡単なレクチャーをしました.











自分が体験することで,今後脳機能イメージング研究のデータの解読に役立ててもらいたいと企画しましたが,
最後にはみなさんからのプレゼンがすばらしく,
セラピストから当り前のように,脳に関する様々な現象や事柄が考察,討論できているのを確かめると,
リハビリテーションも変革期に来ているなと実感しました.

筋肉を語るように脳について語る.

時代が動き始めた感があります.

参加された受講生の方々にお礼申し上げます.

ほとんどは,基礎編,応用編,臨床編についでの受講であり,
今後臨床の意思決定の際に知見を役立ててもらいたいと思います.

基礎編から臨床編までは200名の受講生に対しての座学のみでしたが,
今回は30名と受講生間,講師ー受講生間の距離が縮まり,今後,共同研究に発展していければと考えています.

私はその媒介としての心理的道具として,皆さんの援助ができればと思っています.

国際雑誌への投稿を目指し,日本から様々な検証事項が発信できるように,畿央大学がお世話できればと考えています.

次年度もよろしくお願いします.

4月5日ごろから募集を開始します.
3月にはホームページを立ち上げます.

7月から実施してきたセミナーですが,延べ600名強の参加をいただきました.

主催者の一人として参加していただきこの場を借りてお礼申し上げます.

次年度に同僚の参加を勧めてください.
もちろん再度もOKです.


日記:経験の呪縛からの脱却

2011年02月17日 09時03分10秒 | 日記
いきなりだけど,ここ最近の仕事量で,
めまいだけでなく,顔中に吹き出物...
免疫が落ちている証拠.
節制しないと.
努力は裏切らないが,
その努力の量を間違ってしまうと,
健康を阻害してしまう.
このような体のサインは脳を休めろというものだと思い,
仕事を数日はセーブしないと.

ただ,この時期は学内の仕事はひと段落していますが,
大学院の審査結果,報告書など多いのです.

執筆関係を整理しないと...
それに講演も.
まだ今年の3月が来ていないのに,
来年の3月の講演も入っている状況です.
そろそろ,後輩が育ってきたので,
彼らの能力が高い場合があるので,
そっちにバトンタッチしていきます.

私の方は新しいプロジェクトに.
そのようにリセットしていくのが成長,発達にはいいものだと思っています.

臨床実習教育も同じです.
自分がやってきたこと,自分が受けた教育.
そういうものが強く残っていると,
担当学生の最近接領域がわからない.
何を援助すれば,この学生が伸びるのか?
その伸びしろを見つけていくことが教育の醍醐味です.
それを自分が受けてきた教育をそのままコピーし,
「だめだ」とレッテルをはるのは,もはや人間でなく下等な動物です.

できなければ,できるようにする.
わからなければ,わかるようにする.
これは学校,これは現場,
そんなボーダーをつくるから今の実習教育は成熟していないのです.
世間はボーダレス.
知らなければ,知るように手続きをつくる,
それが教育です.
いまだに,旧体系の指導的実習が行われているのが現状です.
歴史は繰り返されるのか?
指導と教育は違います.

いずれにしても,1年後はセラピストとして仕事をするわけで,
少なくても1歳でも若ければ,その者に,この世界をバトンタッチしないといけない.
だからこそ,教育的配慮が必要なのです.

学問に「ボーダー」はありません.
知るということはボーダレスなのです.

学校で習ってなければ,それが重要なら教えてあげる.
余裕がなければ,それを攻撃するのみになってしまう.
自らに余裕がないものは,対象者の欠点ばかり気になってしまう.

これができないとか,これがだめだとか,
ネガティブな問題点ばかりに.
脳の注意は一度その視点になってしまうと,
なかなかその呪縛から逃れなれなくなります.

これは患者の病態観察も同じ.
高次脳機能障害があって社会復帰は難しいとか,
悪いのは患者の病態であるという自己防衛システムです.
悪いのは私の治療,そして私と患者の関係性.

経験の呪縛からのがれなければならない.
自分のこれまでの発達をリセットしていく,
そういう人間が常に成長していくのです.
臨床実習教育は,まさにバイザーが成長していく手続きです,

「PTになりたいのか?」「学校へ帰るか?」なんて,
決していうべきではありません.

患者に「よくなりたいのか?」「家に帰るか?」というのといっしょです.

誘導尋問っていうのがあるでしょう.
そのようなことを毎日言われると,なりたくないって脳が思うのです.
脳は毎日,不快な状況に置かれると,
それを防衛するために,前頭前野が「なりたくありません」とか,
「病院には行かない」と意志決定するのです.

うつといっしょです.
根性論ではなく,そういう科学が検証されている以上,
臨床実習教育は変わらないといけないのでしょう.

ダメなのは学生でもバイザーでもない.
その関係性なのです.
問題は関係性にある.

自分がやったもの,自分が受けたもの.
そういう経験をリセットするための経験を構築する.
そのような教育者に巡り合えると学生は幸せである.
若い者はまだ自分で手一杯.
それも仕方ない.
すべては関係性.
偶然でもあり,必然でもある.

さて,専門学校教育と大学教育が混在している意味不明な状況.
大学からきた実習生は「頭でっかち」と言われますが,
頭でっかちで何が悪い!と私は言いたいと思います.
それが呪縛です.

大学教育へのシフトはうわべだけで「できる」学生を生産するのではく,
それを止めてでも「考える」学生を育成する目的です.
むしろ,できる実践が学校でなく,病院.施設に求めるというものです.
それがなかったから,今現在のセラピストは手技というファッションに志向性がいったのです.

頭でっかちで何が悪い!
頭と体のかい離が学生はあるのです.
それをつなぐのが現場でしょう.

それを現場が放棄すれば,私たち,教員が臨床も教育したほうがましだと思うのです.
それだけ,私たちには経験があり,
発達をリセットし続けているのだから.

6割を10割に近づけていく,旅に学生は出ました.
10割になることは生涯ありません.
それを求め続けていくのがプロです.
そのプロの精神を見せるだけで
実習は成功なのです.

ROMだとかMMTだとか・・・そんなの小さい小さい.

夢を語れや!セラピスト諸君.

夢なき者に愛は生まれず.
愛は知識の母である.
知恵は経験の娘である.

来年度のニューロリハビリテーションセミナー

2011年02月14日 22時16分54秒 | インフォメーション


来年度の畿央大学 ニューロリハビリテーションセミナー の日程

基礎編 2011年 7/2(土)3日(日) 定員150名
応用編 2011年 9/10(土)11日(日)  〃
臨床編 2011年 12/3(土) 4日(日)  〃
実践編 2012年 2/25(土)26日(日)   30名

3月には大学のホームページに詳細を掲載します.
なお,受付は4月から開始する予定です.
今年はPT,OT各雑誌に案内を掲載します.
昨年は掲載前に数日で定員に達しましたので・・・掲載できずでした.

今度のニューロリハビリテーションセミナーでは欠落していた「視床」「注意」そして臨床編でタイトなスケジュールになった反省を踏まえてプログラムを構成したいと思います.


さらに今年は,症例検討を含め「フォーラム」を検討中です.
そして,そのフォーラム内で,特別テーマとして「失行」か「痛み」も検討中.

ニューロリハビリテーションは単なる神経疾患のリハビリテーションではありません.
リハビリテーションにニューロを付け加えたものでもありません.
勘違いされているものもありますが,きちんとしたニューロサイエンス,そして人間,文化も含んだブレインサイエンスの理解がないと,
ニューロリハビリテーションの本質を語ることはできないと思います.
そのあたりが,今後日本で理解されるかどうか,この旧体系の階層的医療では難しいかもしれませんが,
異端児であり続けることが,最高のサイエンスであると私は思っていますので,
このやり方で行きたいと思っています.

セラピストこそが,もっともグローバルな脳科学者だと思っています.

データをまとめることだけに執着せず,人間の行為を思考し続けるセラピストに向かってもらいたいと思います.


思考の循環こそが,サイエンスであるし,それがリハビリテーションだと思います.

悩めることこそ,本質.






日記:メタファー生物

2011年02月14日 17時05分02秒 | 日記
先週の金曜日,朝起きると自宅から眺めることができる「かつらぎの道」は一面が銀世界.
久しぶりにこのように雪が積もったのをみました.






奈良に来て7年ですが,
一度,大雪があったのですが,
その日は茨城への出張でした.

金曜日,大学院の入試ですが,
スタートが昼からでしたので,
特に問題なく,開始できました.




後期試験ですが,
前期でもかなりの充足率であり,
後期は狭き門になるか・・・
いずれにしても,大学院を開設して,4年がたちますが,
私学ながら,受験生には恵まれています.
神戸大,広島大などの出身者も畿央大学大学院を受験してくれます.
ネーム,国立大学でなく,そのような選択をしていただけていることは,
私たちの誇りになります.

私学であれども,最高スペックの人材,そして研究をする.
決してその水準は落とさない.
教員が国際ジャーナルに掲載されるような研究,
そして日々の講演や勉強会主催などの社会貢献.
そのようなことを学科全員の教員が意識していることが,
このような結果をつくっているのだと思います.

だから,院生の論文も国際レベルを要求するのです.
中途半端に紀要であったり,博士で日本語であったりは認めるはずがありません.
博士論文は一生つきまといます.
だからこそ,適当では許されないのです.
適当が一生ついてまわるから.

雪の中の入試ですが,無事終了です.

その足で,名古屋経由,富士へ.

しかし,例のごとく,講演が続いており,
もう1月3日より壱日も休んでいない状況で,
ここ最近の執筆続き,院生の学位審査などで,
メニエール症状が再発し,
めまいから立っていられない状況で,
自らの講演以外は保健室で過ごすという失態を招いてしまいました.

懇親会に少しだけ出ましたが22時には寝るという数日でした.

最終日,富士山が顔を出し,心を快に少しシフトさせてくれました.
人間は情動的生物であることを体感しました.

今回の講義はメタファー・概念を考えるいいきっかけになりました.
エリア39,40はまさにヒトの知性の意味を考えさせてくれます.

「森岡 周」という名前は何をメタファーしてるのでしょうか?
「坂本龍馬」という名前は?
「よさこい」とは?
「ロック」とは?


氏名・名称はメタファー.
ことばを持つ人間はまさに高次な生物です.

いまさらながら,人間の行為はメタファー.
学習もメタファーである.
PT,OT,STはすべてを勉強しなおさないといけないと思います.
行為とは身体とは言語とは?
メタファーを理解できれば,人の行為の謎に迫れると思います.


16時に富士山を後にして,20時に家に着き,
めまいのさなか床につき,
翌日(今日),大学に・・・そして,今は一面が銀世界に.







いっそのこと,もっとふれ~と思います.
自分が交通の乱れに巻き込まれなければ,そのようなことを思う.
人間とはまさに高次な生物と同時に自己中心的な本能的な生物であると思います.

人間という名称に何をメタファーするのか?

100年後,1000年後,今の人がネアンデルタールのように語られているかもしれません.


日本理学療法士協会 理学療法士講習会(応用編)

2011年02月11日 12時15分39秒 | インフォメーション
日本理学療法士協会 理学療法士講習会(応用編)講演 
テーマ:認知神経リハビリテーション

日時:2011年2月11日(金・祝)~13日(日)

会場:富士リハビリテーション専門学校(静岡県富士市伝法2527-1)

講師:森岡 周(畿央大学),他

担当講座:認知神経リハビリテーションの基礎,認知神経リハビリテーションからみた高次脳機能障害