森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

久しぶりに

2006年08月25日 18時06分19秒 | 過去ログ
しばらく、ブログを書く気がない。
どうもバテてる、脳か身体か・・・

昨日までは、バランス機能と失調症の2つの原稿を書くが、まだ失調症が終わらず。学生向けの教科書書きは単純作業。
余計にダラけるとはこういうこと。
最近接領域だ。

昨日はゼミ2発。

4回ゼミは多いので3つのグループに分けている。

1.Brain function リサーチグループ(8名)
2.motor learning リサーチグループ(7名)
3.postural controlリサーチグループ(5名)

これに3回生の16名が加わる。

昨日はBrain functionとmotor learning。
後者が手続きが簡単なので、早速本実験に入ってもらう。
内部表象、言語、観察、共感覚、身体図式など、うまくいけばいいんだが。

前者は手続きが大変だね。
fNIRS、事象関連脳電位、脳波計測と、この操作アルゴリズムを覚えるだけでも大変。
しかし、これもすぐに予備実験に。

運動の認知的制御、ワーキングメモリ、他者介入、笑顔の認知、運動の準備電位、ミラーニューロンなどなど、うまくいけばいいね。

来週には残るpostural contolグループの追い込みを指示する。

ゼミ後、走り走り会議に。

実習施設が減少しているらしい。

人と人との関係性。

これを無視してはならぬ。

物質も大事だが、心が大事と思ってもらえればいいんだが。

終了後、少し原稿を打ち、PM7時より平成記念病院の河村、藤田先生たちと会食。
「味季 和遊」に行ったが、しまってたので、「織賀」に。
メニューなしのお任せ料理は美味健在。
焼酎も130種類。
このニュータウンにあるのが不思議。

真美が丘ニュータウンには、TVチャンピオン(製菓、パン屋などだが)が多いのだ。

和食、イタリアン、フレンチなどが以外に充実している。




奈良の研究会のこと、学生の就職のこと、認知運動療法のこと、実習のこと、大学院のこと、そして、親としての子どもの教育のことなどなどについて話す。

その後、奈良リハの松下先生乱入。
相変わらず。アグレッシブで、服装がGOOD.
Pos.com(任意勉強会)のことも話す。
前回は口コミで100名に集まっていただいた。
今度は11月に講演予定。


織賀のバイトにうちの大学のデザインの学生が。
なかなか、ハキハキとして気持ちがいい。
頭の回転が速いし、いい感じだ。

ご両親が「60周年記念講演」に申し込んでいただいたらしい。

しかし~~ 9月7日(?)締め切りが、もうすでにこの段階(朝日新聞集計)で3500名弱・・・・の応募!? 400名に対して・・・ 10倍だ。

恐るべし新聞広告。

当たったらすごい! 確率か!


リピーターに感謝

2006年08月23日 06時46分37秒 | 過去ログ
昨日は、毎年恒例となった教職員のための夏の公開講座でお話しする。
3年連続である。
昨年までは、「心」の脳科学を中心に話したが、今年は「ワーキングメモリ」「記憶」「感情」「クオリア」について話をする。

100名定員で満員の先生方に来ていただく。
先生方も夏休みの表情をしてましたね。

テーマがテーマだけに保育園、小学校の先生方で7割となる。

27名の方が昨年に引き続き来ていただいた。
さらに3年連続の方々もおられ、感謝する次第です。

新しい方々には最後に少し話した「ミラーニューロン」のうけがよかったですね。

同じなんてない。

そういう意識があると教育も楽になるでしょう。

「規則」と「基準」は違う。

先生の前に、親の教育をしないといけないと本気で思う。
自分以外はバカ、他人を許せないサルの世代ですからね。
物質が豊かになれば、自分ひとりで成長してきたと思いやがる。
自分とは他者がないと生まれないのに・・・

「脳」が他人の意見をシャットアウトする一種の老化現象が若者でも現れているのだと思う。

それは、「経験」はまだ浅はかなのに「概念」が膨らんだ世界観であると思う。

身体を使って感じ、人間らしく楽しむ、現代社会が失いつつあることを、再認してもらいたい。

「キレる」子供に対する言語について質問をいただく。
「感覚」世界と「概念」世界が錯綜している思春期に現れる。


さて、執筆~~~ 1本は終わった。
久しぶりに「バランス」について書くと新鮮な感じがあった。
この仕事もいつか決着つけないといけない。

月末まであと2本。

早くしないと来月締め切りが覆いかぶさる。




勉強だけやってもダメ(脳だけ解離して鍛えてもダメ)、芸術活動、読書やスポーツ、旅行などで大いに感じること。

身体で感じ、脳に蓄える。


無駄と思えることが、将来、無駄にはならない。
教養が度外視される専門教育はいかがなものか。


生産主義、機能主義で生きると、コンピュータにはかなわない。







オープンキャンパス

2006年08月20日 21時42分41秒 | 過去ログ
今日は畿央大学のオープンキャンパスに出勤。
個別相談に応じる。

理学部と理学療法学科の違いを聞かれる・・・
これも大学の宿命だろう。

大学院窓口となる。
みなさん、よろしくお願いします。
まもなく、入試など情報がUPされると思います。

原稿用紙を8枚ほど書く。
あと90枚強である・・・

なんとかなるでならない。
明日より、受験生並みの睡眠時間とする。

今日はなんとなく休みたい。

明日は教員のための公開講座の準備もしないといけないな。

ま、今日は朝、BSで勇気をもらったので、なんとかあと2週間がんばれそうだ。


そろそろ,エンジンをかけて

2006年08月17日 23時54分45秒 | 過去ログ
帰省し,よさこいに裏方として参加。
いい経験になりました。
踊る側から,援助する側へ,企画者がいかに創造豊かであるべきかを感じられた。
そして,相当な心的シミュレーションが必要だということ。
そして,あるゆとりを持つことに重要性。

想像力。
余裕がないと生まれない。
アインシュタインの言葉が耳にささやかれる。

宮田塾ブランドが生まれましたね。
大衆に好かれるファッション性を維持していきたいですね。

ショーでなく,祭りを感じられる場所であり続けることが大事でしょう。
今日は全国大会の放送が奈良でもありますたが・・・・・ 「粋」な感じは「高知」そして,なんとか「東京(江戸)」かな。

エアロビクスやジャズダンスと勘違いがいっぱいいる。




さて,一昨日,今日は本学の再試験作成や,他学の試験作成に時間を要す。
共同研究者のいくつかの原稿に目を通し,赤を入れる。
「メタ認知」!!!!!!!!!!!


PCを見る目も,頸も痛い。
しばらくぶりのPC。
メールを見るだけでも3時間ほどかかる。


明日は試験監督&,そろそろ書き始めます。
8/31締め切り分が,原稿用紙35枚が3つですね。

なんか,夏休みの日記の宿題みたいですね。
下調べ,書きはじめまでに時間がかかる。
まだ,なんにも浮かんでいません。
まだ,一字も書いていません。
編集者の方,すみません。
なんとか・・・します。


「書きはじめ」・・・ 逃避旅行に出たいものだ。


好きな原稿を書けない自分。

好きな原稿を書ける自分。

どっちが幸せかは決まっている。


早くその世界に行きたい。


「灰色」な世界から,「晴天」な世界へ。


本当の豊かさは物質でなく,心の豊かさである。


「こころ」の豊かさに向けて,人生の折り返しを。



前進していきます。



リハビリテーションのための認知神経科学入門(協同医書出版社)のあとがきを少し抜粋します。

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第二部は、「心」や「意識」といった現代脳科学のトピックである心脳問題、心身問題について触れてみた。これをまとめる最中に、そうした目に見えない世界を知ろうとすることが、リハビリテーション専門家にとっていかに重要かを考えさせられた。また、「脳」が強調される今日、人間にとって改めて「身体」の必要性を考えることができた。人間の本質は「目に見えない」ところにあるのだと思う。肝心なことは目にみえない(Le Petit Prince(星の王子さま); Antoine de Saint-Exup’ery)。心の目というもの。それを持っているのが人間なのだろう。
今日のリハビリテーション医療の世界は、目に見えるものが、あたかも根拠あるものと称され、その実践が優先されるようになってきた。それは効果(結果)を残すという命題に立ち、旧来の、そして未だ科学的でない治療を、包括的(足し算)に実施し、運動刺激のエビデンスを求めるという手段である。確かに、専門職である以上、効果を残していくということは必要である。これには疑いの余地はない。しかし、その手段を繰り返すことのみでいいのだろうか。これこそ、「行動主義」の復活であると思う。運動という刺激を与え、行動を変えるといった「行動主義」である。一見、Evidence-based Medicineはきれいな世界に見えるが、裏を返せば、人間をヒトとみなした機械論的かつ物質(結果)至上主義な世界であるようにも思える。今のEvidence-based Medicineの手段が「絶対」ではない。
科学がHypothesis-guided researchであるならば、応用科学であるリハビリテーションも今の科学で証明されつつある問題を、臨床の場で仮説だて、それを検証し続けることが本来の科学に立脚した根拠ある治療だと思う。なぜなら、それが現在進行形だからである。人間は止まってはいないし、時間的にも空間的にも同じ意識であるなんてありえるはずがない。
今振り返ってみれば、私自身、セラピストを志していたそもそもの動機は、リハビリテーション医療は人に優しいものであり、その世界に自分の身を置いてみたいというものだった。外部観察者による「できる世界」のみを重視する世界では、少々息苦しい。豊かな世界ではない。本当の幸せは物質でなく、心の豊かさである(L’Oiseau Bleu(青い鳥); Maurice Maeterlinck)。



バカンス!

2006年08月09日 17時38分59秒 | 過去ログ
月曜は福岡に行き、みなさんと談話。
翌日、奈良に、会議に遅れそうで、走る走る。

大学院委員会に出席。
いよいよ現実化する。
みなさん、よろしくお願いします。

終了後、これまた急ぐ急ぐ。
電車に飛び乗り、帰省。

宮田塾の練習終了までになんとか間に合う。
みなさんと談笑。
機械的に統率されていないこのチームはいろんな魅力がある。
大人な集団だと思う。
あとは、どのように表現するか。

今日はよさこい前夜祭。

明日より本祭、みんなに帯同し、祭りを堪能します。

自分が心から喜び、楽しむことが、相手に向けた美意識であると思う。

そこで、いろんな批評が飛び交う。
誰がみても良い(同一)なんてありえない。
それは、概念である。
昨今、よさこいもメディア化し、そうした概念形成が増えてきた。つまり、有名チームであれば、いいだろうというもの。
そうした脳化社会がよさこいまで浸透するといやなものだ。
自らの身体と精神で感じる。
私にしかない、そうした意識が生み出し続けられる創造性豊かな祭りであり続けてもらいたい。
秩序の中で自由がある。
これが、よさこいの本質である。


内に向ける、外に向ける。

人間は、いろんな意識を持っている。


さて、バカンスバカンス。

奈良には14日に帰る。
3回生の試験結果公表日ですね。

ぼちぼちやりますわ。



今回はPCを奈良に置き、帰省。
いろんな経験によりそうした。



心で見るということ

2006年08月06日 17時30分08秒 | 過去ログ
今日は大学で残務をした後、一時、帰宅。
ジブリの風景を見るために。
ストックホルムのガムラスタンや、フランス・アルザス地方は留学中(8年前)に訪れたことから、懐かしい。

昨日のワインはアルザスだったのも功を奏したかな。
少々、情緒が沸き起こり、自分自身の生活を垣間見て、切なくなった。

その風景から起こる情緒は心の中に残っている。

僕は、デジカメもビデオももちろんもっているが、一人旅のときは、ほとんど持参しない。
昔から、写真が好きでない。
録画することも、とにかくきらい。

作品となれば何度でも見る。



風景を観る前に、写真をとる行為になってしまうのがいやだし、なんとなく、せわしくなるのがいやだ。目的が変わってしまう。

だから、身内にはいろいろいわれるが、記録より、自分の心で巻き起こる記憶を重視してる。

写真で見ても、行った人にしか、その感覚は起こらない。


地図を持ち、地図を見るのもあまり好きでない。
無駄な時間と空間をすごすのが好きだ。
自分の体で動いて確かめる。

それが、染み付いている。

それが原因で地図もなくホテルを探したりするから・・・いろんあ目に遭うが・・・



写真も一人旅では残らず。
友人と行っても、他人のカメラで撮ってもらうが、それを要求することもなし。

たぶん、古いこと(出来事)あるいは(自分)に興味がないのだと思うし、用意周到なことがいやなんだと思う。
そんな歌が「椎名林檎」の「ギプス」であったが。


「感覚」の世界


「ミラーニューロンシステム」などといわれるが、それも表面であり、肝心なことはみえないのだと思う。それは、新著のあとがきでも書いた。

見えるもの、聞こえるものに本質を求めると、さまざまな人間関係の障壁に出会う。学生たちもそうである。しかし、それも「経験」として培われるはずだと思う。



私の心の原風景である、「久万川」の土手に帰省したら行ってみようと思う。



ゲド戦記はジェノバが描かれているという。
2年前の第1回マスターコースの際には、ジェノバに降りついた。

母を訪ねて三千里のマルコが生まれ、母と離れた港がそこにある。




そして、また大学に戻ってきた。
よっぽど好きなんだろう・・・