森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

「無」にならざるをえない時間と空間

2008年05月29日 23時03分28秒 | 過去ログ
昨日は、発達脳科学の授業をまたもや出張のため、
少し早めに切り上げた・・しかし、最後の占めの部分で、
長くしゃべった(説明したために)、予定3分オーバー。
急いで研究室に戻り、
西の果てから、東の果てまで、
走る走る。

なんとか、近鉄に間に合う。
京都経由、東京経由で、「あさま」にのり、群馬高崎、そして前橋へ。




東京駅での乗り換えは、
先週の栃木の「なすの」以来、2週連続。
10分間の東京滞在は少しさびしい。

盛岡駅の新幹線の掲示板が「MORIOKA」になると、
なんだか新鮮だ。



浅川先生に出迎えて頂き、感謝。
久しぶりの再会に、お互いに「太りましたね」と・・・
「透析の理学療法」を話していたころが懐かしい。

群馬大学に到着する。

大学院生の研究室に通され、「カステラ」をいただいた。

18時より保健学セミナーで特別講義を行う。
2時間半の内容であったが、
対象者が学部生3~4回生、院生M1~2と多層な方々であり、
学部生には少し難しかった感があったが、
そもそもは大学院のセミナーであったため、
この難易度でよかったかなと後の院生3名の質問でそれを感じた。

セミナー後、群馬大学の4回生3名の卒業研究(運動学習に関する)について、
少しプレゼンを聞いた。
自分自身が、少々、疲れ気味で、
working memoryの回転が悪く、
たいしたコメントはできずに、
反省しています。
いい考察をしてください。
実習前にもうデータをある程度とり終えている。
感心しました。

その後、21時半ごろより、
山口先生、臼田先生、浅川先生、山上先生と懇親会。
山上先生は、大学院GP「地域・大学循環型保健学リーダーの育成プログラム」による助教採用のようで、アクティビティのある大学院だと感じた。

業界のこと、脳のこと、認知症のこと、パラダイム転換のこと、
などなどを話し、
リハビリテーションは一律的に、同じ治療で同じ効果が得られるはずがない、
その視点について同調した。
もしそうであれば、ヒトはロボット(機械)になってしまう。
EBMの限界について、議論をしたいものだ。
それを認知症の研究者である山口先生が言われると説得力がある。

0時前に懇親会は終わり、山口先生にわざわざ高崎駅まで送っていただいた。
「脳を学ぶ」を教科書にしていただき、
「リハビリテーションのための脳・神経科学入門」が出たときは、
まさに衝撃的だったとの言葉をいただき、大変うれしかった。

先生の著書「認知症の正しい理解と包括的医療・ケアのポイント」は10000部を越え、
ベストセラーになっている様子。
全国を講演で飛び回っている先生の仕事ぶりを伺うと、
まだまだ、「ひよっこ」と元気が出た。
本年度が前橋で「日本認知症学会」を開催されるようだ。
帰り際に、著書まで頂き、何から何までもてなされ、
「疲労」が消去された。

翌日、朝、あさまに乗り、修学旅行の集団の号車になりながら、
東京経由で、5時間の長旅で、大学まで帰りついた。
この感じも順応した。
しかし、先週の栃木といい、修学旅行シーズンで、
よく、その集団に巻き込まれる。
「無」になるいい「練習」だ。
小学生らの声も聞こえなくなるぐらい「無」になり、
眠ることができる。
5年前、ヴィチェンツアからパリまでの夜行列車のクシェット(簡易ベッド)に乗るとき(いつも時間短縮のため夜移動していた)、
すでに、自分のべッドが他の大男らに占領され、「そこは私のベッドだ」というも、
その後、カーテンを閉め、12時間「無」になった記憶がよみがえった。

今日は「疲労」のなか、会議に出て、
少し書き進め、早めの帰宅をした。
その甲斐あってか21時からの「BS i」の番組、
「soul to soul」を観ることができた。
「Jumping Jack Flash」であった。
思わず、「プレシジョンベース」をおもむろに取り出し、
久しぶりに演奏した。

身体知覚はいいものだ。





人生というわかれ道

2008年05月27日 22時49分16秒 | 過去ログ

今日はAMが勝負と思い、「身体運動学」の「運動学習」の章を書き始めた。
今日の目標原稿用紙50枚と思い、書き始めたが、
どうも、旧来の「運動学習理論」、とくに、「古典的行動心理学」に基づく、
連合説の説明、そしてその限界点について論理的解釈を進めるにあたり、
その説明のところで止まってしまった。
別にそのまま書けばよいのだが、
どうも、情動が喚起されない。
これも、学習の過程であるなと思い、課題というものに、
人に情動は左右されると思い、
内側前頭皮質の仕事がnegativeにいっているな、と自分自身をモニターした。

明日の「発達脳科学」の「顔の認知と表情認知」の授業資料を30分ほどで仕上げ、
午後から毎週のごとく、3コマ連続授業。

リハビリテーション概論は国際障害分類をあたりまえに話す。
自動化された授業であるが、
本当は、さまざまな視点を与える必要があるが、
まだ、「ひよこ」、情報を与えすぎで、「情動」が喚起され、
「関心」を抱かなくなると、今後に影響するので、
その難関な視点はさけた。
しかし、今日の東大生や京大生も、こうした自動化された、
暗記するだけのものが「うれしいのだろうか」
それでは、creativeではないな。
いっそうのこと、完全チューターにして、
個々が個々を精神から鍛えるほうがよいかなと思う。
時代が時代なので、「自由」だといったい何をしたらよいかわからない、
「若者」が増えているからだ。

その後、2回生の「発達系理学療法学」
今日は、4、5ヶ月の運動・認知発達であった。
報告の仕方が、徐々にUP Dateされつつある。
人の振り見てわが振りなおせ。
人に教えることを通じて、学ぶとはどういうことかを
感じ取ってもらいたい。
ここにも「注意」や「情報化」の操作がいる。

3回生の講義に行く最中に、
本学は、円回廊になっている場所があり、
金子研究科長は左に、僕は右に同時に動いた。
それまで一緒に話していたが、分かれたのである。
すかさず、その現象に金子先生がつっこんだ。
視覚生理学者からか・・・

なんとなく、潜在的空間意識というものを考えた。
空間障害に対する創造が生まれるかもしれない。

16時20分からの3回生の「神経系理学療法学」では、
身体イメージの障害、体軸傾斜症候群、失語症をさらっと話し、
ゼミ配属のための、森岡研究室の案内をした。
研究室のゼミ生を募集します。
できるだけ、同じ目線で研究しましょう。

研究室に18時ごろ戻り、少し書き進めたが、結局は2000字程度に。
10分の1の成果に・・・思わず、自身に閉口してしまう。

京都回生病院の講演依頼、アール医療福祉専門学校の同窓会講演依頼に、
OKメールを書いた。
これでいよいよ、ふさがった。


院生の中野君が20時ごろ来室し、
これからの研究を確認、軌道修正し、
結局は明日の群馬大学の講義準備をした。

そして、肉体的に、「ヘロヘロ」状態になり、
廊下を揺れながら、歩いていたら、守衛さんに「大丈夫ですか」と
心配され、もう帰るべきだな、と思い、22時には帰ってきた。

明日は、5時間かけて、群馬大学に向かう。
浅川先生には、昔「血液透析患者に対する理学療法」に関して、
教えていただいた。
「近森リハビリテーション病院」在職中は、主な研究テーマが、
「代謝疾患の運動負荷」であった。
人の人生や志向性はどこでどうなるかわからない。

認知症研究で有名な山口先生には、
「脳を学ぶ」を教科書していただいたようだ。
この場をかりて感謝いたします。


JEROが歌っている「氷雨」に胸キュンするのは、
そのような「哀愁」がわかるようになった年なのか?
それとも若いころの記憶なのか・・・

そんなことを考えつつ、このブログをうった。


茂木さんのブログの「そうだ、これから海に行こう」で、
ゼミ生の論文紹介が面白かった。
ゼミ生が黒板に板書しながら、
説明するのには「論理的」でないとできないし、
何よりも、スライドと違って、温かみがある。
以前、MITのゼミをみたときも「模造紙」に書き込むスタイルだった。
以前にもいったように、「スライド」はカンニング的なものがあり、
ひとつやふたつの論文を紹介するのに、
それは必要ない、要約もいらない。
ダイレクトに読みながら、説明する。
それが、自身の論理トレーニングであり、
それこそが、認知が身体化される瞬間である。








愛おしさと切なさと・・・

2008年05月26日 00時24分49秒 | 過去ログ


今日は大阪・天満橋で講演をする。
地下鉄から降りると、なんだか大都会大阪だが、
イメージが違う。



それは中之島があるからか。
風景は無機質な建物だが、
大きな川に橋がある、それだけで、空気感が違う。
ここには梅田の息ぐるしさや、
難波のごちゃごちゃ感はない。



どことなし、パリのセーヌ川のシテを眺める風景に似ている。
そんなことを感じながら、
橋をわたると、なんだか、毎週の講演の疲れも飛ぶ。
フレンチもみつけなんだか気分がいい。
パリ・フランス、フランス・パリ。
どうもパリがあるからフランスということばが浮きがあがる。
個の力か。
システムも所詮、個の力に支えられている。
ベルマーレの中田でなく、中田のベルマーレという感じか。

一流の施設にいても、一流の大学であっても、
その個に思考力、展開力がなければ、だいなしだ。
個のニューロンが発揮することで、自己組織化もおこる。
そして、Re-bodyも。

そんなことも考えつつ、
都会もいいなと思いつつ、
やはり、パリなのかとおもいつつ、
大阪リハビリテーション専門学校に到着。

2時間の講演はおとしどころが難しかったが、
まずまずなものを話すことができた。
最近、スライドは単なる思考のトリガーにしかならず、
違う展開が多くなりつつある。
それも「メタ」的展開なのかもしれない。

その後、オーガナイザーの文野先生と談話。
熱い思いを確認した。
あとは、やはり、患者は「リハビリの理念には期待していない。」ということなのかな。
残された機能を最大限に使うという視点では。
特に多様性がない人生を送ってきた対象者の場合はなおもそれが強い。
従来の枠組みでの展開では懐疑的にならざるをえないのだろう、特にphysicsのみの視点では。
情動とは根深い。
人間は感情で動いている。
そこには、理屈(理念)でせめても通用しない。
なぜなら、驚かないからだ。

しかし、リハビリテーションには未来を創る強さがある。
人間復権とはそういうことだ。
Re-soul。

栄光とは過去にはない。
栄光とは未来にある。
その架け橋(ゆずっぽいが)は虹のように、
無機質でなく、そして、抽象的だ。
過去にすがるヒトの脳は、コンクリートの橋のようなもので、
常に今の自分に安定感を求めているのだ。
未来にかける橋は、そのようなコンクリートではない。

人間にとって「いかに経験が大事かを」最近良く思う。
それは脳-身体‐環境のダイナミクスであり、
Organization
でもある。

カオス感によってあまりにも閉ざされた世界(時代)。
その時代はめぐるめぐって、ベルエポックになることを祈る。




夕方、ならに帰る前にスティックケーキに魅力を感じ、
衝動買いした。
その代わり、五位堂からは歩く。
美意識のために(健康というよりそちらの意識が強い)。
鏡に映る自分は3割おちであっても5割おちにしない。

という美とはイメージであり、自己に向かう意識である。
それは最高次な意識でもあり、
自分は日本という土地に生まれ、
その美意識をもてる幸せを感じた。

生死を意識せず、そういう美や健康を意識する。
それこそが生命の人間らしい幸福感であり、
それを感じられるだけでも、Happyであり、
感謝するしだいである。

だから、些細な苦にも向き合うことが出来る。

しかし、自らの生死に意識をむかわさなければならなくなれば、
そうできないかもしれない。

しかし、そのときになって助けられるのは、
やはり、美を感じ、感動することかもしれない。
それも人から。


人間とは「はかない」「いとおしい」「せつない」ものだ。
そのことばのメタファーこそが人間らしさかもしれない。

「喜怒哀楽」の説明では、それらのことばはいいあらわせない、何かがそこに存在する。
日本語の美しさを感じながら、
昨日、今日と久しぶりの家での食事に、
家では久しぶり、半年振りぐらいのワインをあけた。

今日はシャトーローランであった。
パリを感じるために、思わず、youtubeで「Sous le Ciel de Paris」を観て聴いて楽しんだ。





ドキドキとワクワク

2008年05月24日 19時16分05秒 | 過去ログ


昨日は教育学部の音楽の准教授と話す機会があった。
ゼミ生の希望は音楽療法が増えたという。
いわゆる教職のためのピアノでなく、音楽療法のためのピアノである。
米国を中心として、音楽療法は広く認知されている。

我が国はというと、そもそもの文化の違いから、
なかなかそうもいかない。

音楽とは感情を喚起させるものであるが、
昨今の神経学的音楽療法はというと、
リズムというものを意識したものであり、
そもそもの目的とは少し違うようだ。

曲の調子による喜怒哀楽の推察は、
アフリカ民族に代表されるように、
われわれの身体にしみついた「筋感覚的」イメージの作動に基づいているのかもしれない。

その先生とはヴィゴツキーの視点で一致し、
教育においてヴィゴツキーの再認知が起こっているようだ。
今年は、ボローニャで学会発表するらしい。

自分にとって音楽とは「ドキドキとワクワク」感が今も続いている。
これは「よさこい祭り」の音楽にも通ずることで、
つねに新しいものを創造し、演出していなかいといけない、
いわば、聴衆者である他者を意識した「不確実性」である。
自分自身のみの世界であれば、この年になれば、そう「不確実性」はおこらない。

学会発表においても今の自分には「不確実性」が起こらないので、
他分野へも視野においた形で、展開していけば、またその「不確実」な意識に出くわすのだろうか。

脳は、「楽観的」なものをこのむ。
つねに「楽観的」な部分をのこしておかないと、とっさのときにその領域を使えないからだ。
その領域とは前頭前野を中心とした皮質であり、
少しは余力を残しておかないといけない。
しかしながら、常に「楽観視」すれば、
われわれは「他者」とともに「社会」を構成しているために、
自分の予測を超える事態に出くわす可能性もある。
憶測を超える瞬間である。

人間関係とはときに、その憶測を超える。
したがって、いつくるかわからない「不確実性」からは逃れることができない。
天災もそのしかりである。

将来のことはわからない。
しかし、そのいつおこるかどうかわからない「不確実」を自分自身に負荷し、
乗り越えていく自分を楽しむ、そういう生き方をすると、
その時々の行動に意味を持たせるであろう。

ネガティブ志向でなく、ポジティブ思考とは、
その不確実性を楽しんでいる自分のことだ。

今の臨床実習生にはそれを送りたい。
「不確実性」に立ち向かっている自分を、
自分自身で評価し、賞賛してあげてください。
それこそが、前頭葉の苦が喜に変わるときでしょう。

子供のときの、基地づくりなんかもその一つだし、
自転車で校区外に行った瞬間もその一つだ。
しかし、現状はというと、
日本の治安悪化のせいで、その感覚が生まれず、
今の大学生をみても、やはり、「安定」を求めている。
「揺らぎ」があってこそ、「安定」に喜びを感じる。
常時、物体のように「揺らぎ」がないのであれば、
大きな「振動」が来たとき、
あとは、その揺れに任せるだけで、自己制御ができない「脳と身体」になってしまう。

とにかく「精神的」な弱さは、その「揺らぎ」への自己制御能だと思う。

それでも世界は動いている。
楽観・安定と不確実・不安定のせめぎあいに、人生の意味がある。
筋書きの無いドラマとはそういうことだ。


「人生すべて勉強である」「経験こそが脳の栄養である」




今日は電車で奈良に帰ってくるとき、
またもや寝過ごすはめになった。

寝てないわけでないが、季節がそうさせてしまうのだろう。
いい季節もここまで、
これから梅雨に入り、暑さが倍増する。

今日、大学院博士課程申請書類を完成しました。
修士課程ともどもよろしくお願いします。

広く受験生を期待します。
連絡お待ちしております。

7月の学会のポスターが送られてきました。
久しぶりにエキセレントな表紙だ。


明日は、「大阪リハビリテーション専門学校校友会」で講演です。
大阪という物理的距離が、時に心理的安らぎを与えてくれる。

ドキドキとワクワクはまさに心理的振動をあらわした「楽しい」ことばだ。


さて、講演終了すれば、1ヶ月でエンジン全開でいきます。




原石からセンスを生み出す

2008年05月23日 08時14分21秒 | 過去ログ
木曜は雑誌「理学療法学」に送る
「痛みの脳内機構」の引用文献を確認し、
完成させる。
研究室のHPにUPできれば、
そうしようと思う。

科研費の報告書類をこれも完成させ、
印鑑を押す。

そして、次年度開設予定の「畿央大学大学院健康科学研究科博士課程」の
申請書類のシラバス修正、
そして、自らの「就任」に関する「履歴書」、
「教育研究業績」を、
前回の修士課程から2年間、さわっていなかったので、
追加する・・・しかし、終わらない。
2年間で原著論文が19本増えていた。
まずまず、とするか。
その間、単著も書いているし。
いや、IFつきでないので、まだまだとしないといけない。
この2年は、やはりその点で問題であっただろう。
批判が出ても当然である。


午後は会議を2本出席し、
その後院生の藤田君のデータを確認しながら、
高濱君も研究室に。
難解なテーマだけに、先行研究の調査能力に、
その研究の質は決定する。

学位論文とは、学会発表の抄録でない。
先人たちの業績に徹底的に触れること。
適当に、ある事象、ある思い、あるいは、ある数本だけの論文で、
「研究仮説」をつくるのは、単なる「自らの先入観」にしかすぎない。

この際、「図書」をそのまま引用するのはやめたほうがよい。
原著論文をつくるためには、原著論文を徹底的に読むことだ。
それを補完する意味での「図書」にしたほうがよい。

昨今、自らの学会誌である「理学療法学」や「作業療法」を軽視する感がある。
しかし、毎回送られてくるその雑誌を熟読しなくても良いから、
目を通すぐらいの「臨床家」であってほしい。

そこには、文章展開、図表の置き方、書き方など、
いろんな「注意」が喚起される。
繰り返すと、それが脳内に蓄積される。

いろんなところへ「注意」を向けられる、
それが応用力であり、適用力である。

研究への「注意」も臨床への「注意」も同じだ。
それは、いくら「勉強」の量を上げてもつかない。

センスとはそういうものであり、
その感覚を得るということがまずは大事だ。

そのセンスはスキルであり、
トレーニングすれば造られる。


21時過ぎに指導を終え、

まだまだ、「教育研究業績」の書類作りはつづく。

但馬長寿の郷の小森先輩から講演依頼。
いよいよ「秋」から「冬」がどうなることかと思う。
前日に東京より帰り、そのまま兵庫へ。
そして、講演し、そのままウイーンへ旅立つ、となるのか・・



内臓感覚が顕在化されるということ

2008年05月22日 08時10分47秒 | 過去ログ
三苫さん(新姓、池田さんだったかな)の熊本での仕事ぶりをみて、
地域に根付きまじめに仕事をしているなと「とくだね」で観て、
出勤。

本当は、昨日は大学の創立記念日でお休み。
昨年はそれを知らずに(多忙にて)そのまま大学に来て、
あまりの静けさにびっくりしたことを覚えている。

今回は自分の授業日だったためにそれを知っていた。
自らの予定記憶によって認知される場合がある。
これは前向き記憶であり、前頭葉のワーキングメモリの機能である。
様々な場所に高齢者が出向き、筋トレなんかをおこなっていた事業があったが、
最近はあまりブームでない。
こうした効果は、単なるトレーニングではなく、
そこに出向くための準備をすることに意味がある。
何時におき、何時に出て、何の交通手段を使って、どのように行くのか、
そして行けば、対象者同士に対話。

これらが脳を活性化し、運動の準備をつくる。
まったく運動には関係ないと思う、この一連の行動が、
運動にも大きく影響する。
それが脳のなかの身体に対する効果だ。
それは外から定量的には計ることができない。
それに気づいていれば、効果がある、なし、という紋切り型の研究デザインをしないであろう。
もう1ランク上のデザインを求める。
そう福岡学会のRCT研究デザインで考えた。

創立記念日に同じように大学に出て、博士課程申請書類の準備、科研費の報告書、
そして遅れている「理学療法学」の総説論文「痛みの脳内機構」をAMに書きながら、
Clini RehabiliのReviewerのコメントを読み、
PMより共同研究している村田病院へ。

その途中、福本先生と阪大における研究について話し、
そういえば、ロボットサッカーで有名な工学部の研究室である浅田先生が、
身体像に関して引用してくれていたと記憶がよみがえる。
製品開発事業への展開も考えた。

村田病院では脳血管障害の研究デザインを富永先生らと確認し、
介入効果を検証する作業に入る。

院生の大植君の論文を確認し、
スタッフである市村夫人、末吉さんにわざわざ大学まで送ってもらった。

帰った後、19時ぐらいに院生の藤田君とあい、研究の進捗状況を確認し、
科研費の報告書類を記載した。

家に仕事を持ち帰ったが、昨日は、身体を感じたため、本日に残した。

ここにきて、福岡学会~栃木の内臓疲労が身体へときている。



平成20年度大阪リハビリテーション専門学校 校友会 講習会

2008年05月20日 23時50分10秒 | 過去ログ
平成20年度大阪リハビリテーション専門学校 校友会 講習会


日時 2008年5月25日(日)10:30~17:00 
会場 大阪リハビリテーション専門学校
内容
記念講演「認知症を正しく理解しよう」(10:30~12:30)
[講師:博野 信次 先生 神戸学院大学大学院 人間文化学研究科 教授]
部会研修会[PT・OT・ST部会]  (14:30~16:30)
・PT部会研修会「リハビリテーションに必要な脳科学」
[講師 森岡 周 先生 畿央大学大学院健康科学研究科教授]
・OT部会研修会
「脳血管障害の全体像の理解~実技を中心とした治療手技~」   
[講師 森 功一 先生 社会福祉法人 琴の浦リハビリテーションセンター]
・ST部会研修会 「遊びを治療的に使う」       
[講師 岩崎 清隆 先生 群馬大学 医学部保健学科 准教授]

終了予定(16:30~17:00)




強靭な肉体への進化

2008年05月20日 23時45分47秒 | 過去ログ
月曜日、五位堂を10時に出発し、近鉄、新幹線、そして東北新幹線を乗り継いで、
栃木の矢板に。

日本の原風景を宇都宮からの路線で感じた。
3年ほど前に那須塩原に冬の雪が舞う中来たことの記憶がよみがえった。
翌日、フランスへたたないといけず、このまま雪が降り続いて、
交通が麻痺したらどうしようと思って、講演どころじゃなかったことを記憶している。

矢板駅から塩谷総合病院へ。
実習訪問を行い、
実習生と話をする。
なんとかやっているようだ。

「人は見た目が9割」という新書がうれるように、
インテーク、ファーストインプレッションが大事な場面もある。
非言語的コミュニケーションに加え、
悪気がなくとも、反射的に出現してしまう「言葉使い」、
それもいったん、前頭葉のワーキングメモリにおき、
意識的に改変していくことが大事だ。

自然と、それは潜在化する。
そして、メタをきかして、使い分ける自己に出会う。

18時より実習施設に行っている無償による講演。
神経可塑性、運動の脳内シミュレーション、そして、心の理論のさわりを超特急講義で進める。

21時前に終わり、みなで宇都宮に。
塩谷総合病院のスタッフと懇親。
みな、人柄がにじみ出ている。
仲のよいスタッフを感じると、自然とうれしく、笑顔がでる。
こういう講演はよいなとしみじみ感じる。

どっかの・・・会とは大きく違う。
なんとか、この業界の10年先を考え、
よき方向性へ進めていきたいものだ。
大学の教員のはしくれかもしれないが、
そういう共感的態度に出会うと、
人としての「こころ」が感化される。

0時過ぎに終わらせていただき、
宇都宮前のホテルに。
2時前に就寝し、4時半に起床。
テレビをつけると、
関東地方は大荒れとなる模様、と聞き、急いで身支度し、
6時過ぎには新幹線に乗り、
そして東京へ。
もっとゆっくりしたいと思いながらも、
東海道新幹線に乗り継ぎ、京都。

眠り続けていた。

12時過ぎに大学に戻り、
急いで食事をとり、
13時から1年生の授業へ。
今日は、不快刺激を与えず、ソフトに快刺激を加え、
以前までの講義との「差異」を出現させるよう、
タッチケアを含め進めると、まずまずに。
注意の持続も延ばしていかないといけない。

前頭葉がどのように育つか。
教師としての仕事にかかる。
しかし、70名以上は多い。
これが20名なら、なんとでもなる自信はある。
それは、「心の理論」を勉強し、研究している自負でもある。

続いて、14時40分から、2年生の発達系理学療法学。
今日からプレゼンが進む。
他者を意識し、視覚的、言語的、そしてジェスチャーなど、
それらを統合しながらプレゼンを心がけてもらいたいものだ。
初回にしてはまずまずのスタート。

目と手の協調や、視覚の発達、そして引き起こし反応などにみられる前向きモデルの付け加えを行った。

16時20分より3年生の講義。
前回の失行の講義があまりにも難解だった反省もふまえ、
今日は右半球と左半球の機能特性から、
neglect症候群、apraxiaを考えることの重要性を
神経科学的仮説から述べた。

難しいとは思うが、
前回よりは目が生きていた。

とにかく、USNの単なる現象、単なる検査法、単なる刺激方法だけを知っていても、
USNは治癒しない。
そこには神経科学的仮説を自らの思考にぶちこみ、
一例一例診ていくしかない。
その仮説がない人間は、
「この患者はUSNがありまして・・・・」と必ず言い訳をしてしまう。
それでは、10年先のリハビリテーションは存在しない。

講義を終え、
膝に力が入らず、抜ける瞬間とはこういうものだと思い、
大学院博士課程申請のための、遅れている書類を書く。
明日もそれをしないといけない。

院生の川崎君がせっかく1ヶ月前に論文を書いているのに、
まだ目を通していない。
彼が研究室に来てくれたにもかかわらず、申し訳ないことをした。
明日には修正をしたい。

その後、院生の前井さんが来て、アンケート結果の確認。
そして認知症関連の学会へのエントリーを確認し、

21時過ぎには仕事を終え、
帰宅し、休息し、これから、少し遅れている仕事を進めて、
2時間後には眠りたい。

前井さんから、同級生である高知の教え子の三苫(旧姓)さんが明日の「とくだね」にでることを聞いた。

それにしても、強靭な肉体であると、自分が一番驚いている。