森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

ニューロリハセミナーを終えて

2013年09月30日 18時50分30秒 | 日記
昨日,一昨日とニューロリハセミナー応用編を開催しました.全国各地から300名を迎え,7講座を提供しました.応募開始10分で定員に達した講座ですが,逆にそれは我々にとって緊張感を与えるものです.報酬価値をどこに設定しようかといつも迷いますが,首尾一貫して,2013年までの論文を含めて多くの情報を伝えようという意識は,4年前にスタートした時から変わりません.

情報過多であることは自己認知していますが,簡単に伝えてわかったと思わせるよりも,その情報を受講した方々が自己の興味に基づいて利用され,それを臨床という行為に変えていただくことを願って情報を多く提供しています.人の興味・関心ごとは環境によって大きく変化しますから.僕の好きな言葉に簡単なものは疑ってかかれ,というものがあります.巷のさまざまな講習会において,結構暴力的に情報を都合のよいようにゆがめている講師(人気)も見かけます.

そして,何よりもこうした情報のシャワースタイルは僕らの好みなのです.好みで有る以上,中々変えられません.行動は感情に支えられていますから...

情報を多くもらえることは,いろんな方向性を想像したり,考えることができます.それが創造性につながるものと思います.ニューロリハビリテーションという概念っは,神経可塑性や運動学習といった狭義な学問・臨床体系でなく,対象者を多面的・多角的にみながら一人の個whole bodyとして見ながら関わることを後押しするものだと思っています.

今回はその意図から,情動で始まり社会性で終わる,そして身体性を含むというプログラムとしました.上肢運動制御や姿勢歩行制御はその枝です.人間復権というリハビリテーションの意味をこのプログラムから考えてもらえればと思います.いずれにしても,皆さんの熱心な受講によって私たちは助けられました.皆さんにお会いできたことを感謝いたします.臨床編でお待ちしております.ありがとうございました.

ニューロリハビリテーションセミナー応用編!

2013年09月28日 09時53分37秒 | 日記


奈良は雲一つない晴天に恵まれました。思い起こせば、昨年は同時期に台風が直撃するということで、急遽プログラムを前倒ししたりしながら、14時前に終わるように変更し、対応した記憶があります。結果オーライなんですが、各地に帰られる皆さんの新幹線等が止まる事なかったようです。1本違えばとまった、との連絡ももらい、我ながら、そのときのうちのメンバーとの意思決定には、一定の評価をしたいと今でも思っています。これこそ不確実性に対応する脳の機能だと思いました。その背景には、最大限の「おもてなし」精神があると思います。オリンピック招致で有名になったこの言葉でありますが、私たちメンバーは昔より日本人のこのおもてなしの心、すなわちこの身体的な脳の機能による他者への配慮は、もっと評価されるべきと思って、いつも議論していました。いや、評価されることを目的としていません、もっと日本人は日本人を尊敬すべきだと思っておりました。他者のために自己が責任をとる(腹を切る)、この武士道精神は代々私たちに脈々と受け継がれています。目先の自己の利益に執着せず、広い心を持ち、優雅に生きる。そういう人生を目指したいものですね。

さて、今回は応用編です。実は、この応用編が肝になります。臨床編に目が奪われがちですが、いかんせん紋切り型になってしまいます。運動麻痺や、USNや、などと。そういう細分化されたことに焦点化する前に、人間とは何か、を今一度考えるのが応用編です。私の著書「リハビリテーションのための神経生物学入門」のベースです。運動を見る前に、その人間をみよ、そして自己を省みて、他者との関係性を考えてみよ、というものです。しかしながら、いかんせん、理解を促進させようと思えば、情動、注意、姿勢などと細分化してしまっています。しかしながら、その根幹の人間のシステムというのは、実は共通なんだ。情動や社会性、はたまた上肢と道具との関係、あるいは身体性というのは、人間の脳ではシステムとして作動しているだ、と想像を膨らませてもらえればと思います。

延べ306ページの資料。7講座あります。1講座で使用するスライドはおそらく100枚程度。そのままおおよそで換算しても1.5日間で700枚の情報量。取捨選択を重ねた結果ですから、この倍以上は作成していると思います。したがって、実質的に1400編ぐらいの読破じゃないでしょうか。これは、前述したように、とても理解を促進しようとしているのか、と矛盾を起こします。しかしながら、我々教育研究者は、世界で公表されているありのままえを伝えたいと共通の認識をしています。わかった、という気持ちにさせるのは実は簡単です。脳は脳をバイアスによって操作することができるからです。錯視に代表されるように、私たちが錯覚として意識を形成しているのと一緒です。しかしながら、わからない、ということを経験させる方が科学の発展のためには、もっと重要なのです。わからないのであれば、その後自分の目で確かめる、この能動的作業を通じて、自己に概念が形成されていくのです。概念は視覚だけでも、聴覚だけも形成されません。自己の行為を通じて形成されていくのです。

いずれにしても、速い講義が展開されると思いますが、自己意識のもと、関心事に焦点化させながら、経験をつくっていってもらいたいと思います。おおよそ研究成果の出典は資料に記載していると思いますから、興味が引かれたものをその後紐解いてみてください。みなさんにとって有意義な2日間となるように。

メタ認知能力に向けて

2013年09月18日 17時49分54秒 | 日記
今日は午後のすべてを利用して、4年生が実習のときに担当させていただいた症例を通じて、3年生、2年生、1年生に対してレクチャーする会でした。それぞれ2~3名の1年生や2年生、そして3年生に対して、用語や内容をその理解度から使い分けながら説明するというものです。むろん、1年生と3年生は授業の進行度が違うために、同じ資料を用いても、しゃべる内容を変え、そのスピードも考慮しなければなりません。ここにメタ認知能力がいかされるのです。メタ認知能力は社会的行動を支える人間の機能ですが、それは自然に行動し考える自己に加えて、自己の認知や行動をチェックする機能を備えなければなりません。すなわち、モニタリング能力です。しかしながら、これだけではメタ認知能力は完成しません。下級生の視線、表情、理解度の類推などから、その都度状況や対象者にあわせて行動を修正するコントロール能力を養わなければなりません。その際、やはり重要になってくるのはアイコンタクトです。そして、すべてを理解させようという一方向性でなく、向こうからはどのように見えているだろうか、何を感じているだろうか、そして2年前の自分はどうだっただろうかという、他者視点プラス自己の回帰が必要になってきます。こうした能力は患者さんをみたり、学生をみたりする私たちの仕事には直接的に関係します。むしろ効果はここできまるといっても過言ではありません。脳でいうと前頭前皮質だけでなくTPJも大きく関与しています。

そして、もう一つ、現4年生は1年生のときの自分、2年生のときの自分を回帰しながら、あのときは全く理解できていなかったが、今は違う。自己は成長できているのだと、自己を強く自覚することが大切です。そしてその成長は自己の意識だけでなく、他者の援助によってつくられているものだと思うことです。そして1年生は2年生、3年生、4年生になるにつれ、自分がこのように成長して行くのだとイメージしながら、先輩達に尊厳を持つこと、それが技術を伝承して行く心を形成していきます。だから、細かい知識や記憶の形成は、この会の本質的な目的ではありません。なぜなら、リアリティのない記憶に対しては重みづけられないからです。むしろ、この上下の関係による過去–現在–未来の自己の想起を意識できること、この事自体が教育的本質の意味なのです。そこに気づけるか、気づけないか、それがメタ認知能力でもあるかもしれません。教員はファシリテーターなのですが、その教員をみてもそう感じるわけです。

9月~12月の講演

2013年09月05日 22時30分03秒 | インフォメーション

2013年度日本認知科学会サマースクール
日時: 2013年9月2日(月)13:00 ~ 9月4日(水)15:30
場所: 神奈川県箱根市 箱根湯本富士屋ホテル
セッション(2)「身体性・社会性の認知科学と医療の接点(仮)」
コーディネータ:嶋田総太郎(明治大学)
講師:森岡 周(畿央大学)



senstyleセミナー
テーマ ニューロサイエンスから考える脳卒中リハビリテーション
講師 森岡 周先生(畿央大学 教授)
日時 平成25年9月8日(日) 10:00~15:30(受付開始9:30)(予定)
会場:医療法人おもと会 沖縄リハビリテーション福祉学院 沖縄看護専門学校


日本理学療法士協会心理精神領域理学療法セミナー教育講演
日時 平成25年9月14日(土)10:00-11:30
テーマ 「社会的コミュニケーションの神経基盤~社会性の問題を精神障害の側面から考える~」
場所 土佐リハビリテーションカレッジ
講師 森岡  周(畿央大学 教授)


合同会社geneセミナー

テーマ 神経科学から考える脳卒中リハビリテーション-運動機能回復のための臨床手続-~名古屋会場~
講師 森岡 周 先生 畿央大学 健康科学部 理学療法学科 教授・理学療法士
開催日時 平成25年9月15日(日) 10:00~16:00(受付9:30~)
会場 名古屋市中小企業振興会館 7階 メインホール 愛知県名古屋市千種区吹上2-6-3


平成25年度全国大学保健管理協会近畿地方部会保健師・看護師班研究集会
日 時 平成25年9月19日(木)
場 所 畿央大学 冬木記念ホール
テーマ 脳の発達と社会的コミュニケーションの関係
講師 森岡 周



畿央大学 ニューロリハビリテーションセミナー応用編

日時 平成25年9月28日(土)、29日(日)
テーマ 身体性の神経機構
場所 大学冬木記念ホール


旭川リハビリテーション病院特別研究会
日 時 平成25年10月5日(土)~6日(日)
場 所 旭川リハビリテーション病院
テーマ ニューロサイエンスから考える脳卒中リハビリテーション
講師 森岡 周


医学書院 2013年度 理学療法教員サポートセミナー
テーマ どう教える? どう学ぶ? 神経理学療法 授業を“組み立てるコツ”,伝授します!
日時:2013年10月12日(土) 13:00~16:30
講師:森岡 周
会場:東京都文京区・医学書院 本社2階 会議室
定員:70人


Q.o.A.A.特別研修会in新潟
日時 平成25年10月13日(日)
場所 新潟保健医療福祉専門学校
テーマ  ニューロリハビリテーションからみた痛みと情動
10:00~12:00 『情動と痛みの神経機構』森岡  周
13:00~17:00 『痛みのニューロリハビリテーション』 信迫 悟志



第21回日本物理療法学会学術大会
会期: 2013 年 10 月 19 日(土)~ 20 日(日)
会場:神奈川県立保健福祉大学(横須賀市平成町 1-10 -1)
特別講演 ペインリハビリテーションー臨床と神経科学の融合ー
講師 森岡 周



合同会社geneセミナー
高次脳機能障害の脳内機構とニューロリハビリテーション
講師 森岡 周 先生
畿央大学 健康科学部 理学療法学科 教授・理学療法士
開催日時 平成25年10月20日(日)
10:00~16:00(受付9:30~)
会場 大阪科学技術センター 8階 大ホール
大阪府大阪市西区靱本町1丁目8番4号


senstyle講演
講師 森岡 周、他
場所 神戸市 須磨区民センター
日時 平成25年10月27日(日)
テーマ 姿勢と歩行のニューロリハビリテーション


初台リハビリテーション病院 特別講演
日時 平成25年11月1日(金)18:00~20:00
テーマ 神経科学から考える運動学習
講師 森岡 周
場所 初台リハビリテーション病院

日本認知神経リハビリテーション学会講習会in 沖縄
テーマ 運動の脳神経科学、他
講師 森岡 周、他
平成25年11月2日(土)~11月4日(祝・月)
会場 沖縄県立博物館・美術館 美術館講座室


首都大学東京大学院 特別講義
日時 平成25年11月9日(土)
テーマ 認知運動科学理学療法特論
講師 森岡  周
場所 首都大学東京

神奈川県理学療法士会 講演
平成25年11月10日(日)
講師 森岡  周
テーマ 歩行と運動学習の神経機構と臨床デザイン
場所 国際医療福祉大学小田原医療福祉学部

神戸市立医療センター中央市民病院 講演
平成25年11月15日(金)
講師 森岡  周
テーマ 神経科学から考える急性期リハビリテーション
場所 神戸市立医療センター

宮城県理学療法士会 講演
平成25年11月16日(土)
テーマ 高次脳機能障害のニューロリハビリテーション
講師 森岡 周
場所 TKPガーデンシティ仙台


senstyle 講演
日時 平成25年11月24日(日)
テーマ ニューロサイエンスから考える脳卒中リハビリテーション
講師 森岡  周
場所 北海道札幌市


畿央大学 ニューロリハビリテーションセミナー臨床編

日時 平成25年11月30日(土)、12月1日(日)
テーマ 半側空間無視の神経機構、神経科学から考えるクリニカルリーズニング
場所 大学冬木記念ホール


第6回日本運動器疼痛学会
平成25年12月8日(日)
神戸国際会議場


トータルアプローチ研究会
日時 平成25年12月15日(日)
テーマ 高次脳機能障害に体するリハビリテーション(仮)
場所 東京、未定
講師 森岡  周


株式会社コスモリハビリテーションサービス 講演
講師: 森岡 周 先生 畿央大学 教授
開催日: 平成 25 年 12 月 22 日(日曜日)
会 場: JA 共済埼玉ビル 大会議室
時 間: 10時30分~15時30分
タイトル:「基本動作のニューロサイエンス

9月22日(日)は大学院入試、21日(土)はライブです。


認知科学者とコラボに向けて

2013年09月03日 00時00分55秒 | 日記
明日は認知科学会サマースクールで講演をします。明治大学の嶋田総太郎先生よりお声をかけていただきました。明日はすべて認知科学者の中に乗り込んでいきます。温泉宿に一人で、かつ認知科学者たちと泊まります。

リハビリテーション代表者として認知科学とリハビリテーション科学の接点を考え共同注意となるよう意見交換してきます。私は今でこそ脳の研究者のように思われていますが、もともとはバイオメカニクスを勉強してて、その後は認知科学へとなりました。非線形発達に興味を示し、ギブソンの生態学的視覚論などを勉強し、エコロジカルアプローチに関して文章を書いたときもありました。その後は知覚全般に興味が出てきて、アリストテレスからメルロポンティやゲシュタルトクライスやモルフォロギーへと進みました。もうだいぶ記憶に残っていませんが、久しぶりに昔の本を読んでみたくなっています。明日は慶應の元総長の安西佑一郎先生ともお話できると思います。私が脳の勉強に入るきっかけになった「認知科学の新展開(岩波書店)」は今なお色あせないシリーズです。

スライドは未完成ですが、未完成なまま講演して、コラボを体感してきます。しかしながら、会場は箱根、早朝に奈良をたたないといけません。それが少し憂鬱です。温泉街ですが、仕事なわけです。。。昨日博多から帰り明日は箱根、そして週末は沖縄です。


ペインリハ学会を終えて

2013年09月02日 11時26分39秒 | 日記
金曜より博多に向かい、昨日夜に帰宅してきました。今回はダブルヘッダーということもあり、少し大変でしたね。金曜日、日本ペインリハビリテーション学会の理事会、懇親会に出て、台風の進路を横目に今後のことを建設的に確認できました。あと数年基盤作りとなると思います。次年度に開催することになった第19回日本ペインリハビリテーション学会は9月に大阪で開催する予定です。私が大会長を仰せつかりました。信迫準備委員長をもとに準備をすすめてまいります。懇親会終了後、22時過ぎには翌日一緒に講演する松尾先生のもとに向い、飲み、そして兵庫医大の竹林先生を待ち、信迫氏とともに懇談をしました。1回目の懇親会はしごです。

翌日はセンスタイル様の主催の講演を午前中2時間半にわたり行い、そのバトンを松尾、竹林、信迫の三氏に渡して、会場を後にしました。信迫氏も一旦後にして、翌年のための開場下見です。沖田実大会長の講演になんとか間に合い、その後、東京大学の住谷先生の講演の司会をさせていただきました。その内容は認知神経科学からみた疼痛医療であり、疼痛患者の体部位再現の問題から始まり、モーターコマンドと感覚情報の解離、空間無視とCRPS患者の類似的現象、そしてそのメカニズム、自己中心空間の問題や身体イメージの障害など、最新のillusory line やmental number bisectionなどの話題もふまえて、お話いただきました。こう考えると、疼痛患者は、もともとは脳にダメージがないにもかかわらず、結果として脳損傷と似たような機能不全を来していることから、慢性化から脱却できないと認識することができ、最終的には運動麻痺の神経メカニズムや高次脳機能障害の神経メカニズムが適応できるわけで、したがって、脳損傷者に対応したリハビリテーションの適応となることはサインスから考えて間違いないと思う訳です。出力系と入力系の食い違いを考え治療を考える。これが新しい疼痛医療の考え方でしょうね。なぜなら、身体局在の疼痛が主たる問題ではないわけですから。それはあくまでも結果にすぎません。ある神経メカニズムについて彼と共通認識をもてたことは、今後の研究の方向性を意識づけることができました。特別講演後、講師のみなさま、関係各位と懇親会を行い、その後20時にはセンスタイルの方に向かいました。そこではセンスタイルの国中代表をはじめ、講演を終えた松尾氏、そして翌日に講演を控えた竹林氏と楽しい懇親を行うことができました。竹林氏の方向性やいくつかの治療にみえる適応性や問題点を共通認識することができました。彼の翌日の講演が聴く事ができず残念でしたが、まだうちで呼ぶ事ができればと思います。ただ聴くだけでなく、インタラクションしないと彼も成長できないと思いますし、我々も成長できません。その後、ペインリハ学会で発表している前岡先生や出版社、書店の方々もお見えになり、遅くまで飲む事になりました。2回目の懇親会はしごです。

日曜日は一般演題等を聴きながら、原稿を修正するといった時間を過ごすことができました。また午後には、整形外科、心療内科、心療内科看護部、リハから慢性疼痛にどのように関わるかを考えるシンポジウムをきき、特に心療内科の看護部からの現象を概念化していく作業に感銘を受けました。有意義な時間を過ごすことができました。患者の病態を現象からとらえる、そんな当たり前のことが、治療法優先だとなかなかできないのも実情です。考え、考え、考え、そしてストラテジーを考案する、そこが基本だと思います。

さて、一般演題の中からうちの研究室の今井亮太君が優秀賞に選ばれました。私も知らされておらず、突然のことで、うれしい思いになりました。努力は裏切りません。彼には院に入ってからは厳しく接していますが、それにへこたれる事なく、毎日臨床、そして臨床研究にうちこんでもらっています。遊ぶ時間を削減してもやる意味があると思います。是非とも将来的に疼痛リハビリテーションを引っ張って行く一人になることを希望しています。長崎大のメンバー等といい意味でのライバルが出てきて、うれしい限りです。疼痛グループでは、昨年の信迫氏の優秀賞、ならびに運動器疼痛学会での優秀賞、そして今年は大住君の日本疼痛学会での優秀論文賞、そして今回と勢いにのっていますね。他のグループもこれに次いでください。

さて、私はまた明日より箱根です。日本認知科学会でディスカッションしています。司会は明治大の嶋田先生(身体性の空間、時間の一致・不一致で有名な)です。どういうコラボになるか楽しみです。学術振興会議理事長の安西先生など、著明な認知科学者がいらっしゃるということなので、緊張するか、私自身楽しみです。しかし、肉体はぼろぼろです。

脳科学と生命倫理

2013年09月02日 11時24分25秒 | 脳講座
BMIやNeuromodulationは一歩間違えば人の手で人を崩壊に導かせる技術になるかもしれない。と自分を律する意味でも問題提起しておこう。医療者も一患者のためと思いつつ、「生物としての人間」の一人として、そのものの本質的倫理を考える必要があると思う。おそらく、こうした介入は医療における常識的行為となることは間違いなさそうである。遺伝子治療やiPS細胞と時同じようにして。

DBSによるパーキンソン病の治療効果が示されている一方、うつ病の効果も示されている。しかしながら、この事実は感情のコントロールを外部から行うことができるということを暗示している。また外部からの物理的刺激(介入)は、人間の自由意志という問題にも接近してしまう。Libetによる問題提起は、くしくも自己の意識的な意欲を外部からの脳に対する何らかの刺激によって作動させることが可能ではないかという視点がうみだしてしまう。すでに粗雑であるがラットのサイボーグ化は可能なわけである。

常識は文化が変われば非常識となる。時が経てば非常識となったり常識となる。常識や非常識にまどわされず、常識でなく生物としての人間としての良識を問うべきと声を高く発せないといけない時がくるかもしれない。そもそも、平等にコミュニケーションをとったりする権利を主張すること自体が自然としての人間として不自然である。自然に存在する石や花々を見れば、同じであるものこと自体が不自然だ。生きて死ぬ私、それは定めである。どのように生まれるか、どのように死ぬか、どのように病気になるか、どのように障害になるか、そんなことを予知でき、みんな人工的に平等になる社会を想像したとき、果たして本来の人間の姿がそこにあるのか。自然(平等でない)だからこそ、できるだけ公平にという社会倫理的秩序を生み出してきたわけではないか。

自分の脳波で動かしたアンドロイドが行った倫理的に間違った行為を律したり、罰したりすることができるであろうか。これは身体(アンドロイド)、脳(人間)といった心身問題にも通じてゆく。そうかんがえれば、私の研究の一つであるNeurofeedbackもethics問題に抵触してしまう。他人の心を客観化できてしまえば、本音と建前を使い分けることができない、なんて不自然でストレスフルな社会になってしまうであろうか。。。


iPS細胞から脳の再生。脳損傷者の治療に少しの光が。と思うが両手をあげては万歳できない。ますます「人間の脳」は「人間の脳」をどうしようとしているのか困惑するのではないかと。「心」はどのように宿るのか。「意識」の来歴は?などとサイエンスを考えるとともに、「病」「死」というものをどう捉えるべきなのかと。実はここ数年、臓器移植に対しても、おなじような生物としての人間の存在・倫理を考えている。以前の医療者としての考え(特に腎疾患を研究していた来歴からも)しか持ち得ていない時は、諸手をあげて賛成だったが、今はそうではない。揺らいでいるというのが正確だろう。意思表示カードも以前はすべて○だったが、今はそのカードの存在すらわからない。自分は臓器提供しても、他の者にはそれを好意的には薦めないだろう。こういうethics問題は答えはでないが、どこかで人間とは何かと、自問することが大切だろう。そうでないと医療者は杓子定規的に決めてしまう。そして人間の脳は自分の生きてきた道を肯定するため、幅広い教養と幅広い意見から、対象者は判断すべきだと思う。

そういった意味でゴーギャンの絵画は実に的を得ている。「どこに向かおうとしているのか」人間とはそういう意味では面白い。

http://www.nature.com/nature/journal/vaop/ncurrent/full/nature12517.html