森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

・・・

2006年09月30日 22時07分35秒 | 過去ログ
中大脳動脈、脳幹、脳ヘルニア・・・
そして、皮質機能はすべて・・・
そして、前頭葉、側頭葉を取った。

脳卒中の恐ろしさを一人称で知った。
リハビリテーション対象者の画像ではない。
それ以前の問題に直面する。

母一人子一人、なんとか、まだ58歳10ヶ月だぜ・・・ お願いします。
「科学」とか「科学的根拠」なんていうレベルでない。
所詮、EBMなんて三人称の医療者のたわごとのようだ。


セレンディピティ

2006年09月26日 18時04分55秒 | 過去ログ
昨日は3回生に対して怒りまくったが、おおよそ3年ぶりぐらいである。
真の優しさとは何かを感じてもらいたい。
表面と深部。

安易に簡単な世界にいくべきでない。
君たちはまだ「何者」でもない。

隠れたものを目ざとく発見するそういう人生を歩んでほしい。
幸せとはそこにあると思う。
見えるもの、刺激だけ、そんな世界に生きるのは昆虫だ。

感覚も、観念も、ごくわずかな環境の認知によって触発される。

奈良県士会の研修部より講演依頼をいただいたが、依頼していただいたにもかかわらず、少し怒ってしまった。申し訳ないです。
臨床に直結するものを、と言われたが、安易に簡単な世界だ・・・

そういう観点で講習会に行くと、必ず責任転嫁を患者の病態やテクニックに向かう。
原因はあなた自身の思考にあるはずなのに。
治らないのはセラピストの思考(仮説)に問題があると常に思わないと、医学の進歩はない。
もう少し謙虚に。
お願いします。


いずれにしても、怒った後は自省がつき物である。
自分の浅はかさもどうかと思うが、それもしかたない、人(間)だから。


「偶然は準備のできてないものを助けてくれない」
これに尽きます。


「臨床」だとか、「研究」だとか、「教育」だとか、こんなところにも「要素還元」主義が蔓延している。
優れた人はどれでも長けているはずだ。
だって、すべては、仮説を検証するシステムだから。


結局自分を守ることしか考えいないのじゃないか?


向かうべきは対象者だし、その病態(怪物)なんだ。


単純な治療手続きの連続では、いつかこの世界はなくなってしまうよ。


10年先にセラピストが存続していると安易に安全基地に住み込むべきでない。


セレンディピティ!!


身体化された

2006年09月26日 06時32分42秒 | 過去ログ
一昨日は冬木学園60周年記念シンポジウムで養老先生と対談を行う。
養老先生の講演はリベットの意識と脳の問題、ルリヤの偉大なる記憶力者の物語などから始まって、少し聴衆者には高尚な話になると思ったが、即座に軌道修正を行い、日ごろ慣れ親しんでいる「同じ」「違い」の観点から話が進んだ。

この観点については、このブログでも過去に同じ視点で述べている。
それを読んでもらいたい。

いずれにしても、同じという意識に安心が得られるのは確かだ。
現代人のひずみはそこに出ており、同じでない意識に遭遇したときに「逆ギレ」が出現する。

これは、三つ子の魂百までといわれるが、まさにそうだと思う。
両親の役割が大きい。

その次は学童期かな、社会を知る第一歩なので。

幼児の「泣く」という行為は、乳児の「泣く」という行為と同じでない。
幼児には「意図的な関係」を構築しようとしている。
そのとき、徹底的に意識の違いをみせることで、怒ることが必要だ。

バリヤフリーの僕の意見には誤解がないように。
車椅子の物理的な問題にはもちろん推奨する。
そうでなければ過保護であり、車のカーナビと同じである。

「安全基地」「不安」の捉え方に養老先生と若干のズレを感じたが、議論が長くなりそうなので、やめる。
聴衆者のメインは養老先生なので。

いろいろ書き進めたいが、もう出張に出ないといけない。

先週の疲労が今頃来た。

身体化されてしまった。


YORO-MANIAX

http://members.jcom.home.ne.jp/dannyboy/yoro/


学校法人冬木学園創立60周年記念シンポジウム

2006年09月23日 13時13分14秒 | 過去ログ

学校法人冬木学園創立60周年記念シンポジウム

テーマ:脳と身体が織りなす心のデザイン~心豊かに生きるために~

講演:東京大学名誉教授 養老孟司 先生

対談者:畿央大学 森岡 周、司会者:渡辺幸重

400名定員に4000名のご応募誠にありがとうございました。

 


おっおっ~

2006年09月23日 13時09分09秒 | 過去ログ
高知大学教育学部スポーツ科学コースの4日間にわたる集中講義を終え、みんなの感想をいただく。

毎回なんだが、はじめてスポーツ科学コースの講義だったという意見を多くもらう。
これは地方大学の難しい問題が内在しているんだ。

「教育」優先にいくのか、「科学」優先にいくのか、という。
しかし、その分けるということじたいが本当の問題なんだと思う。

いずれにしても、行為や動作を科学することの面白さに気づいてもらう。
何かの視点が必要なんだ。
漠然としても埒が明かず。
受講した学生のみんな、濃い4日間でしたか?
さすがに毎日朝から夕方まで講義すると自然と顔を覚えるもんだ。
最近、いろんなところでしゃべるせいか、顔を一切覚えない自分がいる。
記憶とは、自分との関係性(空間)だけでなく、自らの時間制御にも関係される。

駒井教授と会食後、朝倉駅から南風に乗る。
岡山までほぼ爆睡状態。
7夜連続午前様懇親会で心身ともにピークをむかえていたことから、南風の揺れをまったく知覚しなかった。

岡山で新幹線に乗り換え、小倉に行くまでに、夜間部に何を一発目に話すか、少し考える。
30分ほどで気分が悪くなり、やめる・・・

小倉リハにぎりぎり入り。
教室に入るなり、おっおっ~となぜが思う。
かなりの年配の方々の比率が大きい。
「資格」優位ないやな感じが起こるかと思い、急遽、その場で話すことを変え、「子ども」を見る視点から、障害者を見る視点、そして、行為とは、などなどでほとんど費やす。
ピアジェ、ヴィゴツキー、ブルーナーの理論は駆け足ですぎる。

「Normal」なんてないんだよ。
普通に歩くなんて、いったいどういうことなのだろう、そこからスタートして欲しい。


「視点」を変えることを意識させた。

しかし、みなさんいい顔してた。
コミュニケートも問題ないし、GOOD!
1期生なのか、3年生だからなのか、いやそれぞれの能力、能動性なのか。
こっちもがんばります。
夜間の「なんでもない無駄な時間(例:昼休み、あいているコマ)」がないことによる関係性の希薄さはなかった。

現役学生諸君、無駄な時間と空間をどう生きるかがその後の人生を変えるかもしれないよ。

勉強ばかりでもダメ、機能性重視でもダメ。

21時すぎに講義を終え、中林先生にホテルまで送ってもらい、もう無理とばかり休む。

この1週間でおおよそ40時間ぐらいの講義・講演・演習授業などであった。


タイプする時間が全然なかったが、なぜか充実感がある。
今日・明日中に1本の原稿にはめどをつける予定だ。

卒論ゼミ生! 今は自分・友達でがんばって!(謝)



タフガイ

2006年09月22日 06時52分55秒 | 過去ログ
一昨日晩は近森リハビリテーション病院のみんなと懇親会に。
久しぶりに今井院長に会う。今井先生とは近森に同期入職の仲である。
41年生まれの若い院長によって、この大きな場所が、動きそうな予感が。
セラピストは「機能回復」にもっと目を向けるべきだという意見を聞く。
そう、そう。それでこそ、療法士!

「就職」「実習」など、よろしくお願いします。
相互関係性のシステムとして、僕も微力ながら。

若いセラピストの「感情」に出会う。
「不安」を持っている。
楽しみだが、自らの力でその「感情」を越境してもらいたい。
他人に求めても、必ずしも同じ「意識」とは限らない。

昨日晩は愛宕病院の新人たちと懇親。
新人からみた「問題」が浮き彫りになる。
その「仮説」を検証しながら、「効果(結果)」を残してもらいたい。
「不安」がない。
必ずしもそうではない(そうとはかぎらない)とも思わないといけない。

「不安」を持つこと。
守られているということが潜在的にあれば、そこからの進歩はない。

今日が高知大学の集中講義最後だ。
毎日4コマ(6時間)の授業の4日間は身体に影響する。
それ以上に京都から含めて7泊目。
毎晩の午前様の懇親がさらにその身体に影響する。

さて、今日は高知大で講義後、久しぶりにいやな「南風」に乗り、小倉まで。
小倉リハの21時までの夜間の講義に入る。

しばらくぶりに

2006年09月20日 18時15分29秒 | 過去ログ

さて、ブログ更新だ。しばらくぶりなので断片的な記憶に頼り、列挙中心になるだろう。

先週末はWCPT(バングーバー)のサブミットを行う。出すつもりはなかったが、地球の歩き方をみると8時間半で行けるようだと脳に情報が入り、近いなと思い、出そうと決心した。単純であるが、情報を取りに行く自分の能動性と近いという比較照合が入ってディシジョンしたのである。関係したみなさんの登録も無事に終わったようだ。気になるのがESC(グラスゴー)の翌日スタートである。もし、ESCに出したら、地球を一回りすることになる。UKは9年前の留学中以来入国していないので行きたいという気持ちがあるんだが。とそのような理由で・・・ 

忙しいので、きちんと登録できているか確認はしておらず。。。

そのまま京都へ。三条大橋の近くの洒落た創作料理屋とおしゃれなワインバーをはしごする。京都は店の雰囲気にいつも感心する。鱧、湯葉と、焼酎で。ベーシックコースの準備をしていないが、遅い到着だったのでそのまま寝る。

ベーシックコース初日。会場に着くなり、PCを取り出し、講義内容を決める。20分程度で完成。情報は多くは与えないことに留意する。脳科学はほとんどはなさず、認知機構、認知過程、運動学習システムについて行為の観点から話す。目からウロコだったならまずまずだったが、どうであったか。

ほかの先生の講義を聞きながら、原稿を打つ。dual taskだが、注意の持続は難しい。

夜は、準備委員、講師のみなさまと懇親。京の街中を歩く。ワインバーにはしごするが、何時に帰ったかは覚えていない。

たぶん4時間ほど眠り、2日目へ。自分の講義はなく、前日と同様に実習指導を行う。みなさん、意外と身体と対話できるでしょう。そのプロセスを体感し、その意味を洞察する、これほど実習は面白いことはありません。あとは他者に伝えるために、その運動、行為、知覚などなどが、どのような脳と身体のシステムなのかを勉強することが大事でしょう。普段何気ない行為も意味があるのです。

夜はレセプション、これまた雰囲気のいい店に。こういうところが本研究会はグレードアップしてきた。創造性である。認知の樹のプロジェクトもストレスにならずに自然体で。あんまし、過去は気にせずに。アドバンスのテーマを想定し、リンクすることが肝心。「概念」世界から「感覚」世界に。他人の目をむちゃくちゃに気にする必要はなし(むちゃくちゃというところに意味がある)。

みなさんとはしご、はしごで、どこに行くのやら・・・上京病院の勝山先生のいろんな知っている店に連れていただいた。古い町屋の中にはいかしたバーが。

4軒ぐらい行き、2時過ぎに帰る。摂南総合病院の本田、信迫、奥埜の3名はそれから4時までやったらしい。さすがに年か、翌日朝一の講義が理由か、ブレーキがかかる。昔ならもちろんやっていた。朝一、講義の準備は前日、他人の講義を聴きながらやったので、なんとか。山田先生の臨床講義は本当によかった。彼女の手続きにはいつも感心させられる。本田先生に感想を聞かれるが、山田先生の講義の出来事について応答し、渇を入れられる。

3日目の講義は、最新脳科学は一切触れず、大事な観点のみを話す。科学的ということはセラピストの「解釈」に左右される。「情報収集」「解釈」「仮説」「検証」「解釈」などの思考の循環を忘れずに。簡単な方向に流されないように。それが医学の進歩のためです。今の治療がいいのなら、10年先は進歩してないということでしょう。

京都での講義を追え、質問も受けずに、伊丹行きのバスに乗る。台風が来なくてよかった。無事に高知龍馬空港に到着。研究の話などをし、そして、教え子たちと談話しながら飲む飲む。ホテルに到着、仮眠をして、高知大学へ。

高知駅から朝倉駅までJRに乗るなんてはじめてだ。朝倉に住んでたのに。いろんな高校生に出会う。田舎ものが都市化を意識すると何ものこらないよ。もう少し、両親たちがんばりましょう。「おじさん化」したのかもしれないが、女子高生は「サル化」していると思った。

高知大学教育学部生涯教育課程スポーツ科学コースの講義に入る。15コマを3.5日で行う超ハードなタイトな時間割。1日4コマが続く続く。現象の観方からスタートし、科学的解釈を加えた。各自のスポーツ場面でのバイオメカに触れさせる。最終は歩行を目視で分析。今まで見えなかったものが見え始めると体験ができたと思う。

夕方どしゃぶりに逢いながら、八木研究室(高知大学医学部認知・行動神経科学教室)の懇親会へ。恩師も元気なようで。いろんな話をするが、最終的には今の研究室生のペーパーに話がシフトする。いろんな思考でいいが、みんな自分の行動にもっと眼を向けてみよう。そうすれば、自分が制御していけ、いい論文がかけるよ。あとは最終的には能力、妥協、センスっていったところかな。そういう自分も総説ばかりだ。最近は・・・ 原著を書きたい自分がいる。

2時過ぎにホテルに帰宅。さすがに5連ちゃんの飲みはつらいと思ったが、意外と元気だ。朝、JRで大学に行く。筋について連鎖の視点から演習を交えてバイオメカする。最終的には歩く行為の比較分析に。「差」を検出するプロセスが、大事。そこから見出せた「現象」に対する「仮説」を「理論」から生み出し、その「検証」のための「過程」そして「手段」を考える。意外な事実に遭遇してくれたと思う。いろんな研究テーマが浮かんだと思うし、漠然だが、トレーニング理論へも反映してくれると思う。たいした講義ではないが、教育学部に科学的な視点をいれることは大事だ。指導要綱のマニュアル化を防止する意味でも。

 

さて、今日も懇親会。近森リハビリテーション病院の懐かしいみなさんと。しかし、これも半分は仕事なのである。

 

みなさん、心配していただき「ありがとう」