森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

来歴回想

2008年02月17日 16時23分39秒 | 過去ログ

高知の朝、ポポロ東宝の跡地にはホテルが。
このホテルから出ると、以前の面影はない。
細い路地には、高校のときのたまり場があった。
そこでは、いつも学校に行かないものが、タムロし、
いろんな遊びをしていた。





その薄汚れた路地を抜けると、明るい帯屋町商店街に抜ける。
しかし、以前のような明るさはない。
ドーナツ化現象である。
地方都市は、イオンでお買い物!の影響で、
中心部が過疎地となる。
中心地の小学校は閉校になった。

ポポロ東宝の地下にはデポーという喫茶があり、
そこは、高校時代の朝ごはん(モーニング)を食べる場所であった。
遅い出勤ならず、遅い登校であり、
よくも単位がとれたな、と不思議である。
また、よくも金があったなと、不思議である。

高知と岐阜は喫茶店文化である。
モーニングセットが充実し、
休みは必ず、モーニングという生活である。
高知の女性は、男性にかわって大黒柱?というよりは、
働きマンなので、土日は、食事は作らない人が多いことによる文化ともいわれているらしい。
その代表が皿鉢料理である。
大皿にデザートまでのせ(仕出し料理屋に頼み?)、そのあとは男性ともども、
飲む、つまり懐石だと、いちいち、料理をしたり、運んだりしないといけないので、
女性も男性も飲み続けることができるための料理なのである。
結婚式も懐石でなく、このさわち(皿鉢)料理。
新郎新婦そっちのけで、ほとんどが宴会になっている。
その人数は芸能人の結婚式なみの数である。

そんなことをエピソード記憶による回想をしながら、
デポーの代わりに、ドトールに入った。
どこのドトールも同じ味。
それが、今のニーズである。
安心、安全を追求した結果が、こう。
スタバに代表されるように、そこには自己意識が発生しない。
機械的な店員の対応(サービスは抜群)。
しかし、表情が、作り笑いが否めない。
そこまでしないと、サービス充実といえない、日本の未来は、少々心配だ。

アーケードを歩いていると皇帝発見。
こっちの喫茶にしておけばよかったと後悔。

とにかく、僕にとって喫茶(カフェ)は生活そのものであり、
それは、高校時代の一人で生活していたときの落ち着く場所であり、
音楽を聴く場所であり、
そして、パリで生活していたときの、人波を観察し、
ものを書く場である。

飲み屋の梯子ならず、カフェの梯子なんかあたりまえ。

奈良は極めて少ないのが実情だ。
以前に、東大寺などに実習巡回していたころも、それを感じた。
それだけ、家で食事をする習慣があるのだろう。
どちらかといえば、ファミレスは充実しているな。

昨日は、結局帰ってきて、疲労困憊なので、寝てしまった。
寝るということはすばらしいことを実感しつつ、
寝ると、寝たいという欲望がわく。
今も眠い。

今日は、奈良県理学療法士会の新人教育プログラム。
世界の理学療法について、WCPTについて、そして
自らの欧州留学体験記を話し、
必ずしも自分のみている世界が世界共通でないことを話した。
海をわたると、こころが大きくなるよ。
目先のメリット・デメリットのみ意識すると、
行動が機械になる。
メリットということばはあまり好きでない。
シャンプーはいいが・・・(すみません)

来年度からはオーストラリアの留学体験がある福本先生にお願いしたい。
もうこのテーマを話して、10年あまり。
情報も古くなっている。
最新の世界の理学療法でない。
古い情報から新しい情報へ。
地方士会にもどんどん留学しているメンツがほしいものだ。

来年度入学する院生と計画を打ち合わせ。
大学に戻ってきた。

院生研究費の書類を書き、
メールをチェックし、
ねむさ倍増。

今日は家に帰ることにします。