森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

揺らぎと未完成

2008年02月25日 22時45分39秒 | 過去ログ
今日は、少し大学に行き、雑務をして、
3年生の評価実習施設の訪問に出る。
「ちょっと、今日は研究室で処理したいものがある」
その自らのこころと決別して、
河内の病院へ。

順調を確認し、その表情から、安心を持った。

少し時間があったので、今里の病院に向かい、
院生の計画書を指摘し、

そのまま、河内に戻り、老人保健施設へ。

今が成長の過程。

そんなことを感じながら、

「喜怒哀楽」とはよく言ったものだ。

と、人間らしさを感じ、

「四苦八苦」の意味を再認識し、
20代前半の「こころ(精神)」のはぐくみの重要性を感じた。
「他」ばかり気にして、「自己」を意識していない。


PTだろうが、なんだろうが、あんまり「意識」せずに、
「人間」として、どう生きるかを考え、
「自己中心的」志向にならず、かといって、「他者」ばかり気にして、
自己嫌悪に陥らず、
どう生きるか、を悩んでほしい。

自己嫌悪とは、所詮、自己保護なのだ。

こころの揺らぎが、明日の自分を創る。

人生は、未完成だから面白い。

「うれしいことは手ごたえ」「かなしいことは口ごたえ」
自らの身体で、自らの心を感じることだ。
それが「わかる」を創発する。
「わかった」という私にしかない感覚は、突然生まれる。
付け焼刃で生まれないし、だれかの借り物でもない。



最近、いろんな人があとがきで「上辺」だけの脳科学者を批判しているが、

それも自己保護にすぎない。

それをしている「心意気」を計らず、
自分の精神の枠組みのなかのみで、否定している。

それは科学でなく、文化だといい、自らをある枠組みに落とし込み、
世界観を小さくしている。

「実験」「実験」といって他を知らず、自己を保護している人たちは、
「臨床」「臨床」といって保護している人たちに似ているし、
その小さな枠組みでは、突然変異は生まれないかもしれない。


小さい枠組みで争うことの醜さを思いながら、

「臨床」という「人間らしさ」の場を感じることができ、
今日は自分を自分が体感することができた。

久しぶりに、生き方、将来を思うことができ、

10年後、どう生きるかをイメージしてみた。

車を運転しているときか、歩いているときか、
はたまた、風呂に入っているときか、
そのときの、脳のなかのことばの結合(神経結合)は、すごい。


イメージと同時に、もう1回自分を不安定な揺らぎに追い込んでみようと思った。
時間を削ってでも(睡眠を減らしてでも)、色んなことを考えてみたい。

人間らしさを科学する。

人間探求学研究室にでも変更しようかと思うこの頃でありつつ、

高知のどっかで、細々と生きたいと思うこの頃でもあるし、

10年後の自分が10人ぐらいいる。

「生物らしさ」の「喜怒哀楽」とは?

それこそが、ロマンティックな世界観かもしれない。


静岡のみなさん、メールありがとうございました。

また、今年度の院生の受け入れを3名の方々で断ってしまい・・・
次の機会のお願いをしながら、

日本は狭い。
いつでも、どこでも、一緒に研究をすることはできる。

そして、世界も狭い。
いつでも、どこでも、飛んで行き、
共有できる。


人間コミュニケーション、それは「愉快」な「間の意識」だ。




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1 コメント

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Unknown (sakko)
2008-02-27 23:48:38
久しぶりの書き込みです.
う~ん.重い内容です.
私は,30半ばにして,まだ自己防衛ばかりで
自己嫌悪にいつも陥っています.
脱出出来ないのです.
いつも言い訳しています.
バランスがわからないのですね.
シーソーのようにぎったんばったんしています.
大きく・大きく揺らいでいます.
なかなか難しいです.
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