森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

力を抜くということ

2009年01月31日 05時56分52秒 | 過去ログ
昨日、午前中事務作業を適当に終え、
新幹線でいつものように岡山へ。
今年度最終授業を行う。
次週はテストである。
各自、準備をしておいてほしい。

昨晩は懇親会をせず、
まったくのまず、
ホテルに早く帰った。

そのおかげでUnicornに遭遇した。
皆、年をとったが、
ドラムの川西が50歳だなんて。
ロッカーはいいものだ。
テッシーは相変わらずだった。

EBIの弾き方も変わらず。
オリジナルメンバーであることに意味がある。
力が抜けた感じが良い感じだ。

仕事は何もせず、休息をした。
というのは、年間バイオリズムのようにやってくる腰痛のためだ。
シャワーを腰にあてても痛い。

今日、明日の講演は9時間ちょっとある。
とてつもない長さに悪化しないことを祈る。

今から岡山より宮崎に発ちます。

進化し続ける欲求、原点に立ち返る勇気

2009年01月29日 23時51分44秒 | 過去ログ
昨日、今日と事務的活動に精を出す。
今日は大変、自動的な一日であったため、
昨日、何をしたかを記憶していない。

ただ、原稿をチェックして、
出版社に添付書類で送信した記憶はある。
その後、12名の院生の最終審査日の調整を副査の教授陣にお願いにあがった。
12名の出勤の都合と照合しながら、
パズルを完成させた。

このような仕事は実習配置などで鍛えられているために、
何の苦労もないが、
他の仕事量が年々、
年に対して指数関数的に上昇しているために、
その時間が取れない関係で、
いつも事務的活動は後回しになってしまう。

試験前なので学生たちが来室し、
いろんな質問をいただく、
ピアジェの知能の発達を基に考える記憶・言語の発達との相互関係、
これに関する質問をもらい、
乳児から思春期に至るまでの変化を話した。



夕方、M2の藤田君、前井さん、M1の熊谷さんに来てもらい、
研究室の2年間の業績報告書の整理をした。
怠惰なせいか、ここにもこの2年間の蓄積が多いために、
時間を要し知らないうちに23時になってしまう。
遅い帰宅になり、
彼らは神座(かむくら) にむかった。


本日は、その続きを行い、
午前中はまさにパターンジェネレータ化した。
13時より大学院の環境デザイン関係のカリキュラムに関連した会議に出る。
大学院と一級建築士の関係性が変わり、
その対応に向かう。


14時半ごろ、M2の信迫君に来てもらい、
彼に資料をわたし、
その後、昨日3名におこなってもらった作業をしてもらう。
その間、投稿雑誌の検討を話した。

彼に作業を任せ、
自分は理学療法学科の会議へ。
国家試験が難しくなり、
その対応をどうすべきか議論になるが、
なかなか光明がみえない。

大学院生も学部生も、
レールを敷きすぎてしまうと受身になる。
しかし、野放しだと、方向性を見失い、フリーズしてしまう。
このバランスをどうとるかが難しい。
院生ならまだ1対1で向き合う可能性も見えるが、
学部生だとそれも難しい。
いずれにせよ、「信念」を自己に見出し臨むしかない。

記憶というものは、反復することが最大の武器なのだから。
ある程度、記憶が限界になれば、
クオリティを身につける。
それに感じる脳を身につけることだが。
これは注意機能に大きく左右される。
色んな学生・院生の作業精度を見ていたら、
最終的には思考力でなく、注意力に大きく左右されている。
メタ記憶というべき、
意識のスポットをすぐさま作動させるその機能に標準偏差が起こるようだ。
潜在的な意識を、注意機能によって、すぐさま顕在化させることは、
ある意味、トレーニングなのか、
それとも、センスなのか。
脳の電気信号の同期化の違いはどこから来るものなのか。

もはや、成人にはその同期化のコツを身につけることができなければ、
子どもにもどるしかないのか。
教育とは難しい、とここ数日思う。
awarenessという機能は、
単純な脳を活性化させるトレーニングだけでは身につかない。
だが、それをクリアするのには、
やはり、細分化機能なのかもしれない。
それには、関心と情動の作動がやはり大きく関与する。
生物学的な大脳辺縁系が、その鍵だと思うが、
それは他者がなかなか認知的に指導しても操作できない。

その教育をどうするか、
それは国家試験に通す教育よりもはるかに難関だ。
人間力をはぐくむ、生物力をはぐくむ、
いまの教育にもっとも必要な手続きなのかもしれない。

私の時代は豊かな時代。
この30代後半から40代前半はまさに、
自己中心的にこの日本で育ってきた。
それらが親となり、その教育力とは。
今一度、原点にかえるべきであると思う。
これは、「リハビリテーション」にもそう思う。




18時には今日も藤田、熊谷にきてもらい、8割完成した。
ありがとう。

お礼に臨床時代のケーシー姿、白鳥の湖を踊る自分、正月使用の車、ゼロヨン使用のZ、ヤク中のような顔、リーゼントに短ラン・ボンタン姿、高知医療の卒業式のワインレッドのスーツ姿、小学校一年生の無垢な表情、などの写真を見せた。


明日、その事務仕事を仕上げて、出張に出陣する。
あと1本の原稿は来週に行い、
再来週からは院生の修士論文の審査が目白押しである。


新しいプロジェクトも再来週から少しずつ進めたい。

2004年10月からブログをしていますが、
このgooに引っ越して、最初の背景に戻しました。
特に理由はないのですが、なんとなくです。



エモーショナルブレイン

2009年01月27日 23時58分39秒 | 過去ログ
今日はいつもより早く起床する。
寝る時間は一緒だったが目覚めがよい。
そのせいもあってか、いつもより一時間前に大学に到着する。
畿央大学着任当初は8時には出勤していたが、
年々、夜の仕事(大学院など)で、
労働時間の関係もあって、
遅い出勤になっていた。

ここ最近、寒いという知覚がいまいちであったが、
出勤が朝早くなったせいもあってか、
その知覚が幾分よみがえる。
子どものときは、
高知であったが、
毎日小学校への通学の際、
氷、霜は当たり前であった。
最近は、とくと見なくなった。
コンクリートジャングル化に自然現象も変化する。

午前中は、授業の準備や、
教育学部生のレポートを拝見する。
また、教育学部の学生から質問を多くもらう。
非言語的コミュニケーションをどのように育成するか、
その問題を脳科学の視点から考えた。

引用文献を30まで打つ。
学生の来室が多い。

13時より、理学療法学科の人間発達学の授業。
今日が後期最後であり、
試験概要について、質問を受けた。
発達における「情動」の重要性を再確認した。
たくましく生きるための生物の原点であると。

14時過ぎに一度閉めたが、
その後、教室にて学生の質問を受け、
結果的には16時になっていた。
ほどよいうれしさである。
いろんなことで学生と話すことが自分にとって色んな発見がある。
これが教育の醍醐味なのだろう。
共同注意すれば、道は拓ける場合がある。
閉じた脳でなく、開けた脳へ向かうためにも。


研究室に戻り、引用文献を50ちょっとうち、
「大脳皮質における感覚情報処理と運動制御の神経基盤」の原稿を終了させる。
あとは図のレジェンド確認のみである。

ここ3日間ほどで、
理学療法福井の「神経可塑性と運動学習」と、
理学療法MOOKの上記論文を完成させた。
注意の集中は限界に近づき、
今もタイプするキーがぶれる。

あと月末までに1本「脳科学の進歩と理学療法の接点-現在から未来」。
たぶん厳しいような感じだ。
明日、明後日と大学の事務仕事が山ほどある。


最近、湯水のように新しい論文が出ている。
この数年、大学院教育もあってか、
自らが主に論文を翻訳する機会が少なくなり、
時代が猛スピードに進んでいることに、
取り残された感を感じ、
どのように勉強すればよいか再吟味するときかな、と思った。


12名の大学院生たちの審査日を決めないといけなく、
その調整に焦っている。
BMIで私の分身となって誰か調整して欲しいものだ。
このような仕事(調整役)が妙に自分には向いていない。
議員秘書なんか、絶対になれないだろうと思う。


身体という自然現象

2009年01月26日 18時55分52秒 | 過去ログ
土曜日、岡山より五位堂に到着し、
その後、奈良リハまで移動する。
マイクロバスにて一路、信貴山観光ホテルまで。

軽食を終え、13時よりM2, M1の交流をかねた研究発表会
遠隔地の院生もいることから、
このような宿泊研修会のような形になってしまったが、
逆に、リラックスしてよい感じだ。

18時に終え、
研究の関係で、愛知まで急遽帰らないといけない吉田君を見送り、
天然温泉で一風呂あびる。
かれこれ、何日休んでいないのだろう。
そんなことを感じながら、
それでもこのように温泉につかる時間があるということ、
そして、人間らしく、生き生きと生きていること、
すなわち、「しんどい」とか「きつい」とか「つらい」なんかも感じられる身体を生きていることは本当に幸せなんだと、心をめぐらせる。
みんな、それぞれで悩み、苦しみ、楽しみ、を営んでいるが、
それは量では示されなく、
その経験を意味ある記憶にかえて、
自己の閾値を改変させることを楽しみにする。
自由度がある人生は、
苦しんでも幸せだ。

院生にはそれを感じてもらいたいし、
学部生のまだか弱い精神にも、
それを感じてもらいたい。
自由度が奪われた障害者の心を将来、
敏感に感じ取れるためにも。


19時より、研究室メンバーで懇親を行う。




宴会は2時ごろまで続いたようだが、
河村(こうむら)、平松と脱退し、
こうむら君と同じ年の私も0時過ぎに脱退した。

翌日の日曜日、6時半に藤田のこれでもかという目覚まし音に起こされ、
おかげで6時には目がさめたが、
そのおかげで、朝風呂を堪能できた。
露天では顔にここちよい寒さがささる。
人間は自然現象であることを感じた。
自然に生きると、
感じることができる身体を生きていることを知る。
昔の人の知恵は、
そういう身体の変化に応対したものだろう。
モノが豊かになるのに反比例して、
人間は身体から得る知恵をなくしているのではないか。
知識ばかりが進むが、
純粋に身体を使って知恵を養う。
この生物としての自然現象を失うと、
どのように進化してしまうのだろう。

信貴山のような田舎を感じると、
私の身体の大事だを感じる。
しかし、また同じことを自動的に行う仕事をすると、
それも感じられなくなるのだろう。
人間とは実に無理をして、
矛盾したことをしてしまっているのではないだろうか。







8時過ぎには雪が舞い始め、
9時に下山する際には早くも積もっていた。
自然の速度に驚いた。








10時より研修会の場所を大学に変えて
午前中、4名、午後6名ぐらいの研究成果、
ならびに計画を聞く。

学会形式に問題が残る。
もっとフレキシブルに、
そしてフランクに討論できないものか、
そんなことを感じながら、
人間関係というものは、
やはり形式ばってしまうと三人称の関係でしかないのかと思考をめぐらせる。

もし三人称の関係であれば、
やはり、個人の能力に大きく左右されるために、
大学院生一人ひとりがもっと脳(思考)を鍛えないといけないと感じた。
サッカーの日本代表のようなものである。
寄せ集め方式でやるならば、
最終的には個人の研究能力がぶつかることで創発しなければならない。
そのような研究室を作っていくことができるか、
少々不安である。

臨床でよく巻き起こる質問-応答でしかないような感じを受けた。
もっと細部に切り込んでいく、
そして、先行研究の論文の実験デザインを理解して、
そのものを批判的吟味する。
臨床介入研究であれば、落ち度も多く、
すぐさま批判的吟味できるかもしれないが、
よくデザインされた基礎研究Aとそれなりにデザインされた基礎研究B、
この違いを感じ取り、
やるべき仕事を想像する。
差異を観察することができる。
そうすれば、優れた世界的な研究室を知ることができる。
用語、ブームだけで、判断することを、
少し「待った」をかける。
このような思考を鍛えることも重要なのかもしれない。
これは自己の反省も踏まえてであるが、
時間があれば、それもみんなできるだろう。

10時より開始し、17時に終え、
日曜の夜、火曜日ぶりに家についた。

私の身体は正直であり、
20時に寝てしまい、
一度、22時におきるが、
身体がまったく作動できず、
そのまま、まさしく、レトリック的に「死んだように寝てしまった」

本日、朝、大学に行き、
この2週間、院生にささげたことによる、
自らの原稿の遅れに、
反射的に対応し、
1本仕上げ、もう1本半分仕上げたところで、
眼鏡のレンズをふいていると、
眼鏡が折れてしまった。
そのせいか、まったく環境を捉えることができなくなり、
原稿を書くのをやめた。

教育学部の授業に向かい、
質問を受け、
再度、裸眼でチャレンジしたが、
むずかしい。
感覚の大事さを痛感し、
仕事のメールの返事ぐらいはと思い、
何通かに返事をかいた。
国際雑誌のCRとJPAからReviewerの依頼があったが、
この1週間が自分の今年度の仕事として山場であることから、
CRは断る。

メールの返事を全部しようと思ったが、
これも続かない。

私の視力は左が0.01、右が0.08であるが、
右の乱視がはげしい。
専門学校時代はコンタクトであったが、それがあわずやめた。
以降、しばらく眼鏡をかけずに、
予測で生きていたが、
奈良にきてから、常時かけるようになった。

目が痛くなり、
休めといくことかと思い、
もうひさかたぶりに17時すぎに研究室を後にする。

家に帰って休もうと思ったが、
この指が動いているときにやるしかない、
そして、この仕事量が切迫しているときに、
休むわけにはいかないと思い、
古い眼鏡をかけ、
タイプうちの契機のためにブログを打った。

今日は一気に進めたい。

宮崎県士会やその次の週の理学療法士協会現職者講習会の資料を求められています。
ご迷惑をおかけしますが、
先にやらないといけないものが、多数あるため、
そのあとに対応させてください。



宮崎県理学療法士会 平成20年度研修会 講演

2009年01月25日 12時48分59秒 | 過去ログ
宮崎県理学療法士会 平成20年度研修会 講演              

テーマ : 『脳科学と神経リハビリテーション』

講 師 : 畿央大学大学院 健康科学研究科
       教授 森岡 周 

月 日 : 平成21年1月31日(土) 午後2時~6時 参加者          
          2月1日(日) 午前9時30分~午後4時30分 士会員

場 所 : 潤和会記念病院 リハビリテーションセンター

会 費 : 士会員 1000円 ・ 非会員 6000円
      
内 容 : 平成21年1月31日(土)参加者 講義    
          2月1日(日)士会員 講義・症例検討・実技

怒涛の4日間

2009年01月24日 21時39分59秒 | 過去ログ
一昨日、高知医療学院での講義「脳からみる動作分析」を終えた後、
内田グループ研修会での講演のため、
もみのき病院へ。
先輩である加賀野井先生に迎えにきていただき、
宝町や八反町を抜け、会場まで。
久しぶりにその界隈の風景をみて、
ノスタルジックな感覚になった。
母校である城北中学校を横目に、
その変わらない風貌に
うれしさを感じた。

すんでいいた万々を抜け、
福井町、塚の原へ。

病院につき、
何名かのスタッフに挨拶し、
しばらくぶりに先輩である杉本先生に出会い、
挨拶した。

講演は「運動学習と運動イメージについて」
であるが、
その前に重要な視点である「可塑性」「運動制御機構」に重点を置いた。
そのことについて知っておかなければ、
運動学習や運動イメージの方法論を知っていたとしても、
介入時に意味を持たない場合がある。

そのような介入をしたとしても、
必ずしも効果が出ないという理由を考える意味でも、
重要で、
運動イメージの前に、評価や治療すべき視点があることを、
神経科学の視点から話した。

来るべきときに、ある形として、
その視点を世に出したいと思う。

18時から20時45分ごろまで講演をして、
その後、21時より、懇親会へ。
内田のスタッフであり、教え子である義治君の家の近くの居酒屋で飲んだ。
義治(森岡義治)君は、
うちの大学の3回生の森岡君のいとこ(?)である。

10数年ぶりに旧姓塩見さんに会い、
高知での生活のエピソード記憶がよみがえってきた。
彼女は高知リハ出身であるが、
高知医療出身である私を結婚式に招いていただいた。
その後、そのような経験は、
野村卓生先生(現府立大)にも招いていただいた。
当時は、学閥ならず、学校間でいろんなせめぎあいがあったが、
古い縛りにとらわれたくないと思い、
そのような行動をとった
今では、高知に複数校あるが、
みな、仲良くやっている。

今回も土佐リハ出身の連中のアクティビティに
未来を感じた。

23時に終わり、
加賀野井先生に恐悦しながら送っていただき、
疲労困憊になりながら、睡眠に入った。

翌日(金曜日)、高知をAMたち、
高速バスで岡山まで。
あまりに体の痛さに、
いつもお世話になっている「ルタン・ステーション」でマッサージを40分間受け、
朝日に講義に向かう。
14時40分より、昼間部の今年度最後の講義。
言語性ワーキングメモリの発達を話した。

18時より夜間部の講義。
21時10分まで乳児の運動発達についてプレゼンを含めながら、
授業を展開した。
夜間部は来週で終了である。




22時より、朝日リハの酒井先生と小野田先生と新年会。
洒落た居酒屋で0時まで飲んだ。



さすがに、何もしたくなく、
ホテルで仕事はせずに寝たが、
そのようなこともあってか、4時過ぎに目がさめ、
余計に眠たくなってしまった。

本日、朝、岡山をたち、
11時過ぎに大学につき、
信貴山観光ホテル行きのバスにのり、
大学院生たちと2日間にわたり合宿に入った。

信貴山は雪がまっている。

水曜に滋賀~高知、
木曜に高知
金曜に高知~岡山
土曜に岡山~奈良(信貴山)とロードが続いている。

来週に原稿を3本完成させないといけないと思うと、
気が相当に重い。
その重さは予測にもとづいている、身体の重さだ。

しかし、院生のみんなといると、
身体は軽くなる。

文字だけの関係でなく、
顔の関係がそこに存在する。



切迫感を持つことの意味

2009年01月22日 16時03分05秒 | 過去ログ
昨日は朝早くから、出張講義の準備を何もしていないので、
必死に準備して、AMの11時に奈良を出て、
一路、滋賀県の安曇川まで向かう。
1時間半ほどかかる道のりは昨年以来である。
琵琶湖の湖西を過ぎると、
突然、雪景色に。




雪は降っていないが、
先日の大雪がいまだにとけていないという。
迎えに来ていただいた高校教諭の先生からそううかがった。



13時50分より、
普通科80名の高校生に対して、
脳科学が教える高校生の学習方法という題で、
1時間40分の出張講座をはじめる。
50分授業でも注意がもたない高校生にとって
1時間40分は相当に長かったと思うが、
よく聴いてくれたと思う。

記憶、海馬の話をして、
長期増強モデルから、
反復することが、記憶することの大前提である視点、
脳番地の話をして、
つながる(結合)することが大事である視点、

作業記憶の実行機能を取り上げ、
途中、M1で買ったnon style を取り上げ、
入力された情報を言語化し外に向けることの大事さを話した。
中間、期末試験のサイクルでなく、
日々、出し続けるためには、
どうすべきかをヒントを与えた。

最後に学習は創発現象であり、
その現象に出会うためには結果をすぐ求めるのではなく、
継続し続けることの意味を神経科学から話した。

最後に脳科学の視点から以下の一般的に言われていることの大切さを話した。


① リラックスすること
② 自信を持つこと
③ 対象を好きになること
④ 対象に興味を持つこと
⑤ 強い動機付けや切迫感を持つこと
⑥ イメージ(予期)を活用すること
⑦ 反復すること
⑧ いろんな感覚を利用すること
⑨ 感情を使うこと
⑩ 注意を持続すること
⑪ 対話すること
⑫ 自己スタイルを見つけること


切迫感とは規律から生まれる。
自己に負けて責任を他者や学校や社会だけに向けるというのは、
いかにも自己中心的であり、
屁理屈のみで、先に進めない。
とにかく、自分本位でなく、
ルールを設けることが。
先に進む。

原稿なんかもそうです。
そのときに済ませていないと、
半年後の自分は更新されているから、
結局完成をみないまま終わる。
志向性は常に変化し続けるものだが、
ある面、妥協をして、
完成させることも大切である。
国家試験勉強もそのひとつであるし、
研究発表もそうである。

高校生の目は純粋であり、
それを感じた。

16時17分、安曇川発の新快速にのり、
高槻でおり、
阪急の乗り場にまで重い荷物を持ち、
雨の中、走った。
エスカレーターでつまずきそうになり、
やっとのことで、1分前に電車に乗ることができた。
それに乗り遅れたら飛行機に間に合わないので必死なのである。
切迫感というものは、なりふりかまわず、
がむしゃらに、時に力を発揮する。
一方で、俺はこんなに忙しくして、
走りまくって、何をしたいのだろう、
という弱い部分の心理も生まれる。
しかし、前を向いていこうと思った。

南茨木でモノレールに乗り換え、
伊丹空港へ。

これまた滑り込み、
機内へ。
途中、電話が色々かかってきたが、
出る暇なんかなかった。

高知空港に19時過ぎにつき、
園田先生に迎えにきていただき、

くろそん まで。
小野先生、高橋先生と合流。



とてつもない大きさ(分厚さ)のひらめ、ブリ、サザエの刺身、
そして、これまたものすごい分厚いクエの鍋。



そして、これまた分厚くあたたかいかつおの塩たたき。
焼き切り。
何もつけないで食べる。



すしもついてこれで一人5000円。
料理を堪能し、
体調がよければよいが、
なかなか味覚まで幸福になる、っていうのは、
心身ともにリラックスが必要なのかもしれない。

その後、ヨークで鶴埜先生と合流し、
色々話す。

11時過ぎには体調からホテルに帰り、
最近、ほとんど寝てなかったので、
寝て、5時におき、
今日の講義資料を作成した。

今日の講義テーマは、
高知医療学院1年生~3年生のすべてを対象にした、
「脳からみる動作分析」

皮質間連合、皮質-皮質下連合による運動制御を話したのち、
今日は運動制御の基本的構成である、
前頭-頭頂間結合を話して、
理学療法評価の視点を話した。
脳のなかを評価・分析するためには、
動作学、運動学がある程度わかっているのを前提に、
その運動不全の背景になっている、
どこの連結に問題があるか、
脳の機能から評価していく。
診断ではなく、リハビリテーション評価である。
その視点を近々、
まとめていきたいと思う。
そろそろ、評価も提供しないといけないと、
最近痛感している。

3時間講義したが、
みなさん、純粋な目をしている。
悪く言えば、幼児的だが、
逆に、いろんなことを感じていくのだと思う。
大人は物の見方が、トップダウン解釈してしまい、
時に、自己中心的になってしまう。
他者の意見に反するっていうのもそのひとつ。
知恵が邪魔をするときもある。
いや、それは知恵とはいわないか。

15時前まで学校にいて、
今、休息中である。

この後、内田脳神経外科・もみのき病院で、
「運動学習・運動イメージ」について2時間半の講演を行う。