森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

音信不通の空気感

2008年03月29日 10時12分26秒 | 過去ログ
久しぶりのブログUP。

卒業式後、母親の見舞いのため熊本へ行く。
宿は、リフレッシュのため、熊本から少し離れた山の中にしていたことから、
回線が不通だった。



最近はホテルにはLAN回線があたりまえなため、
2年ほど前にAIR EDGEを解約していたが、
このような1週間単位でどこか離れるときはレンタルでまかなっている。
そこまで仕事をしないといけないのかと思うが、
しかたない。

しかし、全く通じない3日間を過ごすと、
それは、それは良い。
一昨日、いったん、九州より高知に戻るため、
大分のこれまた山のなかの高原に泊まり、
昨日、久しぶりにファミレスでメールを開いたが、
思ってより、多くなく、よかった。
電話で済むことは電話で済ましたい。
最近、それを切に思う。




オーストラリアのアデレード大学よりメールが来て、
2003年のClin Rehabliに掲載された論文をシステマティックレビューしたいとの報告を受けた。
この論文は高知のメールアドレスで公表していたが、
よく今の大学のメールアドレスがわかったものだ。
こわい、こわい。
Change scoreを算出しないといけないが、結構面倒だ。

昨晩、松山港に着き、遅く高知入りした。
土日、高知にいて、31日に大学に戻る予定。

4月1日から新年度。
2日には入学式。

新たな1年がはじまり、心が躍るであろうか。

Thank you so much !

2008年03月22日 18時55分36秒 | 過去ログ
3月19日、本学2期生の卒業式。
学長、学部長による学位記授与を補佐する目的で壇上へ。
みんなの晴れやかな笑顔、緊張した面構え、
それらがミックスして、とってもすがすがしい気分に。

この仕事をすると、この瞬間に出会えるから最高だ。

もう13年間教育者となり、卒業生を送り出しているが、
何歳になってもこの瞬間は良い。
学生の名前と顔が一致しないという年はとったものの、
この瞬間があるから、この仕事でよかったと思う。

遅い昼食後、式服からその後のパーティー用のスーツに着替える。

その後、ゼミ生たちが最後の研究室に。
いろんなものをいただきつつ、感謝。





そして、サプライズ。
翌日、誕生日の僕に。
バースデイソング&ケーキを。
研究室外に聞こえる、大きな声のソング。
一番感動した。



久しぶりにろうそくを消す自分に出会う。
いがいと、肺活量がない。
この前、学生とカラオケに久しぶりに行ったときもそう感じた。
そろそろ、トレーニングしないといけないのかな。



その後、ゼミ生と記念撮影し、心斎橋のホテル日航へ。

みんなと談話し、みんなのおしゃれを堪能しながら、
思い出話と、国家試験から卒業式までの卒業旅行の話を聞く。

パリに行ったもの、イタリアに、ベルギーに、イギリスに、
オランダに、そして、バリに行ったものなどなど、
すばらしい体験をしている。



↑H先生の顔が余計(中央にあるし)

世界を感じ、世界を身近に、そして旅行することは、
新たな自分に出会うことを知ってもらいたい。

17時過ぎ、全学でのパーティが終わり、理学療法学科だけの謝恩会会場へ。

ここでも、またもや花束を頂き感謝。
教育者ではない振る舞いも、
そして、学生ではない振る舞いも、
この際、その瞬間が「happy」であればそれでいい。



楽しむという経験が「脳」をもっとも生き返らせる。

何でも、楽しむ。
そして、楽しむためには準備を惜しまない。
この精神が、将来を明るくする。

高知のときは格好いい言葉を送ったが、
ところ変われば、人が変わる。
その時々の空気感にあわせると少しふざけたこともいってしまった。
今はもう少しちゃんとした言葉を送ればよかったと思ったが、
職場の空気にもあわせないといけず、少し後悔している。

最後には、いつものように、パスツールの言葉を贈った。
昨年はゲーテだったと思う。


その後、二次会会場へ。

0時(3月20日)になる20分前にまたもや、バースデイケーキをもらい、
感謝感謝。
3月20日、今年も謝恩会の二次会が自分の誕生日となった。



これだけ祝われると、今年も頑張らねばと思う。

「幸福」とは、人と人のこころの紡ぎ会いによって生まれる。

みんなの人生も淡白にならず、
喜怒哀楽を出し、「感動」してください。

なんでも「適当」にならず、
「探求」してください。

こだわりを持った人生を歩んでほしい。

そして、狭い分野にとどまらず、
広い視野で、進んでほしい。

「あれもしたい」「これもしたい」
でOKだと思う。

いつまでたっても小さい世界にしがみついたってしょうがない。

師匠を乗り越えるためには、
壊していくことも必要。

「なんとかなる」でなく、「なんとかする」

その後、「なんとかなる」のである。

「なんとかしている」人のみ、「なんとかなる」という精神に向かう。

「なんともしていない」人は、「なんともならない」


Future!


今日は家でゆっくりすることができました。
家でテレビを昼間に観たのは、なんと久しぶりだ。
yahooをながめていたら、面白いものに出会った。
別に縁結びを意図してみているのでなく、県民性を見ると面白い。
四国四県の違いもわかるでしょう。
四国外の人たちは四国とよくまとめるが・・・
近畿でまとめるというのを嫌うのもこっちに来て感じましたが・・・

四国の小噺に「思いがけなくお金が入ったらどうするか」という問いがありますが、
愛媛県人は「何か買って使ってしまう」といい
香川県人は「そのまま貯金する」と答え、
徳島県人は「それを元手に金を増やして貯金する」
と答えるのに対し、
高知県人は「飲む」と答える。

海と山がふさげば思想も文化も精神も変わる。



桜が咲き始め、春、つぎの出会いが4月にある。

初々しい、学部入学生を見ることができるのも、
これまた「幸福」なことだ。

この時期が、やっぱりすばらしい。

雲のようなこころ

2008年03月18日 19時00分06秒 | 過去ログ
この時期は、いつも「こころ」が雲のような状態になる。
大地の踏みしめ感が弱いというか、なんというか・・・

昨日は学科教員と評価実習終了後の3年生と懇親。
出会いあり、別れあり、この仕事をすると、
その別れによく遭遇する。
新天地での飛翔を祈ります。

学生たちとは「こころ」を類推することに話が向いたが、
完全に「こころ」なんかはわからない。
わかろうとする、そういう人間関係が豊かさを生み出す。

学生からの質問もそうだ。
一蹴するときもあるが、
その時々で、状況を認知し、
そして、その振る舞いやプロソディーなどから判断する。

その判断できる脳をもつ人間は、
逆に「読む」ことができるから凹むこともある。

結局、昨日は2時までやり、
しかし、そんなに飲まずだったので、
今日は比較的体調が良い。

明日の卒業式のチェックをした。
表情豊かを感じると、こっちもうれしくなる。

学位授与のお手伝いを明日する。

この仕事の魅力は、こうしたメリハリがあること。
そして、「雲のような気持ち」になることができること。

浄化作用というか、いつもhardなスケジュールなので、
こうした、「フアフア感」がheavy mindがlightに変化させる。

しかし、今年は学部教育だけでなく、大学院教育があるので、
その感覚がどうも鈍っている。

なぜなら、「研究」とは、自分自身に向き合う、終わりない旅だからだ。

大学院課程は修了という一区切りはあるが、
それは、逆にこの世界に「ようこそ」というものであり、
一生、そのendlessな生涯を歩む「覚悟」がいる。

大学院は、自分に向き合う、そして、乗り越える場所だ。
誰もロボットのようにあなたたちを操作してくれない。


何はともあれ、明日、晴れ姿を見せてもらう。


日航ホテル(心斎橋)での卒業パーティ、そして、謝恩会、そして三次会まで予約している、そのhardな懇親にのぞもう。


明日は、私の家のダンサーも「卒業式」だ。

それははんだか、胸が痛い感じだ。






他の分野から学ぶこと

2008年03月16日 09時38分11秒 | 過去ログ
昨日は、15時より21時まで、院生の研究計画ならびに結果報告だった。
この1年間の決算だが、
順調なものもいれば、そうでないものもいる。

山あり、谷あり。

1年後には頂上にのぼるため、
どのようにすごすか。

学生にレポートを容易に求めている教員、セラピストも、
こうした大学院生活によって、
自分自身を反省することも、自己成長につながる。

上手くいかないものは、こころが身体化しているが、
それも経験。
それを乗り越える自分自身に出会える。
それが「経験の知」になる。

信迫君の研究から始まり、前井さんの研究でしめた。

実に12名の内容を聞くと、
後半は思考停止する。

質を求める場合、人間の脳には容量(ハード)がやはり大事だ。
思考停止となる、自分自身の閾値を上げることを考えたいが、
年々、その体力は落ちつつある。

そろそろ、学位論文とは何か?
を自分の研究領域のみの学術論文をみるのでなく、
他の領域から、書き方を学ぶことをすることも大事だ。

井の中の蛙にならないよう。

構成、表現、用語、そういったところへの最新の注意を払わないといけない。

今はインターネットという便利な世の中、

いろんなところで学位論文が公表されている。

光を求めて、1段落上のステージの自分に出会ってほしい。


しかし、眼が痛い。
花粉症というよりも、PC病かな。



imitation !

2008年03月14日 22時01分55秒 | 過去ログ
ブログを書くのが空いているが、
眼が痛くてPCを眺めることができなくなっている。
PCのモニタを24型に変えた影響が出ているか・・
研究室には24型のモニタが2台入っている。
狭い室内に大画面が2台。
居住スペースの少なさによって身体を余計に感じる。

大画面のおかげでスクロールしなくていいメリットが、
どうも逆に眼球運動を増やしている可能性がある。

またデジタル大画面の光の問題もあると思う。

ノートとの併用による誤差が一番きいているとおもう。


いろんなことをがあったが、、
身体のサインを思い、
控えよう。


imitation!その意味性を考えていた。
また、言語がわが脳から湧き出たときに
打つとしよう。

院生諸君、imitation、論文を書くのもまずは乳児とおなじimitation。
総説や書籍を棚上げして、
原著をimitationしてください。

こんなときは、逆に、まったく関係のない論文を読むと参考になる場合がある。
注意機構が、内容でなく、述べ方に向かうために。

M1の12名、明日の発表、期待しているよ。


三つの知

2008年03月11日 23時03分52秒 | 過去ログ
昨日は、本学の一般後期試験。
大阪の会場に向かう。
入学試験監督は、高校生、浪人生たちの鼓動が、
乗り移るので、こちらもある意味緊張する。
表情を真剣に見ないように、事務的に対応する。
そうすれば、こっちも感情を表出せずにすむ。
なんだか、いやな人間関係だが、
どの会場も共通に、同じにしないといけないため、
このような感情を殺す仕事になる。

滞りない、まさに滞りないように終わり、
今年最後の入学試験が終わった。

年々、少子化のあおり、
そして、何よりも「リハビリテーション」の業界においては、
学校の乱立により、受験生が減った。

全国各地の情報を聞くと、
定員に達さない学校も増えてきたようだ。
学科試験なしの、そして、定員割れの追加募集・・・

昔は社会の科目以外はすべてだった。
理科も二科目選択しなければならなかった記憶をしている。

時代が変われば、生物も物理もいらない。
そして、英語も国語もいらない。
それでも「知」を育成できるのだろうか。

基盤の上に、「応用」であるならば、
なかなか難しいと思うが、
トップダウンに「楽しさ」を教えることができれば、
基盤のそういった人体の仕組みの基本や、
あるいは、国際感、あるいは、読解へと進むか・・・

学問、それには未来がある。
そう思ってくれればいいが。

知には、認識の知、経験の知、創造の知があるが、
このどれもが欠落してもよくない。

なかでも、日々の経験の知が、
認識の知と、創造の知を接着させる。

普段の机上や情報の伝えによる認識の知は、
自らが感じ、そして考える、経験の知により、
次なる、未来のための創造の知を産生する。

一方、想像を膨らますことは、
認識の知を得ることを楽しくさせ、
そして、経験の知に花を咲かせる。

臨床経験が意味あるものとなるよう、
この三者の知の形成を絶やしてはならない。

そして、医学にいる以上、

あきらめてはならない。

患者の障害が改善しないのは、
自らの知識(認識の知)、技術(経験の知)、介入手段(創造の知)が、
まだまだ不十分であるのだ。

死ぬまでそう思い続けることが、
医学にいる者の「責任」だ。

今日は、会議プラス大学院生の4つのWSO演題の英語化の仕事などなど、
この時期にスパートしておかない仕事がまだまだ山積みだ。



師から盗み取る

2008年03月10日 00時14分10秒 | 過去ログ


金曜は所要で高知に。
夕方出て、夜、高知龍馬空港へ。
バスにのり、そのままはりまや橋へ。

そういや、今日じゃなかったかな。
義治やタバのバンドは、と思い、
歩いていると、中央公園前に行くと、
突然、大音響が、、「移民の歌」が聞こえる。

ホテルチェックインをせず、
そのまま公園になだれこむ。

bay 5のあつしさんを発見すると、
義治も、そして、宮本先生まで発見。

街はrock一色。
土佐のおきゃく の一貫のイベントのようだ。


zepのコピーバンドだったが、
ボーカルがプロの下山武徳さん。
回りの面子は高知の人間ならみんな知っている「Be-Rock
いや、うまい。
高知に来て、良かったと感じた。
別にこれを観にきたわけでないのに、それに偶然に出会う、この感覚は、
忘れられない。

日ごろの行いがよいのか。

しかし、下山さんの歌い方は、
「人見元基」的ロバードプラントだと感じた。
それを義治に言うと、そう捉えてくれたようだ。

いずれにしても、スローなzeppelinのナンバーをここまでできるのは、
すごかった。

後日、下山さんのwikipediaをみると、
影響を受けたボーカリストが、人見であると紹介されていた。

俺の耳もまだまだいける。

師に教えてもらうのでなく、
師から盗み取る。

どこのプロの世界もそうだ。

そして、自分らしさを感じ、考える。

この我々の業界もそうなんだが、
その盗み取る(とろうとする)ハングリー精神が豊かさからか少なくなってきた。

知らないうちに、僕も一人の師の講義スタイルに似てきたといわれている。


学部生、院生、卒業生ともに、
まだ教えてもらおうとしている。

明日の存在、そのきわめて安定さ(緊張感のなさ)が、
結局は、なんとかして盗みとるというハングリー精神を欠落させていっているのだろう。

教育とは難しい。

何もいわない、それが一番なのかもしれない。


土曜日、もう一人の師のところに行くと、

何もいわず、ただ信用し、見守っている、そんな感じだ。


けれど、それも僕の精神を知ってくれているからだろう。


土曜日に帰り、今日! もう半年振りぐらいの
日曜日の休暇。

何もしないこと、今日ばかりは、目の調子から、それが一番と思い、
身体を休めた。

その分、明日、早朝に管理の仕事をしないといけない。

入試監督前に何とかおわらさないといけない。





「何」もないということ

2008年03月05日 10時18分51秒 | 過去ログ
日曜は、今年度の最後の講演を、
安城更正病院で行う。

少し、「感情」の制御を怠り、
聞きにくいところ;最近接領域にならない部分もあったが、
「脳」と「身体」の勉強の意欲を喚起できれば、
よかったかと思う。

自らが、どう生きるか、向かうか、
それがセラピストの生き方になる。
思想、思想と「他人」の言葉のみを信用する方々は批判するが、
生き方の思想(哲学)を持つことは、
間違いでない。

さすがに、ここ数日、今年度の疲れが出たかどうかしらないが、
無気力になり、
身体のあちことが痛い。

月曜、火曜と、いわゆる事務処理仕事のみをしたが、
どうもしっくりこない。

つまり、ブログに書くことが「何」もないのである。

要は、同じデスクワークであっても、
何かを考えているときは、
自らの脳のなかに言葉が氾濫し、
それが、記憶化され、ブログにもそのエッセンスが書かれる場合があるが、
いわゆる、右から左へのコピーアンドペースト的作業は、
脳のなかにことばが巻き起こらない。

「何」もない、ということは、
こういうことなのか。

「考える」ということは、なんてすばらしい「人間」の能力なのか。

学生のデイリーがかけない、というSVの指摘は、
どうもその「何」もない、問題が内在しているのかも知れない。


マシン人

2008年03月01日 14時52分49秒 | 過去ログ
一昨日は箕面市立病院へ。
実習生もいろんな経験をしているようだ。

予測が不可能だと、フリージングする。
それは精神的緊張だろうが、身体的緊張だろうが、
同じだ。

筋緊張という一つの現象の解明に、
その神経科学は役に立つ。

しかしながら、目にみえる「行動」を
どうしてそんなに単純に「出力」系だけに置き換えるのだろう。
それに学生も気づいているようだ。

その経験が重要だ。

学校で習ったことが通用しないことを肌で感じている。
「片麻痺」とは実に難解な「怪物」だ。
適当に「コジツケ」は簡単にできる。
その視点は、自分自身しか存在していない。

その難解さを感じる。

それが成長の道しるべとなることもある。

「笑い」とは、精神的緊張からの解放かもしれない。
学生が「笑う」という現象を見て、
それは、わからないという不安を解消する「生体」の仕組みなのかと思った。

人間は、予測が立たないとき、なぜか、変な「笑」をしてしまう。

これも緊張を解き明かすヒントになる。

そんなことを考えながら、懇親会へ。
SVの遠近先生と同級生談議を行う。

土佐の「いごっそう」論に発展した。
彼は、土佐清水出身である。

夢を語る、その思想は、文化・伝統で染み付いている。

昨日は、新しいPCのセッティングを行い、
いくつかの書類を書き、

府立大の伊藤先生、野村先生、
呼吸器アレルギーセンターの相田先生、
勤労者予防医療センターの浅田先生と会食する。

久しぶりの再会に、これまた「高知」談義になる。

業界を支える人材と感じ、

先日のNHKスペシャルの「情けなさ」について、どう思うかといわれ、
それもこれも、所詮「マシン人」の関係性しかすぎないといった。

目先のことばかり考え、
もっと先の本当の幸せを考え、
求めていない結果が、
こういう制作になる。

「人間復権」という視点からは程遠い。

マシンになること、それは自己意識を発生しなくても済むこと。
そしてそれは目先の「楽」を求めること。

それは「個性」を除去した、
なんて一律的社会構造なのか。

「リハビリテーション」にはまだまだ希望がある。

そう思いたい。

そのように心は強いが、飲み会続きで、身体は「悲鳴」か?

明日は愛知県安城市で講演です。

今年度最後の講演!

夏休み後、9月からの毎週講演出張も、
とりあえず、4月まではない。

なんとなく、うれしい。