森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

Joyeux Noel !

2008年12月25日 00時54分41秒 | 過去ログ
12月21日の日曜日は9月以来はじめての日曜日の休み。
その休日を何もしないですごした。
途中、家族のダンサーたちの仕事を拝見し、
普通の日曜日を過ごした。

月曜日、今年最後の授業。
教育学部の「コミュニケーション心理学」
最後の授業が理学療法学科でなく、
教育学部であるという点は、
月日の流れで自分が変化しているとも感じる。

来年度は、さらに理学療法学科の科目が減り、
その分、看護学科、そして大学院博士課程へのウエイトとなる。

最後の授業は「言語コミュニケーション」における、
携帯電話と携帯メールの諸問題について、
発達、脳、こころ、身体から討論した。
社会神経科学の一端が、ここでも垣間見ることができる。
最近の、という言葉を使うと、
年齢がいったように思うが、
「なぜ、友達同士なのに、あんなに、廊下で、大声になるのだろう?」
特に、以前より相対的に女子に顕著にみられる。

「孤独」に耐えられない精神であると、
「つながっていたい」という潜在的なこころから、
「出力」を強めてしまうのだろう。
その分、情報をとらえる脳への注意の配分がおろそかになり、
周りに気づくことができなくなる。
脳は相対的な活動であるために、
その問題が起こる。

公共と私的との使い分けが下手になっている。
ワーキングメモリ、ひいては前頭葉機能の問題ともいえよう。

もっと、落ち着いて、そして、あまり出し過ぎないように。

僕の講義も同じである。
授業が違った方向に行き、
学生の注意がそれると、
なんとか軌道修正し、
つながっていたいと思う反面、
その分、声が大きくなり、
出力を出しすぎてしまう場合もある。
余裕が大事である。

そのとき、つながっていなくても、
それでこころがつながっていないわけではない。

「孤独」に耐える精神を持つこともときに必要だと思う。


大学院生の修士論文が追い込みであり、
いくつかの論文の指摘を少しした。
修士なので、ほとんどそのままでよいでしょう。
自己での吟味を重ねることが大切である。


月曜日はいままで1ヶ月ほどためていたメールを
全部読み、多くの質問に不確実ながら、
返信した。
やっと肩の荷が下りた。

そして、原稿に向かわないといけないが、
久しぶりに、もう1年ぶりともいえるかもしれないが、
PubMed検索を楽しんだ。
原稿に向き合うのは帰省してからにする。

その前に、誠心書房からでる共著の原稿の校正や、
論文の査読を終わらせて、帰省し、次なる原稿に向き合いたい。


学生から聞いたけど、森岡ゼミは忙しいと・・・そんなことはないはずだが。
忙しいうちが花。

忙しいことに耐えることが、
脳に隙間を与え、
次なる忙しさが来たときも、
何とでも対応することができる。
それが「学習」である。

楽なほうに逃げてしまうと、
新しい自分には出会えない。


しかし、そんなにきつくはないですよ。
まったくもって、きつくないはずなんだが、
相対的な感じ方だと思うので、
それはご想像にお任せします。


「脳を学ぶ(2)」も作動しはじめました。
乞うご期待!


さて、さて、Joyeux Noel !


3年前は12月20日ごろから1月10日ごろまでパリにいて、
パリでクリスマスでした。


ここ数年は、日本ですが、
これもいいものです。
だんだん、余力というものを使わない自分がいる。

それを打破するために、また「精神道場」のために、
言葉があまり通じない土地で、暮らしてみたいものだ。

そうすれば、位相するであろうか。


これは修行ではなく、自己を高めるための不確実性を得るためである。



今年、出会った多くの方々に、すてきなクリスマスを!




焦るばかりでは前に進めない

2008年12月18日 23時12分19秒 | 過去ログ
昨日は、先日行われた神経系理学療法部会の原稿を完了させた。
学会当日提出しないといけない原稿だったが、
当日知るという悲惨な結末の中、
急ぎタイプした。
突然の原稿用紙25枚は結構つらい。

そのせいか、残る2つの原稿が年末に帰省してタイプすることになろう。
高知で50枚を打つ予定。
それまでに文献をとにかく収集しないといけない。
最近、時間がないせいか、
読む時間がなく、
情報が古くなりつつある。
色んな論文を書くとき、
いつも反省する。

人に聞かず、それを期待せず、
とにかく自分の手で検索し、
自分の目で耳で読むことに意味を持って仕事をしてきたが、
こうも時間がないとついつい他人任せにしようとする自分がいるが、
今回はそれをしないで向き合おうと思う。
PTジャーナルの自分の原稿を見てそう感じた。
自分の頭のなかの情報をそろそろ更新しないといけない。
反省しきりである。

日中、4回生の植田、初瀬川、田津原が来室し、
先日の神経系理学療法部会の学会のシンポジウムに驚いたようで、
自らの志向性について語ってくれた。
我々教員にもそのようなシンポ(相反する思想、科学)を開いてほしいとの願いを聞いたが、一人称で教員がお互いに向き合うことが可能ならできるが、三人称であるなら無理だと、彼らにサイコロを戻した。

まずは、自分たちでディベートを行うことも必要だ。
そして、誰かに伝えるのことにむきになるのでなく、
その討論をしている空気を楽しむことだ。

昔の自分を見るようで頼もしい。
と思う自分は、上から目線であんまり好きでない。
落ち着くということは、
時によくない。
器用さだけを身につけてしまう。
それが脳なのだが、
もがくのも脳だ。

18時より通常、金子研究科長が担当されている「先端バイオサイエンス特論」の講義を1コマ行う。
脳機能イメージング研究に関する内容であるが、
私の研究は応用科学であり、
基礎科学を伝えないといけないこの科目において、
私の話はそのレベルに達していなく、
これまた精進しないといけないと思いつつ、
それをする時間があるのなら、
もっと違う方法で社会に貢献すべきであるという、
メタな自分もいる。
もう少しゆっくり時間が流れれば、
イメージング研究の原理について勉強したいが、
そうもいかないのも事実だ。
院生の河村君とそのような話になった。

しかし、金子研究科長の視線は、
私を新鮮な気持ちにさせてくれる。
いつまでも、そういう人たちに囲まれている世界観が好きだ。
自分がまっさらになる瞬間に出会う。

かつての恩師の視線を最初の講義で感じたときも、
その感覚がある。
感情とは実にリアルであり、
その緊張感が、
いつになく愛おしくなる。

おそらく、院生もプレゼンのときはそうだんだろうな。
余裕がないのも面白い。
「見せれない」という表情もときに自分を成長させる。

本日は、お客様が多くこられ、
私のほうはというと、珍しく講義の資料を準備・整理した。
そして、昨日より1ヶ月ほど前からメールがたまっているが、
少しずつ返信をはじめた。
この場合、用件に関する緊急時対応を優先してしまう。

先日の神経系部会において質問時間を設けることができなかったため、
メールを多くいただいているが、
少しずつ返答しますが、
僕の脳は意外と詰まってないので、
結局は期待はずれの返答になるのかもしれない。
メールというのは表情やリアクションが伝わらないため難しい。
僕もわからないことばかりなのです。
そのたび、もっと勉強しないと、と思う。
口先、小手先だけなら、なんとでも答えれるが、
それが本当かなんかは、いつも迷走してしまう。

協同医書出版社の中村さんにもやっとのところで、
返信できた。
新しいプロジェクトを進めようと思う。



午後は、学科会議、教授会、大学院委員会と進み、
その後、院生と戯れ、
そして、久しぶりに21時前に家に帰りついた。

院生にもこの言葉を伝えた。
「幸運は準備している者だけが巡り会える」



視力が急激に落ちている感があるが、
疲労なんだろう。

月曜で授業が終わりなので、
そのあとは休息するつもりでもいる。
原稿書きと矛盾するが、それも休息の一つかもしれない。
9月以降、金土日がすべて講演などでつぶれていたので、
机に向き合うのも休息なのかもしれない。


本日は4回生の女子学生5名(カラオケ仲間?)が卒業旅行の相談をもってきた。
バルセロナ、ローマ、パリの8泊10日の旅。
それについて話している自分は、結構好きだ。
やはり、パリが好きなんだと、あらためて自覚した。
また、いつでもどうぞ。
いやいや、こっちからしゃべらせてください。

忘れていた、植田君もオーストリア、チェコだね。
チェコの病院にはもう10年前に訪問したきりなので、
病院の紹介が出来ずにごめんなさい。
協会の国際部のHPを見たら、
昔の僕に出会ったらしい。
恥ずかしい限りだ。


全国学術研修会の案内がもうできていた。
学会とともに。。。








nature & human

2008年12月16日 19時11分39秒 | 過去ログ
金曜日,高知に向かい,高知大で共同研究者と研究の打合せを行う。
この世界は,まさに人間としての知性の象徴であり,
そこの相互作用から突然に創発が生まれる場合があるが,
今回は,それは起こらなかった。
ある枠組みに落とし込もうとすると,それは生まれない。
学問の難しさはそこにある。
知らないうちに,目に見える,感じる,聞こえる事象を
自らの脳のなかにある記憶によって歪め,
自分の都合のようにトップダウンに解釈してしまう。
違う世界観を持つものとのデュエットが必要なのかもしれない。
それは狭い範囲の科学を超えたものになり,
批判もあろうかもしれないが,
そんなことはどうでもいい。
意外に私のハートはこの数カ月で強くなったと思う。


その後,19時より,スタジオ入り。
先週よりはのどの調子がよいようだが,
Hushのシャウトにより,喉から赤いものが。


明神と兵頭のステレオキャスターを堪能し,
23時前にスタジオを後にして,
義治と竹内とで,遅い夕食を「よこやま」で。
「よこやま」のおむすびは,
夜の店が終わり,深い夜に帰宅した母親からのささやかな土産であった。
その折のにおいが蘇る。


「よこやま」でビールを3本ほどあけ,
「ヨーク」へ。

のどの調子を心配してか,さわやか系のカクテルをいくつか注文する自分がいる。

午前2時に店を出て,明日の成功を祈り別れた。

翌日,高知大で研究に関するデータ解析の続きを行い,
スタジオ見学をして,
小藪に似たドラマーと遭遇し(サウスポー),

リハーサルのためx_ptに入った。




久しぶりに西岡さんのお顔を拝見し,
そして,これまた久しぶりに17期生の穴吹に出会い,

リハを行った。

モニターの音は良い。

クロマニョンズが来たばっかりだし,真心ブラザーズが今度来るところなので,
PAは良い。


18時開演し,ハモーンズ(ラモーンズ,レッドウォリアーズ,AC/DC,エアロ・スミスのコピー)からスタートした。

ギターのカッティングのぬけがよい。

義治のボーカルのうまさは健在である。

続いて,我が,The Cortex。
シャウト兼,ここでは言えないMCとなり,大いに盛り上がり(引き),
次のバンドへのバトンタッチはできたと思う。

意外にボーカルが当初の予想よりは,まずまずだった。
タバがむちゃくちゃ上手になっているので,心配無用。

当日の曲順は,20th century boy, Hush, Stand by me, Jumping jack flash, Come on everybodyとなった。



アドリブMCにより,メンバー紹介した時は,狂喜乱舞だった。

知性のかけらもなく,まさに身体を伴った感性で生きた瞬間である。
その感性から,他者の脳(感情)を揺さぶることができたなら,
アマチュアだが,パフォーマーとしては本望だ。

講演では聴けない,知性でなく感性のライブ。
まさに,そこに人間らしさがあると思う。

今生きている現代人は,どちらかといえば,
言葉により概念化が先行し,
それは本来の人間らしさをちっさな脳の中に封じ込めた生物のように思える。

脳だけ生物の風潮が大きい。
それでは,本来の豊かな人間としては生きていけない。
機械と変わらない世界がそこにある。
身体は自由だ。
何の束縛も受けない。


さてさて,そのあとは,穴吹達の香川組の演奏。
HM and HR.
マシンガンズとパープルの構成だった。
Sex Machineguns の BurnとDeep PurpleのBurn。
そのバンドは燃えるような演奏で,
燃えるようなハイトーンボーカルだった。
久しぶりの穴吹のその天にも昇るような2オクターブ上を聞いた。
それにしても,あんちゃんやグレン・ヒューズの音の領域とは恐れ入る.

お二人のギターテクニックも見どころであった。

最後は,明神率いる?孔子の演奏。
竹内もなかなか頑張っていた。
Stereo casterを聴き,champagne supernovaを聴き,アジカンを聴いた。
ここでもお二人のギターのテクニックも健在である。

最後は,キャストでHushでしめた。

畿央からも学生が4名,そして大学院生がきていたが,
演出,演奏,音の激しさ,などに驚いていたようだ。
学園祭とは大きく違う。
ライブハウスという空間だけでなく,
演奏している人の多くはもうバンド歴が長い,おじさまに足をかけた者たちだから,
ヘビメタだろうが,ハードロックだろうか,ロックンロールだろうか,
演奏に幅がある。
余裕というものである。

「見せる」という意識に対して,
自らのこころの余裕が使える。


打ち上げは,「ぽおる」で,
バンドで,いろんなプロミュージシャンの話をして,
そして,先日行われたBay 5でのビデオを見て,
楽しんだ。

その後,学生の待つ,虚空へ。

そして,虚空を後にして,yorkへ
学生は,虚空で,本物の「かつおのたたき」を食べたようだ。

塩で食べる。

今度は黒尊でのあたたかい「かつおのたたき」を堪能してもらいたいもんだ。

隣のテーブルで飲んでいる皆様(お姉さま)に突然声をかけられ,
びっくりしたようだ。

高知人は隣で飲んでいても,どこで飲んでいても,
みんな友達になってしまうのが特徴だ。

人の背景なんかは,全く気にしない。
どんな職業についていようが,どんな人生を歩んでいようが,
その場でフィーリングがあえば,それでいい。

高知人の人情のあたたかさ,と,あつさに,4名とも感動したようだ。




1時に片岡,森垣,山崎が合流し,2時過ぎまで飲み,
自分は心身ともに疲労であり,お先に失礼した。
そのあと,屋台で3時過ぎまで,片岡らと学生らはやったらしい。
そこでもあつい話になったようだ。

自分を犠牲にしてでも,見知らぬ学生につくす。
まあ,土佐人の血が流れているようだ,彼にも。

翌日は,学生たちを桂浜に連れて行き,龍馬を見て,
どこまでも続く地平線を見て,
太平洋(海),そして地球の壮大さを感じて,
自分の小ささを思い,
自我とは何かと思ってもらったようだ。
自らは,ちっさい,ちっさい。
大きく構えず,自然に生きることだ。

それが一番難しいが,
高知旅行からはそれを学んでもらったようだ。
おれいのメールからそのような意見をもらった。

「えいろうがえ」

今度は「よさこい祭り」を堪能してください。

そこにも,自由がある。

以前にも書いたが,「自由は土佐の山間より」




奈良に日曜に帰り着き,
もぬけの殻状態になりながら,月曜日は教育学部の授業をして,
そして,奈良の研究仲間たち約30名と忘年会。
体調が芳しくなく,一次会でお暇させてもらい,
申し訳ありませんでした。
家にもほとんど帰ってないもので・・・

けれど,そこから共同研究が生まれればよい。
人と人とのつながりで,心がさらに飛翔する。

本日は,2回生の人間発達学の講義を行い,
やはり,スライドより,板書のよさを痛感し,
脱線しまくりのしゃべりが,自分には向いている。

実践的ではない講義かもしれないが,本質的な講義になってもらえればと思う。

高知の時は自分が若手教員であり,
評価学を中心に臨床的に教えていたが,
今は,その役割ではない。
1時間半の講義を実践の話をしなくて,学生の注意を持続させる,
それこそが,教員生活が長くなった自分への試練だと思い,
楽しんでいる。


穴吹はメタルは演奏者とオーディエンスとの戦いだといったが,


教員と学生もある意味,それが当てはまる。


ノーベル賞をとったお二人の母校は名古屋大学。


そこでは,教員と学生に垣根がなく,
学生も教員に対して,批評し,先生とは呼ばないらしい。
古きよき時代は,階層性ではなく,
自由な風潮があり,
だから,いろんな意見が出たのだと思う。

そのいろんな意見(突拍子もない,あるいは自意識過剰な)に意味性がある場合がある。

その芽を摘んでしまう,今の教育は,現実を生きる意味ではいいが,
未来を生きるためには,ちと厳しいとも感じる。

いずれにしても,難しく考えなくても,時間は過ぎていく。
私らしさで,生きればそれでいい。


しかし,おびや町の衰退が気になる。
「イオン」というものは,町を変えてしまった。
どこでも同じ店。

日本の文化はどこに行くのか?

そして,文化なき人間社会は,
みな同じ顔をもち,同じこころを持つのかもしれない。


現代社会は,今,まさに,すべての面で過渡期なように感じた。


19時半から大学院の授業である。




身体表現の美しさからくる心の清らかさ

2008年12月10日 23時54分58秒 | 過去ログ
火曜日は人間発達学の講義。
日曜日で年内の講演が終わったせいか、
疲れがなく、舌が回るまわる。
久しぶりの絶好調トークに脱線しまくる。
その分、覚醒度はUPする。
最近、スライドでの講義のため、
逆に、その動き、表現のしかたが単調となり、
学生には受けが悪いようだった。
心の理論からそう読み取っていたが、
それをなくすと、快調快調。

大学での講義も楽しいものだ。
この感覚が久しぶりに沸く。

学部の研究を見て、
大学院生の川崎、大植、河野、谷口くんがくる。
川崎君の論文がアクセプトされた。
谷口君の賞のコピーをもらい、
大学院の講義に向かう。

今回のテーマは片麻痺の回復過程に生じる両側性の活動に意味を持つのか?
というもの、これで4つの質問をみなに要求した。
自由に討議してもらいたい。
研究室の議論に上下関係はない。
上下関係の階層性は、
自由度を奪う。
自由度が奪われば、創造性も奪う。
教授だろうか、助教だろうが、院生だろうが、学部生だろうが、関係ない。

21時過ぎに院の授業を終え、
同僚の福本氏と前岡氏と一杯やりに行く。
愚痴をいう(いわれる)ことで、感情を表出し、
明日からの仕事に向き合うことができればよい。
奈良に住んでいるひととしかできず、残念。
大阪の同僚とは何かイベントがないと一緒に飲むことはほとんどない。
表出しなければ、妄想(自己組織化に基づく自己完結システム)が作動し、
悪い方向に行く場合もある。
明日は忘年会なので、それが幸せになればよい。

本日は、年内に5本の論文・執筆本の1章分を仕上げないといけないのだが、
そのうち、1本が終了した。
しかし、もう年の瀬。
あと仕上げるのは、高知に帰ってからだ。
その前に、やりたい草案があるが・・・

さて、金曜日に帰り、土曜日に共同研究者と研究の打ち合わせ・データ解析をしたのち、
ライブである。

先日、急遽曲を変えた。

しかし、年々、歌詞が覚えられなくなっている。
感情の作動の不十分さと、意味性に問題があるのだろう。
記銘力低下とは、自らの志向性による。

ベーシストに戻りたいものだ。




ちなみに、我らThe cortexの演目は、

HUSH (Kula Shaker version)

20th CENTURY BOY

JUMPIN' JACK FLASH

COME ON EVERYBODY

STAND BY ME


「孔子」の明神と兵頭のStereoCasterを聴くことができると思うと、

鳥肌がたつ。

ちなみに、布袋がテレキャスター、charがストラトキャスターである。


そして、久しぶりの医療学院のリッチーブラックモアの穴吹のギターが炸裂すると思うと、
これまた鳥肌ものだ。

医療学院のジミーページの明神、そしてリッチーブラックモアの穴吹。

キースリチャーズな、そして時にジミーページな、
そして、時にエリッククラプトンな山本の3名に、
兵頭が入り、4人でギターバトルをいつかしてもらいたいものだ。

しかし、歌詞がぐちゃぐちゃ、年には負けない。

今日は、昨日録画していた、プロフェッショナルを観て(実にこの番組を見るのはしばらくぶり、バレエダンサーの岩田守弘さんだったから観た。

人生おごるべからず、その精神に敬服し、
つねに自分を追い込み、見えないものを極めよとするその眼に、
男ながらノックアウトされた。

上手くいっていない時期にこそ、
人生には意味がある。

そのときに、どれだけ一生懸命に努力するかだ。

自分もうつつをぬかしていられない。

極めている(正確には ようとしている)人にいつも教えられる。

淡々と、かつ、事務的で、適当な人が多いなか、

身体と脳の整合をとろうと、きわめようとしている人は美しい。


その後、マザーテレサの生涯をみて、
自分を犠牲にして他人を敬う人間の根幹なる精神に慈愛を抱き、

Mr. ChildrenのGIFTHANABIの歌詞の意味を、
自分の身体性に照らし合わせながら考えた。

桜井さんの脳のなかで描かれている世界を。


そういいながら、PCでZepのライブを見ている自分の脳は、
まさに注意の欠陥状態、カオスだ。



特集 ニューロリハビリテーションと理学療法

2008年12月09日 23時59分06秒 | 過去ログ

理学療法ジャーナル


2008年12月号 (通常号) ( Vol.42 No.12)

特集 ニューロリハビリテーションと理学療法

ニューロリハビリテーションの現状と課題
渡邉 修・他

ニューロリハビリテーションと理学療法
1.運動以外の治療的介入による脳の可塑性と今後の可能性
金子 文成

2.脳卒中患者の歩行障害に対するアプローチを中心に
斉藤 秀之・他

3.上肢機能へのアプローチ
森岡 周

4.理学療法領域における神経画像情報の活用
阿部 浩明・他

やってみないとわからない;皮質のきわみ

2008年12月08日 23時58分52秒 | 過去ログ
土曜日、岡山を出て大阪へ。
大阪南港近くのWTCホールへ向かう。
ATCには来たことがあるが、WTCは初めてだ。
いつも思うがニュートラムが面倒だ。
無人運転のために、以外に遅い。
受付にで案内される。
案内していただいた方は奈良東病院の方だ。
親近感が沸くということは自分も奈良県民になりつつあるということか。
5年の月日が流れてしまった。

44階の控え室に案内され、眺望に目が向くが、
すぐさま、2階の学会場へ。
1階ではイベントが開催されているようだ。
世間は週末である。

松田学会長による脳損傷者に対する理学療法の変遷、
そして彼女の思いである、「ヒト」から「人間」へ、という視点を提案された。
「認知的な治療介入」が今のもっとトピックであるが、
それもブームとならぬように!という彼女の意見がちりばめられた、
アットホームな講演だったと思う。

中山先生の特別講演を聴き、
部会長の吉尾先生、学会長の松田先生、準備委員長の桝田先生に挨拶をして、
一度ホテルに入る。
吉尾先生には私が学生時代「神経障害理学療法学」を教えていただいた。
ちょうど、宮本先生が留学中であり、大阪より2週に一度教えにきてもらっていた。
当時のホットなものは脳卒中患者の体力であったことを記憶している。
PTジャーナルにも特集があり、
それらをすみから隅まで読み、臨床実習に応用を考えた。
もちろん、関節トレーニングや運動プログラムの本も出たので、
2年生であったが、なんとか片麻痺の治療にとりいれくことができないか、
学生同士で議論した覚えがある。

そして、神経生理学的アプローチの是非にまで議論がすすんだ。
Bobath派の横内(現・石川病院科長)、
Hirshberg派の柳川瀬(現・三田温泉病院科長)、
それに林(現・愛徳医療センター主任)、野田(現・河上整形外科主任)、山本(現・兵庫県立総合リハビリテーションセンター)、梶原(現・三豊総合病院)、西山(現・大津市民病院)など(たぶん、みんな主任以上だと思う)が入り、飲みながら激論を交わした思い出がある。

自分は新たな台頭を求めた既存の治療アプローチでは満足していなかった。
しかし、横内はよく勉強し、片麻痺を治すためにPTになるんだ!と豪語していた。
今はその実践を行っており、
哲学や理論では異なるが、その精神には敬意をいつも表している。
私たちはセラピスト(療法士)であることを決して忘れてはいけないことをいつも学ぶ。

ホテルは隣接するハイアット・・・久しぶりに泊まったが、
高級ホテルは気持ちを優雅にする魔力をもっている。

ホテルに入り、1時間ほどで講演スライドを調整し、
会場に戻る。

17時50分ぐらいから1時間20分、講演を行う。
司会の桝田先生は私の母校の大先輩だ。

時間は10分減になったことで、
後半は超特急になったが、情報過多で分からない人も多かったと思うが、
講習会や研修会ではない(学会なので)で、それはそれでゆるしてもらおう。
メタ的に学会では少し難易度を上げて話している。
教育講演であるが、勉強をしているものに対して「教育講演」する意図が学会にはある。
研修会ではそうではない。

講演終了後、諏訪日赤の大槻先生よりお褒めのお言葉をいただく。
そのやさしさに触れることができた。
大槻先生は恩師・板場先生の同級生であり、
高知でお目にかかったことがある。

その後、講師、準備委員の方々と懇親会。
いろんな話をして、楽しい時間をすごす。
終了後、恩師・宮本先生とラウンジで今後の展望を確認しあう。

翌日、3名の講師の講義を聞き、
久しぶりに学会で演題を聞き、
質問をして、学会の感触を取り戻す。
1会場での発表・質問はいいもんだ。
こういう感覚はしばらくなかった。
小さい学会はいいもんだ。
地方学会は小さい学会で量的にはいいが、
質が伴わない。
しかし、神経系だけで全国規模となると、
ある程度演題の質が保たれている。
それがいい。

シンポジウムは「情動」が賦活したが、
これでいいんだと思う。
聞いている側が、何を感じ、
あすからどのように行動すべきかを布石を投げかけることができれば、シンポは成功したのだと思う。

聞いている人の精神を揺さぶることができれば、それでいい。
認知的内容よりも、情動的動揺が起こる学会シンポが記憶に残る。

最後に思わぬ司会の吉尾先生からの振りがあり、
コメントを述べさせていただく。

それがシンポのまとめの言葉になってしまい、
先輩たちに恐悦してしまう。

みなさんにお礼を言って、WTCを後にする。

4泊のロードは終了し、奈良の家に帰宅する。
実に韓国から帰国し、火曜だけ奈良にいたことになる。

長らく9月から続いた土日の講演もこれで年明けまでない。
その喜びはひとしおであり、
疲れがふっとんだ。
気は大事なり。

メールのチェックをして、
大学の教育学部の講義をして、
そして、年度末に開催される学生交流会の脇さんを代表とする幹部の面々とお話をして、
その情熱に未来は明るい!と喜んだ。

彼ら、彼女らには「精神の自由」がある。
今の病院体制には「階層性」や「抑制」が多い。
病院のシステムにどっぷり使っている中年層を見ると、
そこには「精神の自由」がない。
そして「療法士」としての「夢」もない。
しかし、彼ら、彼女らにはある。
どうして、そういう「芽」が抓まれてしまうのか。
どうして、そうしう「灯」を消して、消されてしまうのか。


封書のチェックをして、
協同医書の中村さんからささやかな絵本「いちねんせい」を読んだ。
谷川俊太郎さんの詩は、
有名なところで「生きる」「朝のリレー」を読んだことがある。

確か、「生きる」では、こんなフレーズだったと覚えている。

生きているということ

いま生きているということ

泣けるということ

笑えるということ

怒れるということ

自由ということ


学会にもこれは言える。
誰かの真似事では本当の意味での「自由」とはいえない。


中村さんからは大きな宿題をいただいた。

 にじ    
わたしはめをつむる   
なのに あめのおとがする
わたしはみみをふさぐ
なのに ばらがにおう

わたしはいきをとめる
なのにときはすぎてゆく
わたしはじっとうごかない
なのにちきゅうはまわっている

わたしがいなくなっても
もうひとりのこが あそんでいる
わたしがいなくなっても
きっと そらににじがたつ    


この宿題をしたとき、
僕はきっと次なるステージに立っている。


前の段階にいる人(芽)に水をやること(講演・論文・想像の範疇の執筆本)、
同じ段階にいる人と相互作用する(シナプス結合)こと(研究・対談)、
そして次なるステージ(見えない頂みたいなもの)に向けて歩きはじめること(想像できない執筆本)

この3つを僕はメタ認知をきかせながら、
使い分けている。


僕は狭義の研究者、そしてセラピストにはならないことをこの最近決心した。

だから、良い意味で本当の意味での研究者(悪い意味で盲目の研究者)からは研究の質に批判をもらい、良い意味で今の臨床に一生懸命な療法士(悪い意味でいの中の蛙的療法士)からは、それは理学療法か!?と指摘を受けるであろう。

それは覚悟しているし、
それとは別の表現形を用いることで、
この業界が多方面から注目され、
そして、それらの風が入ることで多角的に、より学際的になれればそれで、
自分の仕事は成立すると思う。

生涯をまっとうするまでにできるかはわからないが、
その見えない層に向かってチャレンジしていく意義はあると思う。
相当の自己に向けたポイエーシスを生じささないとクリアできないと思うが、
そして、相当な自己実現(努力)が必要だが、
分かりきったことを系統立てる学問よりも面白いと思う。

やってみないとわからない。
これこそ、大脳皮質のきわみだと思う。
偶有性の世界観に私は生きている。
もし、理学療法の世界がEBMの名の下、
ノウハウしか教えない集団・教育になれば、
私はこの場所を去ろうと思う。


院生の高濱君の研究チェックを行い、
院生の熊谷さんに送ってもらった。

今日も遅い。



動かざること山のごとし

2008年12月05日 17時13分57秒 | 過去ログ
韓国から帰国後、火曜日は学部の授業と大学院の授業。
学部の人間発達学では情動の発達や心の理論の発達を終え、
Autismの行動を解釈する応用発達学に入った。
難易度の変化(ギアの切り替え)についてくることができるか?
しばらくスライドで講義をしていたが、
昨年と同様にプリントで行うと、
やはり、注意の持続が図ることができる。
黒板への板書には運動を伴い、脳の心的シミュレーションには都合がいい。
見ている側もシミュレートする。

院の授業では、平松君の「擬態語と運動制御に関する研究」計画が紹介された後、
中野君、林部さんの研究成果の議論を行った。
1年間での成長が出始めている。
べき関数的成長と線をつなげばそう見てとれるが、
どこかで、システムの位相が生じたのだと思う。
もがけばもがくほど、先が見えなくなるが、
それをしばらく続けると、とたん「光(穴)」が見えてくる。
その瞬間に出会うには時間がかかるが、
その瞬間に気づくことができるのは、勉強の質・量の両方ともに充実していないといけない。

水曜日、高知に向かう。
共同研究の内容を確認し、そして、データ採取を行う。
来週末に再度データ採取する。
これでひとつの研究がある程度まとまる。



夜は、19時よりスタジオ入り。
来週末のライブに向けて一発あわせであるが、
少し曲の調整を行う。
急遽、common everybodyを追加する。

喉がはれていて、声が出ないのが大きな問題だ。



23時過ぎに終了し、
夕食もとっていないが、
23時以降にbar Yorkに向かい、アルコールとキスの燻製をいただく。



翌日、研究データの解析を行い、
その後、祖母の一回忌。
1年という月日の流れが早い。

一回忌を終え、母校に向かい、
いろんな議論をした後、
同級生、そしてその後、園田先生と議論をして、
またもやyorkに行き、
ジャニスを聞き、
エディーコクランを聞き、
カクテルを飲んだ。

今日は高速バスで岡山へ。
今、昼間部の講義を終え、
これから夜間部の講義である。

明日は、大阪で講演。
その後、大阪どまり。

明日で4泊目であり、韓国の3泊より長くなってしまった。

じっとしていたい。
ささやかな希望である。



母校の銀杏の木は多くが抜粋されたようだが、
残った銀杏がその存在を鼓舞していた。