森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

10年一昔ならぬ30年一昔

2008年10月28日 23時42分54秒 | 過去ログ


土曜日、伊丹空港から鹿児島空港へ。
ねんりんピックが鹿児島で開催されることから、
満席状態。
そのことを鹿児島についてから知る。
鹿児島は以前に全国学会以来であるが、
確か相当に空港から市街地が遠かった記憶がよみがえる。

鹿児島大学の木山先生にお迎えいただき、
桜島を眺め、鹿児島大学に。
卒業校の先輩である大重先生に出迎えていただき、
近況報告をさせていただく。

14時より講演スタート。
初日は4時間の長丁場だったため、
比較的スロースタート。

最近のオープニングネタのヒトの進化過程がらはいり、
脳の可塑性へ。
最近は一貫して身体運動の重要性を述べている。
脳は身体があるからこそ、生きていける。
脳だけであれば世界はつくれない。
身体が世界をつくってくれる。
「動くからこそ知ることができる」

神経可塑性についても、
健常者と同じように運動が習熟してくれば、
損傷脳の働き方も収束することを述べ、
活性化のみに一喜一憂すべきでない、
ことを述べた。

その後は、運動制御、運動学習といつもの話をするが、
同じスライドであっても、そのつどはなす内容は異なる。
ライブとはそういうものである。

運動学習に関しても、
最近は、求心性の情報がやはり重要であることを述べている。
運動イメージの前にはやはり知覚(情報化)が必要だ。
そうでないと、エファレンスコピーの意味が見えない。
違いを見つける脳はどんどん細分化していく。

ウルトラマンであったのが、タロウ、レオ、エースのように。
椅子という物体もどんどん細分化されるはずである。
それも体性感覚的に。

18時に講演を終え、
一旦、城山観光ホテルへ。
老若男女といいたいが、
ねんりんピックの勢いはすごい。
エレベータにも長蛇の列。

眺めのすばらしさを堪能し、
懇親会場へ。

県士会副会長で認知運動療法でもお世話になっている平名先生も合流される。
森伊蔵をロックでいただき、
秋の味を堪能し、
22時すぎにはホテルに帰り着く。
町中はこれまた高齢者であふれる。
これほど飲めば、明日負けるなと、おじさま(おじいさま)。
それだけ自覚していれば、元気な証拠と思った。

途中、西郷隆盛自決の洞穴を眺める。

翌朝、9時より3時間の講演。
実際のリハビリテーションの進め方を少し話した後、
神経科学のトピックスである、
「痛み」「ミラーニューロン」「他者コミュニケーション」
を話し、
いつもの「人が人を治療する意味」である「ロマンティックリハビリテーション」について話した。

最後はわれわれの仲間が良く使う、いつもの表紙を用いた。

リハビリテーションには奇跡はない、しかし進歩はある。

エビデンスに基づいた治療と叫ばれて、
もうだいぶ経過したが、

その一方で、創造力が奪われている感も否めない。

以前にはやった、「臨床意思決定(クリニカルディシジョンメイキング)」の時代が懐かしいと思っているのは筆者だけであろうか。

古典を知らない(勉強しない)やつは信じないし、
関節運動学を知らないやつは、運動のスペシャリストでない。

しかし、それだけでは、1976年の「理学・作業療法(医学書院);特集 運動療法」表紙(今のPT,OTジャーナル)の呪縛を乗り越えることができない。

僕の見る限り、これは当時の運動療法の象徴だということだが、
ロマンティックな姿には見えない。

joint attentionのかけらもない。
問題を共有していない。

リハビリテーションは、決して平坦で右肩上がりでないとは思うが(その面で苦しさはあるが)、このような質の苦しさではない(情動的なものではない)と思う。

サイエンスの前にヒューマニティーだと思う。


リハビリテーションは進歩しているといえるのだろうか。

当時は1ドル360円時代だったと記憶している。
変動でなく固定であった。





リハビリテーションのブレークスルーが来るのだろうか。

筆者の力量不足が否めないのかもしれない。



帰りも木山先生に送って頂き、伊佐錦などをいただいた。

感謝いたします。


先日、大学に講義にきていただいた同期のけんちゃんの医学界新聞の記事を読み直していたら、自分が主催した学会の記事が出てきて、驚いた。

30年一昔ならぬ、3年一昔。

何キロ、身体に重みがついたのだろう。

代謝とは反比例に不摂生(忙しさ)がつきまとう。


栃木県理学療法士会平成20年度生涯学習部講習会

2008年10月27日 23時08分58秒 | 過去ログ
栃木県理学療法士会平成20年度生涯学習部講習会


第3回生涯学習部講習会
 日 時:11月2日(日)

 会 場:鹿沼市民情報センター 2F 子育て情報室

 参加費:新人教育プログラム対象者;参加費無料

     生涯学習部基礎プログラム;1,000円/1コマ

 内 容:10:00〜 受付

     10:20〜 「脳科学とリハビリテーション」

 講 師:森岡 周(畿央大学大学院健康科学研究科教授)





羞恥や嫌悪から考える人の精神・人格の発達

2008年10月26日 16時11分46秒 | 過去ログ
金曜日は岡山での講義。
今回の講義はあるチャレンジをしている。
教育者としてはあるまじき行為かもしれないが、
生物学的な情動(不快)経験と嫌悪 disgust によって、
人の人格が大きく影響を受けるというものである。
受講生には何も意図しなく、性的なそれも羞恥心が喚起される映像を用いた。
これはブログでは大きくはかけないが、
ある精神的な問題をかかえ、
受刑している者の脳活動(精神機能)を追いかけるということをしている。
ここではプライバシー上大きくはかけないが、
羞恥心に問題があるというものである。

羞恥心は性的関心と大きく関係する。
発達障害の場合、この羞恥心の発達が周囲と比較して遅れることがある(あくまでも傾向)
なかでは「性的にわきまえのない行動をする」などで社会的に問題が生じる場合もある(これもあくまでも傾向)。
そうでない場合が多い。

性的な衝動に駆られやすいという意見もアメリカではあるように(日本ではない)。
いずれの場合も、性的な欲求は、食欲や睡眠欲と同様、人間にとって正常な欲求であることは間違いないが、

食と性という本能行動に基づく、
善悪は自らの快・不快と嫌悪という視点から発達するという。
その嫌悪の発達は特に汚染という概念、
すなわち、自らが汚染させるというものに基づいて、
発達するという仮説もある(ポール・ロジン)。

食べ物の汚染だけでなく、
これは性の汚染もそうである。

愛のあるものよりも、不自然な性行為や性的映像に人間は嫌悪を示すが、
そうでない場合もまれにある。

いずれにしても、扁桃体、島、前帯状回、腹側被蓋野、側坐核が関与し、
こうした大脳辺縁系によって痛みや嫌悪を感じると、
それのコントロールのために前頭葉が使われる。

しかしながら、前頭葉はまけてしまうのである。
そのときの映像があまりにもリアルでそして不快であれば、
そのリアルさから相手の脳に対しても不快をもつ。

不快は、矛盾が大きければ大きいほど起こる。
予期不能な場合に起こる。
そしてその矛盾は強固に記憶として残る。
記憶の固定化は海馬が行うが、
情動の扁桃体と密接に関わっているので、
その不快(矛盾)、嫌悪(性的、病的)なものは、
強固に残り、
前頭葉がそうでないと思っても、
それをつきやぶるかのように残ってしまう。

そしてそれに基づき、
相手の人格をつくってしまう。
人格とは自らがつくるのではなく、
他者によって作られるものなのかもしれない。
すなわち、それはバイアスのかかった偶像のように思える。

あの人の人格を疑う、といっている人にも人格はある。
それは、こっちからみた人格である。

つまり、そこに解離が生じてしまえば、
相容れるものがなくなってしまう。

たぶんまだ学生には種明かししていないので、
俺の人格を疑っていると思う。


情動の記憶は相当に強い。
その情動は喜怒哀楽であり、
その根幹は快・不快であり、
不快なものは、
相当な記憶として残り、
その記憶に基づいて、
相手の人格を決めてしまう。
人格の決定とは妄想なのかもしれない。
その妄想を調和するのは対話しかない。
大脳皮質は辺縁系の経験に基づき、
時に勝手に自己組織化をして暴走する。

大学の研究室でも対話がなければ、
妄想族ばかりが増えてしまう。
それは大脳皮質のきわみであり、
前頭葉が勝手に相手の癖まで決めていってしまうのである。

さて羞恥心を喚起するものとしての代表的なものがトイレである。
僕がまだ専門学校生のときに、
精神機能とADLについて研究したが、
高齢になっても、入浴よりもトイレに対する羞恥が高かった。
トイレ動作を援助されるということは(その行為を監視されるということであり、それは覗かれるということである)。
おむつもしかりである。
患者がもっとも介助に対して、羞恥を感じるものであり、
その羞恥が、自らの人間性に影響する。
「下の世話(監視)までされる」自分が人間らしくないと。

入浴よりも羞恥なものは、このしも、汚物、汚染という概念があるからと思える。

話は戻るが、ある受刑者はそのたぐいの問題をかかえており、
それに伴い、いろんな精神機能にも影響を与えているようだ。

そうした羞恥を喚起する映像や性的な映像をみたときの脳活動が違う。
辺縁系のみが暴走するものもいれば、
そっちがまったく働かず、一次野が暴走する場合もあるらしい。

いずれにしても、縦の連結ができていないのだ。
その縦の連結が大事なのはわかるが、
それがあるがゆえに、
大脳皮質の前頭葉が、人の性格までも決めていってしまう。

情動が大きく影響するのは確かであり、
その根幹には羞恥や嫌悪、そして快・不快、
そして生物的に生きていくための食と性。
自らが生きていくための食に対する嫌悪、
そして種を保存するための性の嫌悪、
これらを基に、
生物的に善悪を決めていくのかもしれない。

これはまだ仮説であり、
うまく金曜日には説明できないかもしれないが、
説明できなければ、単なる変な(変態)教員で終わってしまう・・・

ポール・ロジンの奇妙な研究に少し影響を受け、
ポール・エクマンという表情研究に少し影響を受けている。
認知の前に、
その生物学的な区分をできない患者には、
もはやどのように対応するばよいか難しい。

うちの院生には統合失調症などを研究しようとしているものもいるので、
この食と性という問題もとりくまないといけないかもしれない。
トイレ動作に羞恥を感じない、例えば認知症などの一部の問題も。

挑戦的考察は金曜日にするが、
岡山の他の教員に、変な映像(サブリミナル的に流しているので、
そんなには流していない、
しかしサブリミナルでも相当に意識には残っている)を流して(この映像は実験映像で、youtubeやビデオなどから学部生が入手している、
そういった映像を見た後に、その後の情動的表情知覚に影響を及ぼすかという研究で)、と怒られそうだ。

そんな科学的な解釈ができない1年生には少々難しいかもしれないが、
食や性というものが人間の発達をつくるのであれば、
その脳(こころ)についても目を向ける必要がある。


freedom form care !

2008年10月24日 00時09分24秒 | 過去ログ
この2日、腰椎コルセットを装着した自分。
靴下を履くのもままならないが、
意外とそれはそれで面白い。
色んな発見が関節運動の視点、
そして、神経系の視点からある。
それでも行為は生まれる。
どのように行うかの自由度を持つ。
すなわち、行為のシミュレーション。
意図的な関係性に基づく運動イメージを持つことができる
自分の脳と身体は、自由度をいかようにでも調整できるものを持っている。
その自由度が制限されて不便さは感じるが、
いくとおりの行為を生み出す自分は豊かな身体を持った自分であると感じる。

この自分を教えることがセラピストの仕事なのかもしれない。
在宅リハビリテーションでは、それが醍醐味なのかもしれない。

午前中は、書き物をして、
午後は学部生の指導、
および会議、そして臨床実習指導者会議の準備などを行った。
もうそんな季節、
年々、年月の進み具合が早いと感じるが、
こうも毎週の講演が続くと、
心はもう年末、そして正月である。
早く冬休み来ないかな、と小学生並みのカレンダーをとばしている。

夜には奈良リハの共同研究者たちが来て議論を行う。
厳密な臨床手続きが求められるように、
研究も厳密な手続きが求められる。
厳密さのきわみを追求すれば、
結果はシンプルに現れる。
考察は結果に対してのみ、
その忠実さが科学的な態度である。
方法の厳密さ、結果の多彩さ、そして考察のシンプルさ。
あ~だ、こ~だ、ノウガキは自分の頭でするものであり、
文章には極力抑える。
ただし、そのノウガキは頭のなかで徹底的にしたほうがよいと思う。
それが最終的に奥行きにつながるように思える。

しかしながら、自分の研究はと思うと、
こうも論文を書いてきて、
その手続きは決してほめられるものではないと思い、
PTになって17年間、
そのほとんどが研究人生であるが、
物事を深く考えることができる進歩はあるが、
研究手続きの厳密さに進歩はあまり感じられず、
同級生やかつての仲間からのご批判をちょうだいしても、
それは的を得ていると思う。
そういう意見を言ってくれる仲間はいつだってありがたい。

21時過ぎに腰が限界をむかえたので、
家路を急ぐ。
テレビをつけるとケンミンショーに高知県人が出ていた。
「昼から飲む高知県人」
「よさこいを愛する高知県人」
「龍馬をこよなくリスペクトする高知県人」が出ており、

「よさこいはステージでやるものでなく、ストリートでやるもの」
「今の現代社会をつくったのは高知県人(坂本龍馬、吉田茂)」と豪語するおじさま、おばさまは、未来の自分をみるようで恐い。

板垣退助、中江兆民、植木枝盛、幸徳秋水、なども追加しておこう。
今の民主主義、社会主義、共産主義の原点がここにあるといってしまえば、
それは強引と批判を浴びそうだ。

上の人たちを見ると、理想は高いが、
現実目線では捕らえることができず、
結果的に陽の目をあびず、
その周りにいる、とりまとめが上手い、
そして目線が現実的な人たちにより
現代の社会がつくられたのだろう。

土佐人は志はいいが、運営には弱い。

しかし、三菱財閥の岩崎弥太郎やカシオ計算機の樫尾忠雄、
ルイ・ヴィトンジャパンの秦郷次郎、公文式の公文公など、
新しい道を拓くのは好きなんだろう。

寺田寅彦のように、
自然科学と人文科学の両立や、
牧野富太郎のように、
地位や名誉よりも研究など、

「いごっそう」は、
近くを見る能力は乏しいかもしれないが、
好きなものにまい進する、
遠くを見る能力はすぐれているのかもしれない。
どこまでも続く太平洋の地平線をながめると、
しらないうちにそんなのになっているのかもしれない。


まだ地方分権が言われていない時代に、
橋本大二郎をかつぎ・・・これはどうかは難しいが。

私学で最初に理学療法士の養成が始まった(養成学校)のも高知県。
そのおかげで、自分がPTになったころは
ダントツの人口比のPT数、世界一であった。
なんせ、人口は自然減ですから。。。


発泡酒売り上げNo.1と決して裕福でなく、
学力もいつも沖縄、山陰地方と最下位を争い、
スポーツは天皇・皇后杯ともに最下位。

それでもUターン率が高いこの県は、
人間らしい人情があるのだろう。

大阪人のハイヒール・モモコや久本雅美からも、
大阪人より恐ろしい、「我」が強い県として認知されたようだ。

ヤクザ映画でもっとも恐いことばは、
広島弁でもなく、関西弁でもなく、土佐弁であると、
それは感じてしまう。
これは高知びいきではなく、
語尾のイントネーションをすべて下げる音声の特徴にあるのだと思う。


いずれにしても、「自由は土佐の山間より」という言葉があるように、
「自由」を愛する。

脳は自由を感じることで、幸せを感じる。

freedom form care、これこそが安心である。


島国根性丸出しのブログであった。


MRCP的研究生活

2008年10月22日 22時36分24秒 | 過去ログ
概して腰痛もちであるが、
その中でも年に1度は腰痛が激しくなる。
慢性痛は今勉強しているが、
こればかりは自己では催眠をする以外方法はないと
いささか西洋医学にいる人間には到底思えない気持ちになる。

軟性コルセットを装着し、
なんとか大学に向かう。
大学前の高塚地区公園は秋の気配であり、
おもむろに公園内に入り、
葉の色の変化を楽しんだ。

しかし、すごしやすいとはいうものの、
温暖化なのであろう。
冷たさは感じない。
小学生のころには、
冬には南国高知でも毎日氷が張っていたが、
今は氷がはっている現象を見ることは少なくなった。
学校に向かう水溜りの氷を足で割っていた自分が懐かしい。
それも記憶であり、
一人称の意識経験であり、
クオリアというべきものでもある、

午前中は久しぶりに時間があり、
研究計画書なるものをそれこそ久しぶりに打ち始める。
院生や共同研究者、学部生の計画書を修正することは毎日だが、
いざ自分が打ち始めると、
久しぶりに、筆が進まない。
時間をもてあますかのように、
週末の鹿児島県士会の講演資料を担当者の先生に送信する。

しかしながら、週末は実に7時間の講演である。
マニュアルセラピーでもない、
それほど実技もないもので7時間はつらい。
ましてや、この腰では、前途多難、いや不安である。
声や喉も守らないといけない。
翌週は栃木県士会で2時間足らずであるが、
その翌週は山口県士会でこれまた7時間ぐらいだったと記憶している。
どこも規則があるようだ。

こんなときこそ、規制緩和が良いが、
それはこっちのエゴであり、
求められるうちが花であり、
その講演ライブもなんとかあきさせないようにがんばりたいと思う。
腰の治療をしたいものだ。。。

午後は学部ゼミ生(B4)の研究報告会。
初瀬川の言語が運動制御に影響を及ぼす研究は仮説通り。
田津原の運動イメージによる運動学習および脳賦活も仮説通り+新たな展開。
新熊の言語が運動イメージに及ぼす影響もほぼ仮説通りで新たな展開が加わりそう。
中辻の触覚情報と姿勢バランスの研究は仮説通り+一部棄却も想定内。
久保の関連の有無の物品同士に対する視覚的注意に関する研究は、運動イメージの観点から面白い展開に。
中山、尾川、大森、大村の4名は100mダッシュのように進んでもらいたい。
最後の立ち上がり角度である。
当日の発表が運動実行(筋収縮)であれば、
今は大脳皮質がそのために活動しているときであり、
MRCPとしての立ち上がりを求める。

19時40分より大学院の授業を行う。
授業といっても今後のスケジュールの確認であり、
そろそろギアをセカンドからサードへ入れるぐらいであろうか。
11月から3月までがサードで、
4月からギアをトップにいれないといけない。

マニュアルの車だったころが懐かしい。
それもミッドシップの初代MR2時代が。
この車はヨーロッパ留学前にのっていたために、
留学する直前に在学生(当時の2年生)にタダで譲った。
太っ腹な若い先生だったと自分でも思う。
何も考えていない先生だったかもしれないが。

21時に授業を終え、
腰が満身創痍になりながら、
院生の熊谷さんのユーノスにのり、
これまたあまりの車高の低さから、
もう腰から高周波の悲鳴が聞こえてきた。
ついにかさを老人のように杖にして、
歩く自分からは、
オーラのかけらもなかった。

それでもブログは打っているのであるから、
精神は比較的安定しているのであろう。