森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

くされ縁

2009年12月26日 17時38分23秒 | 過去ログ
やっと体調が戻りつつあるが、
ブログを毎日書くぐらいには戻っていない。

24日はクリスマスイブだったが、
念願の「脳を学ぶ(2)」の原稿が完成し、
協同医書出版社の中村編集長に送った。
イブに送信すると宣言していたために
今回ばかりはその宣言が効を奏した。
無理な場合は宣言してエピソードをつくるのがよい。

昨日より福岡博多へ。
「機能障害科学入門(九州神陵文庫)」の編集会議。
長崎大学の沖田先生、日本福祉大学の松原先生、そして九州神陵文庫の塩川さんと会議を行った。
みなさん入稿がスムーズであり、分担でこんなに早く出版できるのはそうない。
2005年に入稿した本がまだ2つ出版されていない。
どうなっているやら・・・もう4年が経過し、原稿は相当に古い。
それでも良いというのなら、日進月歩ではないな、理学療法っていうのは。
古典的というべきか。

それに比べて、今回は編者が良いのか、よい。

5月の学会には間に合うと思う。

彼らとはもう1つ大事なプロジェクトがある。

その後水炊きを堪能したが、私の体調が良くなく0時前には懇親会をあがらせてもらった。

飛行機は結構多く、子ども一人旅が多いなあと率直に思った。

明日より「土佐の高知」へ帰省する。


29日は大学のメールサーバーのメンテナンスのため、終日大学のメールが使えません。あしからずご了承を。


平成21 年度 神経リハビリテーション研究会

2009年12月24日 17時31分19秒 | 過去ログ

日時:平成22 年1 月23・24 日
場所:大正楼・畿央大学
主催:畿央大学 神経リハビリテーション研究室

日時:平成22 年1 月23・24 日

プログラム
第1 日(1 月23 日):場所-大正楼
15:30-15:40 研究室教授挨拶(森岡教授)

15:40-16:10 演題1(座長:信迫 悟志(D1))
「ワーキングメモリ容量の違いが音声情報処理およびその聴覚ラテラリティに及ぼす影響―Dichotic Listening Test を用いた検討―」    河村 民平(M2)
16:10-16:50 演題2(座長:信迫 悟志)
「Differential activation between externally-triggered and self-initiated movements :
Motor execution and motor imagery」       河村 章史(M2)
17:00-17:40 演題3(座長:谷口 博(D1))
「錯視課題における眼球運動の特徴 ~自閉症スペクトラムと定型発達児の比較~」
熊谷 奈緒子(M2)
17:40-18:20 演題4(座長:谷口 博)
「ワーキングメモリ課題の難易度による脳活動の違いとストレス反応―数字順唱課題による検討―」                    十河 彩子(M2)

第2 日(1 月24 日):場所-畿央大学
10:00-10:40 演題5(座長:藤田 浩之(D1))
「言語情報の提示が上肢の運動制御に及ぼす影響」   平松 祐一(M2)
10:40-11:20 演題6(座長:藤田 浩之(D1))
「脳卒中片麻痺患者における振動誘発運動感覚錯覚中の脳活動」 湯川 喜裕(M2)

11:30-12:15 研究紹介1(司会:M1 柴田 広昭)
① 佐藤 剛介(M1)
② 清水 重和(M1)
③ 若田 哲史(M1)

13:15-14:15 研究紹介2(司会:M1 柴田)
④ 高木 泰宏(M1)
⑤ 脇田 正則(M1)
⑥ 末吉 夏子(M1)
⑦ 上原 貴廣(M1)

14:25-15:25 研究紹介3(司会:M1 佐藤)

⑧ 大槻 哲也(M1)
⑨ 河石 優(M1)
⑩ 金谷 規弘(M1)

15:25-15:30 閉会挨拶(森岡教授)

武士の世界へ

2009年12月22日 20時42分34秒 | 過去ログ
やっと雑に書いた原稿が仕上がった.
ここから細かく修正を加えるが,
いずれにしても,3日で原稿用紙換算で62枚タイプした.
「脳を学ぶ(2)写真家 古谷千佳子さんとの対話」では,
沖縄の生活を見ながら,脳の社会性について語っている.
セラピストや教師が自分の経験がどのようにつくられ,
自分がどのように変化しているのか,それを知ることが実は患者さんの世界を知ることにつながる,と.

こうご期待!

今日は今度の臨床実習指導者会議の議題を処理し,
大学院生の修士論文を3編読み,赤を入れた.
修士論文の提出は1月14日,彼らは追い込みである.
英語で書く者もいる.
チャレンジすれば,新しい課題も見つかる.
こうむら君のその精神に未来を展望したい.

先ほど,河村君,平松君,湯川君が赤字添削の修士論文を手に帰宅した.
まだまだ良くなる.
論文を隅々まで校閲することだ.


昨日,不意に世良正則の銃爪を聞いた.
現代は,平安時代である.
安定,揺らぎのないと思われている世界観.
歌も恋愛ソングであふれている.
どちらかといえば,狩猟的でなく,男が下たな慰め合いな.
きれいな世界が蔓延している.
みかけのきれいさかもしれない.

草食系男子と貴族.
ギャル男とお歯黒.

平安時代は貴族の浪費で財政破綻となった.
遣唐使で中国との関係は良好であった.
武士が登場したが,平家は貴族をマネ浪費を加速させた.
現代は平和である.
マネーゲームが続いたが,破綻をきたした.
日本レベルでなく世界レベルの違いはあれども,
現象は似ている.

光源氏にまとわる女性陣.
男性が告白するよりは女性が告白する現代の大学生.


質実剛健な武士の世界が来る将来にあるのか?


肉食系男子と武士.
暴走族と浪人.

ギャル男には思想はない.しかし暴走族やいわゆる不良には思想があったように思う.
自己肯定だが.
社会に対するアンチテーゼがつきまとっていた.
それは幕末にも通ずる.

しかし,現代は,そのアンチテーゼすらない.
ロックがロックでない.


鎌倉時代には元寇なるものがあった.


今に中国が経済で進行してくる.
今は日本が中国に進出しているが,
数年後にはその逆転現象が起こる.
中国企業に買収され,中国人が社長となる.
その時,神風は吹くのか?


学力低下してもいいじゃないか?
などと思っても,それはじわじわと国力をそいでいく.
学力低下は国力に影響する.
マンスターペアレンツにびびる教師の能力低下も.

叱るという武士道を.
母親,父親にも道徳教育を.
彼ら彼女らは豊かな時代に生まれ,
自分一人で成長したと,潜在的に思っている.
親を模倣してきたにもかかわらず.

問題解決できない現代人が増えていっている.
生命の危険を感じていないからだ.
その危険な事実が徐々に起こってきた.

今こそ,脳の見せ所であるはずが...
それでも人間はその問題を解決し賢く生き抜いていくはずだろう・・と思いたい.

神風に頼らずに.


武士(魂だが)の時代が復活し,
競争原理が働いたとき,
それが日本の国力となるはずだ.

その際,文化もかわるはずだ.
Exile(別に悪く思っていないからあしからず・・・どうでもよい,ロッカーとしては,いやな音楽はロックテーストなのにお前が好きだ~調子の) から世良正則へ.

落としてみせる=狩猟民族へ.


豊かに生きるを意識しすぎたばかりに,たくましく生きるを忘れてしまった・・・日本は.これはセラピストの世界も一緒.

「オレがなんとかする」とか「オレが理学療法を背負う」とか「オレが片麻痺を治す」とかがなくなってきた・・・


安定はコミュニケーションすら奪ってしまう.

なぜなら自分一人で生きていけるから・・・と思ってるから.





ブルドーザーweek? or weak?

2009年12月21日 11時47分20秒 | 過去ログ
木曜日は近年最後の授業を行った.
教育学部のコミュニケーション心理学では,
空間と接近について話をして,
そのあと,現代の文明社会が残した物質的豊かさの問題について議論した.
物,人(こころ),つきない問題でもあるが,
10万後を想像できないからこそ,難しいし,地に足がつく.

午後は人間発達学,やっと心の発達を終え,知覚の発達に入った.
もう時間がない,知覚,表象,言語,記憶,知能,終わるだろうか??
それもライブ感があるからしかたない,重要なものを選択しつつ構成するという,
人特有の仕事に入る.

そのあと,教授会を終え,学科忘年会.
鶴橋で食を堪能し,
翌日は岡山で授業.
ここでは,モンスターペアレンツ,学力低下などの問題について討議した.
そのあと,ここでも韓国料理を堪能しながら,
土曜日は大学院・学部ゼミ生の忘年会.
③連チャンは,病み上がりの身体にはこたえるが,これも相互関係性からはよいプロセスとなる.

メールの返信などができていないが,
今日,明日は,研究室にこもっている(宣言).
M2から送られてきている修士論文を横目に見ながら,
なんとしてもPCに向き合い,客人をシャットアウトし,
書きたい.

今は休息のためのブログである.
11の見出しまでは終了した.
あと4つの見出しを明日までにフィニッシュさせたい.
そうでないと依頼原稿まで手が回らない.
世間はクリスマスだが,私にとっては年内の仕事を清掃する意味で,
ブルドーザー的タイピングになるだろう.


人の人生なんていうものは,歴史から言うとはかないが,
みんなその時々,その土地で懸命に生きてきた.
歴史というものはそういうものである.

龍馬にインタビューしてみたいものである.


本屋はまさに龍馬ブーム,土佐ブーム.
ソフトバンクまでも.
孫さんは,相当の龍馬好きらしい.
彼のアメリカ留学は龍馬の脱藩があったからこそという.

人生ではどっかで岐路がある.
見えないチャンスをものにするのは,その選択なのである.

龍馬の洗濯いたしたく候は,開国を迫られた時の選択なのかもしれない.


若年寄なものたち

2009年12月16日 23時11分42秒 | 過去ログ
昨日は大学院FD委員会があり,
現状の問題点を改善すべく委員会のメンバーと議論した.
懸案なのはネット授業システムの固定化がはかれないことであり,
どのシステムも一長一短あり,院生への負担をかけている.
しかしである.
ネットで授業を受けれるだけでも幸せなことなのである.
大学,大学院は顧客のためのサービスでもあるが,
教育機関でもある.
ニーズにこたえることが必ずしも教育でないことが多くある.

これはわれわれの学部教育にもいえる.
臨床実習に耐えれる学生を養成するという視点は
臨床実習施設,指導者のためであり,
必ずしも教育効果を上げることにならない場合がある.
その典型が,発展のないこの業界である.
SVを楽させるために教育しているのではなく,
未来を一緒に築くことができる同僚をつくっていくことであるし,
常に日進月歩を続けている科学に敏感なセラピストを送り出そうとしている.
そこでは,現役のセラピストと解離が生じること本来あるはずだが,
それがない.

教育が負けている.
顧客のニーズにこたえることを意識しすぎるあまりに.

教員が実習施設が足りないあまりに,
なんでも受容していく態度,これは負のスパイラルにもなりかねない.
まだ若い臨床実習指導者(キャリア)であるのに,
強圧的,威圧的なセラピストを作ってしまうことにもなりかねない.
それは学生教育だけでなく,新人教育でも問題が発生している.
まだ,5年や6年のなんもわかっていないものが,
それだけで,威圧的に新人を指導する.
20代やそこらで,相手の気持ちを本当に汲み取り,
自らの態度を改めることなんぞ出来ないと思う.
絶対的な脳のなかの経験が少ないのである.
けれども,それが30代,40代であるかというと,
そういう年輪ではない.
経験である.
それは無が続いた年数ではない.

威圧的な態度・行動の裏には,
意識の下の「恐怖」が存在している.
他を知らずに,それを否定するその態度は,
情動的防御態度であり,
まさに,人でなく,動物だ.

まあ,そんなに嘆いてもしかたない.
そういう業界になったんだから.
そういう業界に私も含めてしてしまったのだから,
それを受け入れ,卒後教育を充実するしか方法がないが,
がんばろうとする者を,とめてしまう邪魔するやつらが多い.
免許更新制度か・・・
そんなことを理学療法士で大学教授の私が書いたら無責任と思われるであろう.

それでも時代は回る.
私は私なりの「らしさ」を追及したかかわりをしていこうと思う.


夜は,D1の藤田,M2の熊谷,それに事務補佐員の千賀さんとそういう話にもなった.
熊谷は修士論文の追い込みである.
他の論文も添削しないといけないが,もう少しお待ち下さい.


本日は,来年度企画している畿央大学ニューロリハビリテーションセミナーの企画書を書き,明日の授業準備をしつつ,今日の大学院の授業,先端バイオサイエンス技術特論のスライドを調整しつつ,脳を学ぶ(2)を少し書き,メールのやりとりをした.

そして3年生のゼミでは,上肢の到達把握運動時の前頭-頭頂ストリームの時間的な機能に関する論文が学部生から取り上げられた.
2007年の生理研の仕事である.

ゼミは双方向性であるからこそ,いろんな思考が生まれる.
すべてゼミで構成したいぐらいだ.


あいだ

2009年12月15日 16時31分56秒 | 過去ログ
ここ1週間ブログUPしていなかった.
先生大丈夫ですか?入院してたんですか?生きていますか?と連絡が来る.
風の噂というやつであり,
ある意味あたっているし,ある意味外れている.
人が間に関与すればするほど,情報は動く.
その人のなかの感情も付与され情報は変化する.
人がいかに主観な生物であるかがわかる.
これこそ人の本質的な意味なのである.
杓子定規に物理的に情報を伝達しているのではないし,
伝達されているのではない.
同じものをみても,同じものとして感じていない.
同じ動きをしても,同じ感じ方をしていない.
だからこそ,表現(ことばやうごき)が変わる.
人間はメカニクスではないのである.

生きていますか?という表現は,
このブログの情報が動いていないからともとれる.
人は会わなければ,ことば(ことばだけ)を信じてしまう.
コミュニケーションの本質の問題でもある.
ことばは出力されたものであり,
それ自体はその人の本当の感覚世界なのかどうかはわからない.
なぜなら意図が入るからだ.
環境に向けたものであり,
意図的な関係性からことばがつくられる.
もちろん,ことばだけでなく,人の行為もそうである.

世界を全く感じられなければ,
我々は単なる物でしかなくなる.

人と人の間の情報伝達も
人の脳のなかのシナプス情報伝達も同じ現象かもしれない.
シナプスが豊富だからこそ,情報が変化してしまう.
人が個性的かつ,創造的なのはこのシナプスのおかげ,
つまり間隙のおかげなのである.


この1週間はというと,
治療のさなか,大学院生が多く来て,
来年度の入学希望者も来て,
そして,教育学部の学生とも懇親した.
おかげで,片方の結石は排出できた.
さらに教育学部の学生からは「先生の講義があるから大学に来ています」と・・・これはある面問題発言だが,それでも嬉しい.

痛みが右腎臓から排出されたおかげで引き,なんとか忘年会に間に合いそうだ.
左腎臓の方は上にあり,全く自分のからだには悪さをしていない.
また半年後かな.

この痛みのおかげで,11月末締切の原稿をフィニッシュできなかった.
2本あるが,1月4日脱原稿でお許しをもらった.
12月末締切はあと2本ある.
この4本を年末年始なしで書こうと思う(気持ちだけかもしれないが).
「脳を学ぶ(2)」の原稿は半分ほど書き,
今度2日間有休をとり,それに専念する.
大学側からはよく質問される.
「本当の休みですか?」と.
「いや違います,原稿書きのためのこもりです」とついつい答えると,
「その日しかこの委員会は開催できないですよ」と言われ,
結局は大学に来ることになってしまうことがあるが,
今度ばかりは,自分のスケジュールが破綻をしてしまうので,
「休む」

週末はNHKのプロデューサーと東京で情報交換し,
そして帰り際にジュンク堂に立ち寄った.


ロマンティック・リハビリテーションフェア開催中!
関東方面の方は,ジュンク堂池袋本店まで.
「うれしい限りです」
私は他者に生かされています.
こういうことがあると,
「エネルギー」がわいてきます.
まだまだ頑張る,努力が足りないと.
そして,まだまだ「健康」でいないといけないと.