森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

しばしの心のやすらぎのために

2008年01月29日 01時02分36秒 | 過去ログ
土曜は大阪府理学療法士会豊能ブロックで講演。
箕面市立病院の遠近先生に誘導され、そのまま講演する。

前半は脳の機能と、可塑性について基本的な話を多くしようと思い、
いつもより基本に心がけたが、それが功を奏さず、
説明をしようと思えば思うほど空回り状態になった。

頭のなかは情報過多で、とんでもない方向へ受講者がいったのではないかと思い、
後半、修正しようと思ったが、時間がなく、
断片的な講演となってしまった。

先週の岡山県士会では6時間、今度の大阪は2時間と、
その開きが今回の流れになったのではないかと思い、
自己制御(行動)が認知レベルの処理のミスで暴走した感がある。

その後、懇親会に出て、遅くに帰還。
どうしても翌日の日曜にアムステルダムの準備に入らないといけないと思い、
何とか、奈良まで帰ってきた。

日曜はしばらくぶりの休みで、
いろんな買い物をして、
火曜からの出張に備えた。

今日は人間発達学と神経系理学療法学Ⅱの試験。
2~3回生のいけたかな。

学部のゼミでは、
情動認知、言葉と抑揚の干渉作用、音の知覚と作業効率、運動イメージとワーキングメモリ、運動制御における言葉の影響、などの研究計画が取り上げられた。

5~7割の完成度、
あと少し、
機内で少し修正をはかります。

さてさて、仮眠をとり、
明日、The 2nd International Congress on GAIT & Mental Function
での発表のため、アムステルダムに発ちます。

自称フランシュ人にとっては、しばしの心のやすらぎになろうか。


世界的視野に向けて

2008年01月26日 11時43分43秒 | 過去ログ
昨日は、今年度最終の岡山での講義。
これで2ヵ月ほど新幹線にのらずにすむ。
新幹線ももはや通勤のような感じで、
どこかに出張するという感覚はなくなった。

乗るやいなや、即座に睡眠。
仕事をしたいが、乗物に強くないため、
いつも途中で投げ出すので、
最近はあきらめがつくようになってきた。
飛行機内は大丈夫だが。

昼間部、夜間部ともに、
行動レベルから、認知レベルへ、そして神経生物学的レベルへとは、
逆の方法で、つまり臨床的解釈を、発達障害児で求めた。
神経レベル、つまり脳の機能からすすむ方法は基礎科学では当たり前で、
生理学とはそういうものだが、それでは臨床思考能力は養わない。
想像力を高めることだ。



未来の自分の息子、娘の教育のためにも。

講義を終え、大学院生の研究計画を考えた。

おかずをいっぱいつくってもしかたない(いろんな文献を読んでもしかたない)。
まずは、何弁当にするのかを決めることだ。


そのまま、今日の講演準備にとりかかる。



今日の大阪府理学療法士会の講演が終了すれば、
アムステルダムに一時期、逃亡する。
その間、リフレッシュとともに、やるべき仕事を機内で行う。

今は神戸のネットカフェ。
これから、神戸大の山田君の少し研究の計画を相談し、
そのまま、今日の会場の箕面に向かう。


今日は深夜になっても帰り、そして、明日は準備をしないといけない。

いつものようにばたばたで外国に行くと、
ベルギーでの強盗事件がよぎる。

安全対策はばっちりに。
外国がなれているといって、おごりは禁物。


イタリア行きの連中も、明日あたりから行くんだろうな。

今年は60名ほどのマスターコース参加のようだ。

院生の藤本君はアムステルダムの学会と、それをはしごする。

人生にとって、とっても充実した日々になることだろう。

世界に身を置くと、なんて自分は小さいんだと肌で感じる。

そして、どうでもよいことに目くじらをたてるのはやめる。



私たちが見ている世界

2008年01月26日 00時23分52秒 | 過去ログ
多くの人は、物体は自分の身体の外にあって、それを目で見たり手で触ったりして感じていると考えています。それを常識として疑ってみたことすらないと思います。でも本当をいえばあなたが感じている物体は、身体の外側でなくて、あなたの脳の内側に存在しているのです。
 「物体が存在していることと、物体が存在していると感じることは無関係である」
 脳が物体の存在を認知するためには、その物体に対応する適切な神経活動がおこる必要があります。神経が活動してはじめて物体が認知されます。
 もし何かしらの原因で、起こるべき神経活動が脳の中で生じなかったらどうなるでしょう。もちろん、あなたは物体を認知することはできないでしょう。物体が網膜に映ったとしても、あなたの脳が反応しなければ、何も感じていないのと同じです。

 神経が適切に活動することが「認知」のすべてであって、それ以上、それ以下でもありません。物体は私たちの体外に存在しているのではなく、脳の内側に存在しています。

By 池谷裕二


Amsterdam Congress

2008年01月23日 23時30分14秒 | 過去ログ

The 2nd International Congress on GAIT & Mental Function

 

THE MIRROR NEURON SYSTEM IN OBSERVATION OF WALKING: CONDITIONS FOR ITS ACTION

S. Morioka1, S. Nobusako2, M. Hiyamizu1 1 Department of Physical Therapy, Faculty of Health Science, Kio University, Nara, Japan; 2 Neuro Rehabilitation Laboratory, Graduate School of Health Science, Kio University, Nara, Japan

 

FIRST-PERSON OBSERVATION OF WALKING ACTIVATES MOTOR-RELATED AREAS

S. Nobusako1, K. Miki2, S. Morioka1 1 Neuro Rehabilitation Laboratory, Graduate School Of Helth Science, Kio University, Nara, Japan; 2 Setsunan General Hospital, Osaka, Japan

 

INSTRUCTIONS IN METAPHORICAL LANGUAGE MAKE VISUALIZATION OF WALKING MORE VIVID

M. Fujimoto, S. Nobusako, S. Morioka Neuro Rehabilitation Laboratory, Graduate School Of Helth Science, Kio-University, Nara, Japan

 

ABILITY TO MONITOR AND ADJUST ONE'S WALKING PATTERN

M. Hiyamizu, S. Morioka, A. Matsuo, K. Shomoto Department Of Physical Therapy, Faculty Of Health Science, Kio University, Nara, Japan

 


自分に打ち勝つ

2008年01月23日 23時24分31秒 | 過去ログ

ここ1週間ほど、busy, busyなので、昨日なにしかた覚えていない。

記憶を消去することで、生きていける。

つまり、忙しいと未来記憶で自分の脳が洗脳される。

これは、busyでなくても、解決できない問題で洗脳されると、記憶を打ち消す脳の機能と似ている。

ブログは、それを整理するうえで重要だが、 busyでかけないときもある。そうすると、昨日の記憶が再生されない。

 

今日は、院生のアムステルダムの発表ポスター、同僚のポスターチェック、などをして、学部生とディスカッション(試験前なので)一時、逃亡していたが、助手室へ。

いろんな話をして、ゼミ生の研究計画をディスカスした。

 

今は、付属高校の先生などと懇親し、帰ってきた。

 今から、酔いでモウロウだが、二本、論文を書く。

自分に負けそうだが。

 

 


象の耳

2008年01月22日 06時21分36秒 | 過去ログ
昨日は、大学で写真家の大西成明さん、
協同医書出版社の中村三夫編集長を迎え、
撮影の目的、手順を確認し、
「リハビリーテーションの時代」のロマンティック・リハビリテーションを
教える部分の撮影開始。


10時半より、人間発達学の最終講義。
マクリーンの三位一体の脳構造について、
問題解決能力の発達からスタートする。
心理的(物理的)壁を乗り越えるために、
われわれは、環境から情報を収集、選択するといった
認知過程に基づき、手段(行為・行動)を想像する。

そして、その想像は人間、道具といった心理的道具を求め、
そして、時にはその道具をメタファーとして創造する。

そのすばらしさが、脳であり、
情動脳(辺縁系)と認知脳(皮質)のコラボレーションである。
脳を社会と考えると、脳幹がせっせせっせと目に見えない縁の下の仕事を行い、
辺縁系が生きていくための情熱を示し、そして皮質が人生設計をする。
この三位一体(互いの神経線維の双方性連結)があるからこそ、
問題を解決できる。

この三位一体が崩れると、たとえば、皮質が混乱し、
機能不全になると、情動脳が最高位中枢となる。
そうなれば、冷静さを失い、論理を失い、
生きていくために、あきらめや、キレなどを出現させる。

3つの脳が双方向にわかろうとしている、
それこそがロマンティックな人間であるし、
自己脳と他者脳が双方向にわかろうとしていることが、
ロマンティックな人間関係ということになろうか。

お互いにわからないことをわかろうとする。
それが、科学的精神ではないだろうか。

脳はわからないことだらけ、感情?情動、こころ?、意識?
それが解明されれば、人はこの世に存在していないかもしれない。

お互いにわからないからこそ、わかろうとするそのプロセスに
愛を感じたりするのではないだろうか。
時に、わからないことで皮質のネットワークが混乱し、
ストレスに感じることもあるかもしれないが、
ふと冷静に自分の脳を捉えてみると、
今!自分の脳はたくましく活動しているんだなと思えば、
その状況を解決できるかもしれない。

人間の脳には、まだまだ発揮できることがあるはずだ。
神経細胞からいって、ほんの数パーセントしか発揮していない。

自閉症/心の理論・ADHD/ワーキングメモリを追加し、
今年度の人間発達の講義を終えた。

撮影されているせいが、緊張はしないが、
潜在的に声のトーンがあがったため、
疲労感があった。

その後、撮影の調整をして、
午後の神経系理学療法学へ。
これも試験・実習前の3年生への最終講義。

1時間ほど、神経難病の病態などを話した。
もっと早く終わり、実習のための心の持ちようを脳科学から解説したかったが、
時間が足りなかった。
ただ、思いは伝わったと思う。

人生を設計するためのスタートをきってください。

その後・・・走りながら、fNIRS実験模様の撮影に向かう。
コミュニケーション脳を実験する、それが本学にはできる。

その醍醐味、そして、人間の本質、そして科学の厳しさ、
臨場感などが、写真から伝わり、人間をいろんな視点からとらえることの重要さ、
そして何を知りたいか、そしてそのための脳イメージング研究であるかを
絵で感じてもらえればよい。
ただ単に、機械があるから、データを取ります!っていうのは、
科学でない、まずは、自分が何を知りたいかだ。

3時ごろに終わり、実習風景の撮影に同行する。

その後、遅い昼食を終え、ゼミへ。
ゼミの撮影をしていただき、
6時前に撮影は終了。
違う脳を使うことによって身体に疲労を感じる。
脳と身体を感じる一日となった。

ゼミは、1時間オーバーし、
今日は研究計画の仮公表。
久保の道具への視覚的注意、
初瀬川の言語と運動制御、
尾川の手指運動の運動学習、
田津原のイメージと学習、
田中のミラーニューロンと末梢器官などの計画が公表されたが、
まだまだ、仮説になってなく、
吟味が必要だ。
試験に差支えがなく、設計してください。

19時前にゼミが終わり、
院生の藤田君が実験に使用する器具の確認をして、
その後、奈良リハセンターより、
佐藤・熊谷・平沢先生たちが、来室する。
子どもの身体表象、共感覚の発達に関する共同研究の進行を確認しながら、
進め、21時に一旦終え、
木曜にデータプレゼンテーションの部分を完成させることを約束した。
21時過ぎに院生の信迫君が来室。
来週に出発するアムステルダムのポスターを確認し、
その後、彼にfusion imagingを任せ、
自身は英語の校正作業に入る。

しかし、身体が思うように動かず、
一旦22時過ぎに引き上げた。

長い長い一日であった。
充実感というよりは、タイプする指が安定しない。

仮眠をとり、先ほどから開始した。
その合間にこのブログを書き、
院生の藤本君のほうに向かわないといけない。

信迫から入るメールはいつも朝の3時過ぎだ。
そして、今もメールが入った。
信迫、藤本の両方からである。
6時ということは、寝ていないのだろう。
ヨーロッパで逆にゆっくりしてください。

大変かもしれないが、乗り越えてほしい。

いつかそれが知恵となる。



感情を揺さぶる

2008年01月21日 01時28分17秒 | 過去ログ

今日(昨日)は9時より岡山県理学療法士会の特別研修会で講演。
川崎医科大学の現代医学の博物館に入ると巨大な胎児に出迎えてもらう。
すごく楽しい。。。キテヨカッタと思った。

午前中は脳の進化、連合野の機能・発達、神経可塑性について
比較的ゆっくりめに解説する。
しかし、相変わらず、機関銃のように言語を浴びせる。

眼が輝いている方々もいらしたので、芽が出ればうれしい。
アナウンスが今月に入ってからのようだったが、
100名ほど来てくれた。

午後は、運動学習、痛み、運動イメージ、ミラーニューロン、
について解説したが、少し難易度を上げた。
言語(聴覚)の最近接領域にならなかった方々もいたようだが、
あとから振りかえってみてください。

最後に、心の理論、共同注意、ロマンティックリハビリテーションについて
話し、いつもの立脚で6時間の長丁場な講演は終了した。

疲れた・・・と思ったが、まだいけるとも思った。
最後の講演の息は荒かったが。

アドリブな言語が今日は比較的出てきたので、
自分自身も退屈しない講演となった。
滞りなく終わるというのは、自分自身の感情が揺さぶられない。
今日は、少し揺さぶられた。

そのおかげで喉が少しやられた。
連日のホテル乾燥喉に良くない。

論理的な解釈の前に、まず感情を揺さぶることができればと思った。
脳を学ぶことは、自らの人生を設計するために役立つ。
生きていくため、問題を解決していくための精神的な支柱として、
脳科学は、僕にとってかけがえのないパートナーだ。

そのおかげで幾度となく、発想や、心の転換に援助してもらった。

脳科学は大事な環境としての心理的道具である。

雪を気にしながら、そそくさと岡山を出た。
新幹線のなかでは、身体を休めようとつとめ、

家に帰り、少し休憩(ウルルンを観て、情熱大陸を観て)し、
今、仕事の合間にブログを打つ、そういう日課に戻った。

今日の講演が実質的に今年の仕事初めなのかもしれない。

7月ぐらいまで講演が入りつつある。

今日はセンター試験、試験監督を免除してもらい、
大学へも感謝である。

しかし、山本耕史はギターが上手かった。

明日(今日)は雪で麻痺しないことを祈りつつ、

ランダムハウス講談社・協同医書出版社の写真集「リハビリテーションの時代」(大西成明・著)の取材・撮影が順調に進むことであろう。


そろそろ寝よう。



人生の道しるべのための脳を学ぶという手続き

2008年01月20日 07時06分07秒 | 過去ログ
金曜にいつものように朝日リハに来て、3コマの講義。
3つの脳の理解と、原始反射がなぜ統合されていくのかのプロセスについて理解してもらえれば、運動療法のヒントになる。
未来だが・・・学生のまなざしからは、そのヒントの解釈はまだ遠い。

昨日は、そのまま岡山に足止めで、
自身の本日の講演資料、そして、アムステルダムの学会のプレゼンの調整をした。
意外とアムステルダムに時間がとられ、結局終了せずに、そのまま懇親会に。

岡山県士会の原田先生たちと、懇親。

脳を知る、学ぶ手続きは、何も自分の仕事だけに活かすのではなく、

子育て、教育、そして自らの人生計画を考える手続きなのだ。

そんなことを話した。

脳(こころ)について考え抜くプロセスは、生きる強さを与える。

さて、岡山県理学療法士会の講演に向かうとする。


ところ変わればひと(思考)が変わる

2008年01月18日 08時44分37秒 | 過去ログ
水曜は、滋賀の安曇川へ。
あどがわ、と読むことを駅の掲示でしった。
こんなにも遠いのか、と最初の印象だった。
目の前は福井県。
普段は30cmぐらい雪が積もっているらしいが、
今年は、雪もなく、寒いが、南国育ちの僕にも耐えられる。

東北・北陸は、僕にとって未開の地。
来年度は福島から講演依頼をいただいた。

安曇川高校では、記憶力の高め方について話した。
3年生はセンター直前なので、こんな講義は聞いてられず、
2年生に話したが、やはり、最近接領域に困る。

高校までの手取り足取り教育に順応した脳は、
時に大学の講義を聞くと混乱する。
しかし、そこで自分なりの思考に気づくのが大学。
昨今の教育をみると、大学あるいは専門学校教育が丁寧すぎる感がある。
10のうち、9まで伝えると、残りは1。
個人・学生の創造力はその1でしかなくなる。
10のうち、6まで伝えると、残りは4。
創造力は4となる。
「これはこうである」という直線を結ぶ教育は、
創造力欠如な人間・専門家を作ることになる。

今の人間を機械的に切り刻んだ障害像の考え方も
その直線を結ぶ教育である。

ところ変われば、ひと(思考)は変わる。

UK,France,北欧,イタリアなんかでは、
そのような切り刻んだ、障害分類はしていなかった。
僕が留学していたときは、そうであり、
かならず、自らの仮説・思考を問われた。

評価にしろ、Br.stage を使っているところはなかったし、
治療にしても、プラットホームに寝かせて、ROMを毎日行うなんて観たことなかった。

日本人は、ある固定観念にしばられ、創造力が失われる。
輸入は得意だが、その本質・メカニズムについての説明力となると、
とたん口を噤む。

いつまで、この機械的な障害構造に執着するのか。
20年後のこの世界が恐い。

ICFが国際的といわれるが、ある数カ国のみの考え方を
鵜呑みにしてはならない。

秩序を乱しては良くないが、それでは説明つかない事実を認識し、
変えていく科学性が必要である。

そのようなImpairmentに見えているのは、
観ている側の脳であり、ところかわれば、そうは観ていない脳がある。

セラピストは国際的な仕事である。
自分のいる、小さな枠組みのみの、小さな思考で存在するのでなく、
また、一部の科学的論文だけで、自分のいいように解釈するのでなく、
目で確かめ、自分の体で体感してほしい。
もっと国際的になってもらいたい。

最近、そう考える。

そのことを、昨日、ゼミの懇親会で話した。

教員たちは、教えすぎたら、自分のコピーを作ってしまう。
教えすぎるとは、教員に余裕がないことである。
実習には功を奏すかもしれないが、10年後の「彼・彼女」を考えると
それは、可もなく不可もなく人物を作っているかもしれない。
自分で考え、切り開いていく力を減退させる。
高校教育のようなものかもしれない。
受験のための(実習・免許のための)

学校のカラーは、ある。

リーダーシップをとれるセラピストを育成するといっている本学においても、
このままの可もなく不可もなく教育でよいのかと、すごく思う。


久しぶりに、不愉快だ。


さてさて、おかやまに向かうとするか。


とっても時間が無い。