2001年9月11日、火曜日。
アメリカ合衆国のニューヨーク・マンハッタンにあるワールド・トレード・センタービル(通称ツインタワー)に2機の旅客機が突っ込み、1時間42分後に崩壊しました。
ビル内では、生死をかけた様々なドラマが展開されていました。
その中でも、フランク・ディマティーニを中心とするグループがとった行動は、まさしく英雄と呼ぶに相応しいものでした。
ツインタワーを管轄する港湾公社の建築主任であるディマティーニは、マナー違反をする者を躊躇せずに叱り付けるなど、律儀な人物で、正義感も兼ね備えていました。
そんな彼が、最も愛していたのが、妻のニコル・ディマティーニとツインタワーでした。
ツインタワーを“おれのタワー”と呼んでいた彼は、9月11日も、あのビルに絶大な信頼を寄せていたようです。
あの日、ツインタワー第1棟(北タワー)にいたディマティーニは、北タワー攻撃後、すぐさま同僚のパブロ・オーティズらと共に、突入時の衝撃によって閉じ込められてしまった人々の救出に向かいました。
北タワー最上部(突入口付近)にいた人々が、助かったのは、ディマティーニのチームの活躍によるものだと多くの人が証言しています。
そんなディマティーニたち港湾公社職員の本来の仕事は、入居者の改装工事の監督であり、救助活躍は義務ではありませんでした。
それにもかかわらず、彼らは、自らの意思で救助活躍(それも、レスキュー隊顔負けの手際のよさ)をつづけました。
救助活躍をして暫くすると、彼らは、『シルヴァー・スタイン不動産(現在のツインタワー跡地の管轄社)』の社員であるジョン・グリフィンとエレベーターに閉じ込められていたトニー・サヴァスに出会いました。
この2人も正義感が強く、サヴァスにいたっては、72歳の高齢にも関わらず、救助の手伝いを申し出たという証言もあります。
又、ピート・ネグロンという人物も救助活躍を行っていた記録が残っていますが、ディマティーニのチームと一緒だったかどうかは確認されていません(おそらく一緒だった)。
ネグロンは友人であるカーロス・ダコスタの助けに向かいましたが、その後の行動は不明です。
9月11日の午前8時46分から始まった彼らの生死をかけた戦いは、1時間42分後の午前10時28分に終わりました。
ツインタワーを最も愛した男は、タワーと共に息を引き取り、その男と共に多くの人々の命を救ったオーティズと同僚たちも同様に逝ってしまいました。
友人を助けに向かったネグロンと友人であるダコスタ、グリフィンとサヴァスも同じ運命を辿ってしまいました。
あの日、命をかけて戦ったのは、消防隊や警察だけではなく、民間人たちも同様でした。
彼らをはじめ、あの日亡くなった人々の記憶は、助かった人達や遺族を通じて永遠に語り継がれていくことでしょう。
9.11の映像
■9.11~N.Y.同時多発テロ衝撃の真実
2001年9月11日の朝、消防士に密着取材していたフランス人の兄弟が偶然撮影した映像をドキュメンタリー化した作品。
9月11日の数ヶ月前の取材記録に、ワールド・トレード・センターが映り込んでいる映像もあり、それがあのテロの残虐性や非現実性をよりいっそう感じさせます。
奇跡的にも、この兄弟が取材していた消防団は一人も亡くなっていません(ジョゼフ・ファイファー隊長の弟のケヴィン・ファイファー小隊長は亡くなりました)。
あの日から8年もの月日が経ちましたが、この映像をみれば、あの悲劇が本当にあったことだと実感できます。
9.11の文書
■倒壊する巨塔 -アルカイダと「9・11」への道
ピューリッツァー賞受賞作品。
■9.11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言
一昨年も紹介しました。
上記で北タワーについて書きましたが、この本の情報を自分でまとめたものです。
自分のは拙い文章だったので、この本を読んだ方が分かりやすいです。