長年、恩師ベンゲル監督とともにアーセナルを支えてきたアンリ、ついにベンゲル監督の下を去る決断をしたようです。
長年、恩師ベンゲル監督とともにアーセナルを支えてきたアンリ、ついにベンゲル監督の下を去る決断をしたようです。
現日本代表監督イチャビ・オシムが21日、昨年7月に現役を引退した中田英寿について語りました。2006FIFAワールドカップ後、宮本恒靖、小野伸二、柳沢敦、玉田圭司などのジーコ時代の常連選手を招集せずに若手主体のチーム育成をしているオシム監督ですが、29歳のベテラン、中田英に関してはオシム監督の構想に入っているようです。
21日に記者会見を行ったオシム監督は中田英に対して「なぜ中田が引退したのか分からない」「明らかにW杯での失望と関係している。」とコメント、「私は名前だけでは選ばない。ポジションは自分で獲得しなくてはならない。サッカーでは物事は変化するが、私は中田にドアを少し開いておこうと思う」とも語りました。
中田英の現役復帰に関しては日本国内だけでなく海外でも噂されていますが、今のところ噂だけが先行しているだけで、中田英に復帰の意志があるかは不明です。
元インテル所属で現在ニューカッスルでプレーしているナイジェリア代表のオバフェミ・マルティンスがナイジェリアの首都、ラゴスで暗殺未遂に合ったことが20日にわかりました。
マルティンスは友人と共にドライブ中、ガソリン・スタンドに寄ったところで暗殺未遂に合いました。銃を持った3人組に襲われたマルティンスは車をバックさせて逃げようとしましたが、既に別の車が逃げ道を塞いでいて逃げることができませんでした。
幸い、マルティンスに怪我はなく、友人も致命傷になる怪我はしませんでした。車から物は取られいてなく、マルティンスの命を狙ったものと見られています。
オバフェミ・マルティンス(ナイジェリア代表、ニューカッスル)
「死ぬと思った。テロリストたちのやり方はプロのようだった。彼らは何も言わず、ただ車に向けて銃を撃ち始めた。まさに地獄だった」
「もうラゴスでは安全だと感じられない。制御不能な状況になったら帰国しないということも、熟考していいと思う」
3日前、レアル・マドリードで自身4度目のリーグ優勝を記録したロベルト・カルロスが20日にトルコのフェネルバチェに完全移籍しました。
11年間在籍したレアルから移籍してきたロベルト・カルロスは「ここに来ることができて、とても名誉に感じている。このチームでチャンピオンズリーグを勝ち取ることが僕の夢だ。今日は僕にとって歴史的な1日だと思う」と語り「今レアル・マドリードは、経験豊富な選手たちを送り出していて、これからは若い選手が多くなる。ベッカムは米国に行き、僕はフェネルバフチェに来た。どちらも大舞台で戦い続けることができる。僕はここでキャリアを終えるつもりだ」ともコメントしました。
現在、バルセロナで一番苦労を強いられた選手、ハビエル・サビオラがついにバルサを出て行く決断を下したようです。
ロナウジーニョ、デコ、エトーがバルサに加入する前の2001-07シーズンに若干20歳のサビオラはリーベル・プレートからバルサに移籍、36試合中17得点を記録してバルサでの初シーズンを終えました。次のシーズン、02-03シーズンでバルサは不調に陥り一度も優勝争いに絡むことなく6位に終わり、サビオラは昨シーズンより4点少ない13点でシーズンを終えました。
そして、03-04シーズン。バルサは会長をジョアン・ラポルタに、監督をフランク・ライカールトに一新、シーズン序盤は不調だったもも中盤から好期に入りシーズン2位で終えます。
サビオラは33試合中14得点と昨期と変わらない活躍でしたが、次の04-05シーズン、バルサはサビオラを引き入れたジョアン・ガスパール前会長時代の選手ということでサビオラをバルサから追い出し、代わりにライカールトが獲得を熱望したエトーが加入。サビオラはその後2年間モナコ、セビージャにレンタル移籍されましたが、その間にバルサはリーガ2連覇、欧州CL1回優勝と好成績を残しました。
そしてバルサに戻って来た今シーズン、エトーの怪我などで出場機会が与えられたサビオラでしたが、結果を残してもエトーが戻ってくるなり再び戦力外通告、しかもチームはリーガ優勝を逃してしまい、結局サビオラはバルサでタイトルを獲得しないまま去るということになりました。
サビオラは18日「みんなすでにクラブが今シーズンどのような態度をとってきたか知っている。批判する気はないけれど、僕には何一つ明確なものがない。苦い思い出とともにバルサを去る。クラブ首脳陣は僕と良い関係を築けなかったけど、それは彼らの問題だよ。彼らはこうやって職務を果たし、なぜ(サビオラを退団させる)かを知っているんだ。でも、僕はバルセロナでベストを尽くそうとしたという良心を持って静かに出て行くよ」と語りバルサ退団を明かしました。
まだ25歳と若いサビオラ、欧州に渡った選手なら誰もが夢見るリーガ、欧州CLのタイトルを獲得するためにもビッククラブに移籍したいところですが、どうなるのでしょうか…。
2006-07シーズン、リーガ・エスパニョーラ最終節(第38節)、勝ち点73で首位のレアル・マドリードFCはホーム、サンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムで12位のRCDマジョルカと対戦しました。
レアルは勝てば優勝、引き分け以下ならライバル、FCバルセロナ,セビージャFCの結果によって最大3位まで順位を縮めることになります。そんな中でファビオ・カペッロ監督はこの試合に出場できないイバン・エルゲラとミゲル・トーレスの穴をミチェル・サルガド、ロベルト・カルロスを両サイドバックに配置しました。
スターティングメンバー
レアル・マドリード GK 1 カシージャス DF 2 ミチェル・サルガド DF 3 ロベルト・カルロス DF 4 セルヒオ・ラモス DF 5 ファビオ・カンナバーロ MF 6 ディアラ MF 8 エメルソン MF 10 ロビーニョ MF 23デイビッド・ ベッカム FW 7 ラウル・ゴンサレス FW 17 ファン・ニステルローイ 監督 ファビオ・カペッロ |
選手 | RCDマジョルカ GK 1 モヤ DF 3 ナバロ DF 16 ヌネス DF 22 バレステロス DF 24 エクトル MF 4 ペレイラ MF 6 バシナス MF 7 バレーラ MF 23 グティエレス FW 18 アランゴ FW 19 ビクトル 監督 グレゴリオ・マンサーノ | ||||
MF 20 イグアイン MF 14 グティ FW 19 ホセ・アントニオ・レジェス |
控え | DF 2 ラミス FW 9 ロペス FW 20 トレホ | ||||
前半33分 ファン・ニステルローイ(17)⇒イグアイン(20) 後半0分 エメルソン(8)⇒グティ(14) 後半21分 ベッカム(23)⇒レジェス(19) |
交代 | 前半36分 ヌネス(16)⇒ラミス(2) 後半22分 ビクトル(19)⇒ロペス(9) 後半45分 ペレイラ(4)⇒トレホ(20 |
2002年6月18日PM3:30。グループリーグを2勝2分けで通過して決勝トーナメント進出を決めた日本。相手はグループCでブラジルを苦しめたトルコ。場所は宮崎スタジアム。
日本のフィリップ・トルシエ監督はどういう訳か、グループリーグでいいプレーを見せていた柳沢敦、鈴木隆行のコンビを外し、今大会1分もプレーしていない西澤明訓と本来は中盤の選手である三都主アレサンドロ(アレックス)をトップに起用しました。
前半戦、日本はワールドカップで始めて味わう“勝利しかない”一発勝負の方式ということもあり相手の出方を見守ります。
一方のトルコは積極的に攻めて日本陣内にどんどん入り込んで行きます。守る日本、攻めるトルコの図式が出来あがった前半11分、日本はバックパスでトルコの攻撃を止めようとしますが、中田浩がまさかのパスミスでコーナーキックに。そして迎えた前半12分、左からのコーナーキックを打点の高いユミト・ダバラに決められて0-1。トルコ先制。その後アレックスがフリーキックからゴール枠を直撃するシュートを放ちましたがトルコの牙城は崩せず。前半はそのまま終了。
後半戦、1点リードされた日本は積極的に攻め、何度か西澤が得意のボレーシュートで狙いますが、明らかに精度を欠いたボレーは尽く枠外へ。その他にもチャンスをありましたが、後にこの大会の活躍が認められてバルセロナに移籍したGKルストゥに阻まれてゴールならず。
後半終了間際、ゴール前でフリーキックを得た日本は小野伸二の右足に懸けますが、ボールは無常にもトルコDFにクリアされて勝負あり。ピエルジ・コッリーナ主審のホイッスルが鳴り、45,666人のサポーターが見守る中、雨が降りしきるピッチで日本が散りました。この試合を最後にトルシエジャパンは解散しました。
決勝トーナメント1回戦
日本0-1トルコ
2002FIFAワールドカップ通算成績
2勝1分け1敗 得点:5 失点:3 ベスト16
以上、5年前の今日でした
今シーズン、ヒムナスティックでプレーした元レアル・マドリードのハビエル・ポルティージョがオサスナに4年契約で移籍しました。
ポルティージョは記者会見で「1部残留を果たしここでプレーを続けたかったが、それは実現する事ができなかった。」とヒムナスティックにメッセージを伝えました。
ポルティージョがヒムナスティックでプレーする最後の試合は17日のバルセロナ戦、結果はユース時代からプレーしていたレアル・マドリードの優勝に関わってくる試合、ポルティージョは「どこが優勝するかはベルナベウでの結果次第だ。現在はレアル・マドリードが優位で、実際にそうなる事を望んでいる。でも万が一優勝できなかった時は、やはり実力が足りなかったという事だ」とレアルにエールを送りました。
レアルが最後にタイトルを獲得した2002-03シーズンで、時偶に重要で試合でゴールを上げてチームの優勝に貢献した現在25歳のポルティージョ、この移籍で才能は花開くか…?
デイビッド・ベッカム(イングランド代表、レアル・マドリード)
――レアル・マドリードは貴方を引き留めたがってますが…
「みんな知っているようにもう契約にサインをしているし、日曜日の試合が僕の最後の試合となる。僕がここに残れるという契約条項は存在しない。このユニフォームを着ることは名誉だったし、リーガ優勝の達成で夢は頂点に達するだろうね」
――レアル退団について
何度か言ったように、ここで僕のキャリアを終わらせたかった。でも、マンチェスターから去った時と同じ。これがフットボールなんだ。これは僕にとっての新たな挑戦だし、期待に胸を膨らませている。その反面ここから出て行くことは寂しいことでもある。僕はここで何のタイトルも獲っていない。でも、その歴史が変わろうとしている。優勝とともにレアル・マドリードを去るよ」
――17日の試合について
「大きな悲しみと感動が入り混ざった日となるだろうね」
――カペッロ監督について
「スポーツ面以上のことがあったのだと思うが、それについて話す時じゃない」
――この4年間について
「7人の監督に、たくさんのチームメイト、3人の会長…と多くのことが過ぎ去った。でも、僕はこのクラブに敬意を持っている。このクラブを批判することは決してない。この紋章に大きな大きな愛情を持っているし、白いユニフォームを着ることは大いなる名誉だったからね」
「最高の思い出は、レアル・マドリードとサインを交わした日だ。日曜日の試合に期待しているし、勝ったら、それはまた別の最高の思い出となる」
――17日の試合はロベルト・カルロスにとってもレアル最後の試合になりますが…
「彼のような伝説的な選手とその時を分かち合うことはうれしいこと。彼は最高の選手の一人であり、素晴らしい友人でもあるんだ」
――この4年間の嫌な思い出は?
「“ピッチから出て行け!”と野次を飛ばされたこと、でも後に、試合毎にファンは素晴らしかった。スペインに来る前から、ベルナベウのファンの要求の多いことは知っていた。今は彼らが望んでいることだけを考えている。可能性を掴んでいるわけだし、彼らから愛されていることを誇りに思っている。レアル・マドリードのファンは賞賛に値するんだ」
――今シーズン一時ピッチに立てなかった時期がありましたが…
「想像しえなかったことが起きた。悲しいことだし、大きな失望も味わった。そして、この決断(移籍)を下さざるを得なかった。チーム練習からも試合からも隔離され、厳しいシーズンを過ごしてきた。でも、プレーするために、特に世界でも最高のスタジアムであるベルナベウに立つために全力を尽くしてきた。最終的に事がいい方向へ流れた」
――最後に
「素晴らしい4年間を過ごしたということを繰り返し言いたい。優勝できようとそうでなくてもだ。クラブ、チームメイト、会長ら首脳陣、特にラウルにはお礼を言いたい。チームの支柱であり、賞賛に値する人物だ。ありがとう、そしてさようなら」