SOCCER NISUTA

なせば成る!!!!
レアル・マドリードについて書いていきます。

9.11同時多発テロから11年

2012-09-11 23:57:50 | レポート
2001年9月11日火曜日に起こった9.11アメリカ同時多発テロ事件から今日で11年の歳月が経ちました。
「アメリカを変えた102分」と呼ばれた、ニューヨークのWTC崩壊とアーリントンのペンタゴン破壊、ペンシンベニアでの墜落。あれから11年、対テロ戦争はいまだに続きあの日の影響は消えることはありませんでした。

今年は『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』3月に公開されました。
9.11で家族を失った少年は話で、冒頭はあの事件で誰もが目にした光景。高層階の火災の熱さに耐えかねて人が落ちる(無線連絡「人が落ちている」)様子から始まり、あのタワーが炎上する様子などを映像として映し、あの日のニューヨークの街の様子を映すなど少しショッキングな内容となっています。
しかしこの作品には事件から11年が経ったからこそ描ける心の苦しみから立ち直る遺族の姿があり、あの当時このテロに衝撃を受けた方は一見の価値ありでしょう。

人間とは不思議なもので、11年も経つと物の見方や感じ方が変化するものです。9.11の数ある作品を今振り返ってみると、初見のときとは違った感情になるかもしれませんね。
映像では『ワールド・トレード・センター』『ユナイテッド93』『9.11 ~N.Y. 同時多発テロ衝撃の真実』『再会の街で』本では『9.11ジェネレーション』『9.11 生死をわけた102分』あたりでしょうか…。

9.11.2001Ⅶ

2011-09-11 22:59:10 | レポート

消防士オリオ・J・パーマーは、若い頃からよくランニングを行っていた。何キロも走り消防士として必要な体力や脚力を身に付けた。そして、彼はTVコマーシャルの合間に腹筋をするなど、家族との団欒の時間ですらトレーニングを怠らなかった。また、彼は子工学で準学士号を取得するほどの努力家でもあった。
その成果は、消防局のベストフィットネス賞の受賞や9.11同時多発テロ時に現れた。

2001年9月11日火曜日、午前8時46分に貿易センタービル北タワーに飛行機が突っ込み、その日ニューヨークにいた消防士の殆どがNY一高いビルに向かった。午前9時3分には南タワーにも飛行機が突っ込み、現場は大混乱となった。
そんな状況で大隊長であるパーマーは部下を連れて南タワーに向かった。彼は殆どのエレベーターが動かない絶望的な状況の中、稼動していた貨物エレベーターを発見し救助活動に大きく貢献したのだった(40階に直接救助隊が行ける、救助者が直接地上に行ける)。

貨物エレベーターで40階まで登ったパーマー達はエレベーターが稼動している事を指揮所に報告し、階段を使って上層階に上って行った。彼らはブーツ、上着、ヘルメット、酸素マスクを装備している為、この作業はとてつもなく過酷なものになった。
パーマーは先頭に立ち、火元を目指して物凄いスピードで上って行った。パーマーの部下であるスコットとダグラスも遅れずに着いて来ていた。
パーマーの歩みは上階に行く度に速くなっていった。9時45分には74階まで到達した。

その数分後にはパーマーは飛行機が突入した階である78階に到着した。
9時51分、パーマーは無線で報告した。彼の声は今までと明かに様子が違っていた。彼は2箇所で炎上中と伝えた上で「多数のテン・フォーティファイヴ(民間人)。コードワン(死亡)」と言った。
78階で多数の死者が出ていたのだ。その理由は、北タワーに飛行機が突入した時に多くの人が避難しようとこの階に集結した。しかし、避難アナウンスの取り消しによって避難しようか迷ってこの階に居残る人が沢山おり、飛行機突入と共に死亡したからだった。
パーマーと部下たちは救助活動を始めようとしていた。78階には死者だけでなく、僅かながら生存者とその人々に付き添っていた警備員、そしてエレベーターに閉じ込められたままの人々が居たのだ。

南タワーの78階やその他の階の状況は無線で指揮所に次々と伝えられた。その頃、男が一人警察に電話して助けを懇願していた。
そんな時、南タワーが揺れ始めた。午前9時59分、数多くの人々の希望を絶望に変えて南タワーは崩壊した。このタワーに飛行機が突入してから僅か56分後の出来事だった。

この悲惨なテロ事件から今年で10年の年月が経ちました。この事件によってあの日、多くの人が亡くなりました。そして、現在まで続く戦争を生み出しました。
9.11から今日で10年目の節目を迎えます。

9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言
オリオ・J・パーマーについて詳しく書かれています。この本は、当時をそのまま描いているのでお勧めです。

動画
World Trade Center

過去の記事
9.11.2001Ⅰ
9.11.2001Ⅱ
9.11.2001Ⅲ
9.11.2001Ⅳ
9.11から7年
9.11 2001 Ⅴ
9.11 2001 Ⅵ

ケイコ 7周忌

2010-12-12 19:43:47 | レポート

映画『フリー・ウィリー』でウィリー役をしたオルカ、ケイコの死から今日で7年となりました。

ケイコは雄のオルカで、2003年12月12日の金曜日に逝きました。
ケイコは水族館を去り海に帰るという大偉業を成し遂げましたオルカで、多くの人々の心を揺さぶり、感動を与えました。
 そして、水族館や動物園で動物を飼育することが正しいのか?という問題を投げかけました(ケイコは必死に生きようとしただけだけど…)。
この問題は世界中で議論されていて、今も解決されていません(多分一生解決しない)。

ケイコを追悼しましょう…。

ケイコについて

9.11 2001 Ⅵ

2010-09-11 21:46:13 | レポート


2001年9月11日火曜日、その日はなんの変哲もない普段どおりの日になる筈だった。
しかし、PM8:46にアメリカのニューヨーク・マンハッタン島にある世界貿易センタービルにアメリカン航空11便が突っ込んだことで、その日は歴史に刻まれる惨劇の日になった。

その日、NYに住んでいるチャック・セレイカは貿易センター両塔が崩壊し、一連のテロ事件が終わった後にようやく起床した。9.11テロ事件が終息したのは、南タワーが崩壊したPM10:28だった。
セレイカは元救急救命士だったが、事件当時はもう救命士を辞めて無職だった。
そんな彼からしてみれば、午前10半以降に起きるなんて普通のこと。
このことから見てもテロ事件がどれだけ早い時間に起こり、早く終わったのかが伺える。

セレイカはPCのニュースで9.11テロを知った。
元救命士の自分にも何か出来るかもしれない”と思い立ったセレイカは、即行動を開始し、近くの病院に行って貿易センター行きの救急車に乗せてもらった。
実はセレイカは職を失って以来引きこもっていた、そんな彼が行動を起こしたのだから9.11テロは(事件現場にいた人以外にも)相当な衝撃を与えたといえる。

貿易センター倒壊現場では、夜の闇が迫る中、必死の救助活動が続けられていた。
セレイカも噴煙漂う中を歩き回っていた。その時、「生存者発見」と叫ぶ声が聞こえ、セレイカはすぐさま現場に向かった。
「生存者」は港湾公社警察のウィル・ヒメノとジョン・マクローリンだった(この2人の出来事は映画『ワールド・トレード・センター』の題材にされた)。
セレイカはこの2人の救助に尽力することになるのだが、救助は困難を極めた。
ヒメノとマクローリンは崩れやすい瓦礫に埋まっていたため、慎重に掘り出す必要があった。救助開始から4時間後、セレイカたちはついにヒメノを救い出した。

しかし、セレイカを初めとするヒメノ救出に当ったメンバーの殆どが体力の限界を超えていた為、マクローリン救出は別のチームが行うことになった。
セレイカは、即席で結成された救出チームのメンバーたちと激励を交わし、披露困憊の状態のまま家路についた。
時刻は午後11時過ぎ、惨劇の日が終わろうとしていた…。

9.11関連の文書
9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言
チャック・セレイカについては、この本を参考にして書きました。
この本は、本当に当時をそのまま描いているのでお勧めです。

9・11の標的をつくった男 天才と差別―建築家ミノル・ヤマサキの生涯
けっこう面白い。

9.11関連の映像
ワールド・トレード・センター
ヒメノとマクローリンが出てます。

P.S.
今日で9.11同時多発テロ事件から9年の歳月が経ちましたね。
時が経つのは本当に早い…来年は10年と二桁代に入ってしまいますね…。

9.11は“最近の事件”だと捉えていましたが、もはやその認識も間違ったものになりそうですね…。


2009年 月表

2009-12-31 21:45:01 | レポート
2009年 己丑
平成21年
イスラム暦:1430年1月4日 - 1431年1月14日
ユダヤ暦:5769年4月5日 - 5770年4月14日

■1月
・ウガンダ、オーストリア、トルコ、日本、メキシコが国際連合安全保障理事会の非常任理事国になる。(1日)
・チェコがフランスに代わり欧州連合議長国となる。 (1日)
・『24 -TWENTY FOUR- シーズン7』放送開始。(11日)
・アメリカへの入国手続きに電子渡航認証システム(ESTA)が必須となる。(12日)
・USエアウェイズ1549便不時着水事故が発生。ハドソン川に不時着水、死者なし。(15日)
・イスラエルがガザ地区での紛争の停戦を一方的に宣言。(17日)
・バラク・オバマが、第44代アメリカ合衆国大統領に就任。(20日)

■2月
・オーストラリア・メルボルン近郊で大規模な山火事発生。約181名死亡。(7日)
・アメリカとロシアの人工衛星が衝突。(10日)
・7日の山火事の放火犯2名を逮捕。(12日)
・コンチネンタル航空3407便がニューヨーク州・バッファロー郊外に墜落。死者多数。(12日)
・オランダでトルコ航空ボーイング737旅客機が着陸に失敗。死傷者多数。(25日)

■3月
・ドイツ・ケルンの公文書館が崩壊。歴史的史料に被害。(3日)
・ドイツでヴィネンデン銃乱射事件発生。15名死亡。(11日)

■4月
・イギリス・ロンドンにおいて第2回20ヶ国・地域首脳会合(G20)が開催。(1日、2日)
・プレアビヒア付近の国境未確定地域でタイ軍とカンボジア軍が交戦、死者2人。(3日)
・北朝鮮がミサイル(テポドン2号の改良型)発射実験を実施。(5日)
・バラク・オバマがプラハで「兵器のない世界」宣言。(5日)
・イランでイラン系日系アメリカ人女性がスパイ容疑で懲役8年の判決。(18日)
・アメリカとメキシコで豚を起源とする新型インフルエンザ感染症を確認。(24日)

■5月
・『24 -TWENTY FOUR- シーズン7』放送終了。(18日)
・盧武鉉前大韓民国大統領が自殺。(23日)
・フィリピンで乗員計約70人を乗せたフェリーが転覆。12名死亡。(23日)
・北朝鮮が2006年に続き2度目の核実験実施。(25日)

■6月
・日本が2010FIFAワールドカップ出場権を獲得。(6日)
・マイケル・ジャクソン氏が逝去。(25日)

■7月
・ウイグル族と漢民族がウイグル騒乱を起こす。死傷者多数。(5日)
・日本、中華人民共和国、インド、太平洋の島で皆既日食・部分日食を観測。(22日)

■8月
・タリバンがアタガニスタンで爆破テロを起こし12名死亡。(3日)
・ギリシャ・アテネで山火事が発生。(22日)

■9月
・フィリピンで大型客船が沈没。約9名死亡。(6日)
・アエロメヒコ航空576便ハイジャック事件が起こる。(9日)
・9.11アメリカ同時多発テロ事件から8周忌。(11日)
・鳩山由紀夫氏が第93代内閣総理大臣に任命。(16日)

■10月
・2016年夏季オリンピックの開催地がリオネジャネイロに決定。(2日)
・エチオピアで人類の遠い先祖に当たる可能性があるラミダス猿人の全身骨格発見。(2日)
・バラク・オバマがノーベル平和賞を受賞。(9日)
・トルコとアルメニアが国交を樹立。(10日)
・アメリカがスペースシャトルの後継機である初のロケット試験機「アレスI」の打ち上げに成功。(28日)
・欧州理事会がブリュッセルで開かれる。(30日)

■11月
・バラク・オバマが初来日。(13日)

■12月
・2010FIFAワールドカップ・グループリーグ組み合わせ抽選会が行われる。(4日)
・鹿島アントラーズが異例の途中試合に敗北するなど苦戦したものの3連覇達成。(5日)
・ケイコ、6周忌。(12日)
・『24 -TWENTY FOUR- シーズン7』DVD-BOXが日本で発売。(18日)
・アメリカで航空機爆破テロ未遂事件が起きる。(25日)

ケイコ R.I.P.Ⅲ

2009-12-12 19:11:17 | レポート


ケイコ関連作品紹介

フリー・ウィリー
母親に捨てられた少年ジェシーが人間に捕らえられて群れから離れたウィリーと水族館で出会い、友情を持ち、やがてウィリーを群れに帰すストーリー。
ケイコ演じるウィリーがとてもキュート、ジェシーが里親を受け入れようとする様子なども丁寧に描かれています。
音楽も印象に残り、CD(廃盤中)を購入したくなること間違いなし!マイケル・ジャクソン提供のエンディング曲も最高です。

フリー・ウィリー2
群れに帰ったウィリーと成長したジェシーの物語。
今回は前回よりもアニマトロニクスの使用頻度が高く、オルカの群れ以外はロボットらしいです。
久々に再会したウィリーがハーモニカを届けるシーンやラストシーンは感慨深いものがあります。

フリー・ウィリー3
昔一度見た記憶がありますが、ジェシーが船に乗り込むシーンしか覚えてません…(汗)
ちゃんと見ると本当にウィリーとお別れのような気がして再視聴してません…。

ケイコという名のオルカ ~水族館から故郷の海へ~
さっきの記事は殆どここの情報を見て書きました。
ケイコ好きにはお勧め、ケイコが浮き囲いを離れる直前まで書かれています。
ケイコのことだけではなく、オルカやイルカが水族館にいるとどういう状況に置かれるのか、オルカとイルカ漁の悲しさについても言及しています。

ケイコ 海へ帰ったオルカ
『ケイコという名のオルカ』のエッセイ版。
ケイコの気持ちになって語られている場面もあります。

ケイコを海へ帰したい ~世界でいちばん長い旅をしたオルカ~
ケイコの死の直前に出版されたため、ケイコの死については書いてません。
内容は『ケイコという名のオルカ』+ケイコ旅立ち~戻って来たケイコまでです。
筆者はケイコの死がショックだったのか(?)、ケイコの死後の文書は出していません。

 
ケイコの墓


ケイコ R.I.P.Ⅱ

2009-12-12 19:00:42 | レポート


ケイコは浮き囲いの生活を続け、徐々に自然に順応していき、2000年3月3日(金)には浮き囲いの外に出るまでになりました。
同年5月25日(木)、ケイコは浮き囲いを完全に出て大海原を自由に泳ぎ回り、ついに自由へのカウントダウンが始まりました。

2001年5月、急成長しているケイコはヘイマエイ島付近のオルカの群れに合流するまでになりましたが、その群れと一緒に島を去るまでには到りませんでした
1年後の2002年7月、ケイコは再びオカルの群れと合流し一度は浮き囲いに戻ってきたものの、7月15日(土)についにケイコは群れと一緒に人間の元を離れ、自由なオルカとなりました。

ケイコが旅立ってから約2ヶ月後の2002年9月1日(日)。
ノルウェーのスカールビック・フィヨルドに一匹のオルカが姿を現し、そこにいた家族連れのボートに併走。そのオルカは背中を撫でられると反応し、その家族の女の子と一緒に泳いだり、背中に乗せたりしました。
そのオルカこそ、群れと一緒に旅立ったケイコでした。

1人でノルウェーまでやって来たケイコは、その後、そこにいる住民と戯れるなどして海へ戻ろうとはしませんでした。
ケイコを野生に戻す活動は再び白紙に戻りましたが、“フリー・ウィリー・ケイコ基金”や世界中のケイコを思う人々は何とか野生に帰したいと再度行動を開始、ノルウェー政府はそれを聞き入れてケイコの半径50メートルに近づくことを禁止、なるべく野生の状態にすることに協力しました(当時はケイコを殺すという意見も出るなど、ケイコの周囲は不穏だった)。
2002年12月、ケイコを冬でも氷が張らないノルウェーのハルサ自治区内のタクネス湾に移動させ、そこで再びリリースに向けた訓練が行われました。

2003年12月12日金曜日の夕刻、ケイコは息を引き取りました
死因は急性肺炎、ケイコは死の2日前から昏睡状態になり始めて食事を取らなくなっていたとのことです。
ケイコは最後の地でリリース訓練に励む傍ら、地元の人達や観光客に芸を披露するなど、元気な様子を見せていましたが病魔は突如としてケイコの命を奪いました…。
死去から3日後の15日(月)、ケイコは最後の地の近くの幅10メートル、深さ5メートルの穴に埋葬されました。

結局、ケイコが自由になったのは約2ヶ月と短期的で最後まで人間に翻弄されて27年間の生涯(1977年誕生と推定)を終えました。
しかし、ケイコは最後まで人間の友でした。人間に翻弄されたのにも関わらず、最後まで人間の友であったオルカ、ケイコから何を受け取り、感じるかはその人次第でしょう。

最後になりますが、“人間の友”であったケイコを象徴する場面が『フリー・ウィリー2』にあります。それはラストシーンで主人公ジェシーを助けた後になかなか仲間の元に帰らないウィリーの姿です。
あれはアニマトロニクスでしたが、そこには確かに“人間の友”ケイコの姿を見ました…今後ケイコのような境遇のオルカや動物(イルカなど)を出さないようにしなければなりません。


元気に泳ぐケイコ


ケイコ R.I.P.Ⅰ

2009-12-12 18:52:51 | レポート

今から6年前の2003年12月12日(金)夕刻、ノルウェー西部ハルサ自治区のフィヨルド。
そこにいた一匹のオルカ(シャチ)“ケイコ”が死去しました。

ケイコ(日本とは何の関わりもありません。雄です)はヨーロッパのアイスランドで生まれました。
1979年11月、ケイコは約1歳のときに猟師たちによって捕らえられ、家族がいる群れと引き離されました。

その後、ケイコはアイスランドとカナダの水族館を転々としました。
アイスランドでは“シッキー”。カナダでは“ガーゴ”と銘々付けられたケイコは、若干1歳半で群れと離れて暮すという殆ど拷問のような暮らしに耐えぬきましたが、狭い水槽に閉じ込められ、年々体力は減少していきました。
実は、ケイコは日本の水族館に行く可能性もあったのですが、恐らく日本に行っていたら水族館で一生を終えていたことでしょう。

1985年、ケイコはカナダからメキシコの水族館に移動、名前はガーゴから“ケイコ”に改名されました。これはガーゴがメキシコ語で「糞を垂れる」という意味があったためとのことです。
このメキシコでの生活はケイコにとって苦痛以外のなにものでもありませんでした。メキシコはケイコの故郷であるアイスランドよりも明らかに水温が高く、ケイコの体力はついに限界点に達して皮膚病にも罹り(カナダの水族館で罹り、メキシコで悪化)、命の危機に瀕していたといわれています。

そんなケイコに転機が訪れたのは1992年、オルカを主人公にした映画『フリー・ウィリー』の製作をしようとしていたワーナー社がケイコに目を付けて水族館に出演を打診、水族館側は金になると思い出演を了解(ストーリー内容から出演を断る水族館が多かった)したことからケイコの人生が劇的に変わりました。
1993年ワーナー社が製作した『フリー・ウィリー』は大ヒットを記録、ケイコの演じる“ウィリー”はたちまち米国人のアイドルとなりました(日本ではまったくヒットしなかった。)。

『フリー・ウィリー』公開から数ヶ月、「あのオルカを演じているのは誰?」と米メディアはケイコの情報を追いつづけ、雑誌などを通じてケイコが危うい状態にあることが伝えられました。
そうして巻き起こったのが“ケイコを海に帰す”運動です。子どもたちから始まり、ワーナー社や環境保護団体もバックアップを続け、ついには“フリー・ウィリー・ケイコ基金”という組織もつくられました。

1995年『フリー・ウィリー2』の公開によってケイコの救う活動は飛躍的になり、翌1996年、ついにケイコは自由への第1歩を掴みました。
ケイコはリハビリ設備が完備されたアメリカのオレゴン・コースト水族館に移動、そこでリハビリ励むことになります。
オレゴンでケイコは犬のぬいぐるみと戯れたりしながら徐々に体力を回復(もちろん芸はさせない)、ケイコは自由へと着実に前進して行きました。

オレゴン・コースト水族館で順調にリハビリに励むケイコは、生きた魚を捕らえるなどみるみるうちに元気になっていきました。
しかし、水族館はそんなケイコが人気があることを運営上プラスと考えてケイコを手放すのをためらい始めるなど、少し不穏な空気が漂い始めました。

そんな空気に呑み込まれぬよう、ケイコを救おうとしている人々はケイコをアイスランドへ帰還させようと著名活動を開始、1998年9月9日(水)ついにケイコは故郷へと旅立ちました
翌日の9月10日(木)ケイコは故郷アイスランドのヘイマエイ島、クレッツビク湾の浮き囲いにリリースされ、約19年ぶりに自然の空気にふれました


人を覗きこむケイコ


9.11 2001 Ⅴ

2009-09-11 23:28:01 | レポート


2001年9月11日、火曜日。
アメリカ合衆国のニューヨーク・マンハッタンにあるワールド・トレード・センタービル(通称ツインタワー)に2機の旅客機が突っ込み、1時間42分後に崩壊しました。

ビル内では、生死をかけた様々なドラマが展開されていました。
その中でも、フランク・ディマティーニを中心とするグループがとった行動は、まさしく英雄と呼ぶに相応しいものでした。
 
ツインタワーを管轄する港湾公社の建築主任であるディマティーニは、マナー違反をする者を躊躇せずに叱り付けるなど、律儀な人物で、正義感も兼ね備えていました。
そんな彼が、最も愛していたのが、妻のニコル・ディマティーニとツインタワーでした。
ツインタワーを“おれのタワー”と呼んでいた彼は、9月11日も、あのビルに絶大な信頼を寄せていたようです。

あの日、ツインタワー第1棟(北タワー)にいたディマティーニは、北タワー攻撃後、すぐさま同僚のパブロ・オーティズらと共に、突入時の衝撃によって閉じ込められてしまった人々の救出に向かいました。

北タワー最上部(突入口付近)にいた人々が、助かったのは、ディマティーニのチームの活躍によるものだと多くの人が証言しています。
そんなディマティーニたち港湾公社職員の本来の仕事は、入居者の改装工事の監督であり、救助活躍は義務ではありませんでした。
それにもかかわらず、彼らは、自らの意思で救助活躍(それも、レスキュー隊顔負けの手際のよさ)をつづけました。

救助活躍をして暫くすると、彼らは、『シルヴァー・スタイン不動産(現在のツインタワー跡地の管轄社)』の社員であるジョン・グリフィンとエレベーターに閉じ込められていたトニー・サヴァスに出会いました。
この2人も正義感が強く、サヴァスにいたっては、72歳の高齢にも関わらず、救助の手伝いを申し出たという証言もあります。

又、ピート・ネグロンという人物も救助活躍を行っていた記録が残っていますが、ディマティーニのチームと一緒だったかどうかは確認されていません(おそらく一緒だった)。
ネグロンは友人であるカーロス・ダコスタの助けに向かいましたが、その後の行動は不明です。

9月11日の午前8時46分から始まった彼らの生死をかけた戦いは、1時間42分後の午前10時28分に終わりました。
ツインタワーを最も愛した男は、タワーと共に息を引き取り、その男と共に多くの人々の命を救ったオーティズと同僚たちも同様に逝ってしまいました。

友人を助けに向かったネグロンと友人であるダコスタ、グリフィンとサヴァスも同じ運命を辿ってしまいました。
あの日、命をかけて戦ったのは、消防隊や警察だけではなく、民間人たちも同様でした。
彼らをはじめ、あの日亡くなった人々の記憶は、助かった人達や遺族を通じて永遠に語り継がれていくことでしょう。

9.11の映像
9.11~N.Y.同時多発テロ衝撃の真実
2001年9月11日の朝、消防士に密着取材していたフランス人の兄弟が偶然撮影した映像をドキュメンタリー化した作品。
9月11日の数ヶ月前の取材記録に、ワールド・トレード・センターが映り込んでいる映像もあり、それがあのテロの残虐性や非現実性をよりいっそう感じさせます。
奇跡的にも、この兄弟が取材していた消防団は一人も亡くなっていません(ジョゼフ・ファイファー隊長の弟のケヴィン・ファイファー小隊長は亡くなりました)。
あの日から8年もの月日が経ちましたが、この映像をみれば、あの悲劇が本当にあったことだと実感できます。

9.11の文書
倒壊する巨塔 -アルカイダと「9・11」への道
ピューリッツァー賞受賞作品。

9.11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言
一昨年も紹介しました。
上記で北タワーについて書きましたが、この本の情報を自分でまとめたものです。
自分のは拙い文章だったので、この本を読んだ方が分かりやすいです。


2008年 月表

2008-12-31 17:49:17 | レポート
2008年 戊子
平成20年
イスラム暦:1428年12月22日 - 1430年1月3日
ユダヤ暦:5768年4月23日 - 5769年4月4日

■1月
・キプロス、マルタ、アクロティリおよびデケリア(キプロス島内のイギリスの海外領土)がユーロ導入。(1日)
・原油先物相場が急騰が止まらず、ニューヨークでは一時1バレル=100.00ドルを記録し、初の100ドル台に。この後も7月半ばまで断続的に価格が上昇。(2日)
・2007年11月5日から続くアメリカ合衆国脚本家組合のストライキの影響で、『24 -TWENTY FOUR-』シーズン7放送が1年延期。(6日)
・松下電器産業、同年10月1日から社名を「パナソニック株式会社と変更することを発表。(10日)
・イラク・バグダードで、過去100年以上の観測史上初となる降雪を観測。(11日)
・中国から日本に輸入された冷凍餃子や食材から、殺虫剤などに使用される有毒成分メタミドホスが検出され、日本、中国両政府が調査。(30日)

■2月
・アフリカ・チャド共和国の首都ンジャメナで、反政府勢力と政府軍による市街戦発生。100人以上死亡。(2日)
・アメリカ合衆国中西部を襲う1985年以来の大規模竜巻群が発生、テネシー州、アーカンソー州などで大被害、少なくとも55人が死亡、竜巻被害として最悪の死者数。(5日)
・南半球を中心に日食。昭和基地などで観測される。(7日)
・韓国ソウル中区の南大門で火災発生、国宝の楼閣が全焼、犯人は逮捕される。(10日)
・アメリカ・イリノイ州の北イリノイ大学で銃乱射事件発生。6人死亡16人が負傷。犯人は犯行後自殺。(14日)
・アフガニスタン・カンダハルで、約80人が死亡する自爆テロ発生。2001年のタリバン政権崩壊後最悪の被害。(17日)
・イージス艦衝突事故が発生、被害者2名は行方不明のまま5月20日に確定死亡。(19日)
・アメリカ・ロサンゼルス市警察、ロス疑惑について三浦和義容疑者を旅行先の北マリアナ連邦サイパンで逮捕。(22日)
・シンガポールで無期限拘束されていた、イスラム原理主義組織ジェマ・イスラミアの幹部マススラマット・ビンカスタリが、拘置中の施設から逃亡。(27日)

■3月
・南氷洋で、反捕鯨団体シー・シェパードが日本の捕鯨船日新丸に対して物理的攻撃を仕掛ける。(3日)
・エクアドル政府が左翼ゲリラ『コロンビア革命軍』の掃討作戦をコロンビアがエクアドル領土内で行ったことに強く反発し、国交断絶をコロンビア政府に通告。(3日)
・アメリカ合衆国、共和党の大統領候補がジョン・マケインに決定。(4日)
・チベット自治区での中国政府に対する抗議運動が大規模暴動に発展。(14日)

■4月
・2015年国際博覧会の開催地がイタリアのミラノに決定。(1日)
・スリランカ共和国で開催されたマラソン大会のスタート直前に爆弾が投げ込まれる事件が発生。(6日)
・スリランカ共和国ので、路線バスの爆破事件が発生。6日の犯行ともにテロ組織『タミル・イーラム解放のトラ』の犯行とみられている。(25日)

■5月
・ドミトリー・メドヴェージェフのロシア連邦新大統領の就任式が行われる。(7日)
・イタリアで第3次ベルルスコーニ政権が発足。(8日)
・川田亜子が自殺(裁判中)(25日)
・アイルランドの首都ダブリンで開かれた会議で、クラスター弾に関する条約が参加107ヶ国の全会一致で採択される。(30日)

■6月
・アメリカのロスンゼルスにあるユニバーサル・スタジオで火災が発生。(1日)
・バラク・オバマがヒラリー・クリントンを破り民主党の大統領候補に。(3日)
・スペインのサラゴサでサラゴサ万国博覧会開催。(14日)

■7月
・日本の海上自衛隊のインド洋における補給支援活動、6ヶ月延長が決定。 (1日)
・『ハリー・ポッターと死の秘法』日本語訳版が発売。(23日)

■8月
・カナダ、ロシア(シベリア)、モンゴル、中国北部などで皆既日食。(1日)
・北京オリンピック開催。(8日)
・ロシアがグルジアに進行(新冷戦)。(8日)
・北京オリンピック閉幕。(24日)

■9月
・福田首相が辞任表明。(1日)
・9.11アメリカ同時多発テロ事件から7周忌。(11日)
・サラゴサ万国博覧会閉幕。(14日)
・リーマン・ブラザーズが破綻、世界的金融危機へ。(15日)
・ 麻生太郎が首相に就任。(24日)

■10月
・アメリカ合衆国政府が緊急経済安定化法を可決。(3日)
・ロス疑惑でアメリカ・ロサンゼルス市警察に逮捕されていた三浦和義容が死亡、自殺か他殺かは不明。(10日)
・『フルハウス』ファイナルシーズンが日本で発売。(22日)

■11月
・アメリカ合衆国の大統領本選挙が行われ、民主党のバラク・オバマが共和党のジョン・マケインを破り大統領就任決定。(4日)
・ロシア連邦太平洋艦隊の原子力潜水艦で火災消火装置の誤作動による事故が発生し20名が死亡し、21名が負傷。(8日)
・『24 -TWENTY FOUR- リデンプション』がアメリカで放送(シーズン7放送は09年1月11日)。(23日)
・インドでムンバイ同時テロ事件が発生。(26日)

■12月
・ノルウェーでクラスター弾に関する条約の署名式が行われる。(4日)
・初代新幹線の0系新幹線車両が旅客運転を終了。(22日)
・ギリアでクーデタ発生。(23日)