Feelin' Kinda Lucky

ちょっと書いとこう・・・・

失われた命のために・・・

2020年04月01日 | Sports & Entertainment

志村けんがコロナウィルスに感染した結果、短期間で亡くなってしまった。

特別ファンとかではないが ドリフターズ以来、長い間テレビに映ってきたので何やらとても寂しい。

志村けんの父親は、生真面目な教師だったらしい。家では冗談はもとより、笑顔すら見せない厳格な父親だったらしい。

一方、母親はとても賑やかで愉快なひとだったらしい。

そんな性格を受け継いでか、志村けんは子供の頃から人を笑わせることが嬉しくて仕方なかったらしい。

志村が高校生の頃、「雲の上団五郎一座」というコメディがあり、出演していた三木のり平のあぐらをかこうとするがうまく出来ない様子の演技に、いつもは仏頂面の父親が腹の底から大笑いして笑う姿に驚いた。

志村は父が笑ったことにも驚いたが、それ以前にこの厳格な硬い父親をこれほど笑わせたのり平のパワーにもっと驚き、これが契機でコメディアンになる決意をし、いかりや長介の門を叩くことになったそうだ。

三木のり平のような普段笑わない人までも笑わせてしまうような、すごい力のあるコメディアンになりたいと思ったそうだ。

私も三木のり平は子供の頃、東宝の社長シリーズなどで良く見ていた。その動作、表情などホントに可笑しくコメディアンとして天才だと思った。この人や伴淳三郎など、意識せず身体の底からにじみ出るようなコメディアンの演技はまねしてできるものではない。

志村けんの父親ほどでないにせよ、ウチの父親も殆ど家では、食事中でさえ静かで声を立てて笑うようなことはなかった。

ところがそんなウチの親父が、(当時は土曜日も仕事をするのは常だったので)帰宅後、晩飯を食べながらテレビに映る8時だよ全員集合の志村けんのギャグを見て、いつもは見せない屈託のない笑顔でよく笑っていた。

昨日、志村けんの追悼番組を見て 彼の父親のこの話を聞いて、ああ、志村けんは大成して、若い日に憧れた三木のり平と同じように笑わない人を笑わせることの出来るすごいコメディアンになっていたんだと思った。

ヘンなおじさんにせよ、バカ殿にせよ、婆さんのギャグにせよ かつてのPTAから幾度もお叱りを受けた。バカバカしいと思いながらついつい見て笑ってしまう。そんな名コメディアンだった。心底、人を笑わせるのが楽しくて仕方なかったらしい。突然ウィルスに命を奪われ もう見れないと思うと悲しい。

そんな志村けんの追悼番組を見終わって、音楽をかけたら竹内まりやの「人生の扉がかかった。個人的にはあまりこのように直接的なことばの羅列で訴える曲は好きでないのだが、こんな歌詞が耳に入った・・・

♪ 信じられない速さで 時が過ぎ去ると 知ってしまったら どんな小さいことも憶えていたいよと 心が言ったよ ♪ 

♪ 満開の桜や色づく山の紅葉を この先いったい何度見ることになるだろう。ひとつひとつ人生の扉を開けては感じるその重さ ひとりひとり愛する人たちのために生きてゆきたいよ。♪ 

すべてはいつか 別れがあり さっきまでそこにいたのに 二度と会えない。 

命は儚い・・・  

だからこそ 尊くすばらしい。二度と戻ることのない 一瞬一瞬をかみしめて 生きていきたい。

歳を取るといかんな・・・ こんなこと思い浮かべ 涙が浮かんでくる。

地球をコロナウィルスが蔓延する。これだけ技術や医学も進化したつもりでも 世界中であっけなく大切な命を奪われる人類。

いつのまにか 自分たちの欲望のため地球を汚し、昨今は調和を忘れ、大国の宰相が自らの権力と地位の維持のためにナショナリズムに走り市民はそれに同調してきた。

おまえたち これでいいのかと地球に問いかけられているような気がする。 

ウィルスに苛まれた今、実は自分達がウィルスだったことに気づき 人々が手を取り合い人に優しく 共に生きていくことを再認識して出直す絶好の機会とするべきだろう。 

そうしないと失われた命が報われない。


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