毎日が、始めの一歩!

日々の積み重ねが、大事な歴史……

外れ馬券は経費

2015年02月19日 | 文化

「外れ馬券は経費」確定へ 最高裁が弁論開かず3月に判決

(02/18 18:35)

 30億円近い競馬の外れ馬券代が経費と認められるかどうかが争点になった脱税事件で、最高裁第3小法廷が18日までに、弁論を開かないまま3月10日に判決を言い渡すと決めた。
経費と認めた一、二審の判断が確定するとみられる。

 インターネットや予想ソフトを用いて馬券を購入する方法はファンに広まっており、最高裁の判断は競馬や他の公営ギャンブルの課税実務に影響しそうだ。

 この事件は大阪市の男性(41)が2007~09年にインターネットで28億7千万円分の馬券を購入し、総額30億1千万円の払戻金を得たが申告せず、5億7千万円を脱税したとして所得税法違反の罪に問われた。

 

春節の爆竹で大気汚染、北京 最悪レベルに

(02/19 12:26)

春節を迎え、北京市内で打ち上げられる花火=19日未明

春節を迎え、北京市内で打ち上げられる花火=19日未明

 【北京共同】北京市で春節(旧正月)の大みそかの18日深夜から19日にかけて、新年を祝う花火や爆竹が使用され、大気汚染が悪化した。

 在中国米大使館のウェブサイトによると、微小粒子状物質「PM2・5」を含む汚染の指数は19日午前1時(日本時間同2時)に438に達し、最悪レベル「危険」(301~500)となった。

 19日付の中国紙、新京報によると、北京市内では同日午前1時までに爆竹や花火で25件の火災が発生、13人がやけどなどのけがを負った。

 北京市当局は、18日夜から数日間は、大気汚染を招きやすいとして、市民に花火や爆竹の自粛を呼びかけていた。

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全研究者が受賞者。私はその代表

2014年12月05日 | 文化

ノーベル賞:中村教授「全研究者が受賞者。私はその代表」

インタビューに答える米カリフォルニア大サンタバーバラ校の中村修二教授=ストックホルムのグランドホテルで2014年12月4日午後7時2分、兵藤公治撮影© 毎日新聞 インタビューに答える米カリフォルニア大サンタバーバラ校の中村修二教授=ストックホルムのグランドホテルで2014年12月4日午後7時2分、兵藤公治撮影

 ◇ストックホルムに到着、授賞式前に心境語る

 【ストックホルム千葉紀和】今年のノーベル物理学賞を受賞する中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授(60)が4日夕(日本時間5日未明)、
ストックホルムで、毎日新聞のインタビューに応じた。授賞理由となった青色発光ダイオード(LED)の開発について、「私は実現に貢献しただけで、研究開発から製品化まで多くの人が貢献してきて今がある。
それら全ての人が受賞者で、私はその代表として受賞するつもり」と、受賞を目前にした心境を語った。

 共同受賞する赤崎勇・名城大終身教授(85)、天野浩名古屋大教授(54)よりも一足早く、一番乗りで現地入りした中村さん。
3人での受賞について、「お二人は長年の競争相手で、お互い切磋琢磨(せっさたくま)してここまで来たし、そのおかげで私は成長できた。非常に光栄に思う」と笑顔を見せた。

 仕事で滞在していたサウジアラビアから空路で現地入りし、ノーベル賞受賞者の定宿として知られる市内の高級ホテル「グランドホテル」にチェックイン。
スタッフの歓迎に笑顔で応えた。今回の旅には妻のほか、息子2人と娘1人も同行する。中村さんは「家族とはよく旅行するが、海外の授賞式に一緒に来るのは初めて。
(晴れ姿を)見てもらえるのはうれしいね」と少し照れながら話した。

 中村さんが青色LEDの実用化を果たしたのは1993年。それから約20年間、「ノーベル賞に最も近い男」と言われてきた。
「賞をもらえるのはうれしいけど、ノーベル賞だからという特別な思いはない」と一言。一方で、滞在中一番の楽しみは「やはり授賞式と晩さん会。歴代の受賞者がみんな絶賛していたから体験してみたい」と語った。

 受賞者は、授賞理由に関連した愛蔵品をノーベル博物館に寄贈するのが恒例となっている。中村さんは、かつて在籍していた日亜化学工業(徳島県)で最初に製品化した青色LEDを寄贈しようと、
日亜側に頼んだという。「でも『当時の物はもうない』と言われた。残念」と明かした。

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はやぶさ2

2014年12月03日 | 文化

はやぶさ2:いよいよ姿現し、発射地点に…3日打ち上げ

© 毎日新聞

 小惑星探査機「はやぶさ2」が3日午後1時22分4秒、種子島宇宙センター(鹿児島県)からH2Aロケット26号機で打ち上げられる。3日午前0時すぎ、はやぶさ2を載せたH2Aは組み立て棟から姿を現し、
約20分かけて500メートル離れた発射地点に運ばれた。

 宇宙航空研究開発機構(JAXA)によると、2日午後4時半現在、3日の天気は曇りだが、打ち上げの可否の判断基準を上回る強風や雷雲の発生は予想されていない。
当初は11月30日午後打ち上げの予定だったが、天候不良が予想され、2度延期されていた。

 打ち上げの模様を生中継するパブリックビューイングが全国70カ所で予定されている。日本科学未来館(東京都江東区)では職員による解説に続き、打ち上げの中継映像を流す。
同館は「延期決定後も問い合わせが続いている。当日は小中学校の団体見学もあり、多くの子どもたちに見てほしい」と話す。

 はやぶさ2は2018年夏に地球と火星の間にある目的の小惑星「1999JU3」に到着。新たに開発した衝突装置で天体表面にクレーター(くぼ地)を造り、
 地下の物質を採取して地球に持ち帰る計画。太陽や宇宙線によって物質が変質する「宇宙風化」の影響を受けていない物質を持ち帰ることで、太陽系の歴史や生命誕生の謎の解明に役立つと期待されている。

 H2A26号機には、東京大などが開発した超小型探査機「プロキオン」など3基も相乗りする。【大場あい、永山悦子】

「はやぶさ2」打ち上げ 切り離しは午後3時過ぎ

「はやぶさ2」打ち上げ 切り離しは午後3時過ぎ: 離床するH-IIAロケット=JAXAのライブ中継より© ITmedia ニュース 提供 離床するH-IIAロケット=JAXAのライブ中継より

 小惑星探査機「はやぶさ2」を搭載したH-IIAロケット26号機が12月3日午後1時22分4秒、種子島宇宙センターから打ち上げられた。

 飛行計画によると、はやぶさ2は離床から1時間47分15秒後の午後3時過ぎ、高度889キロでロケットから分離され、小惑星「1999 JU3」を目指す。

 宇宙航空研究開発機構(JAXA)のライブ中継は、第2段エンジンの2回目始動前となる午後2時55分から再開する。

 はやぶさ2は2018年に1999 JU3に到着。1年半にわたって滞在し、衝突装置により人工クレーターを作って宇宙線などにさらされていない小惑星の物質を採取するなどし、2020年に地球に帰還する予定だ。

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石田三成

2014年12月01日 | 文化

石田三成 家紋

定紋は定かではなく、「大一大万大吉」(だいいちだいまんだいきち)、または「大吉大一大万」が足軽たちに貸し出していた甲冑の胴や石田三成画像の裃に描かれている。

石田氏としては九曜紋や桔梗紋の使用がある。大一大万大吉紋は文字の配置や書体は不明であるが鎌倉時代の武将、

石田次郎為久源義仲を射落とした武将)も使用しており、ほかには備後山内首藤氏も使用している。

大一大万大吉」というのは「万民が一人のため、一人が万民のために尽くせば太平の世が訪れる」という意味とされる一方、

近代以前にその意を示した文献はなく、本来は「一」を「かつ」と読み、縁起の良い文字を重ねたものともされる。

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主要国の国歌

2014年11月23日 | 文化

秀歌

 【日本人の座標軸(18)】「君が代」は世界一の秀歌: ソチ五輪で金メダルを獲得し、日の丸を手に笑顔の羽生結弦選手。日の丸も君が代も世界に誇れる(大里直也撮影)© 産経新聞 提供 ソチ五輪で金メダルを獲得し、日の丸を手に笑顔の羽生結弦選手。日の丸も君が代も世界に誇れる(大里直也撮影)

 主要国の国歌の歌詞を見てみよう。

 【日本】君が代は 千代に八千代にさざれ石の いはほとなりて 苔のむすまで

 【中国】立て 奴隷となるな 血と肉もて 築かんよき国 立て!立て!立て!心あわせ 敵にあたらん 進め敵にあたらん 進め 進め 進め進めよや

 【フランス】ゆけ祖国の国民 時こそ至るれり正義のわれらに 旗はひるがえる 旗はひるがえる 聞かずや野に山に 敵の呼ぶを悪魔の如く 敵は血に飢えたり 立て国民 いざ矛とれ 進め進め仇なす敵を葬らん

 アメリカやイギリスの国歌についても調べてみてください。

 さて、皆さんどうお感じになりましたか。血と肉を持てとか、血に飢えた敵とか、実に戦闘的で品格なき国歌ばかりだと思われたことでしょう。日本の国歌「君が代」は和の国=日本にピッタリだと思われたことでしょう。

 「君が代」はドイツでの世界国歌評定会で第1位の秀歌に選定されている。歌詞は今から約1100年前、醍醐天皇が紀貫之らに命じて編集させた日本最古の歌集である『古今和歌集』の巻第七、賀歌の部の第三四三番にある「我が君は千世にやちよにさざれいしのいはほとなりて苔のむすまで」がルーツとされている。

 詠み人知らずの歌で、日本古来の雅楽の旋律を取り入れて現在の曲となったのである。長寿を願うお祝いの歌として愛唱された歴史もある。

 「君が代」が国歌になる経緯を書けば長くなるので端折るが、1870(明治3)年、イギリス公使から国歌があった方がいいと進言され、歌詞の選定を一任されていた薩摩藩士歩兵隊長、大山巖が古今和歌集の中から採用した。明治15年、文部省は国歌として制定したのである。青渓書院で学び、但馬の先人として知られている文部省参事官を務めた浜尾新もこれに参画している。

 ところがこんな由緒あるきれいな歌が、軍国主義の復活につながるとして、学校の卒業式などで歌われなかった時期があったのをご存じでしようか。東京都の公立高校の卒業式で、起立もせず、歌も歌わなかった教員が懲戒処分されたのは、数年前のことである。

 但馬のある中学校長に「卒業式で国歌斉唱をしていますか」と尋ねたら、「“君が代は…”の部分が気に入りません。“我らが世は…”となっていたら歌わせたのですが…」と話されたのを忘れない。

 ついでながら小学生の頃、日本の旗が世界で一番きれいな国旗だと思った。

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