古代ギリシャの「甲冑」は使えたのか? 海兵隊員が11時間模擬戦をした結果がすごかった
5/25(土) 12:30配信
ナショナル ジオグラフィック日本版
紀元前15世紀、ミケーネ文明の「デンドラの甲冑」、移動式のかまどのようなスーツだが……
3500年前のデンドラの甲冑のレプリカを着用し、青銅器時代の剣のレプリカを持つギリシャ軍兵士。イノシシの牙から作られた兜は、ミケーネ時代の兵士の勇敢さと狩猟の腕前を表している。(ANDREAS FLOURIS AND MARIJA MARKOVIĆ)
トロイア戦争を描いたホメロスの叙事詩『イーリアス』における甲冑(かっちゅう)は、戦士の体を保護するだけのものではない。「甲冑は、しばしば戦士のアイデンティティとステータスを象徴し、英雄の規範と結びついていました」と、ギリシャ、テッサリア大学の生理学教授アンドレアス・フローリス氏は言う。「つまり、英雄の名誉と武勇を目に見える形にしたものなのです」
ギャラリー:古代ギリシャ「デンドラの甲冑」の実力を検証 写真4点
では、ギリシャの青銅器時代の甲冑は、実際の戦場で圧倒的な優位をもたらしたのだろうか? 古くからのこの疑問に、2024年5月22日付けで学術誌「PLOS ONE」に発表された研究で、現代のスポーツ科学が初めて明確な答えを出した。
研究者たちが調べたのは、1960年にギリシャのミケーネ遺跡の近くで発掘された紀元前15世紀の「デンドラの甲冑」だ。銅合金の驚くべき鎧一式とイノシシの牙でできた兜からなり、出土した村の名前をとってデンドラの甲冑と呼ばれるようになった。
デンドラの甲冑の見た目は洗練とはほど遠い。移動式のかまどのような、いかにも鈍重そうなスーツだ。その上、戦いによる損傷がなく、一部の研究者は儀式用に作られたのだろうと考えていた。
しかし近年の研究は、この甲冑が戦闘に使えるものであることを示唆していた。さらに今回の論文で、後期青銅器時代の兵士たちが、接近戦の中で甲冑の重さと熱さにどのように対処していたかが詳しく調べられた。
そのうえ彼らの発見は、このスタイルの甲冑が、トロイア戦争などの紛争でミケーネ人を優位に立たせた「秘密兵器」であったことも示唆している。
海兵隊員が長時間にわたり模擬戦を展開
研究者たちはこの研究のため、ギリシャ軍第32海兵旅団から模擬戦闘を行うボランティアを募集した。
ミケーネ時代の戦闘を再現するにあたって、研究者たちはその約500年後に成立した『イーリアス』の描写を参照している。ホメロスの戦闘描写を考古学的証拠と比較し、どこまでが歴史的事実である可能性が高く、どこからを詩的表現として捉えるべきかを判断した。
『イーリアス』には時代的にありえない記述もあるものの、「ミケーネ時代の戦闘について現在明らかになっている事実が正しく描写されている部分もあります」と、論文の共著者である英バーミンガム大学の考古学者ケン・ウォードル氏は言う。その正しい部分にもとづいて彼らは模擬戦闘を組み立てた。
模擬戦闘は、後期青銅器時代の戦士に近い身長、体重、年齢の13人によって行われた。
彼らは、ミケーネ軍の兵士が移動中に食べていたと思われる食品(乾燥パン、牛肉、オリーブ、ヤギのチーズ、タマネギ、赤ワイン、水)を、栄養計画のもとで慎重に計量された量だけ摂取し、模擬戦闘に備えて眠った。
兵士たちは夜明け前に起こされ、計量された朝食をとった。その時点で尿と血液のサンプルが採取され、実験中の体温とバイタルサインを測定するセンサーを体に取り付けられた。
それから、約23kgのデンドラの甲冑のレプリカと、青銅器時代の槍と剣のレプリカを装備して模擬戦闘に臨んだ。模擬戦闘は短距離走や打撃などの高強度のインターバル運動で、休憩と食事のための短い休憩をはさんで、11時間にわたって続けられた。
研究に参加した兵士の全員が、この模擬戦闘を無事に終えた。「戦闘」後に低血糖の兆候が見られたのは1人だけで、ミケーネ軍の兵士が1日に摂取していたカロリーは約4400キロカロリーという研究者の見積もりが正しいことが示された。
また、兵士の多くが、高度の疲労、甲冑の重みによる上半身の痛み、裸足で歩いたり走ったり戦ったりしたことによる足の痛みを報告した。
5/25(土) 12:30配信
ナショナル ジオグラフィック日本版
紀元前15世紀、ミケーネ文明の「デンドラの甲冑」、移動式のかまどのようなスーツだが……
3500年前のデンドラの甲冑のレプリカを着用し、青銅器時代の剣のレプリカを持つギリシャ軍兵士。イノシシの牙から作られた兜は、ミケーネ時代の兵士の勇敢さと狩猟の腕前を表している。(ANDREAS FLOURIS AND MARIJA MARKOVIĆ)
トロイア戦争を描いたホメロスの叙事詩『イーリアス』における甲冑(かっちゅう)は、戦士の体を保護するだけのものではない。「甲冑は、しばしば戦士のアイデンティティとステータスを象徴し、英雄の規範と結びついていました」と、ギリシャ、テッサリア大学の生理学教授アンドレアス・フローリス氏は言う。「つまり、英雄の名誉と武勇を目に見える形にしたものなのです」
ギャラリー:古代ギリシャ「デンドラの甲冑」の実力を検証 写真4点
では、ギリシャの青銅器時代の甲冑は、実際の戦場で圧倒的な優位をもたらしたのだろうか? 古くからのこの疑問に、2024年5月22日付けで学術誌「PLOS ONE」に発表された研究で、現代のスポーツ科学が初めて明確な答えを出した。
研究者たちが調べたのは、1960年にギリシャのミケーネ遺跡の近くで発掘された紀元前15世紀の「デンドラの甲冑」だ。銅合金の驚くべき鎧一式とイノシシの牙でできた兜からなり、出土した村の名前をとってデンドラの甲冑と呼ばれるようになった。
デンドラの甲冑の見た目は洗練とはほど遠い。移動式のかまどのような、いかにも鈍重そうなスーツだ。その上、戦いによる損傷がなく、一部の研究者は儀式用に作られたのだろうと考えていた。
しかし近年の研究は、この甲冑が戦闘に使えるものであることを示唆していた。さらに今回の論文で、後期青銅器時代の兵士たちが、接近戦の中で甲冑の重さと熱さにどのように対処していたかが詳しく調べられた。
そのうえ彼らの発見は、このスタイルの甲冑が、トロイア戦争などの紛争でミケーネ人を優位に立たせた「秘密兵器」であったことも示唆している。
海兵隊員が長時間にわたり模擬戦を展開
研究者たちはこの研究のため、ギリシャ軍第32海兵旅団から模擬戦闘を行うボランティアを募集した。
ミケーネ時代の戦闘を再現するにあたって、研究者たちはその約500年後に成立した『イーリアス』の描写を参照している。ホメロスの戦闘描写を考古学的証拠と比較し、どこまでが歴史的事実である可能性が高く、どこからを詩的表現として捉えるべきかを判断した。
『イーリアス』には時代的にありえない記述もあるものの、「ミケーネ時代の戦闘について現在明らかになっている事実が正しく描写されている部分もあります」と、論文の共著者である英バーミンガム大学の考古学者ケン・ウォードル氏は言う。その正しい部分にもとづいて彼らは模擬戦闘を組み立てた。
模擬戦闘は、後期青銅器時代の戦士に近い身長、体重、年齢の13人によって行われた。
彼らは、ミケーネ軍の兵士が移動中に食べていたと思われる食品(乾燥パン、牛肉、オリーブ、ヤギのチーズ、タマネギ、赤ワイン、水)を、栄養計画のもとで慎重に計量された量だけ摂取し、模擬戦闘に備えて眠った。
兵士たちは夜明け前に起こされ、計量された朝食をとった。その時点で尿と血液のサンプルが採取され、実験中の体温とバイタルサインを測定するセンサーを体に取り付けられた。
それから、約23kgのデンドラの甲冑のレプリカと、青銅器時代の槍と剣のレプリカを装備して模擬戦闘に臨んだ。模擬戦闘は短距離走や打撃などの高強度のインターバル運動で、休憩と食事のための短い休憩をはさんで、11時間にわたって続けられた。
研究に参加した兵士の全員が、この模擬戦闘を無事に終えた。「戦闘」後に低血糖の兆候が見られたのは1人だけで、ミケーネ軍の兵士が1日に摂取していたカロリーは約4400キロカロリーという研究者の見積もりが正しいことが示された。
また、兵士の多くが、高度の疲労、甲冑の重みによる上半身の痛み、裸足で歩いたり走ったり戦ったりしたことによる足の痛みを報告した。
甲冑の長所と短所
ウォードル氏によると、後期青銅器時代に一般的に使用されていた甲冑は、リネンの生地に青銅製の鱗を貼り付けたものだったという。今回の研究により、デンドラの甲冑は、こうした従来型の甲冑よりも防御力に優れていたことが示された。その分、動きやすさは犠牲になったが、機動力が重視されるようになったのは後の時代のことだ。
デンドラの甲冑が戦闘用にデザインされたことを示す特徴の1つは、肩のパーツの内側に取り付けられた三角形のプレートだと、論文の共著者でテッサリア大学の応用生理学名誉教授であるヤニス・クテダキ氏は言う。これは、腕を挙げたときに脇の下を保護するためとしか考えられない。また、上腕部の延長パーツは、柔軟性を与えつつ接近戦の際に体を保護するためだと考えられる。
論文の筆頭著者であるフローリス氏は、デンドラの甲冑は相手との距離が2~20mの中距離戦闘で重要な利点をもたらしたと指摘する。「この距離では、甲冑はほとんどの危険から着用者を守ったはずです」
甲冑の欠点は重さだったが、それが武器と戦術の開発につながり、ミケーネの戦士たちに決定的な優位をもたらした。フローリス氏は、「指揮官たちは、作りの良い機能的な甲冑をフル装備で身につけていましたし、彼らは通常、戦闘経験の豊富なエリート戦士でした」と言う。しかし、部下たちの大半は甲冑をつけていないか軽いものしかつけておらず、彼らの任務は指揮官を接近戦から守ることだったという。
研究チームは「後期青銅器時代戦士モデル(Late Bronze Age Warrior Model)」というフリーソフトも制作した。このソフトは、彼らの研究で収集したデータを使って、戦闘時の気温、太陽の角度、戦闘の頻度など、さまざまな条件下での戦闘の結果を細かく予測できる。
戦場を大きく変えた甲冑
アイルランド、ユニバーシティー・カレッジ・ダブリンの考古学者のバリー・モロイ氏は、今回の研究には参加していないが、デンドラの甲冑が戦闘に適しているかどうかを評価した研究で知られる。
「デンドラの甲冑は、これまでに見つかっている先史時代のヨーロッパの甲冑の中で最も興味深いものの1つであり、武器と戦争の発展の長い歴史を理解する上で非常に重要なものです」とモロイ氏は言う。
デンドラの甲冑は当時の最先端の軍事技術であり、約100年後にヨーロッパの別の地域でその簡易版が登場している。「デンドラの甲冑は、戦場を一変させたのです」
文=Tom Metcalfe/訳=三枝小夜子
ウォードル氏によると、後期青銅器時代に一般的に使用されていた甲冑は、リネンの生地に青銅製の鱗を貼り付けたものだったという。今回の研究により、デンドラの甲冑は、こうした従来型の甲冑よりも防御力に優れていたことが示された。その分、動きやすさは犠牲になったが、機動力が重視されるようになったのは後の時代のことだ。
デンドラの甲冑が戦闘用にデザインされたことを示す特徴の1つは、肩のパーツの内側に取り付けられた三角形のプレートだと、論文の共著者でテッサリア大学の応用生理学名誉教授であるヤニス・クテダキ氏は言う。これは、腕を挙げたときに脇の下を保護するためとしか考えられない。また、上腕部の延長パーツは、柔軟性を与えつつ接近戦の際に体を保護するためだと考えられる。
論文の筆頭著者であるフローリス氏は、デンドラの甲冑は相手との距離が2~20mの中距離戦闘で重要な利点をもたらしたと指摘する。「この距離では、甲冑はほとんどの危険から着用者を守ったはずです」
甲冑の欠点は重さだったが、それが武器と戦術の開発につながり、ミケーネの戦士たちに決定的な優位をもたらした。フローリス氏は、「指揮官たちは、作りの良い機能的な甲冑をフル装備で身につけていましたし、彼らは通常、戦闘経験の豊富なエリート戦士でした」と言う。しかし、部下たちの大半は甲冑をつけていないか軽いものしかつけておらず、彼らの任務は指揮官を接近戦から守ることだったという。
研究チームは「後期青銅器時代戦士モデル(Late Bronze Age Warrior Model)」というフリーソフトも制作した。このソフトは、彼らの研究で収集したデータを使って、戦闘時の気温、太陽の角度、戦闘の頻度など、さまざまな条件下での戦闘の結果を細かく予測できる。
戦場を大きく変えた甲冑
アイルランド、ユニバーシティー・カレッジ・ダブリンの考古学者のバリー・モロイ氏は、今回の研究には参加していないが、デンドラの甲冑が戦闘に適しているかどうかを評価した研究で知られる。
「デンドラの甲冑は、これまでに見つかっている先史時代のヨーロッパの甲冑の中で最も興味深いものの1つであり、武器と戦争の発展の長い歴史を理解する上で非常に重要なものです」とモロイ氏は言う。
デンドラの甲冑は当時の最先端の軍事技術であり、約100年後にヨーロッパの別の地域でその簡易版が登場している。「デンドラの甲冑は、戦場を一変させたのです」
文=Tom Metcalfe/訳=三枝小夜子