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「モナ・リザ」はどこで描かれたのか、地質学者がその謎を解明 5/16(木) 15:06配信 ロイター

2024-05-16 15:56:30 | 日記
「モナ・リザ」はどこで描かれたのか、地質学者がその謎を解明
5/16(木) 15:06配信
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500年以上も前に描かれたレオナルド・ダ・ヴィンチの有名な絵画「モナ・リザ」には、依然として多くの謎が残されているが、そのひとつが背景に描かれた場所はどこなのかという疑問だ。地質学者でルネサンスの専門家であるアン・ピッツォルッソさんは、そこが北イタリアのレッコという町であり、絵に描かれている岩層や地形的な特徴が一致するという。

レオナルド・ダ・ヴィンチが有名なモナ・リザを描いたのは500年以上も前のことだ。この世界で最も有名な絵画には、多くの謎がある。そのひとつは、ダ・ヴィンチがモナ・リザを描いたとき、モデルの女性はどこに座っていたのか、というものだ。

地質学者でルネサンスの専門家であるアン・ピッツォルッソさんは、その場所を北イタリアのレッコという小さな町だと考えている。

地質学者 アン・ピッツォルッソさん
「ダ・ヴィンチがレッコでモナ・リザを描いたのだと思った私は、岩層について詳しく調べた。それが今回の発見につながった」

ピッツォルッソさんによれば、絵に描かれたこのアーチ型の橋は、14世紀のアッツォーネ・ヴィスコンティ橋だという。

モナ・リザの背景の謎を解いたと主張するのはピッツォルッソさんが初めてではない。だがピッツォルッソさんは、地質学から自らの主張を裏付けた。「私にとって橋は、絵画の重要な側面ではない。橋があってもなくてもいいのだが、最も重要なのは周囲の風景だ。他の仮説では、地質学が間違っていた」

ピッツォルッソさんは、レッコの岩層が石灰岩であり、女性の背後に描かれているものと一致することを発見した。

「ここを見ると、このような鋸歯状の山が見える。(中略)絵を見るとアダ川のこの部分が見え、その後ろに別の湖が見える。この絵の、鋸歯状の山の下に完璧に描かれている」

ピッツォルッソさんは、今回の発見がダ・ヴィンチに対する一般の理解を変えることを期待している。

「ルーブル美術館に行くたびに、モナ・リザの絵と矢印があるだけで、この絵がどれほど有名かがわかる。私はダ・ヴィンチととても近い関係にあるので、人々が彼を画家としてだけではなく、地質学者としても見てくれるかもしれないと思うと、とてもうれしく思う」

東証大引け 日経平均は3日続伸、534円高 米国株の最高値更新が追い風 国内株概況 2024年5月16日 15:25

2024-05-16 15:48:08 | 日記
東証大引け 日経平均は3日続伸、534円高 米国株の最高値更新が追い風
国内株概況
2024年5月16日 15:25

16日の東京株式市場で日経平均株価は大幅に3日続伸し、終値は前日比534円53銭(1.39%)高の3万8920円26銭だった。米国でインフレの鈍化や景気の過熱感の後退を示す経済指標の発表が相次ぎ、米連邦準備理事会(FRB)が年後半にも利下げに動くとの見方が広がった。前日の米株式市場で主要3指数が過去最高値を更新し、特にハイテク株の上昇が目立った。この流れを引き継いで東京市場でも半導体関連株を中心に買いが先行し、大引けにかけては一段高となった。

15日発表の4月の米消費者物価指数(CPI)は前月比0.3%上昇した。市場予想(0.4%上昇)を下回り、食品とエネルギーを除くコア指数の伸びも前月から鈍化した。同日発表された4月の米小売売上高も市場予想を下回った。インフレや個人消費の鈍化がFRBの年内の利下げを後押しするとの見方から15日の米長期金利が低下。米国株の最高値更新でリスク許容度が増した海外短期筋などが日経平均先物にも断続的な買いを入れ、株価指数を押し上げた。16日の香港ハンセン指数などアジア各国・地域の株価指数が総じて堅調だったことも買い安心感を強めた。

日経平均は伸び悩む場面もあった。日本時間16日の取引で米長期金利が一段と低下し、外国為替市場で円相場が1ドル=153円台に上昇した。トヨタやホンダといった自動車株など主力の外需関連株には輸出採算の悪化を警戒した売りが出た。市場では「米金利の先安観が強まっており、日米の金利差縮小を手掛かりとした円高進行のリスクは当面、外需株の上値を抑えそうだ」(大和証券の林健太郎シニアストラテジスト)との声が聞かれた。

内閣府が16日発表した1〜3月期の国内総生産(GDP)速報値は物価変動の影響を除いた実質の季節調整値が2四半期ぶりのマイナス成長となった。市場予想も下回ったが、株式市場への影響は限られた。 

東証株価指数(TOPIX)は反発した。終値は6.66ポイント(0.24%)高の2737.54だった。JPXプライム150指数は6日続伸し、13.28ポイント(1.11%)高の1210.58で終えた。

東証プライムの売買代金は概算で5兆657億円、売買高は22億1709万株だった。東証プライムの値上がり銘柄数は607。値下がりは994、横ばいは50だった。

東エレクやアドテスト、信越化が高い。ファストリやソフトバンクグループ(SBG)、ダイキンなど値がさ株が上昇した。クレセゾンやファナック、NTTデータも買われた。一方、三菱UFJやT&Dが安い。日清粉Gやヤマハ発が下落した。

〔日経QUICKニュース(NQN)〕

新興株前引け グロース250が続落 年初来安値下回る 国内株概況 2024年5月16日 11:55

2024-05-16 12:05:41 | 日記
新興株前引け グロース250が続落 年初来安値下回る
国内株概況
2024年5月16日 11:55

16日午前の新興企業向け株式市場で東証グロース市場250指数は続落した。前引けは前日比12.70ポイント(1.97%)安の630.82で、4月19日に付けた年初来安値(638.74)を下回った。新興市場の主力銘柄が軒並み下落して指数を押し下げたほか、今期の営業減益見通しを示したスカイマークの下げも重荷となった。

一方で16日午前の日経平均株価は0.74%上昇した。市場では「前日の米株式市場で主要3指数が過去最高値を更新した流れを受けて、東証プライムの大型株で景気や為替に敏感な銘柄の買いが目立ち、値動きが軽く下落リスクが大きい新興株から資金が流れた」(国内証券のアナリスト)との声が聞かれた。

グロース市場ではカバーやジーエヌアイが下落した。一方、Kudanやヘッドウォは上昇した。

〔日経QUICKニュース(NQN)〕

海外勢の米国債保有、3月は過去最高更新 日本の保有高増加 5/16(木) 8:30配信 ロイター

2024-05-16 09:21:05 | 日記
海外勢の米国債保有、3月は過去最高更新 日本の保有高増加
5/16(木) 8:30配信
ロイター

米財務省が15日発表した3月の対米証券投資統計によると、海外勢の米国債保有額は8兆0910億ドルと、前月の7兆9710億ドルから増加し、過去最高を更新した。

Gertrude Chavez-Dreyfuss

[ニューヨーク 15日 ロイター] - 米財務省が15日発表した3月の対米証券投資統計によると、海外勢の米国債保有額は8兆0910億ドルと、前月の7兆9710億ドルから増加し、過去最高を更新した。増加は6カ月連続。

日本の保有額は1兆1880億ドルと、1兆1960億ドルを記録した2022年8月以降で最大となった。

円がドルに対して34年ぶり安値となる中、市場では介入警戒感が高まっており、日本の国債保有残高に注目が集まっている。

中国の米国債保有額は7674億ドルで、7652億ドルを記録した10年1月の以来の低水準となった。減少は3カ月連続。

取引ベースでは、米国債には422億ドルの資金が流入した。2月の流入額は874億ドルだった。

社債と機関債の購入は3月も続き、それぞれ529億ドル、8億ドルが流入した。

米株式には825億ドル流入した。2月は8億ドルの流入だった。

酒、女、ギャンブル……「人生の罠」から脱けだして総理大臣にまで出世した政治家

2024-05-16 09:08:47 | 日記
酒、女、ギャンブル……「人生の罠」から脱けだして総理大臣にまで出世した政治家

5/16(木) 6:30配信
デイリー新潮

16歳の時、酒色に溺れて芸妓の「ヒモ」になった過去も (出典:高橋是清〈東京大学史料編纂所所蔵〉を改変)

 内閣総理大臣、大蔵大臣を計7回、その他、横浜正金銀行頭取、日本銀行総裁なども務めた不世出の政治家・高橋是清。しかし、その人生は必ずしも順風満帆ではなく、それどころか酒と女にハマり、さらにはギャンブル感覚で銀紙相場(銀貨と紙幣の相場)や米相場にまで手を出すなど、道を踏み外すこともしばしばであった。

【写真を見る】アメリカ留学中に「奴隷」になった経験もある「高橋是清」 アメリカ留学時の写真

 作家で金融史に詳しい板谷敏彦さんの新刊『国家の命運は金融にあり 高橋是清の生涯』(新潮社)には、是清が16歳の時、酒色に溺れて芸妓の「ヒモ」になった経緯が、当時の花柳界の様子を含めて描かれている。同書から一部を再編集してお届けしよう。

 ***

 是清が本銀町にあった古着商福井数右衛門の奥座敷に居を移した頃仲良くなったのが、長崎で修業し大学南校にいた越前福井藩士山岡次郎である。山岡は明治4(1871)年4月、ちょうど是清が数右衛門の家に引っ越したすぐ後に、福井藩推薦留学生として米国へと旅立つことになっていた。
 
 そのため、是清は飲みに出る材料にはこと欠かず、送別会と称して数右衛門の斡旋(あっせん)で夜な夜な柳橋、日本橋へと繰り出した。

 当時の東京の「六花街」と言えば柳橋、芳町(よしちょう)、新橋、赤坂、神楽坂、浅草で、日本橋といえば芳町(現在の日本橋人形町)だが、現在の中央区八重洲1丁目辺りの檜物町(ひものちょう)も花街として古い。天保の改革で深川などの岡場所(幕府非公認の遊郭)が閉鎖されると、深川の芸妓衆が柳橋、日本橋へ流れこんできた。

 中でも檜物町の日本橋花柳界の芸妓は深川芸妓の気性を受け継ぎ、「気が強く、平素は派手を好まぬが一度一肌脱ぐと利かん気はどうしようもない」と評され、そのため官僚・政治家には人気がないが江戸っ子の商人に好まれた。
桝吉との出会い

 ある晩、大酒を飲んで動けなくなった是清を通称お君、東家桝吉(あずまやますきち)いう福井出身の日本橋芸妓が介抱した。店の者に手伝わせ、是清を人力車に乗せると本銀町の家まで送った。

 是清はなかなかの男前である。大学南校の教師で、英語も話すし、なんと言っても金払いがいさぎよい。いまだに子供みたいなところもあるが、姉御肌にはそこが可愛い。この夜、是清は介抱されるままに桝吉に抱かれた。是清16歳、桝吉は四つ年上だった。

 桝吉は美人な上に芸達者、座持ちの良さが売りで、「東(あずま)」の看板を掲げて妹芸妓4人を抱えていた。この日から桝吉は毎晩のように是清の下宿に泊まっていくようになった。

 こんなやり手芸妓に抱かれた是清は、酒と悦楽にすっかり溺れて、世間で言ういわゆる「腑抜け」になった。いきおい学校では遅刻休講が増え、教師、生徒からの評判は地に堕ちた。是清の評判は実によく地に堕ちるのだ。



おばば様の涙

高橋是清のアメリカ留学時の写真(右側)。(出典:『東京開成中学校校史資料』/1867年アメリカにて撮影/PD/Wikimedia Commons)

 この朝も、桝吉は是清の下宿で遅い朝食を一緒に食べていた。昼前に桝吉の妹芸妓が重箱に煮しめなどいろいろとおかずを詰め込んで届けてくれた。お重を広げて箸をつけたところで、数右衛門の手代が、客の来訪を告げた。「芝の祖母さまがおみえになりました」。是清の養祖母のおばば様であった。

 おばば様は仙台藩の瓦解(がかい)にともない一度は仙台へ行き、また愛宕下に戻るなど転々としていたが、是清も時折は顔を合わせていた。芝というのは愛宕下である。

 是清の幼なじみである鈴木知雄から悪いうわさを聞いたのだろう。おばば様は手代の制止もきかず、ずいずいと是清のいる奥座敷へと突き進んでくる。

 ふすまは開いている。桝吉と妹芸妓があわててお重を片付けようとしているところへおばば様が飛び込んできた。おしろいの香り、部屋の隅にはまだ温もりが残る布団が艶(なま)めかしく積んである。是清はうろたえた。

「あーら、お元気そうで、何よりです」。おばば様は是清の目の前に座ると部屋の中を見回した。「して、そちらの女の方は?」。
 
 是清は、思わず「近所の方々です」と答えた。おばば様の視線には怒気があった。是清は蛇ににらまれたカエルである。「アーそうでしたか、孫がいろいろとお世話になっている様子、身体は大きくてもまだまだ子供なので、どうかよろしく」。

 桝吉と妹芸妓はお重をかたづけると、そそくさと是清の下宿を逃げ出した。しばらく重い沈黙が続いたが、「お前の出世だけを祈念している」と、おばば様は涙ながらにそれだけを言って帰っていった。
大学南校を辞める

 いよいよ山岡が米国へとたつというので、是清は桝吉たち東屋の芸妓を引き連れて浅草へ芝居見物に出かけた。

 桜の季節は終わったが、小屋の桟敷で山岡と二人して、芸妓が着る赤い桜模様の派手な長襦袢(ながじゅばん)を着て盛んに杯を重ねていると、大学南校の外国人教師に出くわした。これには是清も驚いたが、向こうだって驚いた。是清は恥じ入り、そのまま家に帰って辞表を書くと学校に提出した。

「芸妓の襦袢姿を外国人教師に見られたからには、もう教師は務まりません」

「私は森(有礼)さんから、いずれメリケンに呼ぶまでの間、あなたを預かってくれと頼まれている」と、校長の加藤弘之は執拗(しつよう)に引きとめてくれたが、是清は無理に頼んで辞めさせてもらった。


金の切れ目は縁の切れ目

 多少の蓄えはあったが、給料が止まった。是清は、変わらぬ派手な生活の出費に加え、学生3人組のために浅草の商人、牧田万象から借りた金の利払いも残り、あっという間に困窮した。

 桝吉はたまにこづかいをくれるようになり、それを握って柳橋へ遊びに行ったりもした。やがて本も着物も売り払うと、金の切れ目は縁の切れ目、福井数右衛門は「まかないが食べたいなら金を入れろ」と、当初のえびす顔から手のひらを返したように是清を冷たくあしらうようになった。見かねた桝吉が是清を日本橋の家に引き取ったが、その時の是清の持ち物は大学南校教頭のグイド・フルベッキから譲り受けた聖書ひとつであった。
芸妓のヒモ

 桝吉の家には、彼女の両親とお抱えの芸妓たちが同居していた。当時の桝吉は、檜物町一、二を争う売れっ子だ。いざ転がり込んでみると、両親がまだ子供の是清を厄介者扱いしたのも道理である。家でブラブラとするわけにもいかず、いきおい桝吉の箱屋の手伝いをやることになった。

 箱屋は現代の芸能人でいえばさしずめ芸妓の付き人兼マネージャーで、座敷のお呼びがかかると三味線を入れる箱をかついでお供した。また料理屋やお得意さんにご機嫌伺いをして芸妓の名刺や名入りの手ぬぐいなどを配って、営業活動もしていた。

 器用な是清は芸妓の着物の着付けも含めてそつなくこなしたが、手持ち無沙汰な仕事だった。ヒモという劣等感も手伝って悪さをしてごまかした。宴もたけなわ、座が盛り上がっていれば、少々の時間延長もしかるべきだが、お時間ですよ、と座をしらけさせたり、これみよがしに桝吉の男ですよと客前で振る舞ったりと、ろくなことをしなかった。

※本記事は、板谷敏彦『国家の命運は金融にあり 高橋是清の生涯』(新潮社)の一部を再編集して作成したものです。

デイリー新潮編集部

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