市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

青空市場

2007-12-22 | Weblog
  宮崎市で終戦直後から開かれた露天市場からつづく青空市場は、昭和30年初期には生鮮食材に特化、天蓋をつけて利便化を図り、もっとも成功したマーケットになって市民に親しまれてきたが、ここ数年で、80パーセントは崩壊してしまった。残った路地100メートルも空き店舗が連なり、寂れて風前の灯火となっていた。

 そこに突然、レトロを売りに屋台的な店が開店したとメディアが報じだした。写真にもレトロとむんむんとした路地的な、バザールのわいざつさを感じられた。

 今週、月曜の昼休みに行ってみた。昼間のせいだったのか、人通りはなく、空き店舗がひとつだけ新装開店しただけのことであった。写真は大げさだった。しかし、なんといっても市場的な商店活動に注目したことで画期的であろう。

 その前後だったか、NHKテレビで「ワーキングプア」問題の特集番組が放映された。2年ほど前の、ワーキングプアは負け犬、自己責任という意見も交差する格差社会を論じた2時間討論番組と比べると、まさに時代の変わりを感じさせられた。その解決について識者、研究者、文化人などがコメントをしていたが、ワーキングプアを生むのが、社会全体の不幸であると、この程度の常識を深刻そうな表情で語る。が、どうすれば解決できるのかという発想は、じつに貧弱極まるものに過ぎなかった。

 人が働くということは、働いてなお自己変革のための時間が残り、働いて自己の
価値が認識できなければならない。そんな仕事は、ほんとに一握り、正規社員でも
低賃金、長時間労働で奴隷状態にすぎないのが普通ではないか。解決方としては、労働基準法の徹底厳守だけでもかなりの効果があるはずなのに、どうやって働き口を確保するかしか思いは及んでいなかった。その論は結局は正規雇用をどれだけ確保するかということでしかなかった。そうなっても奴隷の増大にすぎないであろう。

 バンコクでみた一万テンポの露天が凝縮する市場、その活気を思い出すのだ。人を凝集させ、しかも人はそれぞれ独立しているという構造を市街地の街路にもビル前にも、中心市街地のデパートのまわりにも、さびれた公衆トイレなみの公園にも、ありとあらゆる街角に、街中に出現させる。これはワーキングプアを孤立と無意味から解放する手段たりうるのではないか。

 市場的混沌は、その一つの解決策であろう。

 宮崎市は、橘通り800メートルのメイン商店街の600メートルを癌になったとして切捨て、公園にしてしまうというプロジェクトに躍起となっている。現にある公園にどれだけ人が歩いているのか。それでは3丁目の商店に人を集めさせるだけで終わる。

 「公園作るより市場を作ろう」 だれかこれをコピーにして、ポスターや歌にしてもらいたい、これを青空市場に癌になった街路に特効薬として投与しよう。
コメント
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