宮崎市でベリーダンスをやっている辻かおりさん夫妻が、2年ほど前になんでもありの寄席を興行してきた。歌ありダンスあり、太鼓に漫談とジャンルを問わずにだれでもやりたいものに公演の場をあたえようという試みをやってきた。先週水曜4月5日、なんど最終回と知らされ、はじめて会場を訪れたのである。
場所はレストラン「クチナドリーバ」午後7時、入場量100円であった。会場に入るなり、あ、これは仲間のお祭りだなとわかった。ギターの青年が歌を歌っていた。ぼくには、宮崎駅周辺で大声を上げている連中と同じにしか思えなかった。歌というのは、聞けば快感を与えるとは、限らない。下手の歌を聴くのは大変な苦痛だ。だが拍手も飛ぶし、客との交流もあり、みな適当に楽しんでいた。
他にもダンスや太鼓があったが、聞くにも見るにも耐えがたいほど下手であった。それでもみんなやいやいと楽しんでいた。ぼくは2時間ほどがんばったが、ついに中座したしだいである。
この寄席を楽しめるには、まず仲間意識というのがいるのだろう。今でも若者たちは、自己表現の夢がとりつくのだろうと思う。それでいいじゃないか。
軽蔑する気持ちはない。むしろ思い起こせば昭和40年代ごろはもっとひどかった。あのころは、若者は同人雑誌というのを発行して、現代詩と称するものを主に掲載、ページ数が大となると純文学小説を掲載した。これが実におもしろくなく、現代詩に至っては、わけもわからず、不快のきわみであった。だがどれも芸術をいう衣を羽織り、新聞もそれよそれよとはやしたてていた。すると、わからぬやつや読まぬやつは、馬鹿にされ、くだらぬ「同人誌をだすだけで、詩人一丁あがり、作家一丁あがりとなっていった。
あのころにくらべると、へたはへたでわかりやすい歌もダンスも太鼓も漫談もわかりやすい。下手は下手で否定できる。スポーツみたようなもんだ。ここから成長に向かう若者もあるかもしれない。この寄席のほうが、はるかに純粋であった。時代はこのように良い時代に変わったのであると思う。
場所はレストラン「クチナドリーバ」午後7時、入場量100円であった。会場に入るなり、あ、これは仲間のお祭りだなとわかった。ギターの青年が歌を歌っていた。ぼくには、宮崎駅周辺で大声を上げている連中と同じにしか思えなかった。歌というのは、聞けば快感を与えるとは、限らない。下手の歌を聴くのは大変な苦痛だ。だが拍手も飛ぶし、客との交流もあり、みな適当に楽しんでいた。
他にもダンスや太鼓があったが、聞くにも見るにも耐えがたいほど下手であった。それでもみんなやいやいと楽しんでいた。ぼくは2時間ほどがんばったが、ついに中座したしだいである。
この寄席を楽しめるには、まず仲間意識というのがいるのだろう。今でも若者たちは、自己表現の夢がとりつくのだろうと思う。それでいいじゃないか。
軽蔑する気持ちはない。むしろ思い起こせば昭和40年代ごろはもっとひどかった。あのころは、若者は同人雑誌というのを発行して、現代詩と称するものを主に掲載、ページ数が大となると純文学小説を掲載した。これが実におもしろくなく、現代詩に至っては、わけもわからず、不快のきわみであった。だがどれも芸術をいう衣を羽織り、新聞もそれよそれよとはやしたてていた。すると、わからぬやつや読まぬやつは、馬鹿にされ、くだらぬ「同人誌をだすだけで、詩人一丁あがり、作家一丁あがりとなっていった。
あのころにくらべると、へたはへたでわかりやすい歌もダンスも太鼓も漫談もわかりやすい。下手は下手で否定できる。スポーツみたようなもんだ。ここから成長に向かう若者もあるかもしれない。この寄席のほうが、はるかに純粋であった。時代はこのように良い時代に変わったのであると思う。