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若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

被害者に落ち度はなかったか

2006年08月24日 | Weblog

 何はともあれ、静岡新聞の記事を写し取っておこう。

 「うるさいと」高校生殺傷: 刃物で襲う20歳男、重要参考人
 
 24日午前0時45分頃、宮崎県延岡市昭和町一丁目の五ヶ瀬川堤防上で、高校生の男女5人の輪に男が刃物で襲いかかり、近くに住む県立延岡西朋高校一年森重和之さん(16)と、別の高校の二年生の女子生徒(16)の背中をそれぞれ刺して逃げた。
 宮崎県警によると、森重さんは搬送先の病院で死亡。死因は失血死とみられる。女子生徒は重症だが意識があり、命に別状はないという。
 宮崎県警は近くに住む20歳の男を重要参考人と発表。男は自宅で大量の睡眠薬を飲み、24日朝、意識不明で病院に搬送された。男の倒れていた部屋から血の付いた包丁が見つかった。県警は延岡署に捜査本部を設置。男の意識回復には数日かかるとみられ、回復を待って事情を聞く。
 調べでは、堤防上で森重さんと負傷した女子生徒ら女子高生4人が話しこんでいたところ、近づいてきた男が「おまえたち、うるさい。静かにしろ」と怒鳴った。
 男は一旦その場を立ち去った後、一、ニ分で戻ってきて、いきなり二人の背中を刺した。ほかの女子生徒三人に怪我はなく、通り掛った男性(31)に助けを求め、男性が延岡署に通報した。
 男は紺色の丸首パジャマのようなものを着て、黒っぽいジャージーのズボンを穿いていた。重要参考人の男も似た服装だった。怪我をしなかった女子生徒は男について「知らない人」と話しているという。
 女子生徒4人は同じ高校の二年生で、森重さんと友人だった。現場の堤防では深夜に若者が花火や飲酒をして騒ぐ問題視されていたが、延岡署によると、5人が花火をしたり、飲酒をしたりしていた情況はなかったという。(静岡新聞より)

 何とも痛ましい事件であるが、全く訳が分らないのはどうして、深夜1時頃までこの5人の高校生グループが住宅地とはいえ、人通りの少ない溜まり場にいる必要性があったかということである。男子1人が不審者に刃物で刺され死亡し、4人の女子高生のうち、1人が犠牲者となったが命に別状はなかったというのであるが、被害を免れた3人の女子生徒は、仲間2人が犠牲者となったにも拘わらずどうして、事件発生と同時に警察なり、消防署なりに連絡して仲間の生命を救けるという行動に出なかったのか、まったく彼らの気が知れない。今時、の高校生が5人も集まれば、1人くらいは携帯電話は持っていただろうと思う。
 彼らが、同類相憐れむという心理情況で群れていたか或るいはほかの動機で群れていたか知る由はないが、それにしてもこのようなニュースを目にするのはとても情けなく感じる。
 同業他社の記事によれば、この事件が発覚したのは被害にあった女子生徒が通りかかった車の運転手に助けを求めて救急車の出動となったらしい。
 今時の若者は、確かに群れるのであるが、有事の際に何ら対処できないことこそ重大な社会問題である。
 仲間が殺されようが刺されようが、自分が傷付けられさえしなかったなら、そんなことはどうでも良いというなら、本当に嘆かわしい事態である。
 
 おそらく、この若者達は親に隠れて深夜まで人目に付かない所で群れていたのだろう。お互いに友達が欲しいという連帯感はあるのだが、深夜にそんなことをしていればそれだけで危険なことであるという自覚もないし、彼らの親は親でいつものことと思っていたのかも知れない。しかし、一旦災難が身に降りかかったとき、先ず人命救助に当たらなければならないという基本中の基本が全く分らないないのである。これでは、万一国民の生命にかかわるような国難に遭遇すれば、親は子を捨て、子は年老いた親を捨て正義も信義もなく自分の命だけは助かりたいと我も我もと逃げ惑うだけの国民性である。どっちにしても中国人や朝鮮人に背中から撃たれて日本人の命はきれいサッパリと絶たれることとなる。

 話が横道に反れるのはいつもの倣いであるが、この被害に遭わなかった善良な3人の女子高生が、2人の負傷した仲間(1人は敢え無く死亡している)を見て第一に考えたことは、こんなことをしている自分が世間に対してあからさまになったら困るという切実な思いであったろう。ばれたら私は困るという恐怖の前には、仲間の命などどうでも良いのである。これが如何に軽率な考えか仲間が死んで初めて判ったであろう。(個人のプライバシーは仲間の命より重いと洗脳されている)

 この痛ましい事件を日本人は日本国にとっての『他山の石』としなければならない。いい忘れたが、この事件で一番悪いのは当然加害者である。