昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

この血の気を見習うべし

2005年07月21日 | Weblog
扶桑社教科書採択 韓国マスコミ、非難の大合唱 「阻止募金」に政府職員も参加 (産経新聞) - goo ニュース

 この新聞記事を読めば、恒例の反日運動たるやまさに超国家的祭典となっているらしい。逆説的に思い至るのであるが、我々日本人の血に、もうちょっとだけ余分この方達の血が流れていたなら、この様な理不尽な要求に対して逆切れして応戦するであろう。

 今は昔、二千年ほど前には琉球から日本列島、朝鮮半島南部に及ぶ原日本語というべき言語圏が既に形成されていたと言われています。現に魏志倭人伝の文中にも倭人の文化圏は朝鮮半島の南部も含まれると記載しているのである。
 朝鮮半島北部の野蛮人ならいざ知らず、我々東アジア海洋文化圏に住まっていた民族は、外界に対して開かれた大らかな民族性を持った人々であったものと想像されます。そういう他民族を迎え入れながら共に発展していくという理念はこの日本語の言語構造のなかに色濃く残っているのであります。我々日本民族はその知恵を異種の言語圏から流入する人々が容易に仲間になれるような、地球的規模でみても画期的な文法形態を創造したことを誇りとすべきです。
 日本文化たるものこの様な雑多な言語と文化の持つ人々が融和しながら磨きあげつつ創り上げ現在に至っているものである故、根本において好奇心旺盛な自由人の文化である。
 
 大陸で醸成された、権力が国民を理不尽なイデオロギーで縛りつけるような文化は民族意識としても到低受け入れられるものではないし、逆にそのように権力に縛られていないと安心できないような国民性がこの地球上に存在する事を思い知らされるにつき、そのような国民性を自慢している国の人々を心より軽蔑するものである。

 自分達の思い上がった華夷思想に基づき他国に馬鹿げた価値観を押し付けようとする。まさに中華の毒にしてやられた輩の愚行である。

 三十年以上も前の話になるのであるが、学生時代席を同じくして学に勤しんだ大変美人であった在日韓国人の友が切々と訴えたこと(韓国は、中国から文化的にも言語的にも離れたかったという思いからハングル文字を考案した。この文字は韓国語の音と意味を表記するまさに理想的なものである)
 そして、一メートル二十センチ程のなんという名の琴かは忘れてしまったが、その琴を奏でながら「アリラン」を歌い聞かせてくれたことを懐かしく思い起こすのである。

 その昔、我々は同じ言語を話す仲間であったことをDNAに訴えかけ、思い起こされるが宜しかろう。