昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

いつものマンネリズム

2005年05月15日 | Weblog
 久しぶりにNHKの日曜討論をみたけど感動しないね。
 郵政民営化の議論など何年やっているのですか、強行突破でも解散でも何でもありなんだから早く白黒つけたらいいじゃないですか。
 そんなことより、現在の教育基本法を誇りある日本人を創り出すための新基本法に改正する議論をしてもらいたいと思います。
 というのは、中国と韓国の反日教育の成果をまざまざと見せ付けられているというのに、共産党と社会党は、この期に及んで、未だ性懲りもなく、歴史認識問題だの靖国参拝問題だのといっておられる。それが、日本人の立場にたっての価値観でものを言うならわかる。
 しかし、彼らは中国と韓国の立場で物議を醸し、それがとても中国と韓国のためになると理解しているのであろう、まことにもって、言語道断である。本当に日本人か?
 そして、最も忌まわしく思いますには、日本教職員組合のなかにどれくらい貴方方の血がはいっているのか、国旗を国旗とも思わず、国歌を国歌とも思わぬ連中が、どれほどいるのか。
 良識を持った日本国民は、彼らに未来の日本を背負う子供の教育を委ねて置いてよいものか、よくよく考えるべきです。

 

女がする化粧というを男もしてみん

2005年05月10日 | Weblog
 奇抜なタイトルを付けてしまいましたが、これは、産経新聞社発行の「正論」6月号を読んでいるうちに頭に浮かんで来ました。
 ジェンダーって、何だか知っていますか? 
 何でも、社会的、文化的に「創られた性別」をいうのだそうです。生まれたときに決まっている男、女という区別は、生物学的な性別とよばれますが、人は生まれたときのままの男、女でいるのではなく、周りの人々が「男にふさわしい行動、女にふさわしい行動」と考えている文化を身につけていきます。これを、ジェンダーと言うのだそうです。
 大切なのは、ジェンダーがうまれついたものではなく、社会的につくられたもので、変えられるということです。
 全く、意味不明な文章である。
 ならば、社会が希望すれば男が子を産み、女が精子の提供を出来るのかと錯覚を起こしそうである。
 どのみち、この種の文章は、浅はかな女の知恵になるものであろうが、これが公民教科書の男女共同参画社会の導入部で使われていたとは、不道徳極まりないではないか?
 私たちくらいの年輩者からすれば、いかに男女共同参画社会といえども、生まれついた性別に基づき、男はあくまで男として男らしく、女はあくまで女として女らしく育ったうえでの場をわきまえた男女共同参画で無ければならないと思います。
 男女のニュートラル化を誘導するものであってはならないとおもいます。
 最近、男だか女だか分からない風采の若者が増えたのは、この種の教育がなせる結果であったか。
 女がする化粧というを男もしてみん。
 気色悪きことこの上なしといえり。
  
 

AIDドナー考

2005年05月10日 | Weblog
 これは、AIDSウイルスキャリアーのことでは無いからして、くれぐれもお間違えなきよう。
 この日記は平成17年5月9日のある地方新聞の夕刊トップ記事に起因する。
 想像するところ、或る、おそらく男性のほうに原因があって、子宝に恵まれない夫婦があるとする。何としてもわが子が欲しい、その時点においては、夫婦よく和し、わが子の誕生を願うのである。
 そして、夫婦よくよく協議のうえ、夫以外の男性の精子の提供を受け妻はめでたく人工授精により、妊娠出産というはこびになる。
 その夫婦は当然として、誕生した子供を我子として育てるのであるが、しかし。
 後になって、夫に実は生殖能力があって、第二子が誕生した。或いは、その子が成長し、あまりに父親に自分が似ていないことに気付き、母親を追及し、実はこれこれしかじかの理由により、あなたがいるのです。となった場合とか、夫婦が離婚して、母親が自分で産んだ子の身寄りを探さねばならない状況に立ち至るとか。あるいは、相続の際、その子をどうしても排除したい兄弟がいるとか。
 そういう場合に、その子の権利は、どうなるのであろうか。
 AIDドナーにしてみれば、精子を提供する時点においては、爾後起こるであろう最悪の事態など想像できないであろう。
 只、只誠意でおこなったことが、20-30年もあとになって、実はこの子はあなたの子ですなどといって、名乗りを挙げられたぶんには、たまらないであろう。
 科学技術が発達した今日においては、言葉とか信念を持って納得させ得べき事項ではなくなってしまったのか?
 言いたくはないが、不本意な、俗語としての、情けは人のためならずか。
 人道は科学に屈するのであろうか。

命ある内に自虐から帰還し自己を開放せよ

2005年05月08日 | Weblog
 今、小泉内閣の評価とか小泉内閣の功罪とか、盛んにいわれておるが。
 この爺に言わせてもらえば、実に画期的な内閣であると評価いたすものである。
 その功は、中国の本性を、我が日本国民につぶさに知らしめたことに尽きる。
 日本人的センチメンタリズムをもって、彼の国に接しても百害こそあれ一利も無しという現実を目の当たりにした、ゆめゆめ忘れてはならぬ現実である。
 今後、彼の国に施すときは、日本がこれだけのものを施してくださるというメッセイジを人民に知らしめた後でなければいかなる援助もしないというくらいのガイドラインを設定すべきである。
 無駄金どころか、恩が仇となるような出資をすべきではありません。
 しかし、害国の毒牙によって、検定された日本国歴史教科書は、もはや自虐などというより自害せよといっているようなものである。
 この、害国性ウイルスによって侵された我国若者の精神は、早いとこ、日本製歴史認識ワクチンにより再洗浄し、自己開放しないと、国の行く末は、すなわち、危うしですぞ。
 我々は、すでに精神において、害国の侵略をうけているのである。直ちに、防衛発動せよ。

 

Boys Be Ambitious

2005年05月07日 | Weblog
  ここに別れの時が来てしまった。
 我が教え子たちよ。
 君たちの目は爛々と輝いておる、何と素晴らしいことか。
 大いなる志を抱いている目である。
 その大いなる志は今だけのものであってはならぬ。
 私は諸君に希望する。
 君たちがその大いなる志を持ち続けるそういう人であることを。
 もう一度言おう。
 Boys Be Ambitious! 若者よ、生涯に亘って大志を抱いている人たれ!
 (William Smith Clark)
 これは素晴らしいお言葉である。
 現在、若者たちの目を見よ。その眼差しに輝きはあるか?空ろでその焦点さえ定まっていないののではあるまいか。
 これは、何に起因しているのであろう、考えたことはおありか?
 私は、日本の国自体が行く先も、価値観をも喪失しているからだと思います。
 では、その原因は何なのか?
 それは、世界中から向けられる、いかなる屈辱にも耐え、一途に他国の判断基準に従っていれば、平和でいられる。勝者が敗者に対して、未来永劫に亘って、屈辱の精神として与えた憲法を、ただただ鵜呑みにして、それを金華極上として戴いてきたからだと思います。
 この効果は、実にマイナスの方向に働き、日本人の魂を破壊してしまいました。
 いうなれば、卑屈日本人製造憲法である。
 一途に、平和平和と、唱えていれば、何の保証も無い相手の平和を思う御慈悲により、平和が訪れよう。他力本願の念仏憲法である。
 ただ座して、侵略を待て、そういうことか。
 こういう、未来の展望もない国になりさがっていては、大志を抱き、目を爛々と輝かす様な若者が出てくる素地が無い、そう思いませんか?
 敗戦後60年間、幸いにして、日本の周囲には、緊迫した政治状況というものが出現しなかった。
 しかし、今後は、中国次第であるが、この国が戦場となることもあり得る、そういう事態も頭において、日本を憲法を考え直すべきだと思います。


 

アメリカよそのしたたかさよ

2005年05月06日 | Weblog
 この爺は、もうどうしようもないのじゃ。
 暗くなると、もうちょっと、もうちょっと、と思っているうちについ適量を超えてしまってな。
 しかし、それにしても、今回のこの騒ぎは一体何であったのか。
 物覚えも悪くなった上に、酒も食らっているので良く思いだせんのじゃが。
 確か、こうであったかの、アメリカが日本に陸軍総司令部をおくと唐突に発表し、中国が台湾に対して、国家不分離法を制定した。その前後はどうであったか、記憶にないが。
 そうこうしている内に、韓流で沸く日本に対して、突然韓国が歴史教科書問題云々を言い出したのであったの。
 そして、時を待たずして、中国において反日運動というか反日暴動が起こったのであった。

 思い出すに、去年の10月頃であったかの。
 アメリカのIBMを中国の連想が買収するという衝撃的なニュースが流れたのは。
 その売り込みかたが堂に入っている、何でも日本の東芝に話をしたけれども、買収価格の点で話にならないというのである。それで、最低これくらいでという話を巧妙にしたのであろう。
 12月に連想は、盛大に記念式典を行ない、大々的に報道した。それを見て取ったアメリカは国防省筋から、待ったをかけるのである。付加価値のダメ押しである。
 中国国内が反日デモで騒然とするなか、インテルは本拠地を中国からインドに移転すると発表し、それに呼応して、中国は国産のCPUを開発したと発表したのであった。
 また、中国は国策としてOS言語をLINUXとすると宣言しとる。マイクロソフトのビルゲイツ会長も反日デモ騒動の最中に訪中しとるんじゃ。
 知りたいの知りたいの、その舞台裏がどうなっているのかの?
 そして、連想がIBMの買収を完了したと発表したのと時を同じくして反日デモも収束した。
 これは偶然か?分からんの、分からんの。
 
 
 
 

 

メルヘンの世界に生きる「 キ ・ ミ 」 へ 

2005年05月06日 | Weblog
 この爺に言わせてもらえば、キミの住む世界はほとんど少女マンガ風メルヘンの世界じゃ、キミは一体何人であるのか、座して平和を唱えておれば、侵略者のご慈悲により、殺戮と侵略からキミ自身の生命とキミの家族の安全が、守れると思っているのか?
 わしもこんなにも早く、彼の国が私たちに、敵意をもって対峙してこようとは思ってもみなんだ。
 しかし、彼の国では、毛主席という方の御影を紫禁城の前面に掲げ日々崇拝しておられる。
メルヘンに生きるキミ、この方がどういうお方であるか知っているのか?
 その方が階級闘争という大儀のもとにどれほどの自国の民の命を奪ったか。まあ図書館にでも行って調べてみるがよい。
 彼らの最初のターゲットとなるのは学者、何故なら彼らは自分の置かれている軸足を持っておらぬ、まさしくカメレオンだからさ、その特質はこうさ、AといえばBといい、BといえばAという全くどこの世界へ行っても役に立たない輩だからさ、そんな者たちによくも我日本は血税を使い国にとって、屁のつっかい棒にもならない投資をしたものであろう。
 9条の会事務局の代表者だか何だか忘れたが、貴殿公務員ではないのか?
 東京大学の某教授その有識者としての意見がまたふるっていた。こうである。自衛権は認めるしかし集団自衛権は認めない、気は確かかといいたい。国民を言葉の遊びにつき合わせていいというものではあるまい。
 これからは、パンアジアの時代であるぞ。
 憲法も法律である以上、国を守るためにあらゆる事態を想定した転ばぬ先の杖であなければならないという前提もわからぬのであろうか、理論などで国が守れるのではなかろう。
 有事が現実になったとき、最高にパーホーマンスが可能となる理論を考えるのが貴方方の使命ではないのか?そうでないなら、自分で始末をつけるかさもなければ責任者は、その任からおろせと言いたい。日本人としての軸足が無い不心得ものであるから。


  

台湾からの厚い熱い視線

2005年05月04日 | Weblog
 こういう折である、意識すべきである。
 台湾から我々に向かって発せられる厚い熱い視線を。
 台湾は、大航海時代オランダの植民地となったのであるが、清朝の時代に漢族がオランダ殖民者を追放し、清領となった。
 その後、日清戦争において日本が勝利したため日本に編入された。時に1895年のことである。
 台湾の地において、日本はどのような統治をしたのか。
 彼らを迫害したのか? しておりません。
 植民地たる扱いをしたのか? しておりません。日本本土と同じ扱いをした。日本国籍さえ与えたのである。
 更に、当時国家予算の四分の一もの出費をして、彼の地に道路をつくり、伝染病を根絶するために水道を敷き、相当数の医師をも派遣した。
 また、学校を建て本土と同じ教育を施したのです。
 そして、産業を振興し、農地の開発を行ないました。
 この種の日本人の偉業を讃える書籍は、地方の図書館にもあろう、是非それらの書物に触れていただきたい。そして実感されるが良い、我々は、ゆめゆめ、侵略者では無かったことを。
 特に、故司馬遼太郎氏の「街道をゆく」の中に描かれた台湾に関する記事などを読まれることをお勧めしたい。
 今回、こんな記事を書こうと思ったのは、5月11日号小学館発行サピオに李登輝氏の特別企画が組まれていたからです。
 彼は台湾の前総統だった方です。親日家というより愛日家であり、我祖国は日本というぐらいの気質の持ち主であられます。
 また、彼は言っておられる「昨年、中国の原潜が日本の領海を侵犯したことがあった。日本の海上自衛隊はただちに政府に連絡したが、官邸は中国を恐れて即座に海上警備行動を発令せず、原潜が日本の領海を出てから発令したという。地震が来たとき、家がつぶれてから発表しても遅いのに、日本は一体何を恐れているのか。今の日本の海軍力なら、中国海軍を一週間で壊滅させてしまうだろう。それだけの力をもちながら、日本がこうした態度だと、そのうち中国は固有の領土などと勝手なことをいって、台湾を取り、尖閣諸島を奪い、沖縄を取るだろう。中国はそういう国である。」とまあ熱烈たるエールである。
 そして、更に、日本は台湾を(中国)に渡すとは決めてはいないのだから、中国が台湾を自分のものだというのはおかしい。台湾人を中国人と呼んではいけないのである。
 日本はすでにサンフランシスコ条約で独立国になったのだから、過去の戦争のことで何やかやといわれる理由は何も無い。なぜ、それを今日まで持ち越してきたのか。これは教育でそういうふうに教え込んでしまった。それが今日本をへっぴり腰にしてしまっている。
 と、このようにおっしゃり、最後に「日本はアジアと世界をリードせよ」と結んでおられます。詳しくはサピオをご購読あれ。
 
  

日本人的観念美の世界

2005年05月03日 | Weblog
 今日は憲法記念日ということでありますが、以前そのことについては書いた記憶がありますので、今日の日記は日本人的観念美の世界ということにします。
 太宰治の滅びの美学、梶井基次郎の私小説の中の魂の彷徨、三島由紀夫のまさに観念美を創出するための観念美等々。
 その中で、三島由紀夫の世界を取り上げて観たいと思います。
 とにかく、彼は美の結末はこういうものでなければならないという自己陶酔の世界を作り上げ、その来るべき結末にむかって、一種の狂気とも思える偏執的美意識を創作します。
 こういう美意識は、外国人には理解し難いもので、一時、ノーベル文学賞を取るなら三島由紀夫だろうと言われたこともあったようですが、結果は川端泰成がとりましたね。
 彼の文学作品に漂う美意識は、日本人だからこそ共有できる種類のものなのでしょう。
 そして、彼自身の結末も非常に劇的で、自己陶酔美と一体化させる中、自ら切腹することで、その人生を完結なされた、真にあっぱれであられたことよ。
 こういう美意識が日本人の魂のどこかにある。
 そういう前提で、靖国ということを考えてみたいと思います。
 この神社の前身は、招魂社といって、明治維新頃から、官軍として戦い、命を落とされた人の霊を祀った神社ということで1868年明治元年創建されたものが、その10年後、1878年に靖国神社と改名され現在に至っているとのことであります。
 現在、200万余柱が祀られているとのことです。
 ここで、最も重要なことは、明治以来官軍、すなわち、国家国民のために戦い、あえなく、命を捧げられた人の魂をお祀りする場所ということである。
 従って、そこにお祀りするしないの判断は日本人の意志に委ねられていなければなりません。
 日本が敗戦を経験する以前は、この原則が、まことに支障なく運用できました。しかし、先の敗戦により、戦争犯罪人という範疇に入る人が出てきてしまいました。
 これは、連合国即ち戦勝国側の一方的な判断基準により断じられた戦犯です。
 そして、数年前にこの戦犯といわれる人たちを合祀したことが新たな問題を提起しました。
 従来どうり官軍に属した人を祀るという判断基準にたてば、間違ったことではないと思いますし、私などはむしろ賛成しますが、それは間違いだという人が出てきても当然といえば当然でしょう。
 いずれにしてもこの種のことに対して、外国がとやかく干渉することではないし、絶対にさせるべきではない。日本人自身の問題です。
 今、私たちに求められるのは、真の意味での日本人としての自覚であり、日本人が本来立つべき立場に立ち、誇りをもつことです。
特に、どこかの国などに踊らされているようでは、どうしようもありますまい。
 このへんで、一矢報いる必要があります。
 こんなのはどうでしょう。アメリカと協力して、北朝鮮を踏み絵にさせるのです、すぐに本性がでることでしょう。
 しかし、わけも分からぬ国だねー、戦勝国なんだろ、やってることはまるで敗戦国だよね。プライドの一かけらぐらいは欲しいよね。
 私たちの先輩は良くやってきてくれたと思います。開国、明治維新、憲法制定、富国強兵、不平等条約の撤廃、日清、日露戦争勝利。結果、過信しすぎて最後には、負けてしまったけども、もし彼らが、平々凡々としていたら、列強の餌食になり植民地化され、どこかの国の国旗が立っていたかもしれない。
 唯一つ間違ったことは、日本の起源が曖昧無垢な神話にあるとしてしまったことだと思います。 少し考えればおかしいと思えるようなものに。
 今思えば、靖国はそんな中で生まれた、魂の住まう場所であったと思います。それは三島由紀夫的美の世界と共通するような気がします。
 中国は、日本に学んだといっておりますが、この辺のところを参考にしているのだと思います。
次に彼らが求めるものは敵です。それが何処か考えてください。