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きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

女がする化粧というを男もしてみん

2005年05月10日 | Weblog
 奇抜なタイトルを付けてしまいましたが、これは、産経新聞社発行の「正論」6月号を読んでいるうちに頭に浮かんで来ました。
 ジェンダーって、何だか知っていますか? 
 何でも、社会的、文化的に「創られた性別」をいうのだそうです。生まれたときに決まっている男、女という区別は、生物学的な性別とよばれますが、人は生まれたときのままの男、女でいるのではなく、周りの人々が「男にふさわしい行動、女にふさわしい行動」と考えている文化を身につけていきます。これを、ジェンダーと言うのだそうです。
 大切なのは、ジェンダーがうまれついたものではなく、社会的につくられたもので、変えられるということです。
 全く、意味不明な文章である。
 ならば、社会が希望すれば男が子を産み、女が精子の提供を出来るのかと錯覚を起こしそうである。
 どのみち、この種の文章は、浅はかな女の知恵になるものであろうが、これが公民教科書の男女共同参画社会の導入部で使われていたとは、不道徳極まりないではないか?
 私たちくらいの年輩者からすれば、いかに男女共同参画社会といえども、生まれついた性別に基づき、男はあくまで男として男らしく、女はあくまで女として女らしく育ったうえでの場をわきまえた男女共同参画で無ければならないと思います。
 男女のニュートラル化を誘導するものであってはならないとおもいます。
 最近、男だか女だか分からない風采の若者が増えたのは、この種の教育がなせる結果であったか。
 女がする化粧というを男もしてみん。
 気色悪きことこの上なしといえり。