昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

Boys Be Ambitious

2005年05月07日 | Weblog
  ここに別れの時が来てしまった。
 我が教え子たちよ。
 君たちの目は爛々と輝いておる、何と素晴らしいことか。
 大いなる志を抱いている目である。
 その大いなる志は今だけのものであってはならぬ。
 私は諸君に希望する。
 君たちがその大いなる志を持ち続けるそういう人であることを。
 もう一度言おう。
 Boys Be Ambitious! 若者よ、生涯に亘って大志を抱いている人たれ!
 (William Smith Clark)
 これは素晴らしいお言葉である。
 現在、若者たちの目を見よ。その眼差しに輝きはあるか?空ろでその焦点さえ定まっていないののではあるまいか。
 これは、何に起因しているのであろう、考えたことはおありか?
 私は、日本の国自体が行く先も、価値観をも喪失しているからだと思います。
 では、その原因は何なのか?
 それは、世界中から向けられる、いかなる屈辱にも耐え、一途に他国の判断基準に従っていれば、平和でいられる。勝者が敗者に対して、未来永劫に亘って、屈辱の精神として与えた憲法を、ただただ鵜呑みにして、それを金華極上として戴いてきたからだと思います。
 この効果は、実にマイナスの方向に働き、日本人の魂を破壊してしまいました。
 いうなれば、卑屈日本人製造憲法である。
 一途に、平和平和と、唱えていれば、何の保証も無い相手の平和を思う御慈悲により、平和が訪れよう。他力本願の念仏憲法である。
 ただ座して、侵略を待て、そういうことか。
 こういう、未来の展望もない国になりさがっていては、大志を抱き、目を爛々と輝かす様な若者が出てくる素地が無い、そう思いませんか?
 敗戦後60年間、幸いにして、日本の周囲には、緊迫した政治状況というものが出現しなかった。
 しかし、今後は、中国次第であるが、この国が戦場となることもあり得る、そういう事態も頭において、日本を憲法を考え直すべきだと思います。