ボクが子供の頃から仏間の仏壇の横に置かれていた。
いつも、仏壇と、この観音さまに線香をあげていた。

2013年4月、自宅へ戻した。
23年前(平成元年)、父が亡くなる前に
「この観音さまは建穂寺(たきょうじ)のモノだから、明治三年に火事で燃えてし
まった建穂寺が再建したら戻すように…」と云われていたことを、思い出した。
「これは、ここへ戻せよ」と云われたモノ(書、骨董)はいくつか在って、
それらは無償で戻した。
★建穂寺
http://www.asahi-net.or.jp/~kw2y-uesg/takyouji/takyouji.htm
建穂寺のコトを静岡市の人でも知らない人が多いが、「幻の名刹」である。
火事にあった時、村人達に多くの仏さま、観音さまが運び出されて難を逃れたと、
研究書の記事を読んだ。その一体ではないかと思われる。
厨子は新しいから、その後、作り直したかもしれない。

何故、我が家に存在するのか、今では分からない。
http://www.asahi-net.or.jp/~kw2y-uesg/takyouji/suraido/suraido.htm
左右の矢印をクリックすることで多くの観音さまを見ることができる。
千手観音とかは手がたくさんあるが、この観音さまは12本。
もし、本当に建穂寺の観音さまだったら、鎌倉時代のモノだと思われる。
ここ10数年、建穂寺について多くの研究書が書かれたようだが、
この研究者を探して、会って、これを見て貰って問うてみたいと思っている。
ネットの質問コーナーにこんな問い合わせがあった。
http://okwave.jp/qa/q6563462.html

さて、鑑定はいかに?(笑)。


◆ ◆
硯
http://www.geocities.jp/boreas4/something/07-suzuri/index.html
いつも、仏壇と、この観音さまに線香をあげていた。

2013年4月、自宅へ戻した。
23年前(平成元年)、父が亡くなる前に
「この観音さまは建穂寺(たきょうじ)のモノだから、明治三年に火事で燃えてし
まった建穂寺が再建したら戻すように…」と云われていたことを、思い出した。
「これは、ここへ戻せよ」と云われたモノ(書、骨董)はいくつか在って、
それらは無償で戻した。
★建穂寺
http://www.asahi-net.or.jp/~kw2y-uesg/takyouji/takyouji.htm
建穂寺のコトを静岡市の人でも知らない人が多いが、「幻の名刹」である。
火事にあった時、村人達に多くの仏さま、観音さまが運び出されて難を逃れたと、
研究書の記事を読んだ。その一体ではないかと思われる。
厨子は新しいから、その後、作り直したかもしれない。

何故、我が家に存在するのか、今では分からない。
http://www.asahi-net.or.jp/~kw2y-uesg/takyouji/suraido/suraido.htm
左右の矢印をクリックすることで多くの観音さまを見ることができる。
千手観音とかは手がたくさんあるが、この観音さまは12本。
もし、本当に建穂寺の観音さまだったら、鎌倉時代のモノだと思われる。
ここ10数年、建穂寺について多くの研究書が書かれたようだが、
この研究者を探して、会って、これを見て貰って問うてみたいと思っている。
ネットの質問コーナーにこんな問い合わせがあった。
http://okwave.jp/qa/q6563462.html

さて、鑑定はいかに?(笑)。


◆ ◆
硯
http://www.geocities.jp/boreas4/something/07-suzuri/index.html
千手観音様、京都三十三間堂は超有名ですね。
いずれにしても鎌倉時代のモノだったら運慶、快慶とかですかね。だったらお宝!出演2回目を。。
ところで、かの「ダーズ観音」(12手観音)さまの後ろ姿を拝見すると、失礼ながらカニのようですね…
これの作者は分かりませんね。
それほど上手な彫刻ではないと思います。
が、仏像&観音像は上手い下手ではなく、
どんな「想い」を持って、彫ったのか…ですね(笑)。
●Toshさん
今し方、藁科図書館に電話して、建穂寺の管理者の電話を教えて貰いました。
でも、町内会で順番に管理しているだけで、当たり前だけど、鑑定はできません(笑)。
今、建穂寺へ行ってきました。
ありがとうございます。