深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

うまくいかなかった治療の記録

2007-10-15 11:01:33 | 症例から考える
びまん性汎細(はんはり)気管支炎と診断された患者を治療したが、かなりの回数を費やしたにも関わらず、その症状を改善させることはできなかった。この患者については、以前に一度ブログで書いたが、これはその後の治療の記録である。

ちなみに、びまん性汎細気管支炎とは、Wikipediaから引用すると、「副鼻腔気管支症候群のひとつで、細気管支の原因不明の炎症により、慢性の咳嗽、痰、息切れを呈し、慢性副鼻腔炎を合併する呼吸器疾患。「びまん性(瀰漫性)」とは病変が一カ所だけにとどまらず、広範囲にわたっているということ。…以前は予後不良であったが、1984年にエリスロマイシン少量長期療法が報告されてからは死亡率は急速に低下し、治癒しうる疾患となった」。また、2001年頃に特効薬ができたことで、埼玉県では難病指定を解除された。

が、この患者はこれらの薬でも効果が見られず、病院に通いながらウチの治療も受けることになったのである。ウチで主に行ったのは、肺に対する内臓マニピュレーション、反応の出ていることの多かった脾経、胃経ライン上のツボへの刺鍼と、クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)+肺を中心とした胸部へのフォーカシングだった。この患者はフォーカシングによって得られる感覚(これをフェルト・センスと言う)がヴィジュアル・イメージ(具体的には、ある風景のようなもの)として得られるため、それを1つの指標として、その見える風景がより綺麗になることを目指して治療を進めた。

その結果、汚いものが散乱していて見える範囲も狭かった風景が、徐々に綺麗で広いものになっていった。が、症状には著名な改善は見られなかった。フォーカシングで得られるフェルト・センスの変化と実際に知覚し得る体の状態の変化にはタイム・ラグがあるのだろうと思っていたが、相当の日数が経過しても、やはり症状に変化は現れない。

徐々に綺麗になる風景、というフェルト・センスが、本人がただそう思いたがっているだけのものだ、という可能性も当然考えたが、フォーカシングの結果だけでなく、私が見て治療すべき部分も(その時々で変動はあったものの、おおよその傾向として)徐々に減ってきていた。フォーカシングの範囲を胸郭から腹部など別の部分に移しても、見えるものやその変化は首尾一貫していて、その意味でも、フェルト・センスは(多少、本人の思い込みや希望が混ざっているとしても)本人の体の状態をほぼ正確に表している、と判断した。それだけに、症状に変化が表れないことが不思議でならなかった。

そんな中、患者の家族の一人から、以前、患者にとって大きなショックとなったかもしれない出来事があったことを聞いた。そして患者の体が悪くなったのが、その出来事の後だったそうだ。その話を聞いて、私はこんな仮説を立ててみた。
その出来事により、(本来、患者自身に直接的な非はないが)この人はそのことで意識的、無意識的に自分を責め、罪の意識を感じたのではないか。もし罪の意識を感じたとすると、それは罰という形で贖われる。この人の場合、その罰が「体がよくなってはならない。体の状態が悪いままでいる」ということなのではないか。

そこで、(以前は、フォーカシングで体に「1カ月後はどうなるか?」といった未来のことを尋ねたが)今度は過去に遡って、その時、体はどうだったのかをフェルト・センスの中に再現してもらいながら、仮に罪の意識のようなものがあるなら、それを自分自身で気づき、認識してもらおうと考えた。具体的には、そのショックとなったかもしれない出来事が起こった時よりずっと前の時点から現在に向かって、その時々の体の状態がどのようなものだったのかをフォーカシングによって調べていった。

未来の状態を尋ねた時にそうだったように、過去のある時点の状態を尋ねた時も、フェルト・センスとして見える風景は大きく変化した。上に書いた、ショッキングな出来事以外にも、さまざまなことがあったようで、ある時期の体の状態を聞くと、風景の中に汚いものが増えたり、もやがかかったようになったり、真っ暗で何も見えなくなったり、と変わり、それに対して治療を行った(このように風景が大きく変化した時期は、実際にその人も思い当たることがあったようで、そのことからも、その風景はその人の体の状態をほぼ正確に繁栄している、と考えられた)。

しかし、上記のショッキングな出来事があった時点を含め、過去20年間をそのようにして調べ、治療したが、症状そのものには変化はなく、むしろ良くも悪くもならないまま推移してきたのが、ある時から徐々に悪くなり始めた。そして、その悪くなり始めた頃からオーバー・エネルギーが現れるようになった。

オーバー・エネルギーとは、AK(アプライド・キネシオロジー)におけるスイッチング(神経学的混乱)の一つで、体の前正中線上のエネルギーの流れに異常が生じ、体が過活動状態に傾いていることを示している。と言ってもオーバー・エネルギーが現れること自体は決してまれなことではないし、グラウンディング(施術者が手掌を患者の足底に当てて、患者の過剰なエネルギーを手から吸い出して、足を通じて地面に捨てる)という方法で処理すればいいだけなのだが、この患者のオーバー・エネルギーはかなり異様なものだった。

一般にグラウンディングすると、エネルギーは水のようにサラサラと患者の体から地面へと流れていく感じがするのだが、その人のそれはまるでコールタールのようなドロッとした粘張性を感じた。グラウンディングにも通常の3倍くらいの時間がかかった。最初は気のせいかと思ったのだが、それが毎回続くので、さすがに思い過ごしではないと確信した。つまり、その人は「血液ドロドロ」ならぬ「エネルギー・ドロドロ」の状態になっていたのである。症状が悪化した直接的な原因は恐らくそれなのだろうが、そんな状態がなぜ生じたのかは未だにわからない

最終的には、症状に改善が見られないとして、ウチの治療は打ち切られることとなった。

余談だが…
最終回の治療の最初に、患者は私に「もう、よくならない。医者も治らないと言っている。これからはどんどん悪くなるだけだ」と投げやりな様子で告げた。その日も、これまでと同様にフォーカシングを始めたが、「いくら体に尋ねても、何も見えない」と言う。「いつもは、始めてすぐに風景が見えるのに」と。

私はその理由が何となくわかっていたので、その人に言った。「それはあなたが治ることを諦めてしまった、と体が感じているからです。確かに症状は変わっていないし、むしろ徐々に悪くなっています。でも、体はあなたのために毎日精一杯頑張ってきたんです。ウチに治療を受けに来るかどうかが重要なのではありません。体に謝って、『まだ少しでもよくなれるように頑張りますから、皆さん協力してください』と言ってあげてください」。

そして、患者が実際にそうすると、真っ暗だった中に光が差して、徐々にいつもの風景が見えてきたという。もちろん、それで症状もよくなった、ということはないけれど、最後の治療はこのようにして終わった。

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4 コメント

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Unknown (R.T)
2007-10-16 19:13:16
『この患者はこれらの薬でも効果が見られず、病院に通いながらウチの治療も受けることになったのである。』とありますが、この患者さんは病院と蒼穹堂治療室とどちらが本人にとっての主治医なんでしょうね。ここの部分は非常に治療の効き目に関わると思います。
最近感じることですが、治療師の感性にあった患者さんが残って施術を受け続けてくれるようにと思います。敏感な感性による治療も患者さんの感性に伝わらない場合も残念ですがよくあることですし、大切にしたいのは、残る患者さんではないでしょうか。この患者さんも自身の段階が変わればまた来院されるかもしれませんよね。
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ご指摘のように… (sokyudo)
2007-10-17 09:52:54
R.Tさん、コメントありがとうございます。

R.Tさんのご指摘のように、治療家と患者の感性のマッチングというファクターは治療効果の面で無視できない、ということはあると思います。

ただ、ここで書いた患者さんは私を信頼してくれ、こちらがお願いしたことも熱心にやって下さったようで、実際に(気管支炎とは別にあった)リウマチ様の痛みについては、早い段階で消えていました。

それだけに、肝心の気管支炎の症状が改善しなかったことは、私自身「なぜ?」という疑問とともに、非常に残念な気持ちです。
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今なら治せそうですか・・・? (ちょっと寄り道)
2017-02-17 19:16:16
過去記事に目がいってコメントしてしまいました。過去のうまくいかなかった症例に対して、今現在の経験と技術で同じ症例に対して改善させる理論と自信はあるのでしょうか・・・?

すいません突然にこんな質問をしてしまいまして。
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コメントありがとうございます (sokyudo)
2017-02-17 20:36:19
>ちょっと寄り道さん

コメントいただき、ありがとうございます。
ご質問いただいたのと同じようなことは時々考えます。「あの時、治せなかった人も、今なら治せるんじゃないか?」と。

「以前に比べれば知識も技術も上がっているので、もう少し何とかできる」と思う反面、今でも全く歯が立たないケースもあるので、自信があるかと問われると正直、微妙なところです。
やはり人間相手の仕事なので、単にこちら側の知識や技術が向上すれば何とななる、というものでもありませんし。
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