深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

秋の日に『星の時計のLiddell』を読み返す

2007-10-22 16:49:33 | 趣味人的レビュー
毎年、夏が近づく頃になると、秋になったら取り出して読み返そうと思いながらも、あまりにも奥の方にしまい込んでいたため、そのうちに、そんなことを考えていたのも忘れてしまっている…ということを数年繰り返してきた。しかし、今年はひょんなことから部屋の整理を始めることになり、期せずしてそれを見つけ出すことになった。そして、改めて読み返している──内田善美の3巻からなる『星の時計のLiddell』を。

「幽霊になった男の話をしようと思う」という書き出しで始まる、この物語のアウトラインを記すと…

舞台は“風の街”シカゴ。そこに、この物語の語り手であるウラジーミル・ミハルコフが2年ぶりに世界放浪の旅から戻ってくる。ウラジーミルには、その街にヒュー・ヴィックス・ヴァンダーベックという友人がいる(ウラジーミルとヒューの間には同性愛を暗示しているとも取れる描写もある)。そこでウラジーミルはヒューから、繰り返し夢に見る、ある屋敷のことを聞かされる。そして、ある時、病気で寝込むヒューを見舞ったウラジーミルは、その夢を見ている時のヒューが呼吸をしておらず、心臓さえ止まっていることに気づく。そしてシカゴに雪が降った、ある日、2人でその屋敷を探す旅に出る。

…という話だ。しかし、そんなアウトラインだけでは、この作品を1/1000も語ったことにはならない。作品の中で語られる、その言葉のほんの一部をここに紹介しよう。

たとえば洞穴、空にかかる巨樹(セコイア)、深い霧、たとえば真夜中の我が家、窓ガラスごしの闇、幽霊屋敷、鏡の迷路(ミラーハウス)、(中略)そう、あの頃、そんなものを体験した時の精神の、あの得もいえぬ不安定さ。生とか死とか、神とか宇宙(コスモス)とか、恐怖・幸福・興奮・時空・魔性・次元とか……当時持っている言葉のすべてを使っても、あの感触に追いつきはしなかったろ。
で、中でも一番俺が好きだったのは“気配”だ。大気や水や樹木、光や闇、空間、そいつらが隠し持っている、あの奇妙な“気配”さ。(中略)そう、“何か”の気配だな。あの時、いつだって形のない何かわけのわからないものの気配がそこにひそんでいたろ?


この作品のことを始めて知ったのは、15年近く前の『ミステリマガジン』の特集記事(ミステリ・マンガだったか、マンガのミステリだったか?)で、そこで何人かの作家や評論家などが推薦するマンガの中に、この『星の時計のLiddell』が入っていた。マンガはかなり読んでいたが、さすがに少女マンガについては無知だった私は、その特集を読んで萩尾望都の『トーマの心臓』や岩館真理子の『アリスにお願い』なども読むことになった(どちらも傑作)のだが、『星の時計~』だけはなかなか見つからなかった。今ならインターネットの検索サイトなどを使って探すのだろうが、当時のネットはまだ学術情報が主で、現在のようなしっかりした検索エンジンもなかったから、足で探すしかなかった。結局、神保町で見つけるまで、探し始めて1年から以上かかったと思う。

その後、同じ内田善美の『草(そう)迷宮・草空間』も見つけて購入したのだが、実はその頃が内田善美の作品を新刊として買うことのできた最後の時期だったようだ、ということを後になって知った。WikiPediaによると、内田善美は1984年以降、作品を発表しておらず、また過去の作品についても、出版社からの再三の要請にも関わらず復刊することを認めないとのことで、現在では古本でしか買うことはできない(amazonで見ると、定価910円の『星の時計~』各巻が2500円以上になっている)。

10年前くらいにこの本を買って、その後、何度も読み返したが、そのたびに何か居心地の悪さをずっと感じてきた。凄い傑作であることはわかっていた。しかし何か違和感があって、自分の心の中に落ちてこないのだ。結局、何度読み返しても、私は『星の時計~』を理解することはできても、『星の時計~』に入り込むことはできなかった。それが今、8年ぶりくらいに、この本を改めて読み返してみると、不思議とその物語にしっくりと馴染む。物語の世界が自分の心にストンと落ちてくる。例えば、8年前にはあまり気づかなかったウラジーミルの抱える孤独や心の震えのようなものが、今はとてもリアルに感じることができる。

物語の中でも語られているが、ウラジーミル・ミハルコフの祖先はロシア革命によって国──帝政ロシア──を追われ、ヨーロッパへと移り住んだらしい。しかし、亡命後も一族の威光は衰えることなく、今──つまり、この『星の時計~』の物語が語られる1980年代──でもヨーロッパに広大な屋敷や別荘、そして図書室を有している。ウラジーミル自身も(20代後半という設定だが)特に定職にも就かず、ふらりと世界中を旅したりして、一見気ままに暮らしている。だが、それは彼自身の心が帰るべき場所を持たない人間であることの裏返しでもある。そんな“帰るべきところ”つまり自分の“魂の在処(ありか)”を持たないウラジーミルが、夢に魂を奪われつつあるヒューと旅に出ることは、いわば必然のことだった。そう、この『星の時計~』は、実はウラジーミルが自分自身の“魂の在処”を探す物語でもあったのだ

…と書いてきたが、今回の読み返しはまだ2巻の途中までだ。3巻の最後まで読み終えた時、この物語は私の心の中でどのような変容を遂げるのだろうか。この後に続いて読み返す予定の『草迷宮・草空間』と合わせて、非常に楽しみだ。

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