ジョン・ガイガーの『サードマン 奇跡の生還へ導く人』は、T.S.エリオットの「荒地」という詩の引用で始まる。
いつもきみのそばを歩いている第三の人は誰だ?
数えてみると、きみとぼくしかいない
けれど白い道の先を見ると
いつもきみのそばを歩くもう一人がいる
フードのついた茶色のマントに身を包み音もなく行く
男か女かもわからない
──だが、きみの隣にいるのは誰だ?
人は生死を分けるギリギリの状況に遭遇した時、そこにいないはずの〈存在〉の気配を感じることがあるという。それは親だったり、パートナーだったり、友達だったり、見知らぬ他人だったりするが、時にはその〈存在〉から助けられたり、時にはその〈存在〉を何としても守ろうとして、死地から奇跡の生還を果たす人がいる。
彼らが死に近づいた場面で出会ったその〈存在〉は、サードマン(third man)と呼ばれる。
サードマンといっても、それは必ずしも3人目を指すわけではない。ソロで未踏の地を行く者には、いつも傍らにいる不思議な相棒として、3人のパーティには、すぐ後ろをついてくる4人目の仲間として、その〈存在〉は現れる。だから日本語としては「善意の第3者」という言い方が最も的を射ているかもしれない。
こうした「サードマン・ファクター(サードマン現象)」は過去から現在に至るまで膨大な報告例があるが、それについてまとめた本は、このガイガーの『サードマン』が初めてだという。
今でもサードマンを神の存在証明と考えたり、それは守護天使だとか宇宙人だとかと関連づけて語る人も少なくないようだが、この『サードマン』はいわゆるオカルト本ではない。
サードマンあるいはサードマン現象については時代、国籍を問わず、信頼に足る多数の報告例があり、医学的な研究も行われているので、この本も「サードマン現象を述べた報告は本当か嘘か?」といったことは論じない。この本は過去に報告された数多くの有名なサードマン現象の例を引きながら、この現象に対する医学的研究の成果も踏まえて、サードマンという存在を、人はなぜ、どのように感じるのかを述べている。
ところで、この本を読んでいて気づいたことがある。
私はおよそ冒険というものには縁のない人間だし、何かの事件や事故に遭遇して死にかけた経験もないが、明確に覚えているだけでもこれまで10回程度、サードマンに会ったことがあると思う。
1回目に会ったのは中学、高校時代の友達だった。2回目以降は輪郭こそ人の形をしているが人ではない何か。もう少し具体的に書くと、2回目に会ったサードマンは全身がメタリックな光沢を帯びて、そこに周りの風景が写り込んでいたが、3回目になると上半身が半透明になり、その後、その姿は回を重ねるごとに輪郭だけを残してどんどん透明になっていった。
また、他の人がサードマンに出会うのを近くで見ていたことも何度もある。
それはいずれもインナー・ジャーニー(エネルギー・マスターともいう)のワークを通しての体験である。
インナー・ジャーニーは大きく4つのステージに分かれているが、その中の第3ステージ「インナー・チャイルドとの出会い」と名づけられたステージで出会うものこそ、この本に書かれたサードマンなのではないかと思われるのだ。
もちろんインナー・ジャーニーはクライアントに死にそうな体験をさせるワークではないが、第2ステージ「心のブロックと過去の感情の解放」でリズミカルで速いテンポの深い口呼吸を行わせる。この呼吸を続けていると脳波がシータ波になり、意識の深いレベルにアクセスできるというのだが、同時にこの呼吸によって体はアシドーシスを起こし、全身がしびれて重く苦しくなっていく。これは肉体に負担をかけて未知の領域に踏み込んでいくという意味で、ある種の冒険と言えなくもない。
そして第3ステージは、これを通常の深い呼吸に戻すことによって入るのだ。
もしインナー・ジャーニーの中で出会うのがサードマンであるなら、サードマン・ファクターは好きな時に人為的に起こすことができることになる。
例えばこの本には、側頭頭頂接合部に電気刺激を与えると、「実際は誰もいないのに、近くに誰かがいるという妙な感覚」が生じ、刺激を与えるのをやめると〈存在〉の気配も消える、という実験結果が紹介されている。
しかしそれでもなお、サードマンという〈存在〉の全てを科学の言葉で語ることはできない。それは人間という〈存在〉そのものを科学の言葉だけで語ることができないのと同じだ。
そもそもサードマン・ファクターとは何であり、何のために存在しているのだろう。その1つの答えは、この『サードマン』の最終章である第13章「天使のスイッチ」の最後のパラグラフに書かれている。本当はそれを引用してこの文章を終わりにしたいのだが、やはり1冊の本の最も重要な結論部分を勝手に引用するのは気が引けるので、それはあなたが実際に本を手に取って読んでほしい。
ちなみに、この第13章だけで自己啓発本10冊を読むより多くのものを得られると思う。その上で、まだ余力があれば、その後ぜひ「解説」も読んでほしい。ただし、くれぐれも本文の後に、だ。
では最後にリベラの『彼方の光』でこの文章の締めとしよう。実は当初は別の曲を考えていたのだが、何かに導かれるようにこの曲になった。
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