「カバラと『生命の木』」の第29回は、第9セフィラ、イエソドについての続き。
第28回で述べたように、いかなる魔術を持ってしても物質界の状況を勝手に自らの意志に従わせることはできない。それは即ち、物質界の状況が魔術によって影響されることはない、ということを表している。物質界であるマルクトへは、ただイエソドを通じて接近できるだけであり、イエソドへはホドを通じて接近できるだけである。
我々の現在の知識では、イエソドにおけるエーテルについて完全に説明することはできない。だが、アストラル的なエーテルの本質は知らなくても、観察によってその特性を推定することはできる。そして、この特性のうちの2つが実践的オカルティズムの作業に欠かせないものであり、全体系の土台を形成するものである。
その2つのアストラル的エーテルの特性とは、1つが心によって形へとかたどられる能力、もう1つが張力のある網のようなもので物質の分子を保持する能力である。そして、これらの特性の体験だけが、生ける物質と意識的な心の関係を理解することができる。
物も心も、ただそれだけの見地から理解することはできず、感覚は常に物と心の両方に関わらなければならない。神経系の感覚を説明するには、物と心の中間にある要素が仮定されなければならない。目的のある運動を理解するにも、思考の印象を受け取り、保持する力と物質の構造に影響を及ぼす力とを持つ要素の存在が必要になる。これこそ我々が前提するアストラル的エーテルに帰せられる特性なのである。
もう少し「生命の木」の中で大域的に見たイエソドの話は、次の動画で。
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