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「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

「本気」

2016-07-20 10:49:44 | 趣味人的レビュー

これはブクレコに書いた『大塚明夫の声優塾』のレビューに加筆修正したものである。

帯に書かれた言葉からして、もうメチャメチャ挑発的だ。

「いやぁ、上手だね…。こういう人が深夜のアニメに出て、そしてどんどん
消えていくんだ

この本『大塚明夫の声優塾』は、2015年に徳島で開催された「マチ★アソビ」というイベントの中で、星海社主催で声優の大塚明夫を講師に行った「本気で声優を目指している人」に向けた1回限りの特別講義の一部始終を文字に起こしたものである。

大塚明夫は星海社新書から出した著書『声優魂』の中で「声優にだけはなるな」と書いていて、今回の特別講義はそれを受けて開催されることになったようだ。「本気で声優を目指している人」限定とするため、参加者には以下のような条件が課せられた。
1.『声優魂』を熟読してくること。
2.事前に4000字程度の原稿(ある物語の一部分のようなもの)を送るので、そこに登場するキャラクタ一人ひとりについて分析し、それを文章化したものを返送すること。
3.2の原稿に登場するキャラクタ(応募者が男なら男性キャラ、女なら女性キャラ)のセリフに自分で声をあて、それを音声ファイルとして返送すること。

参加募集は星海社のWebサイト上で行い、限定20名の枠は告知から24時間を待たずに埋まったという。しかし、実際に講義に参加したのは15名だけだった。5人の辞退者の中にはその理由をメールで送ってきた人がいて、そこには
「『声優魂』を読み返して、自分が本気でないことがわかった」
と書かれていたそうだ。

そういうわけで、参加段階から「お前は本気か?」と問われた特別講義は、大塚明夫と彼の所属事務所、マウスプロモーションの社長で音響監督でもある納谷僚介の2人を講師に、15名の受講生(カバーの折り返しには16名と書かれているが、その理由は最後まで読むと分かる)に対して行われた。

前半は「業界で生き残るためには」を、声優の大塚と声優を使う側の納谷が、それぞれの立場から論じている。
大塚と納谷が言うには、声優として売れるか売れないかは「運」。けれど、売れている人は(たとえ技術的には下手でも)何か「売れる要素」を持っている。例えばルックスの良さや天性のエンターテナー性など。そして、そういう「売れる要素」の多くは努力しても手に入るものではなく、唯一、努力して手に入るものがあるとすれば、それは「技術」だと。で、声優(あるいはもっと広く、演技者)が磨くべき「技術」とは何か、という具体的な話が語られる。

後半は前半の技術論を踏まえて、受講生一人ひとりに対して、送られてきたキャラクタ分析と実際に本人があてた声を2人の講師が講評し、これから何をどうし たらいいのかをアドバイスする。このレビューの冒頭に掲げた帯の一文は、その講評の中で語られた言葉だ。この特別講義では最初に納谷がこんなふうに言っていた。

僕たちはこれから厳しいこと、辛辣なこと、酷いことをみなさんに言うかもしれない。いや、言います。でも、それはみなさんを傷つけたいからではありません。それが僕たちなりの、みなさんの「本気」に対する答えなんです。


私は声優でも俳優でもなく、またそういった仕事をやる予定もないけれど、治療家などという浮き草稼業をやっている関係で、何かの参考になればというつもりで読んだ(もちろん、前に読んだ『声優魂』がよかったから、ということもある)。まだ一読しただけで、書かれていることが十分咀嚼できていないので、どこの部分がどう役立てられるかわからないが、「あとがきにかえて」の中に

「本気」でやったから成功した。「本気」じゃなかったから上手くいかなかった。──そういう考えは、上手くいかなかったことの言い訳を「本気」に押しつけているだけだ。そんな成功や失敗で揺らいでしまうようなものは、そもそも「本気」ではない。

と、そんな趣旨のことが述べられているのを読んで、ちょっと衝撃を受けた。「本気か?」ということは(自問自答も含めて)よく問われることだけど、では「本気」とは何なのか?

例えば、「今、俺は本気じゃなかった」と思ったとして、それじゃあ次の瞬間には、あるいは10分後には、1時間後には、本気を出せているのか? そもそも、「今、本気じゃなかったから10分後までには本気を出そう」と思って出せるものなのか? それに「今は本気じゃない」という人が「じゃあ」と10分後に本気を出したとしても、その更に10分後にも本気を出し続けていられるのか?

そう考えると、自分自身に対して「本気出してるか?」を問うことには、あまり意味はないんじゃないだろうか? 「本気」というのは、出そうと思って出すものではなく、(少し大げさな言い方をすれば)生き方を定めることによって自然にそうなるもの、なのだ。大塚明夫もこんなふうに言っている。

何かに挑戦すること自体を、「本気」という言葉を理由にやめてしまうのはもったいないかもしれない。(中略)そこで踏ん張って、どうやって人生を生きていこうかと苦悩して、その結果「私にはこれしかない」と思いきったそのとき、「本気」の本当の第一歩を踏み出すのかもしれないね。

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