※これは「ブクレコ」に『声優魂』のレビューとして書いたものを大幅に加筆修正したものである。
本当は何日かに分けて読むつもりだったのに、気がつけば一気読みしていた。それだけ私にとっても身につまされる内容だったから。それが大塚明夫の『声優魂』だ。
大塚明夫と言えば、つい先頃亡くなった俳優で声優の大塚周夫(ちかお)の息子で、ブラック・ジャックや『攻殻機動隊』のバトー、『Fate/Zero』のライダーなどを演じた、第一線で活躍する俳優で声優だ。
その彼が書いた『声優魂』は、しかし「声優ほどすてきな商売はない」ということを書いた本でも、声優の仲間たちに宛てたエールとしての本でもない。彼がこの本で書いているのは「声優だけはやめておけ」ということだ。
なぜ「声優だけはやめておけ」なのか? それは大塚明夫の言葉を借りるなら、声優の仕事は「三百脚の椅子を、常に一万人以上の人間が奪い合っている状態」であり、「こんなに商売として成り立っていないものを、安易に「職業」として選ぶのは危険」だからだ。
彼は言う、「「声優になる」=「職業の選択」ではない」と。声優は自分で仕事を作ることができず、仕事といえば常に誰かに呼ばれて何かの素材に声をあてることしかないが、声あては別に芸人がやってもアナウンサーがやってもいい。声優とは、実は声という素材を提供する幅広い候補の中の1つに過ぎないのである。
だから声優になったところで、その「声優」という名前が仕事を保証してくれるわけでも、身分を保障してくれるわけでもない。長く続けたからといって出世できるわけでもなく、ギャラが上がれば上がったでコストを抑えたい制作サイドとしては使いづらくなる。結局、声優になることは「ハイリスク・ローリターンの理不尽な博打」だというのだ。
私は流行らない治療院をやって食うや食わずの生活をしているが、この本で大塚明夫が書いていることは見事なくらい治療家、セラピストにも当てはまる。一部に国家資格があるという点は声優と違うが、仮にその資格を持っていたとしても「治療家」「セラピスト」という呼び名が何の身分保障にもならないことも、自分の体と技術だけが頼りであることも、出世というものがないことも、将来の保証が何もないことも全部同じ。だから彼の言葉が刺さるし、本当にそうだと心から納得できる。
では、芝居の世界で本当に生き延びられる人とは、どういう人なのか? 情熱のある人? 努力家? 強運に恵まれた人? 大塚明夫は2種類の人間を挙げる。
1.誰もが認める圧倒的な才能を持つ天才
2.まっとうな生産社会を諦めた、他に行く場所のない人間たち
もちろん1のカテゴリに入れる人などほとんどいないわけで、(大塚明夫自身も含めて)大半の人間はせいぜい2のカテゴリだ(とはいえ、ほとんどの人はその2のカテゴリにすら入れないわけだから、ここに入ることのできた人──それはそれで決して幸せなことではないと思われるが──もまた希少だと言える)。
その上で彼は、声優/役者とは「職業ではなく生き方だ」と言う。真っ当な生産社会の一員になることを諦め、自分は声優/役者として生きていくしかないと覚悟を決める──それが声優/役者「になる」というということなのだと。
その上で彼は、まわりの声優たちの「嘘」に切り込む。多くの声優(志望者)が、声優になりたい/なった理由として「芝居が好き」「人を感動させたい」というが、「「ちやほやされたい」が自分の望み、むしろそれしかないのに、「声優になりたい」が自分の欲求だと勘違いしている」と彼はいう。
とはいえ、彼はちやほやされるために声優になる/声優をやることを否定しているわけではない。声優になる理由にちやほやがあってもよくて、重要なのは自分のきれい事ではない、そういう欲求から目を背けないことなのだ。自分の欲求にキチンと目を向けていないと、うまくいかないことの責任を自分以外の者に転嫁してしまう。それは一番不幸な生き方だと。
「人生の主導権を自分で持ち、「これもすべて自分の生き方だ」と思っている人は、たとえ苦しくても本当に折れてしまうことはない」──大塚明夫の言う「職業ではなく生き方」とは、つまりそういうことだ。
ここで、この『声優魂』を読んで気づいた私自身の話をしようか。
私の中には「ちやほやされたい」という気持ちは(全くとは言わないが、ほとんど)ないが、代わりに周りから「凄い」と言われたいという、どこか狂おしいまでの思い、強迫観念のようなものがある。治療家としては「いい治療」「上手い治療」などと言われるより、「凄い治療」と言われたい/言われなくてはならない、という強烈な欲求がある。だから、決してそれを意図してきたわけではないが、どんどん邪道な方向に行ってしまっている。
邪道な方向に行ってしまう理由は、王道では「凄い」と言ってもらえない(と自分自身が思っている)から、そして自分自身が王道ど真ん中で勝負できる人間ではないからだ。
そうしたことの気づきも含めて、私にとっては胸に痛い、本当に学ぶことの多い本である。
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