おかえりと言うように気をつけている あなたの来る日は靴もそろえて
あなたの来ない日であっても、おかえりと言うように気をつけている。どのタイミングでかと言えばおそらく帰宅してすぐなのでしょう。ただし、普段靴は揃えない。
あなたが来る時は、一緒に玄関に入り、おかえりと言うのでしょうか、その後に靴を揃えて。
関係性が見えて面白いと思いました。
終わったよ 頭をなでる触れかたで眠りを白いシュレッダーにも
シュレッダーかけるべきものかけ終えて私の統べる部屋は清潔
終わったよ、は自分に対してもシュレッダーに対しても。ボタンをしっかり押すと言うよりはタッチパネルみたいな微かに触れるだけで反応するような、そんなシュレッダーを思いました。
そして、シュレッダーをかけるべきものとは何でしょう。具体的なイメージはまだわいてきませんが、シュレッダーにかけられるものはみな過去のもので。それら全てがなくなることで、清潔さを取り戻す。それは部屋から不要なものが減ったというより、過去の清算を終えた今、現在の私の清潔さでもあるのでしょう。
清潔な部屋で、清潔な現在の私は眠る。
生理中一応ひかえていたものを食べるよろこび、本能的な
一応、程度なので食べようと思えばいくらでも食べられたでしょう。それでも食べずにいたのは理性によるものでしょうか。生理が終わり、我慢をせずにすむことも本能的な喜びであれば、好きなものを食べることも本能的な喜びで。
「お墓には相続税が課されません。」蛍光ペンで線を引く箇所
お墓、相続税というのは不思議なもので。近しいものの死と生きている私との間にあるどこまでも現実的なもの、とでもいいましょうか。蛍光ペンで引かれた線は、特筆すべき事項を分かりやすくするもの、というだけでなく。生きている私にとって決して遠い位置にいない死を輪郭づけるもののようにも思えるのです。
なんとなく映画が観たいなんかいいやつがないかをググる なかった
なかったんかーい! とツッコミをいれたくなりますが、よく分かる感覚で。映画が観たい、それもシネマで。しかし観たい映画がないけど観たい。もしかしたら、映画が観たいというよりは、映画館という日常から切り離された空間に身を置きたいのかもしれません。
Cセットサラダとスープ昼食を抜いた日だけの帳尻合わせ
昼食を抜いた日は晩御飯にサラダとスープがついたセットを追加で頼む。
二句目までの名詞をとつとつと重ねた感じは、言葉足らずで気になるような。あるいは帳尻合わせのルーティーンとして、食べたいかどうかも関係なく頼む無感情さのようにも思えるような。ちょっとした危うさも感じました。
帰り道そっと車がすぐ横に 私あのとき死んだのでしょう
車が横を通り過ぎるとともに感じる風。ふっと、自分の魂が持っていかれるような。不思議な感じに死を重ねたように、想像しました。
横にの後に隠されているのは、(来る)や(いる)みたいな言葉かな、と思います。車が自分の近くを通り抜ける時の、車が自分の横に来たその瞬間に、何かのスイッチが切り替わるような。「あの時」と「無数の死」を越えて今の私はいるでしょうか。
カレンダーアプリを月曜始まりに設定するよそれだけの夜
月曜始まりか日曜始まりか、それを変えるだけで今までの自分の中にあったスケジュール感覚とでも言うべきものが全てずれ込んでしまうような気がします。
今まで日曜始まりでやっていたのを何らかのきっかけで月曜始まりに変えたのか。あるいは、新しくいれたカレンダーアプリが日曜始まりだったので正したのか。
なんとなく前者に思えてならないのです。自分の感覚が狂うようなことに対しても、それだけのと言ってしまえる夜。
誰のことも心配せずに玄関のタイルを磨く真昼 まぶしい
タイルも昼の太陽も、そして私の心もきっとまぶしい。
そして、こうも直接的に「まぶしい」と言われてしまうと、どうしても影の存在を深読みしてしまうことをお許しください。
一首目の「あなた」以降で初めて、「誰」という他者を現す言葉が出てきました。
おかえりと言うように気をつけている
という一首目の上句。これはあなたが来た時にちゃんとおかえりといえるかなという心配があったのでしょう。そして、今、おかえりと言っていたであろう玄関で誰のことも心配していない。
この連作の時間軸の中であなたとの関係の変化を感じてしまいました。
もしかしたら、シュレッダーで清潔にしたものとは、カレンダーの設定を変えたのは、もう一度連作を読み直していった時に、いくつもの考えが新たに浮かんできます。
生きることや生活に関することには、一歩引いたというか理性的で。あるいは人為的な潔癖さとでも呼べそうな感覚が存在しているように思えました。一方で死にしては漠然とながらも手触りが生な感じで伝わってくるようでした。
最後に、一番好きだなと思った歌は、
「お墓には相続税が課されません。」蛍光ペンで線を引く箇所
でした。ありがとうございました。
あなたの来ない日であっても、おかえりと言うように気をつけている。どのタイミングでかと言えばおそらく帰宅してすぐなのでしょう。ただし、普段靴は揃えない。
あなたが来る時は、一緒に玄関に入り、おかえりと言うのでしょうか、その後に靴を揃えて。
関係性が見えて面白いと思いました。
終わったよ 頭をなでる触れかたで眠りを白いシュレッダーにも
シュレッダーかけるべきものかけ終えて私の統べる部屋は清潔
終わったよ、は自分に対してもシュレッダーに対しても。ボタンをしっかり押すと言うよりはタッチパネルみたいな微かに触れるだけで反応するような、そんなシュレッダーを思いました。
そして、シュレッダーをかけるべきものとは何でしょう。具体的なイメージはまだわいてきませんが、シュレッダーにかけられるものはみな過去のもので。それら全てがなくなることで、清潔さを取り戻す。それは部屋から不要なものが減ったというより、過去の清算を終えた今、現在の私の清潔さでもあるのでしょう。
清潔な部屋で、清潔な現在の私は眠る。
生理中一応ひかえていたものを食べるよろこび、本能的な
一応、程度なので食べようと思えばいくらでも食べられたでしょう。それでも食べずにいたのは理性によるものでしょうか。生理が終わり、我慢をせずにすむことも本能的な喜びであれば、好きなものを食べることも本能的な喜びで。
「お墓には相続税が課されません。」蛍光ペンで線を引く箇所
お墓、相続税というのは不思議なもので。近しいものの死と生きている私との間にあるどこまでも現実的なもの、とでもいいましょうか。蛍光ペンで引かれた線は、特筆すべき事項を分かりやすくするもの、というだけでなく。生きている私にとって決して遠い位置にいない死を輪郭づけるもののようにも思えるのです。
なんとなく映画が観たいなんかいいやつがないかをググる なかった
なかったんかーい! とツッコミをいれたくなりますが、よく分かる感覚で。映画が観たい、それもシネマで。しかし観たい映画がないけど観たい。もしかしたら、映画が観たいというよりは、映画館という日常から切り離された空間に身を置きたいのかもしれません。
Cセットサラダとスープ昼食を抜いた日だけの帳尻合わせ
昼食を抜いた日は晩御飯にサラダとスープがついたセットを追加で頼む。
二句目までの名詞をとつとつと重ねた感じは、言葉足らずで気になるような。あるいは帳尻合わせのルーティーンとして、食べたいかどうかも関係なく頼む無感情さのようにも思えるような。ちょっとした危うさも感じました。
帰り道そっと車がすぐ横に 私あのとき死んだのでしょう
車が横を通り過ぎるとともに感じる風。ふっと、自分の魂が持っていかれるような。不思議な感じに死を重ねたように、想像しました。
横にの後に隠されているのは、(来る)や(いる)みたいな言葉かな、と思います。車が自分の近くを通り抜ける時の、車が自分の横に来たその瞬間に、何かのスイッチが切り替わるような。「あの時」と「無数の死」を越えて今の私はいるでしょうか。
カレンダーアプリを月曜始まりに設定するよそれだけの夜
月曜始まりか日曜始まりか、それを変えるだけで今までの自分の中にあったスケジュール感覚とでも言うべきものが全てずれ込んでしまうような気がします。
今まで日曜始まりでやっていたのを何らかのきっかけで月曜始まりに変えたのか。あるいは、新しくいれたカレンダーアプリが日曜始まりだったので正したのか。
なんとなく前者に思えてならないのです。自分の感覚が狂うようなことに対しても、それだけのと言ってしまえる夜。
誰のことも心配せずに玄関のタイルを磨く真昼 まぶしい
タイルも昼の太陽も、そして私の心もきっとまぶしい。
そして、こうも直接的に「まぶしい」と言われてしまうと、どうしても影の存在を深読みしてしまうことをお許しください。
一首目の「あなた」以降で初めて、「誰」という他者を現す言葉が出てきました。
おかえりと言うように気をつけている
という一首目の上句。これはあなたが来た時にちゃんとおかえりといえるかなという心配があったのでしょう。そして、今、おかえりと言っていたであろう玄関で誰のことも心配していない。
この連作の時間軸の中であなたとの関係の変化を感じてしまいました。
もしかしたら、シュレッダーで清潔にしたものとは、カレンダーの設定を変えたのは、もう一度連作を読み直していった時に、いくつもの考えが新たに浮かんできます。
生きることや生活に関することには、一歩引いたというか理性的で。あるいは人為的な潔癖さとでも呼べそうな感覚が存在しているように思えました。一方で死にしては漠然とながらも手触りが生な感じで伝わってくるようでした。
最後に、一番好きだなと思った歌は、
「お墓には相続税が課されません。」蛍光ペンで線を引く箇所
でした。ありがとうございました。
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