森本さんは私と同じ未来短歌会の方で、年齢も近いことを今回知りました。相互評を担当できて嬉しいです。
眠りたくなくて来ている喫茶店のケーキケースの下段からっぽ
閉店が近いのだろう。ケース下段のケーキたちは既に売り切れたか、片付けられてしまっている。カ行の連続のメロディにのせて、どんなケーキがあったのか想像させられる。連作「からっぽ」で展開する世界は、眠りたくないときに来るような、この喫茶店が出発地点となる。
ブレンドコーヒーフレッシュなしと書かれたる伝票用紙が折りたたまれる
いちばん文字数が多いために目立つ一首。破調部分は店員が注文内容を読み上げるように一気に読みたい。「ブレンドコーヒーフレッシュなし」という、短歌に使うには長い言葉だからこそ、伝票の折りたたまれている様子が表現されている。
シャッフルで流れる曲のあいみょんの愛称なんだと思っていた名前
これはそのまま「わかる」歌(私もアーティスト名と曲のイメージの差に驚いたひとり)。事実を知った以前・以後の自分ははっきり分かれてしまう。その分断を、偶然に曲が流れたとき噛みしめている。もう戻れない過去がある。
パチンコ屋の前に並んでいるうちの一人がマンホールを撫でている
実際にその光景を見たらぎょっとするはずだ。道路掃除でもないだろうし。験担ぎか何かでそういうのがあるのか。並んででもパチンコ屋に行く人の世界を目撃してしまった。
ペットボトルを捻り潰せば手のひらに浅くくい込むいくつかの尖り
普段のペットボトルは手にやさしい形なのに、ひねりつぶすと確かにバキバキになる。それでも凶器とはなり得ない。「浅く」を逃さなかった、手の感覚が敏感であることがわかる。
コインランドリーの手前のごみ箱にやたらと捨ててあるレジ袋
似たような場所を知っている。ごみを入れたレジ袋がたくさん捨ててあるのかと思ったが(地域によっては指定ごみ袋でなくてもいいところもある)、中身のないレジ袋自体が山積みになっているのかもしれない。人間がつくった便利さに人間がついていけていない世の中。どことなく全体的に白い歌。
古着屋の暗やみに立つマネキンがあまりに痩せているような気が
このマネキンはかわいそうなマネキンなのだろうか。それとも古着屋だから、暗いから、そんな気がするだけなのかと自分の感覚を疑う。「暗やみ」の表記にこだわりを感じる。
いつの間にか小雨が降っているなかの私の肩にシャツがはりつく
指を鳴らし損ねてしまう短めの息継ぎほどの音を残して
なんとなくうまくいかない毎日。現実に負けそうなとき、現実との間にすこし距離をとって、非現実感を混ぜることでほんのり夢をみているような感じ。連作の中の主人公として、そうやって人生に立ち向かっているんだな、という人物像が見えてくる。
コンビニの前に立ちたる逆光の人が誰かに手を振っている
私は大学時代にコンビニでアルバイトをしていたので、コンビニ関連の楽しい短歌が好きだ。姿のよく見えないふたりがコンビニで集合なのかコンビニで解散なのか(どちらもよく見るし、私もする)、どちらにせよほっとするやりとり。それを見ている、自分。「逆光の人」も「誰か」も、自分を含む誰もがそうでありまた誰でもない、というイメージが「コンビニ」の言葉に託されている。
好きだった音楽が耳に馴染まないそんな時間が来る、唐突に
私の翼であったはずのものたとえば自転車あるいは珈琲
外部を描写する歌が多い中で自分自身の変化も描かれる。変化に気づいたときにはもう、既になにかが始まってしまっている。ケーキケースがからっぽだったことを思い出す。
鍵穴に鍵を差し込むひとときに傷つきあっている音がする
生ぬるい水道水にむせ返る気恥ずかしさが溢れるように
フライパンの底に圧されてたわみたる青白い色の炎を思う
帰宅してからも日常的な行為を冷静に捉え直している。鍵に暴力のイメージを重ねることはしばしばあるが、それは一方的なものではないと表現するのがこの主人公のパーソナリティである。むせるときのあの苦しさも、気恥ずかしさが溢れる現象だったのかと納得してしまう説得力がある。普段の暮らしの中で、自分にコントロールされている炎にひそむエネルギーを思うときの、何かが起きてしまいそうな予感を「思う」にとどめて連作は終わる。
すてきな作品でした。「からっぽ」というタイトルで、明るい言葉も出てこないのに、むなしさはない。逆に「いっぱい」になっていては何も出入りする余裕がなくて、これからを生きていけないからでしょう。からっぽなのは、地味な現実の先にある、これからやってくる運命を迎え入れるためだと受け取りました。私も人生の過渡期にある人間です。そのような境遇の主人公が、本人は気づいていないかもしれないけれど、自身の内部で静かな思いを燃やしていて、希望を感じられる連作です。
週末は冷蔵庫がからっぽな鷹山菜摘より
森本直樹様「からっぽ」によせて
眠りたくなくて来ている喫茶店のケーキケースの下段からっぽ
閉店が近いのだろう。ケース下段のケーキたちは既に売り切れたか、片付けられてしまっている。カ行の連続のメロディにのせて、どんなケーキがあったのか想像させられる。連作「からっぽ」で展開する世界は、眠りたくないときに来るような、この喫茶店が出発地点となる。
ブレンドコーヒーフレッシュなしと書かれたる伝票用紙が折りたたまれる
いちばん文字数が多いために目立つ一首。破調部分は店員が注文内容を読み上げるように一気に読みたい。「ブレンドコーヒーフレッシュなし」という、短歌に使うには長い言葉だからこそ、伝票の折りたたまれている様子が表現されている。
シャッフルで流れる曲のあいみょんの愛称なんだと思っていた名前
これはそのまま「わかる」歌(私もアーティスト名と曲のイメージの差に驚いたひとり)。事実を知った以前・以後の自分ははっきり分かれてしまう。その分断を、偶然に曲が流れたとき噛みしめている。もう戻れない過去がある。
パチンコ屋の前に並んでいるうちの一人がマンホールを撫でている
実際にその光景を見たらぎょっとするはずだ。道路掃除でもないだろうし。験担ぎか何かでそういうのがあるのか。並んででもパチンコ屋に行く人の世界を目撃してしまった。
ペットボトルを捻り潰せば手のひらに浅くくい込むいくつかの尖り
普段のペットボトルは手にやさしい形なのに、ひねりつぶすと確かにバキバキになる。それでも凶器とはなり得ない。「浅く」を逃さなかった、手の感覚が敏感であることがわかる。
コインランドリーの手前のごみ箱にやたらと捨ててあるレジ袋
似たような場所を知っている。ごみを入れたレジ袋がたくさん捨ててあるのかと思ったが(地域によっては指定ごみ袋でなくてもいいところもある)、中身のないレジ袋自体が山積みになっているのかもしれない。人間がつくった便利さに人間がついていけていない世の中。どことなく全体的に白い歌。
古着屋の暗やみに立つマネキンがあまりに痩せているような気が
このマネキンはかわいそうなマネキンなのだろうか。それとも古着屋だから、暗いから、そんな気がするだけなのかと自分の感覚を疑う。「暗やみ」の表記にこだわりを感じる。
いつの間にか小雨が降っているなかの私の肩にシャツがはりつく
指を鳴らし損ねてしまう短めの息継ぎほどの音を残して
なんとなくうまくいかない毎日。現実に負けそうなとき、現実との間にすこし距離をとって、非現実感を混ぜることでほんのり夢をみているような感じ。連作の中の主人公として、そうやって人生に立ち向かっているんだな、という人物像が見えてくる。
コンビニの前に立ちたる逆光の人が誰かに手を振っている
私は大学時代にコンビニでアルバイトをしていたので、コンビニ関連の楽しい短歌が好きだ。姿のよく見えないふたりがコンビニで集合なのかコンビニで解散なのか(どちらもよく見るし、私もする)、どちらにせよほっとするやりとり。それを見ている、自分。「逆光の人」も「誰か」も、自分を含む誰もがそうでありまた誰でもない、というイメージが「コンビニ」の言葉に託されている。
好きだった音楽が耳に馴染まないそんな時間が来る、唐突に
私の翼であったはずのものたとえば自転車あるいは珈琲
外部を描写する歌が多い中で自分自身の変化も描かれる。変化に気づいたときにはもう、既になにかが始まってしまっている。ケーキケースがからっぽだったことを思い出す。
鍵穴に鍵を差し込むひとときに傷つきあっている音がする
生ぬるい水道水にむせ返る気恥ずかしさが溢れるように
フライパンの底に圧されてたわみたる青白い色の炎を思う
帰宅してからも日常的な行為を冷静に捉え直している。鍵に暴力のイメージを重ねることはしばしばあるが、それは一方的なものではないと表現するのがこの主人公のパーソナリティである。むせるときのあの苦しさも、気恥ずかしさが溢れる現象だったのかと納得してしまう説得力がある。普段の暮らしの中で、自分にコントロールされている炎にひそむエネルギーを思うときの、何かが起きてしまいそうな予感を「思う」にとどめて連作は終わる。
すてきな作品でした。「からっぽ」というタイトルで、明るい言葉も出てこないのに、むなしさはない。逆に「いっぱい」になっていては何も出入りする余裕がなくて、これからを生きていけないからでしょう。からっぽなのは、地味な現実の先にある、これからやってくる運命を迎え入れるためだと受け取りました。私も人生の過渡期にある人間です。そのような境遇の主人公が、本人は気づいていないかもしれないけれど、自身の内部で静かな思いを燃やしていて、希望を感じられる連作です。
週末は冷蔵庫がからっぽな鷹山菜摘より
森本直樹様「からっぽ」によせて
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