住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

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心と体のリラクゼーション、誰かに秘密を話すストレス解消

他人の痛みの分らない時代

2012年02月23日 | 日記
 育児の為の支出が増え、教育の為の学費が増え、経済的には、とても子育てがやり難くなった。
そんな経済的子育て事情より先に、共に生きる伴侶選択としての物差しが、高学歴化が進んだ今、収入金額が多いか少ないか、そんなことばかりが気になる時代に成ってしまった。

 ネットの婚活サイトを見ても、収入金額が600万以上とか、800万以上とか、とてもおいそれとメールを出せる女の人は、筆者にとっては見当たらない。
今日のニュースで、サル山のサルを花火で虐待した5人の高校生が書類送検された、とあった。
一人娘、独り息子は何も日本だけでなく、中国でもそういう人口抑制の政策的な誘導により増えている。 この人たちが主に、他人の痛みが理解出来無い層に成っているのではないだろうか・・。
これからの時代、災難はなにも『サル』 だけに留まらない。

 何が問題か、ここまで書いてくれば言わずもがなの事であり、兄弟の《ままごと遊び》の中から他人の痛みも、苦しみも、悲しみも理解できた昔の多人数家族、そんなことはもう期待できないのだろう。 総理大臣を初め政治家達も、現実的な政策においては、他人の痛みにまで気を配っている余裕が無くなってしまっているのだろう。 と云うか、貧困の中で硬く培われた、信念のようなものが今の政治家は、持ち合わせていないのではないか・・ 。 貧困から遠いところで生まれ育った《世襲政治屋》だから、当然と言えば当然・・・ 。
もちろん、行政の最も貧困者と向き合う窓口においても、自分の生活をより豊かにがメーンテーマで、とても他人をかまっちゃ居れないと言う事なのだろう。


 今日の、NIKKEI春秋に、生活保護のことが書かれていた。
 ***  以下全文引用 NIKKEI.COM 2/23付 ***

 生活保護のことを「ナマポ」と呼ぶのだそうだ。 略称の「生保」をそう読むらしい。 近ごろネットで見かける俗語である。 「ナマポ申請のやり方を教えて」「思ったより簡単にナマポもらえたよ」。 体験談らしき会話が飛び交っている。

▼受給者は207万人を超え、過去最多の記録を更新し続ける。 病気の治療で、年金や蓄えが尽き果てた人もいる。 寝たきりの親の介護で精いっぱいの人もいる。 多くは苦しみ、悩んだ末に、すがる思いで窓口に駆け込んだはずだ。 その現実の重さに比べて、「ナマポ」という言葉は、なんと軽い響きであることか。

▼生活保護の受給者ばかりが入居する賃貸アパートを、東京の近郊で見学させてもらった。 3畳一間で手洗いは共用。 質素なつくりだが、家賃は驚くほど高い。 弱者の受け皿といえば聞こえはよいが、経営者にとり受給者は、家賃の取りはぐれがない好都合なお客だという。 生活保護費は毎月必ず支給されるからだ。

▼これが「ナマポ・ビジネス」の実態である。 医療や介護でも、似た手口の奇妙な話を耳にする。 ずる賢い人間を、のさばらせてよいはずはない。 隙をつかれるような制度も問い直さなくてはならない。 本当に困っている人にまで白い目が向けられるような、そんな貧しい感情が渦巻く日本にはしたくない。

  ***  以上引用   終  ***


 官僚達のモラルの欠如を指摘するまでも無く、オエライさん達が法律を身勝手に使い、自分の身を肥やし続けているのを横目で見たら、『8・9・3・者』でなくても、 世の不条理の中に身を投げ入れて何が悪いのか・・・・ と云うことに成る。
また、《貧困ビジネス》 と言う言葉を耳にするたび、ウォール街金融筋の悪魔の思想が流れ着いた、『場末のど田舎』の印象を拭いきれず、はなはだ心持は良くないのだが・・・ 。