住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

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心と体のリラクゼーション、誰かに秘密を話すストレス解消

機を見て敏なる大林宏氏

2010年12月16日 | 日記
 
 私は、田舎暮らしの独身男という以外なんの取り得も無いが、幸いにして新聞とテレビ以外の、ネットから《ミソとクソ》 の幾多の情報を得る事が出来る。


 Jiji.com に 《検察トップの大林宏検事総長(63)が、年内にも辞任する意向を固めたことが16日、分かった。 任期を約1年半残しているが、大阪地検特捜部検事による証拠改ざん・隠蔽(いんぺい)など一連の特捜部をめぐる事件を受け、責任を取る必要があると判断した。》 と出ていた。

尚、同上検事総長と一緒に伊藤鉄男最高検次長検事(62)も辞任とあった。


 最近の、小沢氏と西松事件の顛末、国内では報じられることの少ない検察批判の一般人によるデモ、名古屋市と阿久根市に於ける一昔前なら考えられない事象。

さすが、樋渡利秋氏、漆間巌氏と三羽烏を組んだだけの目先の利く人のようである。 今後、『ウィキリークス』 がどのように進化を遂げるか予断を許さないが、秘密裏に『オエライサン』が国民を誘導する方法の限界が見えてきたのだろう。 
もはや、国民全てを暗闇の中で誘導するように、引っ張ることの難しさ、責任の所在は益々顕在化され、其処に国民の怒りが集中することの予見を、彼は強く感じたのではないか。


  *** 以下引用 下記URL より ***
 http://www.kyudan.com/opinion/kensatsu4.htm

 東京地検特捜部は2010年1月13日、民主党の小沢幹事長の政治資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐって、陸山会事務所や小沢氏の元秘書・石川知裕衆院議員の議員会館事務所や地元事務所をはじめ大手ゼネコン鹿島建設などを一斉に家宅捜索した。

 この時、検察官が2列に並び、行儀よく事務所の中に入っていく様子がテレビのニュースで流れていた。 何故、テレビ局はこの日に家宅捜索が行われるのを知っていたのか。 これこそ検察によるリークの最たるもので、正義の味方が悪を退治するという恰好(かっこう)の断罪材料が家庭でテレビを見ている判断能力の乏しい国民に見せつけたものだった。


 この日から連日、恰も不正がある如く検察からの出鱈目なリークが紙面を飾り、テレビのトップニュースとして報じられてきた。 ほとんどのマスコミは小沢が取得した土地と秘書の宿舎になっているアパート周辺からの中継で、まるで政治家が土地を買う事が悪い事であり、その金の出所が不正である如くの報道は一体何を目論んでのものだろう。

 誰でもすぐに思うのは、自民党議員には小沢と同じような事をしている議員はいないのだろうか、と言う疑問だ。 否、ほとんどの自民党議員も同じことをしている。 では何故小沢だけが検察の標的にされたのだろう。


 この疑問を解くには麻生時代に遡らなくてはならない。 麻生の官房副長官だった漆間巌(うるま いわお)と言う多少耄碌した警察官僚上がりの閣僚がその鍵を握る。 2009年3月5日、漆間は定期的に開かれている記者団との懇談の席で、小沢代表の秘書が東京地検に逮捕される状況下にあった西松建設の違法献金事件の捜査に関して非公式の記者との懇談会で発言した。

 その内容は「自民党側は立件できないと思う」と言うものだった。 これは既定路線として、西松の件の標的は民主党議員のみ、と言う検察の方針を知っていたからに他ならない。 

 漆間巌は東京高等検察庁検事長の大林宏と懇意であり、その接点は2人ともスパイを生涯の職業としていた事だ。 漆間は1980年3月からソビエト時代のモスコワの日本大使館の一等書記官を、また大林は1980年から3年間、外務省に出向し中国の日本大使館で一等書記官をしていた。

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  *** 以上 引用 終  ***



  *** 以上引用  下記URL より ***
  http://critic6.blog63.fc2.com/blog-entry-40.html

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 国会審議で、政府答弁の責任者として立ち、野党議員を相手に共謀罪導入の正当性を主張したのが法務省刑事局長の大林宏だった。 その詳細はあらためて述べるまでもない。 私が注目させられたのは、ネットの検索エンジンから出てきた一個の情報の切れ端で、そこには驚愕する内容が記されている。

この大林宏は、在中国一等書記官だった若き日に、何とあの北京から帰国した伊藤律を尋問していたのだ。 そこには伊藤律の回想録が引用されて以下の証言がある。「大林は威圧的で、時には旧特高式の睨みをきかせ、時には日本料理を食べないかとか、日本のえらい医師に私の病気をみさせようとか硬軟両方の手を使う。 少しでも多く喋らせようとの魂胆がありありだ。
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 この大林宏は1947年生まれの61歳。 漆間巌は1945年生まれの63歳。年齢がとても近い。年齢が近く、二人に共通するのは、全共闘闘争の時代に学生生活を送っていることである。団塊の世代だ。 ほぼ同じ世代で同じ学生時代の経験を持っている政治家に、1944年生まれの町村信孝や1943年生まれの中山成彬がいる。 どちらも強烈な反共イデオロギーの闘士である点は同じで、生い立ちや学生時代の経験が政治思想に色濃く影響を及ぼしていることが推察される。漆間巌と大林宏の大学時代はどのようなものだっただろう
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  *** 以上引用   終  ***


 似たような書き込みが数多く有り、まだまだ紹介したいが後は志の有る読者に、行動を託したい。
このような、火事場からいち早く逃げるネズミのような高級官僚は、激動の時代には次第に多くなるのではないか・・・ 。 責任を見届けずに、去るのは情けないことだが、其れはそれでしようが無いことであろう。



河村たかし市長・第一関門突破

2010年12月16日 | 日記

 先月、名古屋市議会リコール署名46万5千人を集めた市長とその支持者達。
選挙管理委員会(伊藤年一責任者)の、物差しで計ったような11万人分を上回る無効署名者数。 
河村市長が言ったように、民主主義の否定とも取れる市議会温存の為の、リコール不成立とそのやり方。 ツラの皮の厚さを測りきれない人々が、《既得権益者層》 と驚くより他はない。
「署名活動の終了後に、後出しじゃんけんのように審査基準を厳しくするのはおかしい」と批判した市長の怒りはよく理解できる。

 おかしいと気付いた、リコール署名者達の動きまでは選挙管理委員会は、予見できなかったようだ。
その短い期間の中で、迅速に動きリコール不成立を、ひっくり返した名古屋の人々の力に賞賛を送りたいと思います。


 ***  以下引用 Asahi.com 12/15付より ***

 「みなさんに感謝したい。サンキューベリーベリーベリーベリーマッチ。ベリーを4回言わせていただくほど困難だった」。 15日夕に記者会見を開いた河村市長は開口一番、署名した市民への感謝を述べ、満面の笑みを見せた。

 市長は先月、署名が必要数を約1万2千人分下回っていると発表された直後に「リコール不成立の責任をとって辞職する」と表明している。 再審査で一転して必要数に達して成立の可能性が出てきたこの日、改めて辞職の意思について問われると「減税条例案を議会に否決されているので、市民に信を問いたい」と述べ、辞職する意思に変わりがないことを明確にした。
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  *** 以下引用  終  ***


  大まかな数字で口をすっぱく書き続けているが、国の税収40兆円、公務員全体の人件費40兆円では、何のための行政か誰でも疑問を持つのが当たり前であろう。

 近々では、夕張市の例が市民に説得力を持つのでよく出されるが、地方自治体でも国家機関でも、その危険性と 《税徴収は何の為か》 ということを考えれば、河村市長と阿久根市長のように、固定的経費を縮小しようとするのは当然であるし、そのようにしなければ、行き着くところは国中が《夕張市》 のような結果になってしまう。


 よく考えなくても、そんな事は判ることだが、誰かがやってくれるだろうと言う甘えが国民に有る間は、アメリカ依存からの脱却は出来ない。