だからちがうんだってば.

ブログ人から引っ越しました

原発震災への支援

2012-02-01 23:45:55 | 生活
猪飼さんのブログより.興味深いし,おおむね同意します.とくに興味深いのはこのくだり:
私の理解では、問題は2点である。1つは、国民が総じて福島の人びとの被曝に対して冷淡であるということである。財源が調達できないということは、結局のところ福島の人びとに対して十分な税金が投入されるということについて、国民的合意ができないということである。原発震災の責任が国にあるということは、国民全体が責任を負うということに他ならない。だが、このような意識は日本人には総じて希薄であり、自分とは関係のない「国」が悪いと思っているようにみえる。除染の責任を取るのも、自分ではない「国」であって、自分は関係ないと思っているようにみえる。そして、このような国民の態度は、結局のところ国が除染のための財源を確保することを不可能にしてしまう。

もう1つの問題は、現在の民主党政権に、福島の人びとに冷淡な態度を取る国民に責任を取ることを呼びかけるだけのリーダーシップが欠けているということである。国の取るべき立場は2正面的なものである。一方では、原発震災の責任者として福島の人びとに対して謝罪し、償いを約束しなければならないが、他方では、その究極的責任が国民にあるということを国民に納得させなければならない。残念ながら、そのような芸当をすることは非常に難しいことであるように思われる。

私は、細野原発相は、彼のもつ誠実さの限りを尽くしてこの問題に当たっていると思う。だが、究極的責任が国民にあるということを国民にわからせることができなければ、彼の被災地住民に対する約束の多くは、「やろうとしたけれどできませんでした」という形で反故にされ、最終的には、できもしない約束をしたことで、被災地がその約束を前提として振舞うようになる分だけ、現地に害をなす結果となるだろう。

興味深いことにこの2点は公債残高の累増,財政再建の進まなさに共通しているように思います.財政再建のばあい,自分ではない「国」を代表しているものは公務員や政治家となっているように見えます.「身を切る」歳出削減は,そのまま有権者の不利益になってしまうのでは,と危惧されます.定員削減や歳費の削減が集合的意思決定について大してよくないことで,むしろ政策スタッフの充実が求められているんじゃなかったっけ,と思ったり.

猪飼さんのはなしにいまひとつよく分からないことがあるとすれば,「住民の決定を支援する」を強調しすぎているような気がすることです.支援が税金,すなわち他の国民の金を使って行われる以上,住民の決定を支援するためにいくらでも財源を投下することはできないでしょう.「冷淡」な国民の意思をどこまで尊重するかは難しい問題ですし(民主国家ですから),今よりも支援を増やすほうがよいのは確かでしょうが.疎開の失敗を指摘されていますが,ダムや空港の建設にともなって移住を強制された(誘導だったり,十分な補償があったりはしますが)例はあるわけです.今後の人口減少を踏まえれば,限界集落の問題と似たような設定になっているような気がします.つまり「効率的な」地理的人口分布を目指すという視点もいるのじゃないかと(福島市は違うかも).だからといっていい案があるわけではないですが.


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