だからちがうんだってば.

ブログ人から引っ越しました

『国家は破綻する』

2011-08-08 21:11:54 | 授業ネタ
これまた少し前のベストセラー(?)『国家は破綻する』を読みました.この本,原題は「This time is different」なので,タイトルはけっこう意訳されています.金融800年の歴史における国債のデフォルト(債務不履行)の起き方,その影響,債務危機と並んで銀行危機・インフレ・通貨危機との同時発生性についてオリジナルな広範なデータを分析しています.一般向けを意識しているようで,めんどうな統計解析は出てきません.なので,グラフだけ見ると「おや?」と思うところもあるのですが,主張は明確で「今回は違う,なんてことはない」です.

アメリカ国債がデフォルトするかも,というご時世ですが,この本では「1942年に日本国債がデフォルトした」というデータを使っています.幕藩体制のもとで大名の借金がデフォルトするのはけっこうあったようですが,明治期以降に日本国債がデフォルトしたとは聞かないなあ,とおもってぐぐってみたところ,同じような疑問をもつひとがいたようで(あとがきなどにも「財務省高官から抗議が来た」とあるので,国内的には有名な事例ではないらしいです),調べたひとがいました.これこれです.こちらのほうがいろいろ調べてあるのですが,惜しいことに財務省のウェブサイトのリニューアルにともなってリンク切れが起きているので,そこを補って部分的にコピーしておくと,

結論を言うなら日本側の史料は存在する。一次史料は見つけられなかったものの、1974年に発行された「財政金融統計月報」10月号"http://www.mof.go.jp/pri/publication/zaikin_geppo/hyou/g270/270.htm"がずばり「国債特集」を組んでおり、その中で過去のデフォルトに言及している記事があったのだ。「政府関係外債について」"http://www.mof.go.jp/pri/publication/zaikin_geppo/hyou/g270/270_c.pdf"という当該記事の2ページ目には、第二次大戦当時の外債についての説明が載っている。

それによると戦争勃発時点で日本が発行した外貨債残高は「英貨債13銘柄8,800万ポンド、米貨債14銘柄2億8,300万ドル、仏貨債2銘柄3,700万フラン」だった。うち約半分は日本人が所有し、残りの大半は連合国の投資家が所有していたそうだ。日本政府は自国民に対しては円建てで、友好国(ヴィシー政権下のフランスなど)の投資家にはスイス・フラン建てで元利払いを続けたが「連合国人所有のものに対する支払いは全く行いえず、元利金の不払額は相当な額に上つたとみられる」そうだ。

債権者の合意なしに元利払いを止めたのだからこりゃデフォルトだろう。意図的に止めたのではなく「開戦後は送金の路が閉ざされ、在外債券に対する元利払いは止むを得ず中断されることとなった」(財務省今昔物語8 "http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1006372"のp.109)との主張もあるのだが、投資家の手元に支払いが届かなければデフォルト扱いになるのも止むを得ない。大蔵省(現財務省)の統計資料で「不払い」を認めているのだから、日本が債務不履行を引き起こしたのは事実と見てよさそうだ。

ただ日本側は(あるいは大蔵省は)債務不履行という文字を使うのは嫌がっているようで、不払いを認めているもののデフォルトだとはどこにも書いていない。それだけでなく「政府はこのままでは国際信義上問題であるとして、とりあえず、横浜正金銀行に特殊財産管理勘定(SPA)を開設し、在外証券に対する資金はすべてこれに払い込ませることで処理した」とも書いて、日本側としては支払う意図を失っていなかったと主張している。もっともこの勘定に振り込まれた金が投資家の下に届いたとは全く書かれていないため、投資家から見ればやはりデフォルトだったのだろう。

ついでにいうと,かの財金月報には「大戦勃発後,海外送金の途が閉ざされたため,在外債券に対する元利払いは一時中断の止むなきに至った」ともあるので,「払うべき時に払わなかった」という意味では立派なデフォルトを起こしていたことになります.ついでに,富田俊基先生の「国債の歴史」にも「太平洋戦争の勃発(1941年12月)に伴って,日本国債の海外での元利支払いが不可能となった(p.435)」という記述があります.

こちらにあるとおり,日本国債のこのデフォルトは「支払い能力の喪失が原因ではないみたい」だから他のデフォルトとは違うんだ,というのはちょっと違います.国には徴税権がありますから,国債をデフォルトしないのは制度的には可能なはずで,ということは,国債のデフォルトというのは意図的なものであって,支払い能力とは直接には関係せず,「債務不耐性」のほうに関係します(ラインハート・ロゴフでもそういう書き方だったと思います).「支払い能力」を流動性や支払う「意思」とみれば,1942年の日本のデフォルトは確かにちょっとちがうかもしれませんが,かといって別扱いにするほどのものではないかと.

こういう小話は教科書に入れておけばよかった.