牟礼慶子『夢の庭へ』(3)(思潮社、2009年05月31日発行)
「夢の庭へ」という作品が、私はとても好きだ。私は牟礼のことを個人的には何も知らない。『夢の庭へ』を亡くなった「あなた」への相聞歌として読んでいるけれど、「あなた」がいつ亡くなったのか、そのことも知らないで私は書いている。
「夢の庭へ」の1連目。
この詩は私には「ほのかな紅を」と重なって見える。重ねて読んでしまう。
ネムの木を見上げると、きっと「わたし」はひとりきりになる。世界から切り離されてしまう。世間の人は、そんなふうに「ひとりきり」になってはいけないと制止する(注意する)けれど、「わたし」はネムの木を見つめていたい。それは、きっと牟礼にとってとても大切な木である。「あなた」の思い出がいっぱいつまっている木である。「あなた」は「わたし」を「ネムの木」と呼んでくれたのかもしれない。きっと、そうだろうと思う。
ネムの木を見上げ、「わたし」はひとりきりになる。「ネムの木」と呼ばれた懐かしい、いとしい時間。その瞬間にかえる。
そして、「ひとりきり」の「あなた」に出会うのだ。「わたし」を「ネムの木」と呼んだとき、「あなた」は「ひとりきり」だった。つまり、「わたし」を「ネムの木」と呼ぶ人は、「あなた」以外にいなかった。
そして、その「あなた」はこの世界から旅立って、別の意味で「ひとりきり」である。
だから、「わたし」が「あなた」に寄り添う。そして、寄り添うとき、「わたし」は「あなた」になり(「ムネの木」と呼んでくれた「あなた」が「わたし」の中でいきいきとよみがえり)、「あなた」が「わたし」に寄り添うとき(「あなた」が「わたし」を「ネムの木」と呼ぶとき)、「あなた」のその声の中で、「わたし」がよみがえる。
「入れ替」るとは、そういうことをいう。切り離せないいのちになる。入れ替わるとは、「一体」になることである。
2連目。
「若いネムの木だったわたし」。「わたし」と「ネムの木」が「一体」である。その瞬間と「いま」が「一体」になる。すべてが「ネムの木」とともに存在する。「ネムの木」をとおり、遠いむかしも、いまも、いまここにいない「あなた」も「一体」になる。
この「一体感」を牟礼は、語りつづける。
「あなた」との愛の暮らしで学んだのだと、私は教えてもらった。この詩集で、牟礼から。すばらしい愛の詩集だ。ありがとう。
「夢の庭へ」という作品が、私はとても好きだ。私は牟礼のことを個人的には何も知らない。『夢の庭へ』を亡くなった「あなた」への相聞歌として読んでいるけれど、「あなた」がいつ亡くなったのか、そのことも知らないで私は書いている。
「夢の庭へ」の1連目。
ふり向くな
制止の声に同意せず
わたしはあの日から
一本のネムの木だっだ
古い風と新しい風が
わたしの背中で入れ替り
今年のネムの花が
淡い紅の蕾を
梢に掲げるのを仰ぎ見ている
この詩は私には「ほのかな紅を」と重なって見える。重ねて読んでしまう。
ネムの木を見上げると、きっと「わたし」はひとりきりになる。世界から切り離されてしまう。世間の人は、そんなふうに「ひとりきり」になってはいけないと制止する(注意する)けれど、「わたし」はネムの木を見つめていたい。それは、きっと牟礼にとってとても大切な木である。「あなた」の思い出がいっぱいつまっている木である。「あなた」は「わたし」を「ネムの木」と呼んでくれたのかもしれない。きっと、そうだろうと思う。
ネムの木を見上げ、「わたし」はひとりきりになる。「ネムの木」と呼ばれた懐かしい、いとしい時間。その瞬間にかえる。
そして、「ひとりきり」の「あなた」に出会うのだ。「わたし」を「ネムの木」と呼んだとき、「あなた」は「ひとりきり」だった。つまり、「わたし」を「ネムの木」と呼ぶ人は、「あなた」以外にいなかった。
そして、その「あなた」はこの世界から旅立って、別の意味で「ひとりきり」である。
だから、「わたし」が「あなた」に寄り添う。そして、寄り添うとき、「わたし」は「あなた」になり(「ムネの木」と呼んでくれた「あなた」が「わたし」の中でいきいきとよみがえり)、「あなた」が「わたし」に寄り添うとき(「あなた」が「わたし」を「ネムの木」と呼ぶとき)、「あなた」のその声の中で、「わたし」がよみがえる。
「入れ替」るとは、そういうことをいう。切り離せないいのちになる。入れ替わるとは、「一体」になることである。
2連目。
遠くで鳴る
振鈴の合図に促されて
あの 夢の庭のほうへ
わたしは今日を歩き始める
わたしを誘うのは
わたしの腕でなく
誰の腕でもなく
若いネムの木だったわたしの声
「若いネムの木だったわたし」。「わたし」と「ネムの木」が「一体」である。その瞬間と「いま」が「一体」になる。すべてが「ネムの木」とともに存在する。「ネムの木」をとおり、遠いむかしも、いまも、いまここにいない「あなた」も「一体」になる。
この「一体感」を牟礼は、語りつづける。
この世に定められている時の掟
その境界の越え方を
わたしはいつ覚えたのだろう
向う側と
こちら側の風景を隔てて
整列している木々の淡い緑
非在の者と
存在する者とが
同じ場所に留まる術を
わたしはどこで学んだのだろう
「あなた」との愛の暮らしで学んだのだと、私は教えてもらった。この詩集で、牟礼から。すばらしい愛の詩集だ。ありがとう。
日日変幻 (1972年) (現代女性詩人叢書〈6〉)牟礼 慶子山梨シルクセンター出版部このアイテムの詳細を見る |